No.154 冷たいということ
ごめんなさい、迷いました、もうすぐそこに着きますから、と連絡を受けて、臨海公園の入り口で立ちんぼのまま待っていると、曇り空にぽかんと間の抜けた海中生物のような、真っ赤な車が現れた。後で聞いたが、アルファロメオというやつだ。運転席から頭を下げた女性は名字をヒビノという。下の名前は、ヨシコと書いてキチコと呼ばせる変わった名前で、あだ名がキイチゴで、昔はイチゴーと、最後のゴを高く伸ばして呼ばれることが多かった、今は単純に、キッチーとかキチーとかですね、とヒビノは左右に勢いのいい運転をしながら説明した。運転の仕方は性格のようで、後部座席に座ったら酔いそうだった。
ヒビノは今どきめずらしくボウリングに凝っていて、面白いねと僕が受けると、じゃあ行きましょうよ、とヒビノはこちらを見ずに誘った。断る理由もないので、近場の、ヒビノのよく行くボウリング場に行った。ヒビノはマイボールをカウンターに預けていて、取り出すと静脈血のような深い赤のマーブルだった。ボウリング場は閑散としていて薄暗く、古いジューク・ボックスが置いてある。ヒビノはややタイトなスカートでやりづらそうだったが、気にするふうでもなく、やたらに大きなフォームで投げることを繰り返した。カーブを練習していてそればかり投げるのだったが、球筋がまとまらない。スコアは、もちろん僕には勝ったが、やりこんでいるね、というスコアではなかった。専用の手袋をはずしながら、うーんまだまだだな、とヒビノは独り言を言った。ゲームに負けたペナルティに、僕は氷ばかり入った紙コップのコーラをおごった。ヒビノは足を組んでそれを飲んだ。
ボウリングをやりだしたのも、彼の影響なの。彼は昔、プロになろうかってぐらいやってたから、まだまだ勝負にならないのね。まあでも今は、それはもう正直どうでもよくて、せっかくだから、やれるところまでやってみたいな、って思って。来月には、小さいけど、大会にも出てみるの。そういうのないと、わたし努力できなくなっちゃうから。
ヒビノは二十二歳で、今バイオベンチャー企業の社長秘書をしている。社長といってもずいぶん若くまだ三十台の半ばらしい。ヒビノは留学していたので、英語とドイツ語がしゃべれる、そこを見込まれて雇われたそうだ。もともとは、金持ちの父親からの紹介でその職についたのだったが、でも結局はそれなりに、わたしの能力を見てもらえて、雇ってもらえたと思ってるんだけどね、とヒビノは言うのだった。彼氏は何をしているのかというと、もう何でも屋みたいだけど、今は店舗経営のコンサルタントと、あと自分でもいくつか店舗を経営してる、飲食とかエステとかネットカフェとか色々、ということだった。彼は富裕の育ちではなく、ただ起業したいということで若いうちから運送業でやたらめったらに働いて一千万円をため、内装施工を得意とする工務店にしばらく勤めた後、独立した、ということだった。すごいよね、とヒビノは言った。
でも、どうなるのかな、って思って。ヒビノは長い足を組んでいて、その膝に頬杖をつき、古いマシンがスコアを表示しているモニタを見ていた。何かそうしなくてはならないような気配で、芝居がかったものがあった。うまくいってないの? と問うと、もう二回も別れ話をされてるからなー、と、これもやはり芝居がかってヒビノは答えた。なんかね、彼も迷ってるのかな。できたら別れたい、って。でもわたしは別れるのイヤだったから、もうちょっと待って、わたし努力するから、って。
努力、とは? と僕が訊くと、うーん? 多分、わたしが家庭的じゃない、とかじゃないかな。まあでも性格だし、それはしょうがないって、彼も言ってくれてるんだけどね、ということだった。
そうか、いまいちなんだ。美人なのにね、それに頭もよさそうだし、仕事もちゃんとしてるし、なんだろうね、何がうまくいかないんだろうね。僕はそう水を向けてみたが、ヒビノはウーンわかんない、と、やや拒絶的な表情をして答えた。もう少し気分を上げてもらえれば、と思い、顔もきれいだし、体もきれいだし、上品で、魅力的だけどな、と、僕は正直なところを淡々と言った。そう? ありがとう、と、このときはヒビノは無邪気に、しかし慣れた手続きのように笑った。そしてすぐにまた、何かを考え込むようだった。
ヒビノのそばに寄ってみて、座っているところを、特に意味もなく髪を撫でてみた。嫌がるそぶりはなく、何か納得したまま無反応という様子だった。僕は彼女の頬に手を当てて、彼女の唇を上に向けさせるように促してみた。そこから唇を重ねてみても、これにもヒビノは嫌がるそぶりはなく、やはり納得したまま無反応という様子で、長く組んだ素足を解くこともなくそのままだった。キスそのものは下手ではなく、こなれているところがあって、ああ留学が長かったんだな、ということを思わせた。周りに人がいないことを一応確認してから、僕はそのまま彼女の体に手を這わせてみたが、ヒビノはそれも予定通りというふうでやさしく制して、ここじゃだめ、ここはよく来るところだから、と言った。
そうか、じゃあ、ヒビノがよく行かないところに行こう。上手く誘う文句も出てこなかったので、僕はそのような口ぶりで、彼女を誘った。ヒビノはこれについても、予定通りというふうで、少し考えてから、うーん、いいよ、でもわたし、今日あんまりこのあと時間無いんだけど、それでもいい? と伺った。そんなことは、僕が贅沢を言う筋合いでもなかったので、もちろん全然いい、と答えた。
ボウリング場から出ると空は夕刻で、映画で見る海の色をした空に、桃色に着色したわたがしのような雲が、いわし雲の手前の形でやけに高く光っていた。風が強く、宣伝のノボリ旗がせわしく揺れており、それを括りつけた金属のフェンスがかろんかろんと規則的に鳴っていた。
せっかく、場所が場所だから、湾岸のまともなホテルに行こうかと思うんだけど、それはそれで、人に見られるうんぬんの心配はない? あー、そうだね。それはちょっと、まずいかもしれない。となると、普通のラブホテルみたいなところになるけど、それでもいい? あー、大丈夫、わたしそういうのは全然平気。です。そんなやりとりをしながら、車を走らせた。保険の関係から、また僕が左ハンドルに慣れていないことから、ヒビノに運転してもらうのが肩身が狭かったが、ヒビノはそのことについても、全然平気、気にしないタイプ。です。というふうだった。遠くに見えるモーテルの青いネオン看板を追いかけるように県道を横道に入り、着いてみるとそれは妙に外形が大きいよくできたモーテルだった。この車は目立ちすぎやしないか、と思っていたが、意外に中には古い型のBMWも停まっており、気にならなかった。
こういうところあんまり来ないからちょっと楽しい。彼とは自分の部屋でっていうのばかりだったから。そう言って室内の什器を手にとって見回した後、ベッドに腰掛けたヒビノを、腕に抱えて首筋に唇を当て、ベッドに押し倒してみると、ヒビノはそれを滑らかに受け入れるのみだった。
ヒビノの体は敏感でも鈍感でもなく、プロポーションだけが、いかにもコントロールされています、というようなラインを持っていた。ヒビノの出す声は、高い音域で甘えるような声だったが、それはこちらに向けて発されるというのではなく、ただそれ自体で安定している、というようなやり方に聞こえた。それがさびしく思えたので、ちょっとこっち見てみて、と僕はお願いをした。えっ、というような反応で、ヒビノはそれを受けると、少しそのように視線をこちらに向けてはみたものの、高い声から転落していつもの声にもどり、あー、でもそれはちょっと照れくさいかも。苦手。と言って笑った。
僕がヒビノにどのように触れても、ヒビノは嫌がるそぶりがなかった。拒絶もなければ要求もない、というふうだった。ヒビノから愛撫することは積極的ではなかったが、僕が求めると素直に従った。その愛撫に手抜きがあるわけでもなく、かといってやはり高ぶりがあるわけでもない、というふうだった。もともと育ちが良く、頭がいいこともあって、乱暴なところはなく、皮膚感覚も繊細さがあり、上手だった。そのセックスは、最後まで滑らかで、違和感がないはずであったのに、逆に大きすぎてつかめない違和感がある、ような気もした。
僕が果てたあと、そのように教わっていますという様子で、ヒビノは灰皿を差し出してくれた。ヒビノは汗を拭いて、ベッドの上にシーツごと膝を抱え、そこに頬を乗せてぼうっとしていたが、それは余韻に浸っているという様子でもなかった。ボウリング場のベンチに座っているときと変わらず、同じことをなんとなく考え、また考え進めてはいない、という様子だった。
また車に乗り、今度はすっかり夜になった県道を走りながら、ヒビノは今日これからどうするの、と話した。今日は、留学してたときの現地の友達が誕生日で、スカイプで話す約束になってるの、ということだった。それが嘘か本当かはどうでもいいことだったので、他意もなく、ドイツの? と僕は尋ねた。ヒビノは首を横に振り、スコットランドの、と奇妙に強い語調で答えた。スコットランドは、短かったのに、なんか楽しかったの。向こうの家族がすごいいい人たちで、すごい受け入れてくれたの。
また行きたい? と訊くと、あー、行きたいかも。もう一回どこ行くって言われたら、多分スコットランド。ヒビノは何かに気持ちが切り替わったのか、奇妙に口調が外向けのものになっていた。
ところでどこまで送ろうか? とヒビノが、これはこちらを見て訊いてくるのを受けて、僕は自分でもわからない意図から、今日乗せてもらったあの場所で降ろしてくれたらいい、と言った。あそこ? あそこだと不便じゃない? と言われたが、いや、いい、不便でいい。個人的な、趣味の事情があるから、あそこで降りたいな。と、これは言いながら、なぜとは自分でもわからないうちに、何かを突き放すような、含みのある調子が声に乗った。
ヒビノはその調子を受け取ることはなかったようで、そっか、じゃあ、さっきの道曲がったほうがよかったな。ちょっとUターンするね、といって、また左右に勢いよく車を操作した。
車から下り、ぐるりと歩道のほうへまわると、運転席のヒビノはウインドウを下げ、今日は長いことどうも、またね、と言った。ああこちらこそ、ありがとう、またね、と、僕は答えながら、ヒビノがどうも急いでいるようだったので、後ずさりするようにして距離をとって、手を振って手早く別れ際を整えた。じゃあね、と言ってヒビノはウインドウをあげると、ウインドウの上がりきらぬままもう前を見て、アクセルを踏み始める様子だった。夜道にはさして目立たないアルファロメオの赤は、坂道を越えるとすぐ車群に混ざりもう見分けがつかなくなった。
ガードレールに半分腰をかけて、清潔な車内ではためらわれた煙草を吸った。風が強く、煙草の先から火の粉がいくつか吹き散らされた。風にはムンとぬくもった匂いがこもっており、しばらくして気づくとそれは、海と岸壁が波でこじれたときに出る匂いであった。
なにやら胸焼けでもしたような、気持ち悪さの予兆がみぞおちにあった。なんだかすっきりしないな、と思い僕は、ガードレールにもたれるようにしてしゃがみこんだ。そして何気なく、脇の街路樹の植え込み、その土の黒さに眼をやったのだが、その途端、条件反射のような勢いで吐き気がせりあがり、僕は自分でもウワッと思うようなどうしようもなさで身体をくねらせて、その植え込みの土に嘔吐した。腹ごしらえをしていなかったので、白い胃液だけが出て、口の中が懐かしい、なぜか悔しさを伴う苦味に満ちた。
嘔吐に伴う不気味な声を、さらに二度ほどあげてから、僕は可笑しくなり、その崩れた態勢のまま煙草を吸うと、吸い口は粘って糸を引き、それを見ると僕は何かに挫けたような情けなさとさわやかさで、ハハ、ハハ、と声を出して自嘲の笑いをした。何が可笑しいのかよくわからなかった。ただ吐いてすっきりしただけかもしれない。
こんな突発的な吐き方をするのは何年ぶりだろう? そう懐かしく思うと、狭く押し込められた視界が暗いまま色めいて、ふと自分がまったく違う街にいるような錯覚をした。そのような前後不覚の現象も、また僕にとっては可笑しいものだった。
身体の芯から、これは骨から出ているのではないだろうか、というような汗が出て、皮膚を流れた。その汗が流れるうち、乾きもしないままに、身体は急激な安息を取り戻していった。汗に濡れた肌が、濡れたままさらさら乾いているかのようだった。
車酔いしたかな、とひとまず思い、直後には、いやいや違うだろう、ふざけるなよ、という威勢のいい声が内側に起こった。これはなんだ、何にやられた、なんという無様だ、そう自分をけしかける声があり、それは力強く愉快な声だった。
そしてやはり、自分が違う街にいるような錯覚に包まれて、ここにいるだけの自分は、どこに帰る自分でもなかった、というような感覚がふとやってきて――
――ああ、そうか、冷たかったのか。
と、少年のような単純さの言葉で、僕はひとつのことを理解したのだった。
買い物帰りの、丸々と太った眼鏡の主婦が、通りすがり、崩れ落ちている僕を見つけて、ギョッとし、非難と嫌悪を心配で覆ったような視線で僕を眺めながら、急ぎ足で歩き去った。それを意識の端で受け取って、それでいい、それでいいぞババア、お前みたいなのは嫌いじゃない、お前は正しい、と、僕は内心で勝手な思想を嘯いた。ガードレールにかけた左手が薄い金属に傷められているのがよくわかり、また体重をかけてついている膝がコンクリートの地面にいじめられているのもデニムの布越しによくわかる具合だった。
悪くない、このまま落ち込んでいたい、と思い、そのとおりそのままうずくまっていると、ただ無数のエンジン音とヘッドライトが車道をけたたましく行き交うだけであった。やがて風が止み、視線を上げるころには、過ぎた時間が眠っていたものか起きていたものかよくわからないような手ごたえだった。
ヒビノは冷たい女だったか? そのことを自分に問うてみると、ヒビノが、というわけでもない、と答えられた。ただ自分が体験した時間、ヒビノとの時間は、冷たい時間だった、それだけが間違いないこととしてあった。
ヒビノはその彼氏やらと、うまくいくだろうか? そのことを問うてみると、いや無理だ、とやはり答えられるのであった。
僕はヒビノが、うまくいかないであろうということを、前もって漠然と知っており、それは漠然としていながら確信でもあった。なぜだ? と問うと、冷たいからだ、とやはり返ってくる。
ヒビノはおそらく、自分にとって大事な人にだけは、真剣に向き合うつもりでいるだろう。そしてそのことは偽りというわけでもない、と思われた。わたしって、大事な人には、真剣になりすぎるタイプなんですむしろ。探ってみるところ、ヒビノの映像に整合しうるヒビノの答えは、そのようでしかありえないと思われた。
しかし、それは違う。それは違う、という確信だけが、漠然としながらもやはり確信としてあったのだった。何が違うかといえば、それはやはり冷たいからだ。
自分の大事な人にだけ、やさしくする、ということはできるのかもしれない。
しかしやさしさと、あたたかさは別だ。
じゃあ一体――と考えはじめて、あっそうか、考えるまでもない、と気づいて、僕は今度は、単純な可笑しさに笑った。気づくところ、あたたかさとは単純な、物理的なものであった。
風呂釜一杯の湯があったとしたら、これは誰にとってもあたたかいものだ。僕は自分のためのたとえ話を作り出そうとしていて、そのたとえが正しいかどうかを考えていた。別に当人が意図して工夫して、あたたかいものが出現するわけではない。あたたかいものは、ただ温度が高く、熱量を抱え込んでいるだけだ。それに触れると、あたたかさが伝わるが、それとて当人が意図してそのようにしているわけではない。それはただの物理現象だった。
では、冷たい、ということは?
それは単純すぎていっそつまらないことにさえ僕には思われた。人は誰しも、もともとはあたたかいものであるはずだった。
ただそれにしても、触れられる人と、触れられない人がいるのだ。
いくらやさしく、滑らかに整っていても、それが触れられぬものであれば、あたたかさはない。
それが冷たいということか。
僕は短かったヒビノとの時間を思い出し、その中にある、何の悪意も無い、善良なヒビノのたたずまいを見て、痛ましささえ覚えるようだった。ヒビノの前に、そもそも僕などという存在は、一度も現れておらず捉えられてもいなかった。
何か心を向けて、ヒビノに訊かれたことや、話されたことがあったかと、丁寧に確認してみても、改めて皆無だった。
それじゃあ後になってゲロを吐くのも当然だ。口の中の苦味は、涙のようにあふれ出た唾液とすでに馴染んで収まっていたが、今になって、なぜその苦味が奇妙な悔しさを伴っていたのかも自然に了解されるように思われた。
誰か特定の人とだけ、都合のいい人とだけ、触れ合えるようになる、ということは可能だろうか? そのことを考えようとしても、前もってもう、――そんなわけがないだろう! という力強い声が、貧弱な思考を弾くのであった。人と触れ合える奴、あたたかい奴は、どこで誰といるときだって、触れ合える奴でありあたたかい奴であるはずだ。人の世の事情でいろいろ立ち回りをすることと、そのこととは関係が無い。
誰かにだけあたたかい奴なんていなかった。
僕は思い出の中にある無数の人たちを確認していたようであった。思い出すたび、あのときは、みんなして小さく弱く退廃していながら、冷たさだけはなかったのだった。一方で、よくわからなかった人たちを思い出してみると、彼らはやはり、触れられぬ冷たい者たちであった。
僕がその日、気づいて考え、理解するべきことは、そこまでで全てであるようだった。
街路樹の支え木に縋り付くようにして立ち上がると、風は止んでいた。ふらつく足は力が入らず、それが逆に確かな手ごたえのものであった。立つ、ということはこのようなことであった。
眼が覚めたようで視界は透き通っており、オレンジ色の街灯はうるさいほど光っている。満足して歩き出すと、駅までの距離はあらためてずいぶん長かった。
――俺はあたたかい人間に戻れるだろうか?
駅前に着くころには街の明かりが眼を細めるほどにまぶしくあり、改めて吹き始めた風は、冷えた水を透かして通り抜けるように涼やかなものだった。
肌を慰める清涼の風は凪を過ぎての陸風だった。
[了]