No.188 恋あいの詩
この恥さらしもんが、ということがまずくるわけよ。でもしょうがないだろって。かっけえことがあったって、そりゃ恥ずかしいことと重なっててね。誰かが拍手してくれるからかっこよくなるだけなのよ。でなきゃ、なに汗かいちゃってんの、ってなもんじゃない。セックスしてたらわかるでしょう。あれもし、一人でやってたらバカみたいだよ。一人で汗かいちゃってさ。何やってんの、って。
見てますか、って思うわけよ。誰が、というわけでもないんだけれど。たとえばあなたの友達が、なんか知らんけどテレビに出てる、それで画面に顔が大写しになっている。それで、何してるかわからんけど、何か無性にかっこよかったと。そういうのは、やっぱり素敵じゃない。深夜にテレビをパッとつけてさ。あ、あいつ出てる、みたいなの。時代と共にある、って感じがするじゃない。
お互い立派になっていこうね、ってよく言うじゃない。それは、間違ってないわけよ。間違ってないけど、それでね、なにかこう、大事なことを見つけてさ、持ってかえって頑張ろうとするじゃない。それはなんかおかしいわけでね。今ここでその大事なことやんなきゃ、かっこよくないわけよ。
だから、見てますか、って思うわけね。見られてたらかっこいいとこ見せなきゃなんないでしょ。なんかね、そうしないと、舞台と楽屋が逆転になっちゃう。舞台で何か勉強してさ、楽屋に帰って大事なこと頑張ろう、みたいなね。そりゃ逆でしょうよ。
見られてる、ってのは本当にいいことで。だから舞台の人はみんな客席に感謝するわけね。見られてるってはすごいプレッシャーだけど、それだけがやっぱり本当のものを引き出してくれるってことがあるわけ。いろいろね、一人で部屋にいると思うじゃない。なんだこのクソみたいな世の中、みたいなことをね。信じられないような事件とか、汚職とか、もういくらでもあるもんね。あと個人的にも、本当にあいつは最低だと思うとか、仕事の上司とか客先にとかに、思ってるところあるんだよね。あって当然というか、無いわけがない、そういうのは。
でもそんなのね、なんでだろう、自分が隠してる本音、みたいに思ってるけど、本音じゃないんだね。本質でもなければ大事なものでもないんだよ。だから、見られてるってことがありがたくて。そういうグチャッとした気持ちって、見られてないから表出するわけで、人に見られてたら出せないじゃない。でね、見られてたら出せないってことは、やっぱり本質じゃないわけよ。それは何か違うって、心の底ではわかってるんだね。だから出さない。人に見られてたら、なんとかしてかっこいいことにしてやろうって思う。それで、結局かっこいいってことは本質の何かなんだから、そのかっこよくあろうとすることが、本質を引き出してくれるわけだよね。
バンドマンなんかが舞台で歌って、途中で司会者なんか出てくるわけよ。こぎれいな、ちょっとカマトトぶって、逆にそれが抜群にいい、みたいな女の子がね。それできれいな声で司会を始めるんだけど、客は盛り上がってるから聞いてくれない。それでミュージシャンがね、お前らバカヤロウ、とマイクで言ってくれるわけ。それでまたドワーッて盛り上がってね。
司会の、○○ちゃんでーす、みたいに紹介してくれてね。もうどっちが司会かわかんない、というか逆転してるけど。とにかくそれで拍手が起こる。女の子としてはやっぱうれしいじゃない。そういうのが本当の気遣いというか、気配りだから。
それでバンドマンは、○○ちゃーん、愛してるぞーとか、俺の女になれ! とかマイクで言うわけ。客席はワーッてなって、ヒューヒュー言い出すよ。そこでさあ、女の子が、オドオドしたフリをするけれど、まさかそこで間違っても、わたし煙草吸ってる人はちょっと、みたいなこと言わないじゃない。言ったとしたら興ざめってやつでね。まあたまにそんな女の子もいるけど。とにかくまあ、女の子と言えどもさすがにそんなことは言わない。なぜかって、人に見られてるからだね。かっこよくなくちゃいけない。なんでだろうね、価値観を突破して、問答無用にそう思うわけよ。
それで、「じゃあ、この後のステージが、さらに素敵だったら、そのときはぜひ」なんて女の子は言うわけね。それでまた客席はドワーッてなる。客席はすっかりその女の子のファンにもなる。聞いたかお前ら! ってバンドマンは熱を上げるよ。女の子の言うことは、そりゃあ冗談だって誰だってわかってるけど、冗談といっても素敵な冗談だし、まあこんなにエネルギーのある冗談もないわけでね。何がどうなってもおかしくない。
で、みんな揃いも揃って何をしようとしているかというと、まさにそのこと、何がどうなってもおかしくない、というところまで行こうと求めてるのね。それも、なにか悲壮感みたいなものがあったらいやじゃない。そういう、政治的確信犯とかのやつじゃなくて、人間の純正のエネルギーみたいなのが高まって、もう何がどうなってもおかしくない、そういうところまで行きたい。だから集まってるんだし、そういうところへ到達しないと、ほんと生きてる意味が無い、ってみんなどこかで感じてるんだよ。
その後ね、ステージがどれだけ盛り上がって、みんなアリガトーってなってお開きになって、バンドマンと女の子がどうなるのか知らないよ。それはもうどうでもいいじゃない。そこから先はもう野暮でさ、もう好きにしてくれ、そんなことは知ったこっちゃない、ってゾーンでしょう。彼と彼女が、メアド交換なんてしたのか、通路ですれ違いにキスしていったのか、駐車場のロケバスでカーセックスしたのか、そんなのはいいじゃない。そういうのは、人に見せない部分のことだけど、この人に見せない部分なんてのは、どうでもいいわけよ。どうでもいいというのは語弊があるか。どっちでもいい、どうなってもかまわない、ってことだね。
だからやっぱり、見てますか、なんて思うのがいいわけよ。見られてる中で、かっこつけるためにやむなしで出てくる、それが本質のものだからさ。そこが一番重要なわけ。そこをね、人に見られることを避けて、内心でこっそり情報だけ記憶してさ、家に帰ってからさあ頑張るぞ、ガリ勉するぞ、なんてのは、まあそういう時期もあるだろうけどさ、やっぱりよくない。見ていてもらわないと。かっこつけてやるから、どうぞテメエら見ててくれよってね。何を根性かといえばそれが根性だよ。
それで、男と女ってね、なぜだろうね、行くところは、二人きりの秘密の夜のベッドなのに、そこに行くまでがやっぱり大事なわけ。ベッドも大事なんだけど、そのベッドにこそ、その前のステージが反映されるわけでね。お互いに(もちろんお互いのことだ)、ステージでどうかっこつけたか、人に見られてどうかっこつけたか、認め合ってね。やれやれ大変だったねってなって、ちょっと二人でもうかっこつけなくていいところへシケこもう、秘密の夜をパーッとやろう、ってなるわけ。そりゃそうでしょう。別に持論じゃなくて、誰から見ても明らかにそういうものだよ。
だからお互いにね、男と女でも、見てますか、って、どうぞ見てくれよって、まあ生意気に頑張ってね。それで楽屋で、いや舞台の裏の駐車場でか、こっそり待ち合わせて偲び合いましょうと。お互いの汗を拭いたりなんかしてね。なんていうんだろうね、人に見られて格好つけて、なんならドワーッとさせて拍手なんかさせて、そっちが本質のことなんだけど、その裏側の甘ったるいことも、やらなきゃ一日が完成しない。だってイヤじゃない、ドワーッてなったのに、さあ帰って風呂入って寝ましょう、なんてのは。たぶんね、シャンペンの栓を抜くのと、女の下着を剥ぐのと、あんまり変わんないよ。そういうとき、女って、これ怒られるのかな、トロフィーみたいなもんでね。綺麗だし、光ってるし、今日勝ち取ってきたものだしね。それを綺麗だなって剥き出しにして、眺めるのもいいんだけどね、このトロフィーはすばらしいことに、それ以外にも味わえてしまう。
なんかすごく怒られそうな気がするからあまり言わないでおこう。
見てますか、と。いつもこういうの、真剣に読んでくれている人は、たぶん観客の側にいるのじゃないね、僕と舞台で遊んでくれているのだと思う。ありがとう。それはいつも本当にありがたい話。ありがとうね。ではいつかお会いましょう。
おやすみなさい。
[了]