No.173 女を温めないチンコはうせろ
男が女を口説くとき、最大の目的、最優先事項は何か。交際やセックスのOKをもらうことではない。女を温めることだ。
方法や種類は何でもいい。笑わせるのでもいいし、ときめかせるのでもいい。自信を付けさせるのでもいいし、励まし勇気付けるのでもいい。新発想や新しい世界を与えるのでもいい。
女を温めるのだ。そのことにおいてのみ、男は女に許され、認められうるのである。
思うに、ボクの一途な真剣な想い、なんて言っている男はおバカである。自分を女の子か何かと勘違いしている。そういう奴は真剣じゃないのだ。だから大切な人うんぬんを言いながら、その女を温めようという根性が無い。
こういう奴は、オラあの女をお前が温めてこい! と言いつけて蹴り出してやると、無理ですぅ、と半泣きになって帰ってくる。無理なのは分かっている。力量の要ることなのだ。ただ問題は、そういう肝心な戦いに向き合う発想がまるでないということなのである。
泣きを入れるのが早すぎる。思慮が浅い。甘い。
いったい、どこの男が、本当に本心から余裕ブッこいているとでも思っているのかね? 冗談じゃない。
とにかく、そんなヘナチョコ男の一途な想いなんて、どこの女が聞きたがるものか。どれだけ不恰好でも、どれだけ力量不足でも、自分を温めようと懸命になってくれる男のほうを、女は喜ぶものである。
死に物狂いで冗談を言えよ。実は好きなんです、なんてギブ・アップを口が裂けても言うな。女が冷える。
世の中を甘く見て、自分を過大評価して、とんでもないウソでもいいから、女を温めろ。それが最大の目的なのだから。テメーの小さい脳みそでの眠た〜い真実なんかどうでもよいのである。女が温まってしまったという、事実の成立のみに向かえ。
だいたい、自分がそんなに大事なもんかね。半端に取り組むから傷つくのである。本気で取り組んで砕け散ればそんな寝言は云わなくなる。
人それぞれの考え方なんてどうでもいい、それより今日の営業成績、すなわち女を温めろ。それも出来るだけ見境なしにである。
お笑い芸人が審査員から何点もらうか、なんて眺めている場合か。今日も明日も世界はテメーの出番である。芸人は客席の仏頂面と戦うが、男は女の仏頂面と戦うのだ。
男は女を温める。それでも女は別の男と結婚して、別の男とセックスするかもしれない。けれどもそれがどうした。女がモノにならないのは自分の器量不足に過ぎない。不平を言う筋合いではない。
ただ、女を温めるという最大目的からズレないかぎりは、その男はどれだけ卑小で馬鹿であっても、間違ってはいないのである。
この人は、いいな、と思い始める。なぜか奇妙にやる気が出てくる。これを、女が男に「惚れた」という
大前提がある。それは、男は女を前もって好きだが、女は前もって男を好きではないということだ。だから男は誰とでも寝たいのに、女はハイどうぞとは言わない。大前提として、この対立構造がある。この対立があるから、衝突も起こるし、逆に対話も起こる。緊張感がある。
もっと言えば、女は前もって男のことが嫌いなのだ。ほんのり前もってウザいのである。すばらしく良質な女はその性質を乗り越えているが、男がそれを要求できるものでは本来ない。
たとえばアンケートでもしてみればわかるが、ホステスさんなんかは基本的に客のことが嫌いである。客がゼロで同じ給金がもらえるならそのほうを喜ぶ。当たり前だ。それでも彼女らは絶望しきっているわけではなく、ほんのり前もって嫌いであっても、自分が温められることがあれば素直に喜ぶ。恋仲に至ることもゼロではない。
だからやはり、男は女を温めることに徹するしかないわけだ。
ここを勘違いしていると、男は、まず女に「気に入られよう」と擦り寄る。たしかに、空気を読んでオシャレに努めていれば、女は仲良くしてくれる。友達として大切にもしてもらえる。
でも女が温まらない。
女が温まらないということは、女は男に惚れないということである。
男がほんのり嫌いな女が、ある男に不覚にも温められてしまう。男のそれはあまり上手ではないけれど、インチキ臭さがなく、それに思わずプッと吹き出してしまう。身体が温まって、この人は、いいな、と思い始める。なぜか奇妙にやる気が出てくる。
これを、女が男に「惚れた」という。
まだ男女の分化が浅い思春期ならいざ知らず、いい年をした女が、「○○クンが好き!」というのはいただけない。ここにある違和感は、文脈が邪道を示しているからだ。正統は女が男に惚れることである。好き! みたいなことは女同士できゃあきゃあ言える。しかし女が男に惚れたというのは、胸に秘めて美しいものだ。
「本当にがんばっていて、すごいなって思ったから、わたしなりに励ましてあげたいなって思って。本当よ」。 これがなかったら僕はきっと自殺していた
一口に恋愛といっても色々ある。共に永く行こうとする相手に、女として惚れる、なんてことは必要ないかもしれない。女を温めるんだ、なんて決意も要らない。ただ互いに安心感を与え合ってゆければよい。結局、数十年後にはそうなるのかもしれない。そのぬくもりに比べれば恋あいなんて、という気もする。
ただ、若さにプライドのあるべき人間が、はじめからそのような出来上がったものを目指すべきではない。疲れが滲んでいて不健全だ。ただ幸福に連れ添う二人に、行き着くのはよいけれど、結果的にそうなるべきであって、はじめからそこへ逃げ込むな。若いのは若いのらしく、胸に来る秘密の物語として恋をしろ。誰にも話せないような、後々に自分の孫にしか話せないような物語を求めろ。そうでないと、人間は必ず絶望してしまう。思い出の中に永遠に光りつづけるものがなければ、人は他人の足を引っ張らずにいられなくなるものだ。
男は女を温めることだけ考える。笑わせ、自信を与え、励まして勇気付ける。新しい方へ押し出す。何でも良い。僕がそれに取り掛かったとして、サイテーと僕が嫌われても、女が温まったなら構わない。さらに言えば、彼女が温められるなら別にそれは<<僕でなくてもよい>>のだ。
これは厳密なことなのである。厳密に、最優先の目的が、「女を温めること」に行き着いていないといけない。それでこそ女の側が、男がセックスしたがること、口説きにかかってくること、女を押し倒すことに、まだ認めうる余地を見つけるのだ。そうでない限りは、男の女に対する全ては、ありふれた男の私欲でしかなくなる。はじめは私欲を隠して仲良しになり、そこから徐々に私欲を開示し、にじり寄ってくるということでしかない。
男なんてそういうもんでしょ、なんて男の側は口が裂けても言ってはいけない。他人がどうでも、自分の口からは決してそれは放たれてはいけないのである。
男はそうあるべきだとして、では、女はどうすればよいか? このことには、僕には答える根拠が無い。女の側で勝手に決めろよ、と思っている。僕からすれば、女が温まれば後は何でもいいのであるから。
ただ僕には僕自身の経験から伝えるべきことはあるようである。何の自慢にもならないが、僕には女と仲良くして、女に好かれるということがまるでなかった。単に出来なかった。それだからむしろ、追い詰められるようにして、女を温めるのみだということに、やむなく行き着かされたのでもあるが……
とびきり上等な女が、身も心もというふうに、純潔の愛を与えてくれることがあった。もしそれがなかったら、笑えない話、僕は本当にどこかでこっそり自殺していただろう。
彼女らは、好きという理由以外から、尽きない愛で僕を励ましてくれたのであったが、
――男の人が堂々と求めてくれているのに、ちゃんと全力で応えられなかったら、女として情けないじゃないですか。
――本当にがんばっていて、すごいなって思ったから、わたしなりに励ましてあげたいなって思って。本当よ。
――豊かになる資格があるからじゃない?
というのが彼女らの声だった。
なんて清潔な女なんだ、と、僕はそのたびに打ちのめされてきた。彼女らが僕に与えてくれたものには、あきらかに多分に、これからへの期待を甘めに見積もっての、鷹揚な出世払いの分が含まれていた。
男が女にどうこうしろと口出しできる筋合いはない。ただ女には、自分を温めようと不恰好に踊る男に対して、門を閉ざさないでいてほしい。受けて立ってやってほしい。これは僕の持論でなく、ただ僕の個人的なお願いというやつだ。僕はその中にのみ再生の機会を得てきた者であったから。
無視の習慣が、学級崩壊から居酒屋崩壊へ、そして街そのものの崩壊へとつながっている。今や街中で、男女が「デート」することは大変むつかしくなっている
現代人は「無視」の訓練をしている。最後に景気の悪い話をしてしまうが、しょうがない。
まず、駅前の乱暴なティッシュ配りを無視しなくてはいけない。キャッチセールスやスカウトの類も無視だ。高額な絵を売り込まれたり手相を見られても困る。
○○が0円、という広告があるが、これも無視。どうせ本当に0円であるわけがない。携帯電話に届く迷惑メールや、商用メールも無視。ウェブニュースやアンケート結果にはエキセントリックな見出しが並ぶが、これも無視。どうせまともに調査なんかしていない。情報系のウェブサイトには広告やだましリンクがてんこ盛りだが、これも条件反射的に無視だ。
テレビで、いま大人気の○○、なんて紹介されるが、これも無視。大人気なんてウソだが、いちいち突っ込んでいたら身が持たない。実力派の○○、というのも無視。廃品回収が無料回収を拡声器で怒鳴っているが、無料というのもウソなので無視。同級生がツイッターで意味深なことをつぶやいているが、考えこんでもよくわからず疲れるので無視。
現代は互いの無視で成り立っている。気に入らなければ無視すればいいじゃん、という文脈から始まって、今や互いに無視しなくてはやってゆけぬようになった。この無視は、過剰なストレスを回避する動物的本能である。どれだけ人懐こいイヌでも、無秩序に人が出入りする空間につなぐと、イヌは人間を無視するようになる。それも割と、あっという間にだ。
人間の脳は、不要なものは無視して、重要なものだけパッと受け取る、というような器用なことはできない。無視となったら、全てのものを無視するように習慣づく。それが現代なのだが、これはもうどうしようもない。むしろその無視の習慣を強固にした者が勝者、みたいな感触さえある。
学級崩壊、なんてのは分かりやすい。子供が教師と授業という空間を無視するのだ。成人式の崩壊も同じである。まったくけしからんことだ、なんて大人は渋面をするけれども、実は大人も同じである。僕はそれを「居酒屋崩壊」と呼んでいる。居酒屋は酒を呑んでにぎやかにやるところだが、ああも野放図に大声をわめき散らしていい空間ではない。周囲を無視していなければあんな声は出せない。脳が無視の習慣に汚染されている。当人だけが自分を例外と思っている。
実のところ、今や街中で、男女が「デート」することは大変むつかしくなっている。場所によっては、ほぼ不可能になっていると言ってもよい。周囲は「無視」の中でむちゃくちゃにふるまうので、こちらも無視してかかるしかない。無視してかかるしかないのだが、そうするとデートしている互いもほんのり無視してしまう。そこを器用に分けたりはできないのだ。むしろそこが分けられるなら、誰が劇場で大騒ぎしていても気にしなければよいということになる。本当に、そんな器用な無視が使えるならば。「無視すればいいでしょ」で通るはず。
無視の習慣が、学級崩壊から居酒屋崩壊へ、そして街そのものの崩壊へとつながっている。僕は執念深いのではっきり覚えているが、10年前の街は決してここまでではなかった。騒ぎすぎて台無しだよ、と言いながら、十二月の街にはまだクリスマスソングが聞こえていた。デートのつもりがなくても、なんかデートみたいだね、となっていく空気があった……
こんなわけだから、現代の先行きはかなり暗い。かなり高級な店でも、店員が客を無視するのが普通になってきている。えぐい話だが、現代の事実、我々の事実なので目を伏せてもしょうがない。
だから、同意している二人なら、ごまかさずにもうさっさとホテルに逃げ込んだほうがよい。二人きりの部屋ならまだ自分を無視の習慣から引き剥がせる。
その代わりといっては何だが、若いのが街中で殴り合いのケンカをすることがなくなった。互いに無視を習慣にしているからだ。それがいいことなのかどうなのか、いいことだとしても哀しいことではあるけれど……
いかんね、どうも元気がなくなってくる。
それでもやっぱり、と言うしかない。それでもやっぱり、男は女を温めるしかすることがないわけだ。昔はそれだけでよかったものを、現代にはさらに注釈がつく、ということになる。すなわち、9割がた無視されるけど、気にしないでね、と。そんな無茶な、という気がするけれど、現実がそう厳しいのだからしょうがない。
僕も正直、笑えない。笑えないが、まあ無理やりにでも笑ってやろう。どうせ引き下がるつもりもないのであるし、笑ってみせるしかやはり女を温める方法はない! 重ねて言うけれども、どこの誰が本心から余裕をブッこいていると思うのか、まったく冗談ではないのである。こうするしか本当にないから、こうしているだけだ。
それで何をしているか、というと、性懲りもなく、静かな場所を探している。なかなか見つからないけれど、いつかのまたいい時間のために。誰か惚れてくれるかな。じゃあ、また。
[了]