No.153 竹花池夜歌
ねえ見てください。夜が過ぎてゆきますよ。八柿(やがき)が指差した方を見ると、夜半に強まった高層の東風になぶられて、灰色の綿のような夏の雲が、その身を細められながら西へ押し流されていた。ずいぶん遠い雲だが流れが速い。その流れを見ていると、それはまさに夜が過ぎていくようであった。竹花池の脇に作り途中の公園があり、僕と八柿はその養生中の芝を踏んで入り込み、藤棚の下にあつらえられた丸太造りのベンチに座っていた。藤棚に風が入ると葉ずれがさあさあと波のようである。遠く高架下から野犬の遠吠えがあり、それを受けてさらに遠くから消え入りそうな遠吠えが応えた。竹花池の水面はさざめいて、向かい団地の規則正しく並ぶ蛍光灯を照り返し、水の深みの黒光りをきらめかせているだろう。僕は見えもしない水面のことを考えた。古くは用水池だった竹花池は今はもう使われなくなり、たまに少年が鮒釣りをするだけのうら寂しい池である。その脇にあるこの公園も、おそらくその寂しさを引き受けるような広場になるだろう。僕は八柿とその公園で何をしていたのか覚えていない。ただ夜が過ぎてゆくのを確かに見た、ということだけを覚えている。
地区連合の体育部の競技会があり、それに参加した友人が女を引っ掛けてきた。友人はきっかけを作ったもののその後をどうしていいかわからず、また先方も遊ぶ気はあるものの手立てがわからぬようで、不慣れな者同士が照れくさげにふざけて案を出しているうちに、ある夜に花火をしに集まろうという話になった。僕がそれに引き込まれたのは一応の段取りが整ってからのことで、途中から話を聞いた僕としてはその成り行きはずいぶん乱暴に思えたものだった。夜、お互いの顔もよく見えない暗がりの市民広場に集まり、十一名で花火をして過ごしたのだったが、その中の一人に八柿がいた。彼女が場違いな黒い鞄をぶらさげて現れたのを見て、それは何、と僕はぶっきらぼうに尋ねたのだったが、あ、お習字です、と彼女は微笑んで答えたのだった。そのお習字という言葉の響きが、その丁寧さを備えて僕の印象に深く刻み込まれた。短めに丸く整えた髪を揺らして、彼女は新しい男たちと親しくなる器用さは見せずに、よく馴染んだいつもの女の子らの奥にいて、それでも無垢に楽しんでいるようだった。僕は新しい花火の色が現れるたび、彼女の顔を盗み見た。顔のつくりに派手さはなく、人目を引くというものではなかった。だが肌が真っ白くむらがなく、それは一々の花火の輝色をよく照り返した。よく笑うが、笑い顔は控えめで小さかった。そのかわいらしさからか、周囲の誰もに愛されているようだったが、さりとて特別な存在感として扱われているようでもなかった。だが僕は穏やかなまま気づけば彼女に目を奪われていた。長い手足が浮き立って、それぞれの部分が生きて見える。花火も尽きて、まとまりのないまま解散の気配になると、僕は彼女の下へゆき名前を聞いた。突然名前だけを聞く、というのは彼女を戸惑わせるようにも思えたが、僕は彼女から受けた印象を信じてあえてそのように試みた。彼女は八柿ですと短く答えて、やはりほほえんだ。帰り道、友人らと、いつもにはない照れ隠しの興奮の中で談笑しながら帰るところを、僕は不意に避けたくなり、途中で逃げ隠れるように路地に入り、一人わからぬ道を手探りしながら帰った。八柿から受けたたおやかな印象の記憶を、壊さないように抱えて歩いていた。
八柿とは、よく夜に電話で話し込むようになった。話題は、八柿の兄のことだった。なぜか祖父が亡くなってから、兄の素行が悪くなった。八柿の家族はそのことで不安定でいるらしかった。兄はわたしにはやさしいんですが、両親には冷たく、いらいらして当たるんですよ、と八柿は話した。それは相談しているというよりはただ話しているというだけであった。僕も指図する知恵などありようもなくただ聞くだけだった。八柿の声を聞くと落ち着く、と僕がいつか告げると、八柿は電話口で長い間黙った。何か少しでも褒めるようなことを言うと八柿は黙り込んでしまうので、僕もやがて八柿が答えにくくなることは話の最後に切り出すことが習慣になった。
ほどなくして僕と八柿は、僕の呼び出しによって会うことが多くなった。電話口だとそれなりに話す八柿は、直接会うと何も話さなかった。照れるふうでもなく、退屈な様子もなく、八柿はただ呼び出されて僕の前に静かにほほえんで出てくるだけだった。八柿の気配を受けてか、僕もそれに馴染んでしまい、二人してただ歩く、あるいはどこかに座り込んで、通り行く人を眺めるだけであった。手を触れても八柿は拒絶せず、あごを持ち上げるようにして上をむかせ、口付けをしても、八柿は目を閉じてそれを受けるのみであった。口付けをすると、ごくかすかに身体を震わせているようなのだが、それも八柿の内では懸命に抑えようとしている気配である。僕はその抑えられた震えに八柿の心を受け取るようで、それがかわいらしく、同じような口付けを何度もした。何度しても八柿の受け方は変わらなかった。竹花池公園のベンチに座り、その夜もやはり口付けだけを何度も繰り返した。口付けしては二人並んで空を遠く見て、夜があれからどれぐらい過ぎたかを確かめた。そのうち、きつねにでも驚かされたのか、雉が茂みから慌てた様子で飛び立って、ケーンと高く鋭く啼いた。
八柿の記憶はその夜を最後に途絶えている。どのような理由で疎遠になったのかを覚えていない。その他記憶にあることといえば、ある日の偶然、通りすがりに、八柿がクラスメートらと一緒に下校している駅前の風景を見たのみだ。そのときの八柿は、やはり控えめではあるものの、僕の前にいる八柿よりは溌剌としているようであり、それを受けて僕はわけもわからず落ち込みもした。いつからか八柿は、いつか見た夢のような存在になり、自分はあのとき八柿と一緒に夢を見たのだと、ふと信じ込むときもあった。
それからずいぶん経って、自動車免許を取得して浮き立っていたある午後、僕は友人から借りたセダンを当て所なく走らせているうち、竹花池のあたりを通り過ぎた。突然胸に湧いた不安があり、その正体がわからぬまま、八柿の家の前を通り過ぎると、不安の正体はそれであった。八柿はすでに転居しておりその表札はなかった。かつて閑散としていた道もいくつか新しく信号が据え付けられ、新興の住宅地はすでに空き地が見当たらなかった。
竹花池公園には、藤棚とその下のベンチが残っていた。公園の区画は拡大され、近隣の年配が利用しやすい具合のアスレチックもささやかに備え付けられている。竹花池自体も植林され、見栄えのよい新しいスロープの両脇にパンジーの花壇が並んでいる。僕はベンチに座り込み、座り込むうち無性に悲しくなり、時間が過ぎるのを待った。夜の訪れを待った。あのときのように、夜は過ぎてゆくだろうか。夜が確かに過ぎてゆくのを、僕は今でも確かに見ることができるだろうか。
できないような気がしていた。
夕焼けが去るのを待って宵闇。僕はあのときと同じ角度で空を見た。あたらしくマンションが建っている。他は昔のままだ。
胸の底がでんぐり返る感触があり、ああ、と僕は唸った。風はなく晴天の夜空である。しかし夜は、あのときと変わらず、独特の黒艶を見せ、今確かに過ぎてゆくのだ。今まさにその光景――それはこの数年忘れていた光景であった。そして取り戻してみれば、これほどのものが元々あったのだ、と僕を打ちのめすほどのそれは光景なのであった。夜が過ぎてゆく。追うこともできず逃げることもできず、巨大な仕組みをただ眺めているよりほかない。ただそれだけのことが……
――ねえ見てください、夜が過ぎてゆきますよ。
僕は八柿に、ありがとうなと言いたくなった。直後、でも八柿は黙り込んでしまうからな、と懐かしい習慣によって思い留まった。すると、化石だったはずの傷心が、突如息を吹き返して暴れそうになり――慌ててその発想を閉ざした。
馬鹿げた妄想と知りつつ、八柿があのときのように、静かにほほえんで立っていないか、僕は周囲を見渡した。もちろん誰もおらず、きつねや雉の気配もすでにこのあたりにはない。ただ夜だけがあのときの続きに流れている。僕はその真ん中に座っていた。
ふと鼻先に哀しい香りの錯覚があった。口付けに震える、八柿の白い頬の香だった。
[了]