No.155 対話について
先日某テレビ番組で、登山のノウハウとして、下り坂で膝を傷めないためには、ということを特集していた。特にご年輩の趣味としての登山に向けて、アドバイスという形で。番組中、模型を用いてある実験をしていたのだが、これが興味深かった。山道の下り坂を模したスタジオ・セットを、頑丈な登山靴を履いたゲストが下ってみると、彼はがつんがつんと、おおまたで坂を下るのである。一方、その履物を、とび職が使う地下足袋(じかたび)に換えてみると、これは底板が厚くないので、慎重になり、知らぬうち歩幅を狭くして歩く、ということが起こった。そのようなことは、確かにありうると、たとえば素足で山道を下ることを想像してみれば、誰にでも了解されることだ。また実際に、山の斜面で暮らしをするマタギの人たちなどは、その地下足袋を日常の装備としているとのことである。インタビューに答えたマタギの一人は、「わたしらは足を傷めたりはしません、もうわたしの足の裏なんかは、脳と直接つながっておりますから……」と誇らしげであった。番組はそのような特集を通して、地下足袋での登山を勧めるまではしないでも、山頂に着けば一度登山靴を脱ぐなどして、足裏の感覚を回復させるべきだ、そうすれば自然とくだりの歩幅は小さくなり、それによって膝にかかる負担は軽減されて、なめらかなハイキングを楽しめるでしょう、と提案するものだった。
僕はこの話を寝転んで聞きながら、すぐにでも、これはまさに人間の本質に関わることだ、といかにも大仰に受け取って、記憶しておくことに決めたのである。膝を痛めないように下山するためには、意図的に歩幅を小さくしましょう、ということではなかった。足裏の感覚が活かされていれば、意図しなくとも、あるいはいやがおうにも、と言って差し支えないが、歩幅は小さくなってしまうのである。このことを、今回のいかにも手ごわい題材である「対話」ということに引き当てて言うならば、それはこのようにして不自然ではない。すなわち、「対話」においても、ある種の感覚が活かされていれば、いやがおうにも慎重になり、歩幅も無意識に小さくなるのである。この感覚が、頑丈な何かで覆われて麻痺していると、がつんがつんと人は進んでしまう。そしてその乱暴な歩調と歩幅は、当人にとって違和感がなく、楽しく快適で、このようなものでよい、正しい、とさえ認識されるものだ。そして膝の痛みに苦しんで、身動きが取れなくなるのは後日のことである。その後日の痛みが数度も続けば、自然な成り行きとして、もうこのような楽しみへ臨むのはやめよう、自分はそれに向いていないのだ、と消極的な決心をすることはいかにもありえることだ。
「対話」は、本来不安なものだ。裸足で山道を下ることに重ねて、いやがおうにでも慎重になってしまうものだ。それをひとしきり終えるためには、相当な量の汗もかくだろう。
しかしそれにしても、実際にそのように裸足で一つの山を下りたときのことを想像して、それがただ疲労と不快に満ちた苦行に過ぎなかった、とニガニガしく思うことがあるだろうか。実際にはそうではなく、ああ自分はこのようなことをやりとげたのだ、という達成感と、活性化した足裏の感覚、そしてそれに引き起こされた全身のバランス感覚や駆動のメカニズムが、その者を全的に活性化しているはずである。そうして地肌で山を下りたならば、いくらかの小さな傷は足回りに残ろうが、たとえそれが風呂の湯に染みたとしても、それに顔をしかめることは当然あるにせよ、それを単純に不快な痛みだとして後悔するには至らぬはずだ。それらの全ては、人と人との対話、ということにそのまま重ね合わせて差し支えない。
地肌で山をくだることを成し遂げた者がいたならば、その者は、特に人に言うではないこっそりとした楽しみとして、自分はあの山を誰より味わったのだ、という特別な体験としての思いを胸のうちに持つだろう。その思いを確かに支えるものとして、足の裏の、痛みを含めた確かな記憶、ジンジンとした熱を伴う感覚と、疲れ果てているのに、今すぐ走れと言われたらそれはそれで走り出せそうな、力強い感覚がある。
そしてその夜、寝床についたときには、「ああ、自分はあの山を登ってきた!」という、確実な充実感の元に、全身で心地よいノビをする。対話というものも本来は、まったくそのようなものである。「ああ、自分はあの人と話した!」という感覚が、充実の背伸びをさせずにはいない。そしてその対話の感触が、確実に自分を全的に活性化し、無闇な励ましと自信を与えてくれ、それゆえに逆に安らかに深く眠れるということを、その者は体験するのだ。
重心の深まるシーン
「対話」という原型を僕なりに学びとった、その濃密な時間は僕の大学生の時分にさかのぼる。当時の記憶は、生活の中心にあったクラブ活動の、そのまた中心に、象徴的にも機能的にも重要なものであった、部室での風景に吸い寄せられてある。深夜のうち、寂寥を持て余した僕が部室に行こうとすると、まず山のふもとを縫う36系統バス通りの坂道を登り、大学の正門の脇にある、とっぷりとした闇の中にある木造二階建ての建物に向かわねばならない。その建物の庭部分は二輪車を停めるスペースになっており、ここですでに視界はほとんど得られないような暗闇である。慣れた者でも、ここからは両手をうっすらと前に差し出すようにして、先行きの障害物が無いかを確認せずには進めないほどだ。そうして無事に建物にたどり着き、電灯のスイッチに触れると、その正面が部室である。建物の全体は、これ以上ないというようなおんぼろで、六畳に満たない部室の全景も、外部のものから見れば物置のほうがましというようなガラクタ詰めの印象である。真上にあたる二階部分には、演劇部の同じく部室があり、数名が二階に詰め込んでいるときなどは、天井が抜け落ちてこないか真剣に危ぶまれるほどであった。
そのような、近年にはもう珍しい空間で、一人でザッカンと呼ばれたクラブノートに書き込みなどしていると、二輪車が入り込んでくる音があり、そのエンジン音で、ああ、あいつが来たのか、というようなことが前もってわかった。この、二輪車の音や歩調の具合、時間帯などを合わせて、この音は誰それだ、ホラ、と前もってわかるようになること、またそれを当てっこするのが、ベテラン部員としての楽しみであった。また逆に、そこに後から訪れる者としても、先に部室に明かりが灯っている、その中にいるのが、停めてあるバイクと時間帯から、誰それと誰それだ、と前もって当たりをつけて、飛び込むようにしてドアを開くのが、これもやはり楽しみの一つであった。
僕がそのような空間を中心として、知らぬうち、対話ということの原型を学んだとしても、それは特殊な空間ではあった、ということを自ら指摘しておきたい。まず僕が所属していたそのクラブは、男性だけで構成されていて、かつ五十人以上が所属するものだった。またそれは余暇的なサークル活動のそれとは違い、練習日にはほぼ全員が時間通り参加することが前提の、濃密なやり方のクラブであった。その濃密さを象徴的に言うなら、僕が卒団して十年経つ今でも、今目の前に当時の後輩がいたとして、おい煙草を買って来い、と不意に命令したとしても、その命令を受けるのに躊躇する者はいない、ということで示せるだろう。逆に僕が先輩に申し付けられるにしてもやはり同様である。そのような、古めかしい先輩後輩の序列を、当時から今に至るまで、部員たちはある種の悪趣味として、悪ノリするように受け入れてきたのでもあった。だから今も、当時の後輩に僕がそのような命令をしたら、あのときと同じく、単純にハイと応じるのではなく、「まかせてくださいよ!」と可笑しく気取って応じるだろう。そのようなクラブ文化としての背景があり、それは特殊な環境ではあった。また付け足すなら、そこにいた彼らは、いかに常にふざけていたとしても、一応は国立大学の生徒としてそこにいたわけであるから、そこには相応の知的レベルもあった、ということも無視できないこととしてある。
そのような特殊性があったということを前置きして、それでも僕としては、僕が確かに経験してきたことに即して考えてゆきたい。そこにあった対話の皮切りは、おおよそ漠然とした、「お前、どうするねん」という、おどけたような切り口であった。これは、重苦しい議論を展開するために提出される語ではなかった、ということを先に言っておきたい。むしろ、およそ僕たちほど、あれだけ同じ空間を共有していて、議論ということを避けた者らも珍しいのではなかったか、と思えるほどだ。複数での対話が議論性を持つことも無いわけではなかったが、そのような議論の、不毛でかつ重苦しいムードが現れれば、誰かが痛快なやり口で、それが単なる「言い合い」になることを避けてきたのだった。
「お前、どうするねん」。これは軽口の調子でありながら、まるきり冗談というのではなく、ふんだんに盛り込まれた挑発のスパイスに、そのじつ中心的な問いかけをぶつけるものだった。部員たちは当時、自分たちが、たとえば色恋沙汰などに無縁であり、勉学に入れ込むでもなく、外側からは退嬰としか見られないような、華やかさのない中を甘んじて暮らしていることを自覚していた。それでいながら、それでも今自分は、このようにあるのが、大きくは正しいのだ、このようにあるしか、今はないのだ……ということも、漠然とそれぞれは感じていたようである。すなわち、誰もがこのままでいいわけではないと知りながら、何かに焦るということがない、という、不安と安定の奇妙な両立の中にあった。その中で、ごく日常的なこととして、おどけた挑発と、中心的な問いかけとしての、「お前、どうするねん」が投げかけられる。それについてどのように応えるかは当然さまざまであった。先に挙げた、「まかせてくださいよ!」と、気取った悪ノリを愛する者は、まず何を思い描くにせよ、全てに先立って、「そりゃもうガンガン行きますよ!」と無邪気に応えるということを大事にしてきた。
具体的に、そのように、まず悪ノリを愛する者としての、ガンガン行きますよ! という応え方があったとして、それがどのように展開してゆくか。それはそのときの気ままによってではあるが、ほう、じゃあ今夜は、お前は何をガンガンやるの? と問い重ねることがあった。あるいは大きく、ガンガン行って、最終的には何になるねん? という形でやはり問い重ねることもあった。
このような対話の、おどけた始まり方が、その先においてもなんらの陰気さも、終始含まないものだったことを言っておきたい。終始あるのは、やはり挑発の調子と、悪ノリの気配、そしてなぜか見失うことなく含ませてある、中心的な問いかけである。このことを前置きした上で、会話の字面としては、「まあガンガン行くのは、実際行くわけですけど、とりあえず明日はドイツ語の授業に出席しないと、留年確定なので、そろそろ帰って寝ようかな、とか……」と、これは漫才のように進みゆくのであった。これを受けた側は、即座に、これは嵩にかかって言うような形になるのだが、口々に「あーあ、またショボイ奴や」「一番聞きたくないわそういうの」「チキン? ん? 僕ちゃんビビってるの?」とブーイングをするのだった。
このような話の進みゆきにまずなるのは、どちらの立場においても、それは約束事のひとつとして、十分過ぎるほど了解されてもいることであった。思えば当時の彼らは、外観的には退嬰、くすぶっている者でしかないように見えても、形がないままに、しかしそれだけにまだ凝り固まることのない――純情でもある――野心や情熱を隠し持っていたのである。そしてそれぞれが、本能的、という感触でそれを大事にしており、およそ相手の常識的な口上に、反射的に「ショボイ奴や」と突っぱねるのは、自分が墜落しないよう、隠し持っているそれを手放してしまうことのないよう、お互いに励ましあっていたのだということが、誰にも語られない真実のことであったろう。
約束事を含めたそれらのやりとりの後、雰囲気、心の反応する深度が、ふと変わる局面が出ることがある。この局面の出現にしても、当時においては珍しいものではなかったため、誰ひとり注目したり、指摘したりはせずにきたのではあるが。
――いやあ、あの、僕思うんですけどね、
この発話を受けたとき、そこにいた誰もが、その調子の変化を確実に感じ取ってはいる。しかし、誰もが無意識に重心を深くはするにせよ、余計な動きを取ろうとはしない。漫画本を読んでいる者も、重心を深くしながら、その態勢を解除はしない。
――僕がここで、ガンガンやりだしたら、それはそれで、痛いというか、気持ち悪くないですか? 突然勉強しだしたり、突然女を口説き出したり、ボランティア活動したり……。正直、そういうの、KさんもIさんも一番きらいじゃないですか。
これを受けて、Kは確信をこめて、かといって重苦しくなるでもなく応える。こういうときのKの、間の取り方、調子の出し方は見事なもので、それはいかにも、見事に一本取る、というような名人芸のそれであった。開いた漫画本に目を落としたままである。
――まあ、お前がそういうのを気にしてるうちは、ガンガンはやってないゆうことやな。
このようなとき、話の当事者である彼は、一拍を置いて、――確かに。と苦笑して屈服する。彼はそれを通して、自分の心のサイズを改めて知るような面持ちであった。そして周りの者は、まだ遠巻きにいるふりをして、内心でオオと喝采をあげている。
――お前は発想が貧困。そもそも発想を鍛えた形跡がないな。ガンガンやるとかいう前に、その行き先になるアイディアが他所からの借り物になってるから、全部うすら寒くなる。何なん、勉強とか女口説くとかボランティアとか。全然自分で考えてないし。まずそういう発想しかでてこないお前が寒い。前に出るふりをして、前に逃げているだけだ。
このリベラルな切り口はIからのもの。これを言われて当人は、発想、ですか、と、見慣れない何かを受け止めるような調子でいる。
Iはそのまま、自分のリベラルな調子が自分で好ましくはないのか、どうですかねYさん、と、ザッカンを読んでいたYに話を振る。ンー、とまず応えるYは、この手の話には極端に寡黙の立場を貫くのが常であったが、応えるにいびつな間がまったくないのは、彼がただずっとたたずんでいるだけのように見えて、実は誰よりもしっかりそこについてきており、その上でたたずんでいるからであった。
――ンー、まあ、ガンガンやらんとな。俺は無理だけども。
これを受けて、これはいつもの「Y節」であるので、周囲はひとしきり笑う。この笑いは、納得と肯定の意味合いばかりが含まれているものであるので、吹き出る、という類ではない。
他の者に話を向けると、Aは、
――俺に言うなや!
と顔を赤くし、
Eに振ると、
――そやで。ガンガン行かんとあかんで。
とニヤつく。それを受けてKは、
――それ、お前のガンガンは違うし。あかんやつやし。
と混ぜ返す。
そのような進みゆきで、たとえばIが、じゃあ今日はその発想というやつで、お前の発想力の限界を見せてもらうわ、と、これは先輩としての高圧で提案する。それを受ける当人は、後輩としてどうせ断れるはずもないものであるのだ、例の悪ノリの位置に戻って、面白いですね、受けて立ちますよ、と、また気取って応じるのである。誰もそこに、何かの前進を切羽詰って求めているわけでは実はない。ただそれでも、自分を確かに充たす何かを得たいとは願っていた。今振り返ってみれば、それはひたすら、前に進もうとさえしない純粋さの中での遊びが、夜更けから朝まで、ただ起こるのみであった……
当時、僕を含めた彼らは、大学正門脇のこれ以上ないおんぼろの木造の一階で、毎夜そのような遊びを発明していた。その、毎夜使い捨ての遊びの発明のいちいちについても、僕としては思い入れがあるが、今回はそのことは置いておきたい。
僕が実体験に即して言うことのできる、対話、ということの原型。それは、対話をしようという意図や、対話しなくてはという前進的な意識のそれから始まるものではなかった。
――いやあ、あの、僕思うんですけどね、
この、僕としては今も懐かしさを伴う、重心の深まるシーンを、注目すべきものとして取り上げておきたい。それは冒頭に挙げた、山道を下ることに重ね合わせれば、まさにその頑丈な登山靴を脱いだところになろう。ここから、いやがおうにも、歩調は慎重に、歩幅は小さくなるのである。
若いころは誰しも、そのような友人を持ち、取りとめもなく朝まで話して過ごしたことがあるだろう。そして多くの人が、そのときの時間に、思い入れ、あるいはそれを超えた、誇りの感情を持っているに違いない。そのそれぞれに、僕は自分の体験を比較して競わせるつもりはない。ただ、当時華やかなものは何もなかった、退嬰的な僕と彼らの時間において、登り下りする山そのものがいかにも地味なものであったにせよ、僕たちはしょっちゅう裸足だった、ということだけを、当時の彼らに感謝する意図もこめて――彼らが教えてくれたのだから――、誇りと共に述べておきたい。
若い人たちのそれは、空気を読めているわけではない
今回このような題材で、僕なりにも確かめながら、過度のきらいのあるずっしりとした調子でまで話をしているのは、当然ながら、最近になっていよいよ対話ということが、生活から失われつつある、それもその機能ごと、どこかに置き忘れて取り戻せなくなる予感さえ伴うものとして、ということが、僕なりの危機感としてあったからである。この題材の向こう側には、それを踏まえた上での、恋愛を捉えなおすというテーマももちろんあるのだが、このそれぞれのテーマの関連については今さら指摘するまでもないものだ。恋愛であれ何であれ、対話は重要すぎるほどの要素で、むしろ本義的に言えば、恋愛も対話のひとつである、と言いなおすことさえ可能なほどだ。
僕が捉えうる限りでの、この今という時代における「対話」は、消えうせてはいないにしても、目も当てられぬほどやせ細っている。一時期は、流行の用語として、「深い話」「マジトーク」というような語も使われ、まだ注目されてはいた。その用語自体、いかがわしい、質の悪い類似品の気配があるものとして、僕は違和感を覚えていたのだったが、現在はその頼りない用語さえもついに使われなくなった状況である。代わって台頭してきたのは「空気を読め」という語であったが、いくらでも正しいはずのこの語は、むしろ空気に鋭敏たろうと神経を張り巡らせてはいない者によってこそ濫用され、凶暴な語彙と化している。空気を読めという語の本来は、前段の話にあてはめるならば、重心の深くなるシーンがあり、それの起こりには鋭敏に応じろ、ということになるだろう。だが実際に目にする、空気を読む、という行為は別のものだ。今あるそれは、むしろ前もって、ある種の定められた空気があり、それから逸脱するな、すぐに帰って来い、というふうなのである。重心が深くなりそうであれば、すぐに重心の浮き立つほうへ帰って来い、という具合なのだ。
このことも僕の実体験に即して言うならば、たとえばこのようである。ありふれた酒の席で、若い女性が、ままならぬ色恋沙汰のことについて話をする。それは酔いにまかせて、愚痴を言う、あるいは管をまくということに近かった。本当にやってられないよね! どうしたらいいと思う? まあでも、考えててもしょうがないんだけどさ実際。そのように彼女が声高に繰り返すのを受けて、僕は先ほどから彼女の話が堂々巡りをしているのを受けてもいたし、新しい視点が啓ければいいという思いで、僕の位置から見えることを述べようとした。
――確かに、そこを考えていてもしょうがないな。
僕はこのとき、あえてあからさまの調子で、重心を深くするよう、彼女に要請するような語りかけをしたのだった。僕がその先に伝えようとしたのは、彼女の心が、実は幼稚な段階で振り回されていて、そこを気づかないことには、解決するにしてもぐずぐずの解決しかありえないだろう、ということだった。僕の見る限り、彼女は今語っている当の男性から、好きだ、ということだけを熱心に言われ、そのことで判断力を失っていたのである。本来の自分の心としては、なんら評価はしていない男性であるのに、自分が好きだと言われている一点によって、彼女は惑わされていたのだ。それは、好意を告げられて喜んでいるという度合いを超えて、単に取り乱してしまっている。だから真実は、矛盾しているのは彼ではなく彼女のほうであった。大切に思えない男性が大切に思えている矛盾である。それはすなわち、彼女が、好きだと言ってくれる誰かだけを求め、それに依存しているということであった。
僕がそこに続ける語は、――本当に考えるべきは、自分は何をやってるんだ? ってことだろうからね。という予定であった。しかし彼女は、僕の語をそこまで続けさせる余地を与えはしなかったのである。
――……ね、考えてても、しょうがないよねー。
彼女はそのようにすばやく切り返して、むしろ、自分で問いかけたことだが、何も言わないでくれ、とするようでさえあった。そこを押し切るほどの熱意は僕にはなく、またそのような熱意があるのはこのとき不自然である。
このとき僕が、サイズとして大きな哀しみを印象的に覚えたのだが、その哀しみは彼女の見せた反応にあった。威勢のよさを、ウリにでもするかのように、いつの間にか自分に課しているふうの彼女は、僕が重心を深くして語りかけたことを受けて――頑丈な登山靴を脱いだのを受けて――、確かにそれに応じる反応は起こした、のである。彼女も、わずかな時間ではあるが、重心を無意識に深くして(しまい)、声の調子を落とした。調子を落とした上での、 ――……ね、考えてても、しょうがないよねー。という受け答えだったのである。そのとき僕が瞬発的に、待ってくれ、と内心で嘆いたように、彼女はツカツカと慌てて進んでいくようであった。登山靴を脱いで歩くことに慣れておらず、歩調を落としてはいけないのだというふうに、ツカツカと進み、薄くなった桃色の酒をあらためて呷(あお)り、慌てて登山靴を履きなおす様子で、彼女はあった……
このときの彼女の振る舞いが、今ある「空気を読め」という風潮の、むしろ実際的な定義であるかのように、僕には印象付けられている。その場をいわゆる「飲み会」とするならば、飲み会には飲み会の空気というものが前もって定められてあり、また彼女は彼女というキャラクターに合わせた空気が前もって定められてあるかのようだ。飲み会の空気。あてがわれて馴染んだキャラクターとしての、自虐者の空気。穏健派の空気。モラリストの空気。やんちゃ者の空気……それぞれにあるのだから、これから逸脱するな! そのような高圧的な取り決めがあるかのように、僕には受け止められている。
僕としては、その高圧的な取り決めに、ほかならぬ僕自身がまず、堂々と反発することから始めたい。そのためにあえて強く言うとして、僕はこのように指摘する。このことは年齢に関わらず誰にでも訪れている現象ではあるが、僕は若い人に向けて言いたい気持ちでいるので、特に若い人たちは、という主語になるのもやむを得まい。若い人たちは、その高圧的なものに、すっかり飼いならされているのだ。誰というのでもない、時代というものによって前もって設定された、各々のシーンの「空気」を予習しておいて、それにへりくだり従うことに馴れきっている。
そして重ねて強く言うべきは、それらの若い人たちのそれは、空気を読めているわけではないのだ、ということである。変動するシーンの中で、うねりから現れた別種の空気を、まだそれがかすかなもののうちに鋭敏に読みとり、――この空気に乗っかっていけばこのような展開もありうる! という想像力を瞬間ごと手づかみにして、お見事、という何かをやってのけているわけではない。前もって、飲み会なら飲み会の、こういうものでしょう、という空気を予習してきて、それを頑なに守っているだけだ。それは空気を読むとはいわない。前もって読んできた、ということなら、いくらかは当たるところもあるかもしれぬが。
空気を読むということを本義にさかのぼって捉えてみれば、それはたとえば、晴天の日中であるにも関わらず、わずかに空気が湿り気を帯びるのをいち早く感じ取って、夕刻にはどのような雨が降りうる、ということを想像できる、熟練した漁師のような技能のはずだ。そうして漁師が先行く天候をぴたりと読み当てたら、お見事、と誰もが賞賛し感心するだろう。そのような賞賛と感心がない以上は、空気を読むというようなことは行われていないのである。
このようにあえて強い語で、否定的な調子で僕が語りうるのは、むしろこのことに、実はとっくに気づいている、自分はそれを知りながら、隠し持っているだけだという人が、実際に少なくないことを知っているからだ。彼らに対しては、僕の乱暴な語も、きっと痛快に届くに違いない。誰よりも善良で、さしあたり周りのみんなに、ささやかでも楽しんでもらいたいから、空気を読むということを続けるしかない、そうして微笑んでいるが、決して現場では明かせないこととして、実は心底からウンザリしているところもあるのだ……。そういう人は本当に多い。そうした彼らは、息苦しくてもなお息絶えずにはいるレジスタンスたちだ。
一方では、極端なユニークさと、傍若無人の悪癖とが重なるなどして、最も単純な意味において、空気が読めない人が存在するのも事実である。これらの苦労する者たちと、レジスタンスたちとでは、どのように区別されるべきであろうか。空気を読める読めないについて。それはどうでもいいことであるとも、断じてしまいたい気持ちもあるのだが……
高圧的な何かがあって、内心でそれに反発している、潜伏のレジスタンスがいたとしたら、それはやがてゲリラと化さざるを得ない。そしてゲリラたちは、誰よりも理知的に、狡猾に、その少数不利の中から、なお勝利を目指す者たちである。何も省みずに爆弾を投げつけるようでは、これは無謀のテロリストに過ぎず、これは勝利を得られぬものだ。したたかなゲリラはそのようでなく、ささいな仕掛けから、誰にも知られぬうちに勝利を盗み取ってしまうだろう。周りの誰かがそれを知るのは、勝利が起こって後のことである。
あなたがもし、自分はレジスタンスに該当するという自覚があるのであれば、あなたは市民のふりをしたゲリラだ。あなたはありふれた者のふりをして二重の生き方をする。感覚を鋭敏にして、何かやれる気配はないか、その起こりをずっとうかがっている。
そして、あなたはゲリラなのではないか? と問い詰められたとして、あなたは決して、イエスとは答えない。あなたが尊敬を受けるのもやはり、勝利が得られた後のことでなくてはならないからだ。偽善の自覚のない思想吹聴の政治家が能天気に演説するのを聞き流す傍ら、あなたと彼は、いつかこっそり手を結ぼうとしている……
[仲良しの状態は対話を起こさせることがない]
現代における「対話」、この在りようを追跡しようとすると、まるで砕け散ったそれを拾い集めるようで、気がつけば散り散りになり、埃まみれのまま、よくわからなくなった、ということにすぐにでもなりかねない手ごたえ。いちいちのことを取り上げれば、いちいちのことが重大に思えてくる。たとえば、友人から携帯電話のメールが届いたとき、その内容本文を確認する前に、ふわりとうれしくなる感覚がある。それがそれだけでふわりとうれしいのであれば、直接に肉声で語り合うことはどのようになっているのか? ともすれば、肉声はメールほどには「届いていない」ので、誰もが帰宅して自宅からやりとりするほうがいい、というようなことにも進みかねない。あるいはそのようなことがあるのは、肉声を発する当人との関わりではなく、受信されるメールそのものに、現代人は恋をしているのであるまいか、というような。これらのことを一々取り上げると、その総体は単なる無数の嘆きへと消沈してしまうだろう。僕は今自分に申しつけるようにして、ここはひとつのこと、すなわちどのように向き合う心がけであれば、対話ということは回復しうるか、ということにのみ心を向けてゆくことにしたい。
先の段に繰り返し述べた表現から、「前もって設定された、決められた空気にへりくだり従う……」という部分を抜き出す。そしてここから、決め付け、という語をキー・ワードとして吸い出したい。決め付け。それはたとえば、来週末にやるはずの飲み会とその空気を、前もって空想することが出来る、ということにも端的に示されている。それは、このようになりうる可能性がある、というような、展開の期待を伴った想像力ではなく、このようであるに「違いない」と前もって(なぜか)断じることができるような、決め付けの侵入によって演算されうる、イメージのふりをした硬化済みの空想である。
この決め付けということによって、現代の対話は大きくそこなわれている。まだこの先に花が開く双葉も、カイワレ大根だとされて収穫されてしまうがごとく、決め付けられてしまいその先が見られない。対話を起こそうとするのであれば、その決め付けの態度の正反対にある、慎重さ、という態度が必要になってくること、これは鵜呑みに記憶しても間違いとなることはないだろう。
決め付けという語、この態度は、対話を踏み潰してしまうものでありつつ、冒頭で話した、登山靴での下山と極めてよく馴染むものである。頑丈な登山靴を履いていれば、そこにある砂礫が、尖っていようが丸まっていようが関係が無い。そして人間の偉大な機能は、意識をせずとも、そのような横着ができるならば横着をするのである。逆にそれが素足であれば、いやがおうにも歩調は慎重になると何度も述べた。であるから、登山靴を脱ぐがごとく、決め付けを排除すれば、それだけで対話も、いやがおうにも慎重になるのである。僕がここで提案しているのは、誰もが登山靴を履きこんで、それをすっかり忘れているのではないか? という疑いの視点だ。そして、それがあるならあるで、時には脱ぎ去ることもできるのではないか、という提案でもある。
決め付けと登山靴の関連に引き当てて、「乱暴」、という語にもつないでおきたい。登山靴での山くだりは、自身の膝を傷めるほどに乱暴だ。この乱暴さは、決め付けと太くつながっていて、僕としては冗長の説明も不必要にさえ思える。あえて継ぎ足すとすれば、たとえば威勢のよい女性が、「どうしたのー、元気ないじゃなーい。元気だしなよー」と、精神的な弱りから顔色の冴えない者を励ますのはこういうノリだと暗記してきたものをぶつけるようにして、誰かの肩を叩くことがあったとしたら、それは決め付けで乱暴である。それはたとえば、その当人がそのとき、強力な腹痛に苦しめられているのを、何かの理由からそれと悟られないように振る舞っているところであったなら、というような場合を想像すれば明らかだろう。またこのときこの女性は、善意的で積極的であるにも関わらず、結果的には乱暴が残るのだ、ということにも注目しておきたい。
決め付け、ということからつないでおくべき語はあと二つ、仲良し、という語と、アンサー、という語がある。このように枝葉を増やして、これを受け取り理解しようと努めてくれている人に、無用に負担をかけはしないかと憚られるところもあるが、図に描いてみればこれはそれほどのことでもない。むしろこの枝葉があってこそ、日常のシーンにおいては、有意義に思い出されることがありうるのではないかと、僕なりに結論してのことだ。決め付け、という語を中心に、乱暴、仲良し、アンサー、の三つの語をつないだ。そして前段までの話をそこに加えるとしても、登山靴、「前もって設定された、決められた空気にへりくだり従う」という二つにつながるのみである。
さてそのように、先にキー・ワード群を示した上で、具体的な話を当ててみたい。友人女性のひとり、これは美しい女性で、早くに結婚していながら、一方で真実の恋愛もしており、また個人としての自己実現にも力強く向かっているという、しかもそれらが全て矛盾せずに営まれているという、才能豊かな女性の話だ。彼女があるとき、ついにというふうに僕にこぼしたことでは、知り合いの中年女性から、会うたびに、――子供はまだなの? と、無邪気に笑顔で訊ねられるのがしんどい、それも正体不明に、ただ息苦しくてしんどい、ということだった。彼女自身からの続く指摘を引き合いに出すまでもなく、そのような中年女性の問いかけは、いかにも世間にありふれていそうでありながら、ここで見る限り確かに決め付けである。全ての既婚女性が子供を求めているとは限らない。中には夫婦として医学的に出産能力に問題があるケースもあるだろう。
まずここでは、そのようなありふれた、無邪気でむしろ善意的な決め付けは、それでも決め付けであって、そのような才能あふれる女性をさえ、ギブアップさせてしまうような粘つきを持っているのだ、ということに注目したい。決め付けを前提とした問いかけは、対話どころか、対話を根元からいきなりへし折るほどの蹂躙をやる。彼女はその才能にふさわしく、人との対話を心から愛する人でもあったから、それだけにその苦しさは生々しいものであったということもあるだろう。
そしてさらに注目すべきこと。この中年女性の繰り返しめいた問いかけが、当の彼女にとっては「乱暴」なものとして受け取られていたということがあるが、これについてはここまでの読み手は指摘するまでもなく読み取られたのではないだろうかと思う。僕がその向こう側に指摘し、より強力な注目を向けたいのは、そこにある不気味な「仲良し」の気配なのだ。ここに示した中年女性の呼びかけには、「仲良し」の気配がへばりついてるのが、なぜかわからぬまま、誰にでも感じ取られうるのではないだろうか?
決めつけと、乱暴と、仲良し、これらはここに示されたとおり、太くつながっているのだ。
もうひとつの例としては、僕と同年代の女性で、きわめてあたたかい人柄、それでいて以前は銀座のホステスとして働いていた、グラマーな女性の話だ。彼女は動物が好きで、いつからかそれが昂じるままに、今では好きでたまらない、というふうであった。路地に野良猫が寝そべっているたびに、目を細めてそれを眺めてしまう彼女であったのだが、あるとき通りすがりにすれ違った散歩中の犬を、何気なく撫でようとして、その手を噛まれてしまった。それは威嚇としての噛み付きであったが、それでも牙は親指の根元に赤く二本突き刺さり、その痛みは深くうずくようであるらしかった。僕は手当てを進めながら、強くショックを受けた彼女をなだめる一方で、彼女が落ち着いてきたころ、あれはよくない、と話さざるを得なかった。あれは飼い主がきっと、ストレスをかけてきたから、純血種の洋犬、しかも愛玩犬なのに、あんな噛癖を持つようになってしまったんだろうね。でもそれとは別に、相手も生きものだから、ちゃんと相手と向き合ってから手を出さないと、まずいよ。あの子がこうして噛み付いたのは、あなたを攻撃したかったからじゃない、本当の本当に「怖かった」からなんだ、犬が人を噛むなんて、ある意味命がけの行為でもあるわけだから……
僕がそのような話さざるを得なかったのは、むしろそのように説明したほうが、彼女のショックは和らぐはずだと考えてのことだ。彼女は痛みをさすりながら、それでも動物好きの本領を見せて、そうか、怖かったんだね、悪いことしたね、と、むしろ動物との距離をより近しく覚えたかのようであった。これからは、触る前にちゃんと見るようにする、ちゃんと見ればわかるよね? 怖がっているコかどうか、と、これは僕が返答するまでもなく、彼女なりに確信があるようだった。
人間と動物との接触のケースを、ここまでの主題としての「対話」に重ねるのには、外形的にはやや無理があると指摘されるかもしれない。だが僕はこれを思い切って書いて今、むしろこのことのほうが、本質をえぐっているとさえ感じている。仲良しということはすぐにでも―――ときにはあたたかさのままでさえ―――このように決め付けに流れがちであり、そうして「大好き」の気持ちで差し伸べられた手さえ、それが対話を無視して飛び込んでくるものであれば、それを受け取る側においては巨大な乱暴さのものでありうることがあるのである。
ここまでの話に乗っけるようにして、これは一般的によくあるとされる話、典型的には、学生時代、女同士でつるんでいた、派閥というのではないが、仲良しグループと呼ぶべきもの、このありふれた話に注目してみる。
若い女学生が構成するそのようなグループは、おおよそ、傍から見れば異常であると、またそのように異常であると見られておかしくないという自覚さえ当人らにあるほどに、ある種の熱烈さにおいて仲良しである。五分の休憩でさえ彼女らは集まり、用便を足すのにも連れ立ってゆく。それは何の罪もないことで、無いよりはあったほうがよい関係ではある。そこにある無邪気さが確かに華やぐものであることは、彼女らの幼さのゆえであり、また幼さの特権でもあると言えるだろう。
ところが、このような熱烈にあった関係ほど、卒業するなどして生活からその仕組みを剥がされると、急速に精神的距離が生じてゆく、ということがある。卒業して半年もすれば、もうずいぶん遠い過去の、遠い知人であるかのように受け取られてくる。今街中で彼女らにバッタリ会ったらどうか? ひとしきり黄色い声を上げる準備はあるが、それは気まずさを押し隠してのものに違いない! そのようなことは想像したことのある人も多いはずだ。
そのようなことが、よくあること、誰しも経験したことがあるものとして起こってくるのは、それが「仲良し」という状態に直接結びついている現象だからだ。仲良しという状態は、先に僕が触れた、重心が深くなる、というような現象の反対にある。重心が浮き立つのがむしろ仲良しという状態だ。であるから、思い切って、[仲良しの状態は対話を起こさせることがない]と、これは公式として太く黒縁で囲んでおきたい。そしてこのような公式を土台にして、実は過去の仲良しグループの彼女らとは、つながっているようでつながっているというわけではなかったのだ、ということが、後になって明らかになるのだ。
そしてここまでの話と突き合わせるならば、当時の仲良しグループにおける会話のやりとりなどは、「ウチら女捨ててるよねー!」というような定型文、そのときのダミ声の記憶を通して、確かに登山靴でおおまたに、乱暴に歩くようではあった、ということも了解されるだろう。またこのことから、現在の自分を取り巻くものを眺めてみれば、誰もが漠然と子供っぽいものであり続ける風潮と矛盾せぬ具合に、また前段に述べた、前もって設定された空気にへりくだり従うということにも合致する具合に、
―――ああこれは、誰もが善良に、取り急ぎ「仲良し」をしようとしているのだ!
ということも確かなものとして看取されるに違いない。
繰り返して言うが、これは僕として、仲良しという状態を、対話を起こさせないものとして、それぞれに廃棄を勧めているものではない。ただ、四季のめぐりがそうであるように、ずっと真夏めいた仲良しのままでは芽吹かないものがあるのである。対話の芽。雪が解け、しかしまだ寒気の強く感じられる中にこそ、ひょっこりとその植物は芽を出すものだ。人はむしろ、春だから芽吹きを探すというのでなく、思いがけない芽吹きにこそ、ああ春が来たのだということを告げられるのでもある。同じく公式として黒縁で囲むのであれば、[夏の状態は芽吹きを起こさせることがない]。
この四季のめぐりへの結びつけについて、読み手を東洋哲学めいた気分へいざなう意図は僕にはないけれども、四季それぞれの空気があったとして、どれが正しい空気かと決定しようとしかねない現代の精神を、愚かなことだと僕は警告しておきたい。
誰もが季節の変わり目の風を受けたときには、思い出の沸き起こりに晒されてその切なさに耐えるようなことをせねばならないように、対話というのも空気の変化、変わり目の風を伴って起こる。日常的な仲良しの空気があったとしたら、そこに秋風が吹き込むようにして。それは人々が皮膚感覚を取り戻した中での重心の深まりに起こる風である。
そしてまた、ひとしきりの対話が営まれた後には、また陽気な夏めいた仲良しの時間が起こり始めてくるのでもある。これは前もって設定された空気としての仲良しではなく、彼らが確かに手作りをした、かけがえのないものだ。それらの全ては単なる記憶でなく思い出となり、後に沸き起こってきたときには、一人で耐えしのぶよりない切なさのものとなる。
対話だけが正しいのでもなく、仲良しだけが正しいのでもない。人が生きることについて、それを人がどう「過ごした」のか、ということを大切にする僕においては、どのように居着き続けたのか、ではなく、対話と仲良しがどのように巡り過ごされたのか、ということに重きを置きたい。人は何に居心地のよさを覚えたか、ということでなく、どう確かに、過ぎ行くものを過ごしてきたのか、ということにこそいつまでも思いを寄せるのであるから。
それぞれが頑なに守り、このようにしかありえないのだと決め付けた仲良しの、その安心の決め付けられた空気からも一度は手を離さねばならぬ。その先にある、何も決め付けられてはいない、不安の中に身を落下させるようにして。すると回復した地肌は風の起こりを感じ取り、重心を深くした対話が現れるだろう。そしてまたしばらくすれば、にぎやかな仲良しの時間に戻りもする。この繰り返しのうちにである。わたしはあの人と話したのだ、という実感を塗り重ねるようにして、ついには、――わたしはあの人たちと過ごしてきたのだ! という実感を、充たすことになるのだ。
人は人に問いかけるとき、実はアンサーを求めてはいない
先に挙げたキー・ワード群のうち、アンサー、という部分をここまで置き去りにしてきた。これは本段で別個に扱いたい。別個に扱いつつも、結果的には確かに前段のそれらとつながっているということは、ごく簡単に示しうるだろう。
「対話」ということについて、実際的・定義的な視点を改めて取り出す。それは「問う」と「こたえる」ということだ、というところに当然ゆき当たるだろう。
さて、「こたえる」という語を漢字にすれば、「答える」と「応える」の二種類がある。そして僕は、対話の定義においては、これは「問う」と「応える」であるべきだと、強く述べておきたい。平易な英語に翻訳すれば、答えるはアンサーであり、応えるはレスポンスである。このうちアンサーのほう、答えるということは、ここまで話した対話ということを成立はさせず、むしろ対話を阻害し、ともすれば最大効率で対話を殺す、ということさえする。
「答える」と「応える」について。具体的には次のような例において、その差を示すことができる。いつにない気配、妙に暗く呼吸さえ嫌悪するような気配で、少年が自室にこもっている。そこに母親が、半開きのドアから顔だけ差し込むようにして、いぶかるような声をかける。どうしたの、もうおじいちゃんのところへ、行く時間よ。具合が、体調が悪いのなら、そう言ってね。おじいちゃんは、あなたに会うのを楽しみにしてはいるだろうけど、何が何でもというわけではないのだから……
そのような母親の問いかけに、少年は答えない。答えずに、学習机に腕を組んだまま、うつむいて黙り込んでいる。それは彼が今までに見せたことのない陰鬱の態度であった。母親は心配しながら、それでもハッと気づくこととして、彼もいよいよ思春期へ、今こそ入り込もうという、そういう時期なのかもしれないわ、ということがあった。とにかく、答えることもできない、ただならないことがあるのかもしれない。自分もかつてはそうだったはず、今はもう思い出せないけれど、このようなときはそっとしておくより他にないのだと、もともとわたしは知っているようでもある……。母親はドアをそっと閉めて、とりあえず父親には、彼は消化不良からの吐き気を覚えているようだから、とでも言い訳することにしよう、と決めて、階段を下りてゆく。新しい態度の出現に、ごろりと黒い不安が胸に抱えられるようでもあったが、むしろそれを受け止めることで、自分は母親なのだと、その自負をけしかけられるように、彼女は感じていた……
このようなことがあったとして、ここに母親と少年の「対話」は、確かに起こってはいる、ということには賛同が得られるはずだ。このことは、母親の問いかけに対して、少年は「答える」ということをしない一方で、その無言の態度と、暗く切羽詰った気配によって、何よりもはっきりと「応えて」いる、ということを示している。頑なに沈鬱であり続ける少年の姿からは、――僕は行かない! 行ける状態にはないから! という、分厚い声さえ聞こえてこよう。
対話とは、「問う」と「応える」ということである。そして、これに対して「答える」ということは、ときに「応える」ということを阻害して、対話をどこかへ追いやってしまう働きをする。
「答える」ということ、アンサーのそれは、その出所を、暗記、覚え事に依拠しており、その方向は義務的に正解へと向かっている。学校のテスト、その答案などはまさにそれだが、それだけでなくこれは人同士のやりとりでも起こる。
若い男女の、酒の席などでよくある話として、女性の側から、○○さんは誰かと付き合うと、長く付き合うタイプですか? というような問いかけがある。それについて男性のほうが応えるとして、そのサンプルをいくつか見てゆきたい。整理のために、それぞれにA〜Dの記号を付与するとして、まず「答える」というケースにAの記号をつけて進める。
(A)――俺? 俺は長いタイプだよ。若いころはそうでないこともあったけどさ。やっぱそういうのって、テキトーにはしたくないじゃん。そもそも、長く付き合うつもりがないんだったら、そのコと付き合う意味が無いし。俺って付き合うまではスゲー時間かかるけど、付き合いだしたら一途だし真剣なタイプなんだよ。意外に誠実なんだな、って友達によく言われる。
このような答え方をしたとする。このとき、男性は問いかけに確かに「答えて」はいる。むしろアンサーとしては入念なほどで、正解と不正解で捉えるとしたら十分に正解としうるだろう。
ところがこのような光景を外側から眺めたとき、そこに対話が起こっているという感触はない。会話としてのそれ自体はなんら破綻はしておらず、また非難されるいわれは何もないはずであるが、ここまで対話ということに影響つけられてきた読み手に対しては、この会話は空疎なものに聞こえるはずだ。切れ味を重視して端的に言うなら、これでは「答えてるだけ」とも言いうるだろう。
もしここに、彼女のありふれた問いかけを受けての、対話、というものが起こりうるとしたら。それはたとえば前半に焦点を当てた、学生時代の僕が学んだ、その原型的なものを当てはめてみてもよい。
(B)――いやあ、あの、僕思うんですけどね、
このことを、重心をスッと深くする、自然なやり方で切り出すということ。そしてそれに続くものとしてはこのようなものがありうる。(なお補足しておくと、このような話のつなぎかたが発想として湧き起こりうるのは、重心を深くしたときに、自分の感覚が自分の深くを捉えるうるようになるからだ。前もってそのような進みゆきを用意しているのではない。用意したのではやはり深いふりをした決め付けごとになる。)
――長いタイプだし、そう答えていいんだけど、そう答えたら答えたで、何かか無性にさびしい気がするんです。そういう感覚、ないですか?
これに彼女の側が、鋭敏に「空気を読み」、同じく重心を深くするように受けて、
――それ、わかる気は、とてもします。なんだろう、過去のことから分析して、自分は長く付き合うタイプだった、だからこれからの自分もそうなんだ、って、そう決め付けることが、さびしく感じられるのかな。違ってたらごめんなさい。○○さんは、どう思っているんですか?
と進みゆくようになれば、これはお互いの重心をさらに深め合い、対話へと向かってゆくことができる。そうして重心を深くし合うことが進めば、周囲の喧騒が遠く聞こえる、というような瞑想めいた状態も起こってくる。むしろそのことが一番印象的な夜だったとして、それをささやかな思い出にするようなことは誰にでも経験のあることだろう。
ところで、問いかけに「答える」のでなく「応える」ということであれば、そのやり口は無限にあると言ってよい。答えることは正解に接近するよりないが、応えることは正解をそもそも持たない。具体的には、彼女の問いかけに、これは冗談として、笑いを呼び起こそうと応えるのであれば、
(C)――うーん、君となら長いタイプになる、その他となら短いタイプになるねー。
と応えてよいということだ。
あるいはもっと突拍子もなく応えるのであれば、このようであってさえかまわない。どうせ酒の席のことだ。
(D)――そこか! そこを聞くか! ンーいいこと聞くね、しかし俺は記憶喪失をモットーにしてるからなぁ、いや多分、毎晩宇宙人に記憶を抜き取られてると思うんだ。朝起きたら何も覚えてないからな。お母さんも昔から、知らない人には気をつけなさい! ってよく言ってたから間違いない。それで、あれ、何の話してたっけ、そうだ記憶喪失だ。記憶喪失だから、今までがどうだったかというのは覚えてなくてね。それで、そんなことより俺は思うんだが、今の俺にとって大事なのは、むしろさっきから君のその金のピアスが超似合っていてスゲーかわいいということなんだ。そのピアスをつけたかわいい君に、その子持ちししゃもをアーンってして食べさせてもらいたいって、かれこれ二分半の永きに渡り思い続けてきたわけだが、この俺の青春の願いは聞き届けられるだろうか? もしこれが叶わないとなると、俺は即座に若鶏のからあげを四人前注文して、それを一人で食いきったのち、レモン絞るの忘れてた! と号泣する、というような野蛮なことをして自己主張するしかないんだが、どうかそのような惨劇を起こさないためにも、俺の願いを聞いてはくれまいか? 君はピアスが似合っているし、とてもやさしそうな顔をしていて素敵なんだから。あれ? それで俺の願いってなんだっけ? からあげだっけ? 俺どっちかというと、クシカツのほうが好きなんだが? 一緒にクシカツ食べる?
アンサーとしての「答える」には、方向性として正解のそれ一つしかないけれども、「応える」ということにおいては、それは方向性として無限・無制限である。
そしてそれぞれについて、あえてアンサーとしての側面を見てみれば、Bは問いかけに答えてはいるが重視していない、Cはおどけて嘘で答えている、Dはそもそも答える意志さえ初めから無い、ということも了解されるだろう。それでいて、このいくつかのやり取りをして、自分が女性の側に立って受けるのであれば、Aが一番好ましいという人は少ないはずだ。Dの例は極端すぎるにしても、Cぐらいのウィットはあってほしい、あるいは気分によっては、もうBのような形で、対話し、語り合うということに、ひたすら深く入ってゆきたい、という人が多いはずだ。
すなわち、人は人に問いかけるときに、実はアンサーを求めてはいないのである。前半に、僕の昔話として、後輩に命令をしたならば、ハイとアンサーするのではなく、まかせてくださいよ! とレスポンスするのだ、と、そのことを印象的でありうるよう工夫して述べた。ささやかにはそのような次元において、やはり対話は起こってはいるのだ。問いかけと、応えるということが、誰にも気づかれないスケールで。
加えて注目すべきこととして、あるいは、これこそを注目すべきことだとして、生真面目さ、という気配を看て取ってもらいたく思う。A〜Dのサンプルをして、その発話者の中で、誰について一番生真面目さの気配をうかがいうるだろうか。よもやC・Dがそれに当たりはしまい。Bに触れる人もいるかもしれないが、ここで言う生真面目というのは、世間によく馴染むであろう種類の、お茶の間向けのテレビ・ドラマの登場人物に当てはめても違和感の無い、というような生真面目さのことだ。
ありふれた善良さの、熱意もある若者としての、それでもどこか頼りなさを覚えもするその生真面目さは、なぜかAのそれから漂って感じられるとして不自然ではあるまい。そして僕は、この対話についての誤解、問いかけに対して、応えるのではなく、アンサーを取り出し「答えてしまう」という、間違った習慣の虜囚である者は、この生真面目な者に目立って多い、ということを、僕の見てきた限りの事実として報告しておきたい。これは複雑な構造を持つことではない。生真面目であるがゆえに「答え」を出そうとしてしまうのだ。問われればアンサーを答える。それは彼にとって、意識の端でさえ疑問にかけたことのない大前提である。
僕の捉えているこのことを、正しく伝えようとするならば、ここでやはりアンサーという語と、決め付けという語を結びつけておく必要がある。すなわち、会話とはこのようなものである、という決め付け。問いかけに対しては、出来る限りの正解としてのアンサーを出さなくてはならない、という決め付け。また自分のアンサーはこうである、という決め付け。そのいちいちは、まるで、履歴書の自己紹介欄に書き付けて、それで全て済ませうるような……
このこわばった決め付けをほぐさねば、問いかけに「応える」という形の対話は起こりえない。なにしろ応えるということは無限・無制限のことであって、そこに決め付けが整合しうるはずもないのであるから。
このアンサーにまつわる決め付けの、精神的な接着剤は、その生真面目さと合わせて特に強固である。その手触りは、硬く、それでいてすぐに砕けて、その破片としてこちらの手に突き刺さってきそうなものだ。
Aの発話者に対し、たとえば僕が、おいおーい、なんでそんなに生真面目な答えかたばかりするんだよ、と、からかいの差出口をしたとする。このとき想像されるAの反応は、およそ険悪なもので間違いなく、またそのことは、なぜか漠然とここまでの読み手にも想像されうるだろう。
――ハ? 何それ。こっちは普通に話してるじゃん。
顔をしかめて威嚇するようにして、ドスを利かせた声でそう反発してくることは想像に難くない。ましてAはその自意識においては、自分を生真面目な者であるとは露ほども捉えておらず、むしろ自負として折れないよう気負いこんだ形で、自分はやんちゃで、強く、およそ一般的にはありふれていないほど、何事も自由にやっている者なのだ、と捉えていておかしくない。そのようであるから、気負いこんだそれに小石を投げてくるような者があれば、これはもう自分の意志と呼べるかどうか怪しい次元で、瞬間的に駆り立てられるような現象として、反発の態度を強く示すだろう。その先に踏み込んでいけば、ついにはAが、いくらかは演出的な――自分は強くやんちゃで負けない者なのだ、という演出をする――こととして、キレる、というような振る舞いに出ることも当然ありうる。そして不思議なことには、同様の差出口を、B〜Dの者にしてみたとして、そのような険悪さのシーンは、およそ出現しないであろう、そのことも自然に想像しうることなのだった。
生真面目な者――その自意識としてはむしろ正反対でさえあるかもしれない者――は、この対話についてのいっそ先天的とさえ言いたくなるような誤解、問いかけに「答えてしまう」という誤解の、深い虜囚であることが多い。健気で、美しさも十分にある、しかし誰かと豊かに対話することができずにあえいでいる女性には、僕の見てきた限りでも、実にこのことが多かった。
人と対話するには、どうすればいいんですか? と、当人は切羽詰った表情で、僕に問いかけてくる。その問いかけのスタイル自体、ひたすらアンサーを求め、またアンサーがあるに違いないという決め付けの前提に立っていて、それだけですでに乱暴なものとして、僕を傷めるということが起こっているのに、彼女はそのことを知らないままだ。しかし当人は切羽詰っていて、かつその求めは不潔なものではないので、だらしない僕は同情をする。気持ちが弱ったときには、複雑な有機体のことは捉えられず、剛直な正解を暗記して、それに依存して安心したくなるということも、よくわかるのだが……
そのようなとき、どうすればいいものか? 僕は正解を持たず、ただ、――それは置いておいて、今俺は無性にチョコレートパフェが食べたい、というような応え方をする。いくら切羽詰っているにせよ、善良さに嘘のない彼女は、そのことにブーイングするはずはない。それにしても、僕がそこで、対話ということ、問いかけに「応える」ということを実演して見せているのに、そのことに気づく予兆は皆無であった。彼女はひたすら、僕からアンサーを引き出し、それをノウハウとして持ち帰り、自宅で練習しようとしている。
アンサーの虜囚を外側から救い出す方法はついに存在しない。なぜなら虜囚といえども、その牢獄のカギはもともとかかっていないからだ。僕は彼女の前で、できるかぎりこれ見よがしに、自分の牢屋を出たり入ったりする。あとは彼女が立ち上がり、ひょっとして? とその鉄格子の扉を押し開いてみるしかない。その扉を開いたとき、衝撃的な驚きに心拍が弾けあがるだろう。直後、彼女の顔にはこれまでにない、地下牢獄の湿ったよどみを打ち砕く、緑の野を照らす陽光のような、これから好きなように、どこまでも行けるのだ! という生気が満ちて輝くに違いない。放たれる虜囚とはそのようなものだ。問いかけに「応える」という無限を得るのである。
現在の生々しい風潮の中において、ジンジンとした熱気が確認されるような対話を実現するのは、まったく容易なことではない。
対話ということについて僕の知る限りのことを精一杯書き述べる。それも僕なりに一番、こうだ、と納得しうるだけの、強度を保った文脈において。そのことに今回は徹してきた。若い人が読めばギョッとするであろう、またおそらくは単にややこしく、読みにくくしてあるだけだと軽蔑されて、捨て置かれるだけに違いないと、そのことが惧(おそ)れというより確定的なこととして僕自身に予感されているこのようなやり方を、それでも僕としてやりぬくしかないと思えたのは、まさしく今回捉えてきたテーマにそのまま重なることが背景としてあった。僕自身、この時代の風潮を、いかがわしいものだと嫌いながら、それに半ば以上は迎合してきたことを、改めて自分に認めたからである。対話、ということを主題に捉え、現代のその風潮にへりくだってはいけない、と主張するのであれば、僕自身まずそのことに堂々と立ち向かい、俺はこうだ、俺が伝えたいことはこのようなことだ、ということを示す必要があった。また、これは僕自身、内的な問題にケリをつけるのにいい機会だ、ということも合わせてあった。現在の自分の力量に、不満と未熟はいくらでも思い当たるにせよ、何かを書くのであれば、人をギョッとさせる程度のものは、本来最低限のこととして書かねばならないのだ。そのこともあって、ここまでの文体はこのようになった。
最後のこととして、冒頭に結びつけもしながら、平易なことにも立ち返りつつ締めくくるようにしたい。今身の回りにある、対話以前の会話は、まず乱暴で粗雑だと捉えて、これはおよそ間違いない。冒頭に示したとおり、それは登山靴で歩いていることによって、人体の機能として自然発生していることであるわけだ。
二人の学生が朝方、特に急ぐ理由もないということで、学生食堂で暖かいコーヒーを飲んでいる。その中で一方が、――俺さ、そろそろ、勉強するならするで、本格的にやらなくちゃいけない、って思うんだ。と、これはこぼすように言ったとする。
それを受けて一方が、
――あー、わかるわそれー。俺もちょうど、そういうの思ってた。実際さ、周りで誰か、資格試験の勉強とか本気でやられると、こっちも焦るよなぁ。
と応えたとしよう。これは言うまでもなく、乱暴で粗雑な受け答えで、二人は噛みあっていない。まさに登山靴を履いているからこその歩き方だ、ということである。ここで本来あるべきは、彼の重心の深まりを受けての、――……ほう、どうした、どういうこと? 聞かせてもらおう、という応え方であった。
さてしかし実際のこととしては、彼は「わかるわそれー」と、噛みあわないまま応えてしまったのである。では、原理原則はともかくとして、この場所からはどのようにすればいいのか? その、ある意味ではより誠実な問いは当然ありうるものだ。これについては、勇気の要ることとして、「いや、そうじゃなくて……」という、より深い位置からの、これは明らかな否定を、差し込むよりやむを得ないのである。
この段階においてはまだ、そのような否定を差し込むことは、勇気の要らざること、日常的なものだと捉えられるかもしれない。しかし、これが二人でなく三人に、そしてもっと大勢になったときのことも想像すれば、このことにはやはり勇気を要するだろう。さらには、この否定は一度きりのものではない。「そうじゃなくて……」という語を差し出したとして、「あ? 何? 試験勉強のことか。それは別に焦らなくていいんじゃない?」という、これもまた、威勢のよいまま、噛み合っていない語がぶつけられてくることは大いにありうるのだ。それについても「いや、そうじゃなくて……」と応え続けるよりない。
十も二十もやりとりを続ける。そのうちに話は、「自己実現のために、学問とはいくらか重なりつつも根本的に違う、無形の勉強をやる、そのことに燃えてきているということか」ということにおよび、そこからもなお、「いや、そうじゃなくて、その燃えるというようなことさえ、甘ったれの類だという感覚が、ひしひしと迫ってきているんだよ、それこそ恐ろしいものとして……」と、否定しながら、ブッシュを切り開くようにして進まねばならない。現在の風潮を鑑みれば、このようなゴツゴツした進みゆきを突き抜けるより他に、対話は起こりえないやもしれないと、これはおおげさでなく僕は感じている。そしてまだ、そのような先に対話に触れることがあればよいのだが、そうとは限らず、むしろちゃぶ台をひっくり返すようにされて、お互いに傷つくのみで終わるということのほうが、確率的にはほとんど、確定めいたことでさえあると、僕はこれも勇気を持って認めねばならない。すなわち、
――もー、なぁちょっと、何なんだよ? 何が言いたいのはハッキリしろよ。第一そんなウジウジ考えててもしょうがないし。何なの? 何か知らんけど、やりたいことあるなら勝手にやったら? どうせそういうのは、結局自分が決めることなんだし。
このようなちゃぶ台返し、応えない! というあからさまに不機嫌な断絶によって、むしろ人間関係の損失のみが残る、ということは、現在の風潮においては最も濃厚な筋書きとしてありうる。
なぜそのような破局のシーンが、不可避のものであるかのように、確かにイメージされてしまうか。それはそれだけ、今の時代に浸透された、前もった思い込みが強力きわまるものであるからだ。「仲良し」の空気を是として、これから逸脱しないことを、深く植えつけられてきた者は、およそそうして、十も二十も繰り返し否定されるというようなことに慣れてはいない。またその先に、深く凝縮された奇跡の滋養があるというようなことも知りようはない。ストレス、という語を意識の上層に常に保持もしているため、否定が数度続けばまず、ストレスが溜まるなぁ、ということが頭に浮かぶばかりだろう。
それに加えて、対話についての誤解として、問いかけにはアンサーがあるはず、という、先に述べた強固な思い込みがある。そのアンサーを、前もって紙にでも書いてくれれば、全て済む話ではないか、というような、本人も知らぬうちの思い込みがあるのだ。対話とはそうではなく、この話を深めてゆくいちいちで、その場のそれぞれが、どのように「応える」のかということを、確認し、発見し、愉しんでゆくこと――さらにはその営みによって、行き詰まりが解けて、新たに拓けることの感動を共有すること――なのだが、およそそのようなことが、説明したとしてもにわかに理解されるはずもない。正解たるアンサーがあるはずだとし、それを取り出せば対話は完結すると思い込んでいる、この誤解は、根強く接着剤で自我と貼り合わされてある。そこに、ストレスが溜まるなぁ、という意識ばかり立ち上るのであれば、険悪さが湧き立ち、キレる、というようなことへ至る道筋は太く筒抜けてある。
このような、現在の生々しい風潮の中において、思い出の記憶にまで至るような対話、「ああ、自分はあの人と話した!」というジンジンとした熱気が確認されるような対話を実現するのは、まったく容易なことではない。
しかしそれでもなお、本当に対話するというところにまで至るには、あきらめずに進め、としか、ついには僕として語りうることも無いのであった。相手がついにキレるということがあり、髪の毛を引っつかんでの殴り合いになったとしても、そのことで、怒り紛れに腹の底に火がつくような具合にして、重心が深くなったならば、そこからむしろ対話の可能性は拓ける。そして対話で得られるべきを得たならば、殴り合いの残滓としての頬骨の少々の腫れあがりなどは、かまわない、たいしたことではない、と笑い飛ばせるということもやはりあるのだ。
殴り合いに至らず、そのかわり、ムカつく、というありふれた感情がお互いを支配するようであったら、これは誰もが知るようにつまらないことだ。ムカつくということは重心の浮き立つことであり、それがついには上り詰めて、「頭にきた」とも言うのである。そしてそういう不愉快さの中に対立した者たちも、どうせは生活が近しい者であれば、前もってある「仲良し」の空気に馴染み入るようにして、もみ消すように解決するよりない。
そのような、人間の対話という根源的な励ましの機能を失った上で、また前もって設定された空気を従順に守らされるだけのシステムの中で、確たる何かに基づいた、希望と熱意に満ちた人生など、織りなせるものなのであろうか?
畑が焼けたというのでなく、長い間の汚染により土壌が破壊されたということであれば、もうどのように種を撒こうが作物が育たないということがある。情熱的な根気がある者がそれを眺めるのでなければ、それは不毛の荒野にしか見えず、誰が近づくものかと距離を取って忘れるに努めるだろう。それでもそこに実りを得ようとするならば、いつ実るともしれない、種や肥料を撒きつづけ、それでいてやはり実らないということを繰り返し眺めるより入り口はないのだ。別に悲観的になるでもなく、現代における対話のありようを、ただ真っ直ぐ見ればそのようなものであると、僕は誠実さを心がけて指摘せねばならない。
文化的な土壌の汚染、その機能の壊滅は手ひどいものだ。しかし一方で、人それぞれが、完全に失意の中に落ち込んでいるわけでもない。意図的であるか否かに関わらず、多くの人はやはり、誰かと語り合うということを、ともすれば体験したことさえ未だないのに、それは必要であり輝かしいものだと信じて、心を傾けている。ただそれにしても、あまりに見かけなくなった対話という営みは、それがどのようなものであるかを忘れ去られてしまった。であればその対話というものが、どういうものであるのか、まず知る必要がある。たとえそれが、僕からの語り口でせいぜい印象的に聞きつけたものであるに過ぎないにせよ、それを宝の地図めいた手元のものとして知恵の便りにしうるならば、それぞれの秘めた勇気を今あたためなおすことに無為ではあるまい。
そのような働きかけを願って、僕はこれを書いた。
[了]