No.202 viva la vida
僕はある叙事の詩を眺めているうち、rulerという語に目を惹かれた。それは了解と共に、ただちに僕に鮮やかな印象を与えだしたのである。ruler、このルーラーと発音される語は、もっとも馴染んだものとしては、ものさし、定規の和訳に結ばれる。けれどもこの語は同時に「支配者」の意味も持つのである。この当たり前じみたことは、このとき僕をしきりに感心させた。rulerという語に含まれた滋養の液分が、一滴ごとに落ち、僕の心の底にあった重石のような堆積岩に、やがて痛快な通気の穴を穿つように感じられた。
人は、rulerとしての――と、僕は空中に手を揉むようにして、縦型の何かを造形する動作をする。僕がひとまず落ち着いたのは、これで満足だという感触ではないにせよ、ごく短い簡明な一文。<<人間には自分がrulerだという思い込みがある>>。これはまったく不思議なことだ、煩悩というやつだ、と僕には思われた。誰かの襟首を掴んで捕まえて、お前はものさしになりたいか? 支配者になりたいか? と問い詰めたとして、ほとんどの者はノーと答えるだろう。けれどもこのような気質が人間にはあるのだ。そしてそれが、当人を混乱させ、苦しめ、その周囲もまた忌まわしい騒動に巻き込む。なぜこのような、と、僕には考えれは考えるほど不可解であった。
僕にはひとつの光景が思い出された。それは僕が住む町の、このところでは珍しい、彼の住む町の中心をつらぬく繁華を保った商店街。ある日その商店街で、テレヴィで放映される予定の、広告映像の撮影が行われた。テレヴィ・クルーが腰を低くして、いかにも申し訳なさそうに、それでも職務の達成をはっきり意識しながら駆け回っていた。撮影に使うロケーションを、彼らは人人の動線から切り取って、その一画を撮影用に無人にしたのである。街ゆく人人は、丁度ダムにせき止められた土砂のように、商店街の中途に溜まっていた。圧倒的に野次馬の雰囲気が高まる集団の中において、次のことも速やかに人口に膾炙してゆく。U・Aが来るらしいよ! 知名度の高い女性タレントの名を受けて、下町の商店街の空気はただちに色めき立っていった。この商店街は繁華でありながら、高齢者を多くする生活圏内において、そのような先端性のはなやかなシーンには無縁であったため、そこに起こったざわめきはことさら独特の迫力を持った。
僕もそのダムにせき止められた黒山の人だかりの中に吸い込まれて、爪先立ちになり、興味というよりは好奇心において、見なければ損だという気持ちをあらわにしていた。ところが僕がそうして陽気でいるところに、ある声の響いてくる重なりがあり、途端に僕をギョッとさせたのである。
この街に長く住み、あるいは、この街以外のことは忘れたのだ、という連想を起こさせる風貌を持った老人たち。彼らの表情はいつも、穏やかげでありながら、そんなに単純なことではないのだ! という爆発を内に隠匿しているようで、潜在的にではあるが、僕を脅かす気配を持つ者たちだ。彼らが今、その秘めた一面を高らかに示さんという気勢で、普段には見せない様相を見せ付けている。――ナニ勝手なことやってんだよ! その声は随分いかめしい響きでありながら、やはり根本的な自信の欠如において、撮影クルーの当人らには鋭くは届かないようにと計算されたものだ。けれどもその声にほとばしる瘴気に触れて、脇にいた中年女性がただちに賛同の声を上げるのでもある。彼女は眉根にいやらしい皺を寄せて、その表情にまったく似つかわしい響きをもって、ネーェ、と賛同する。普段は顔見知りでもなく、立ち止まって会話をする由もない老人たちと中年女性が、にわかに強力な団結をみせて、同志たちとなって一定の方角を睨む。僕はそこに醸成していく空気の味に、物理的な抵抗さえ感じて呼吸を息苦しくした。ある角度から観察すれば、この集団はやはりテレヴィ撮影に色めき立つ陽気な野次馬たちでしかなかったが、またある角度から観察すれば、何事かに切羽詰った抗議としてデモ活動をしている剣呑の集団にも見えただろう。
腰を低くして駆け回る若いテレヴィ・クルーが、随時に謝罪の態度をこちらに仕向けてくる。それでもなお走り回るが、彼の態度からは、このような事態は常のことで、それを十分に折り込んだ上での段取りだ、というふうに見える。なおも険のある罵声が飛ぶが、そのたびにテレヴィ・クルーは手馴れた緩和の態度を仕向ける。このとき僕は、テレヴィ・クルーたちの手馴れたやり方の熟練に、面白みを見出すより、ひねこびた感触から引き起こされる思索に引きずりこまれる性質だ。ただしここで僕が思索するのは、明確すぎて馬鹿らしいほどの矛盾についてである。
この街を南北につらぬく商店街。このアーケード通りの一本脇には、狭隘ではあるにせよ、十分な側道が備わっているのだ。老人たちがその気になれば、彼らはただちに迂回が可能である。彼らはなぜそうしないのだろう! また撮影といってもおそらく十数分のことだ。この街に長く住む彼らが、今日このときに限って、あの区切られた一画にどうしてもという危急の用件を抱えているとは思えない。要は、彼らはあのようにしたいから、あのようにしているのだ。彼らはそのような罵声を発したくて、あえてその場に立っている。釘付けになったように一歩も立ち去る気配を見せず。
この街に長く住み、狎れるというほどによく知った街に、思いがけず起こった違和感、その魅力にもっとも引き込まれたのは、他でもない彼らだっただろう。その風景の全体は、違和感と瘴気によって輪郭を強調されるようで、それだけに僕の脳裏には、ことさら「人人」の原像が力強く与えられた。「人人」……
無事に回想を終えた僕は、今いちど手元を探るようにして、rulerという語を確認した。その語はまだ力を失っておらず、古い黄金で出来た刻印入りの鍵のように思える。何を開錠する鍵というわけでもないが……鍵そのものが手元にあるということの頼もしさを、僕は手のひらに転がしていた。
あのとき老人たちが発していた罵声は、単なる罵声というのではなかっただろう。そのことは今更ながら明らかだ。あれは罵声というより、譴責や咎めるといった声だった! ナニ勝手なことやってんだよ、という言葉の裏には、勝手なことはさせんぞ、という意味が込められていただろう。すなわち、その場のrulerとしての声。その場を地元とし、よく知りぬいた彼らは、そこは自分の場所だという意識感覚を根拠にして、rulerとしての振る舞いをこぼした。ましてそれは、普段は文化的権勢を誇っている、テレヴィ製作者たちが相手であったのだから、その逆転は劇的なところがあっただろう。それだけに、あそこに湧いた瘴気は、あのようにある種のカーニバルめいたものがあったのではないか?
この、肺腑をウッとさせられる瘴気の味を手がかりにすれば、同種のシーンは多数見つかる。人々が初めてそれに触れるシーン、また時には自分のこととしても巻き込まれるシーンは、たとえば初等学校の学級会時間における非行の糾弾である。正義感の強い女子生徒が冷たくいきり立つというふうの気配で挙手をし、○○君が、××さんをいじめていました! と教師に告発する。そこには、よくないと思います! という意見具申が付け加えられる感触もある。ある種の教師はこのような告発を受け取るにおいて、告発者にその功績を勇敢さに属するとして賞賛する、露骨な微笑を浮かべもしよう。特に左翼思想を濃く注入されてある教師においては、労働者が資本家に物申す風景になぞらえてか、このような糾弾と闘争の空気が立ち上がることに奇妙な快感を覚える様子。教師自身がその志操と気迫において件の生徒を叱り付けるよりも、集団圧力による非難の的として恥辱にまみれさせたほうが、効果的だ、と、どぎついニヤツキが破廉恥なほど教師の顔に浮かぶこともある。
告発者の女子生徒は非行の主である○○君をやりこめることに成功する。集団圧力が○○君に恥辱的な謝罪を強制したならば、女子生徒は面目と勝利の快感にその心の内を赫々と燃やすだろう。糾弾に直接関わりのない周囲の生徒、そのうち特に穏健派は、安全な無関係の立場を強調するように黙り込んでいるが、その視線はちらちらと○○君のほうに向けられ、その内心を想像しては、恥辱のスリルに触れて興奮する。それは公開処刑を見物する市民らのきわどい興味の態度と同種のものだろう。
しかしこの一幕において、確かに功績があったはずの、告発者たる女子生徒を、我々は賞賛する気になれない! 彼女の性質について、正義感が強いというのも、巧妙な政治配慮が為されたゆえの言いように過ぎず、ここで言われる正義感というのは、嘲弄や揶揄の響きを暗に含ませている。仮に、と僕は考えた。仮に自分がこの生徒らのうちで地下結社を持ったとしたら、件の女子生徒について、彼女はrulerだ、我々の知るうち、まずその第一号となった……と指摘するだろう。男子生徒の非行を告発するという、本来は有為であるはずの行為だけれども、彼女は心の内に赫々と何かの悦びを燃やした。彼女自身がそれを隠蔽するからには、それが何であれ暗みから起こる悦びであることは疑いないだろう? この指摘は地下結社のメムバーに鮮やかに同意されるに違いない。<<人間には自分がrulerだという思い込みがある>>。彼女が暗い悦びに顔を紅潮させたのは、その思い込みが増長したからさ。彼女は味をしめて、これからますます憲兵のようになっては周囲の非行を見咎め、また自分はそういう役割を自らに課しているというふうに理由づけてさ、つまりは今日味わった晩餐の甘美を何度も繰り返したいらげようと望むかもしれんぜ。
あるホテルの一室に、間接照明に浮かび上がった、下着姿の女性がある。豪奢な黒レースが縁取りをした光沢ある緑色の下着は、彼女のしなやかな全身を、よく手入れされたアンティークの美品めいて見せていた。このなつかしい記憶の光景は、今ふたたび触れるだけでも僕の心を安らがせる。電車の中でメイクアップをする女性には、わたしはむしろ哀しみを覚えるわ。残念だなって思うのよ。控えめながらにも口を尖らせて言う、また言った直後には照れくさそうに笑う彼女に、rulerの気配は無い。その言いようはまた彼女の彼女らしさをよく含んでいるとして、僕には貴重に可愛らしく受け取られもしたのだ。彼女はたびたびその外見の可憐さから誤解されていたが、体内を吹き抜けている気風は、およそ並より逞しく誇りに満ちたものであったから。
つまりは僕も同意見である。僕は生来から、日常の温厚が崩れぬ中においては、単に気弱なところもあって、その気弱さから、人人の暢気(のんき)な振る舞いが、それが良質のものでなかったとしても、みだりに破壊されてほしくはないと望んでいるところがあった。ただし僕が普段に言うところの、気にしなければいいさ、という言いようは、つまりは姑息の嘘でしかなかった。電車の車両という、箱型と閉じきられたエア・コンディションの空間の中で、特に長座席が対面している向こう側で、女性が顔面の地肌にリキッド・ファンデーションを塗りこめている光景は、その下品さからか奇妙に目を惹いてやまぬところがある。皺のかかった口周りを伸展させるために、女性は無表情のまま不気味な角度に口をあんぐり開く。それだけでこちらには、見慣れない異物の珍しさとして目を惹くのに、またそこに、そろえた三つ指で混濁液を塗りこめていく動作がいかにも豪快だ。ゴシゴシゴシゴシ、あんなに強く激しく塗装してゆくものなのか? まるで歌舞伎役者の舞台裏のような? 男性にはいつも、それが見逃せぬ新事実の発見のように映るのだ。所詮男性の持っているメイクアップのイメージなど、白粉をパフで頬に軽くはたき、細い紅を口びるにすっと差すというふうでしかないのだから。
ところがこの「同意見」も、その意見というところに灰汁が浮き、意見! 意見! というふうになれば、ただちに僕を落胆させる。思えばそのようにエグ味の浮いた「意見」などというものが、自分のこれまでになんらの滋養も与えてくれたことはなかったのだ、という事実を思い出させる。すなわち、同意見であるはずのものも、――電車内で化粧してる女ってどういう神経してんの? という具合であれば、それは僕の肺腑をウッと詰まらせる作用しか持たない。それならばまだ、野放図にそのメイクアップの様を晒している女性のほうに近しさを覚えうるほどだ。どういう神経してんの? という露骨な侮蔑と攻撃の味わいは、かつての学級会で為された告発の、意見具申の響きにあった厭らしさにつらなるものだろう。つまりは、/どういう神経してんの?/いけないと思います!/ナニ勝手なことやってんだよ!/ネーェ、という具合に、rulerたちの連合が可能なわけだ。
――それはあなたの意見でしょう? そう冷たく言い放つやり口に、僕はよく傷つけられてきた。人それぞれの意見があっていいと思いますけど? そうして肯定的な言葉のつらなりに、裏腹に秘められた敵意は、作為された微笑を透かしてあからさまだ。害意は無いにせよ、彼女のテーブルの手元には、あえて消毒液にまみれさせた大型刃のナイフが横たえてある。彼女の態度は、このナイフを用いてそちらを害する予定はないのですよ? とことさらにアッピールするふうなのだが、彼女はその「私物」をこちらに見せ付けずにはいられないという様子。つまりは、あくまで潜在にとどまるにせよ、あなたはわたしの潜在的な憎しみの対象なのです、と僕は高らかに告げられているわけだ。弱いネェ! ある夜に女性に嘲弄されたときの厭らしさを僕は思い出す。僕はこのようなどぎつい対立が起こったとき、特にそれが建前に隠した陰険さの中で起こるとき、勇み立つというよりは、個人的な悲嘆にやられて表情を重くし、黙り込むのみだ。それについての、弱いネェ! という指摘は、間違ってはいないのかもしれない。けれども僕には、このようなときどのようにして、建設的に闘争に巻き込まれる、ということが可能であるのかわからなかった。よもや自分まで消毒薬漬けのナイフを用意する気にはなれない。
もしこのような対立の持続する中、僕が歩行喫煙などをした折に、官職の警邏に捕まって、恥さらしのように科料を徴収されている様を見つけたりしたら――つまりrulerに屈服させられているところを目撃したら――、冷たい女性はやはり潜在の憎しみを気散じし、その内側を赫々と悦びに燃やすのではないか? 政敵を失脚させた夜のような暗い悦びの中、不覚にも、一服の茶を啜るにも、それをやけに旨く爽快に、溜飲を溶きながす薬液のように感じることがあるのではないか?
昨年の三月、爆発した核力発電所の映像は、まだ網膜に焼き付いて生々しい。大爆発を受けて、ただちに識者は原子炉の構造を解説したが、それは人人の想像力に爆発事故の具体性について強化もした。もし、社会と企業の機構が健全でありえて、職務への精励と、昇進、権限の拡大が合一を果たしていたならば、核力発電所のデトネイトは避けられただろう。けれどもよく知られているように、すでに職務への無邪気な精励は、その者を権力へのレールから、むしろ弾き出す副作用を起こす。事実、何人もが告発するように、核力発電の安全ならざるに警鐘を鳴らした誠実さの当事者らは、何かしら人生を台無しにされるという不当な仕打ちを受けたのである。
このようなことも、やはりつながっているわけだ! 僕には長年の、すでに馴染んだものではあるが、自己への疑い、自分の性質についてある引け目がある。それは彼が一般にあるべき、特に男性にあるべきとしての、出世欲、自己権限の拡大ということに欲求がなく、あったとしてもそれはごく希薄であったことだ。――権限、それらの権限は、単に立場に付属しているのじゃないのかね? 名刺を忘れて旅に出れば、それぞれは一介の中年男性、それもあちこちが老いて愚鈍になったという、それだけの存在でしかないのじゃないのかね? 僕はそういう発想をすでに自分の機軸にしており、それは他者に痛快に理解されることがある反面、漠然とした不安の要素を嗅ぎ取られ、保留の印を捺されるものでもあった。また僕自身も、何であればそこに保留の印を捺しておきたいという、そのように自分の機軸を全面的な信頼の中へは置かずにきたのである。けれども今このことも、rulerという語を得て、その仕組みは明らかになったわけだ……<<人間には自分がrulerだという思い込みがある>>。人はこの思い込みを慰めてやるときに、独特の瘴気を放つ。僕が抵抗を覚えるのは権力にではなくその瘴気についてなのだ。
本来、人間が何かしらの目的を持ち、それを達成するために自己の権限を拡大するのであれば、そこに瘴気は放たれない。けれどもあまりに多くの場合、目的などは早くに煮崩れしてしまい、ただ権力の増大もしくは保持に向けてだけが衝動として残る。自分がrulerだという思い込みを慰めてやる、それだけが残って、やがて人の近づかぬ瘴気の風穴めいていくわけだ。僕はここである友人のことを思い出している。誰よりも暢気な人柄と思われていた友人は、数年にわたって苛烈な業務を課せられ、やがて振る舞いに粗暴な側面をこぼすようになった。彼が中堅社員となり部下を持つようになるにあたって、彼は真っ先にこのようなことを言った。――残業させてやろうと思うんですよ。そうでないと、結局仕事を憶えないでしょう? しかしその正当に聞こえる理由付けは早くも煮崩れを起こしていた。そしてそのようなことを下の立場に課すことのできる味わいに、それがまだ予兆でしかないにも関わらず、暗い悦びのぎらつきを示していたのである。彼はこのような事態に陥るために、数年にわたる凄惨な業務に懸命に耐えてきたのだろうか? 瘴気を放って勢いづいた彼の様子を、経験に円熟した大人の英気だとは、僕には到底認められなかった。
犯されぬ森めいた引き出しの奥から、僕は樹脂のrulerを摘み出した。古い透明プラスチックはそれなりに分厚かったが、指先に不自然に重く感じられた。そして僕はまったくそれを見慣れぬ異物として見たのだ。mm単位を刻む几帳面に並んだ目盛。けれども僕が今それを見るぶんには、まるで精密でも何でもなかった。mmを刻む一本ごとに、不必要な太さがあり、またその太さも均一でなく直線でもない。微小なウズムシどもが呼吸を殺して整列し擬態しているだけだ。貴様が、と僕が暴きたてようとした途端、バレた! とウズムシどもは一斉に逃げ出さんともがきだしたのである。貴様が騙していたな! しかしもはやショックもなく落ち着いた納得があるのみだ。
それ自体には罪のない樹脂rulerを両手に掛け、まだひび割れの軋みも聞こえる手前、僕はこのような行為に何の意味もないのだということを確認していた。あたら有用の物品を破却することに過ぎない。後日になって、思いがけずものさしが必要になり、過日の不毛な行為を嘆くのでは? そのようなことがすぐにも可笑しくありえることと予感された。それでも内心には別種の声が響く。声は、朗らかに――好きにしろよ、と言うのみ。思えばこのようなことにさえ、rulerは関わっているわけだ。rulerをヘシ折ろうとするときにさえ、その行為自体をrulerの尺度で測ろうとする。古い樹脂はもろくなっており、雷管の爆ぜるようなパンという凶暴な音を発して砕けた。
両手に折れ砕けたrulerをくずかごに投げ捨てると、二つの大きな断片は両方ともが鮮やかにその内径に飛び込んでいった。今まだ空っぽのくずかごの中に、砕かれたrulerの断片が仲良く並んでいるだろう。それを想像した途端、僕にはやることがなくなった! 嵩張る臓器のひとつを突如引き抜かれたように、重大な虚脱がある。これは、と認識が自己の異様を調査する、しかしそれより前に勇壮な弦楽器の和音がリズムを刻みはじめた。ただちに低音も脈打ってつづく。遠くに金属の鐘が打ち鳴らされるのが重なってゆく……確かに革命家らは王城に押し寄せ、銀の皿に支配者の生首を求めるだろう。そのような、やがては追い詰められるよりない王に、誰が好きこのんでなりたがるものか?
[了]