No.244 意志に生きよ3/エセー
恋あいのことに触れるのを忘れていた。恋あいのテーマサイトなのに。
時代はとっくに人人に恋あいを捨てさせてしまった。
正式なアンケートでもはっきり数値化しているらしい、いわゆる若者の恋愛離れ。
だから僕も油断していると、どんどん恋あいのテーマを忘れてしまう。
僕だって時代に乗り遅れていないぞ、と言いたいわけだ。
こんな生真面目なテーマサイト、もう他には無いんじゃないのか?
残存はしているだろうけれど、こんなしつこく継続しているのは、酔狂というか、絶滅危惧種だ。
インターネットの黎明期には、こういう「個人サイト」で、恋愛がテーマのサイトは実に多かった。
ネコも杓子も、みたいな状態で、それはひとつの面白さだったし、人人の興味が恋愛に向いているんだなあ、ということのわかりやすい証左だった。
今、ブログシステムでないサイト、いわゆる「ホームページ」の形のサイトは珍しいし、外部の情報を引っ張ってこない個人サイトというのはさらに珍しい。
それが恋愛テーマサイトとなると、もっと珍しくて、やっている側としてはとても気恥ずかしいものがある。
今……
(話がどんどんつまらないほうへ行くが我慢してくれ)
今、恋愛を題材にウェブサイトを作るとしたらこうだ。ブログ形式で、恋愛に関係あるアンケートの、それもニュースソース扱いになったようなものを引っ張ってくる。あるいは芸能人の熱愛や離婚のニュース。
それで、そのニュースに関連してつぶやかれたウェブ上の声をまとめる。
か、もしくは個人として、それを題材に「ニュースを斬る」みたいなことをする。
それで、記事にコメントがついて、管理人とやりとりするか、もしくはコメント同士であれこれ言い合う。
それが悪いと言っているのではなくて、主流で、今の普通だ、ということだ。
今の普通と、主流の話。
恋愛うんぬんなどでなければ、動画投稿サイトなどでは、二次創作が主流だ。アニメキャラクターを使ったものだったり、ゲーム動画だったり、ボーカロイドが歌うものを人間が歌ってみた、というようなもの。
ゲーム動画などは、異様に上手い奴のプレイをつい観てしまい、「すげえ!」と言わされて、楽しい。ダークソウルを一時間強でクリアできるなんて……見てるだけで惚れ惚れする。
あとはなんというか、ブログなどでは、「生活史」や「体験記」、あるいは「活動報告」みたいなものが多い。
「わたしとノンちゃんの生活史!」みたいなもので、ノンちゃんとは彼氏だったり子供だったり、イヌやネコやイグアナだったりする。その生活風景が、写真つきで日々公開されていくという形だ。
体験記というのは、たとえばラーメン屋めぐりとか。そこでこの店は最高だと書かれていたら、確かに口コミサイトより当てにしてしまう。
それで、ラーメン通の仲間が集まってサークルになり、サークルでブログを持つと、活動報告ブログになる。それはラーメンだけでなく、音楽活動やダンス活動、いろいろあって、やはり画像つきか、動画つきで、ということになる。
この形で行くと、世の中にはこれからもっとカメラマンが増えていいことになる。カメラマンだけでなく、撮影のクルー全体が、もっと増えていい。
趣味はカメラです、というのでなく、趣味は撮影です、と言い出すクチ。このサークルは何の活動をするのですか、と訊くと、撮影全般ですね、とディレクター役が答える。
たとえば、音楽活動をしています、というサークルがあったとして、彼らはその活動報告をブログにしたいが、撮影は趣味じゃないのでイマイチなものになってしまう。それで、撮影サークルとのつながりが持てれば、良質の報告動画が撮れるし、一方で、撮影サークルのほうとしても活動そのものと、その報告の題材が出来る。
撮影サークル/Director's cut、みたいなものが出来てきておかしくない。名前は仮にだがダサかったらごめんね。
路上アイドルを超低アングルから撮りまくるオタクたちも、サークルを結成してはどうかと思う。オタクの連帯感で、ディレクター、キャメラ、脚本、音声、レフ、AD……我々は統率された撮影キモオタです、というのなら、ひとつ面白いと思うのだがどうだろうか。
別にキモオタでなくても、今のこの土壌の上で、撮影サークルの結成はいくらでもありうるように思う。
代理店的な立場に立つのだから、面白いし、いろいろ可能性があると思うけども。たとえば、バンドサークルの撮影をした、ダンスサークルの撮影をした……そこでハッとなれば、「ライブにバックダンサーを入れませんか?」「バンドのバックダンサーをやってみませんか?」とアレンジすることができる。
ラーメン・サークルも、ネットアイドルをゲストに呼べたりして、その撮影もバッチリで、ネットアイドルもブログネタが増えるし、いいことずくめだ。
商売にはならないだろうが、それはまあ趣味であっていいだろうし、閉じた趣味より拡大していく趣味のほうがきっと楽しいだろう。特に専門学校生の活動サークルとしては、技術の研鑽としてもあっていいと思う。
と、他人事だから気楽に言えるし、こういう普通の話をしているのはすごく楽だ。
いわずもがな、このような風景は、ひとつの社会的背景から成り立ってきたものだ。人文的なことではなく。
見知らぬ他人の個人情報を、すぐに知ることができ、メールでアプローチもできる、そして撮影の機材も割と安価で揃えられる、ネットサーバーも気楽に借りられる、その編集をする端末も個人で所有できる、そして何より、それを印刷したりDVDに焼いたりせず、端末で直接閲覧できる、という背景によって成り立っている。
機材が文化を創ったのである。
道路が敷かれたからドライブ趣味が発生した、ということみたいに。道路がなかったらドライブなんかやりようがないし、新しい道路が敷かれたら走りたくなるからね。
どんどん新しい道路が敷かれていったら、車を買い換えたくなってしまうな。
武器と輸送機が戦争を創るのさ、みたいに言うとカッコいいかもしれない。
いっそ、動機と結果を逆転で捉えたら、今あるものが見えやすいかもしれない。撮影がしたいからカメラを買ってしまったというより、カメラを買ってしまったから撮影がしたい、というような。別におかしなことではなく、趣味とは割とそんなものだろう。ネットサーバーが無料で借りられてしまうから、ブログをしたいと思うし、ブログがしたいから活動報告をする。活動報告をしたいから、何か活動しなくては……ということでラーメン屋めぐりが始まる。
そうして、ラーメン屋めぐりとネットアイドル活動をする人たちがいるから、その人たちを利用した活動を自分はしよう、という発想で、撮影サークル、という活動がありうるのではないか、という話だ。
それは別におかしなことではない。たとえばそれが仕事であっても、メーカー会社なんかは、何かを作るために工場があるのではなく、工場があるから何かを作るのだ。工場とその工員は、保持しているだけで恐ろしいコストが掛かるのである。大工場を一日止めたら一億円のロスが出ると見ていい。だからメンテナンス以外では一日も工場を休ませたくないのだ。365日、フル稼動していなくてはならない。工場の存在そのものが、人に製造の仕事を強いるのである。
別に悪口を言っているのではなくて、そういうものなのだ。どのメーカーの人だってそれぐらいは常識として知っている。工場をヒマにさせたら自殺なのだ。それは工場を持たない商社でも同じで、仕事のために社員を抱えているのではなく、社員を抱えているから仕事が必要なのだ。だから、仕事は与えられるものではなく作るものとよく言われる。「仕事無いんで」とボヤーッとしていると課長が怒り狂うのはそのためである。
土地を持っていると、固定資産税が掛かるから、土地で何かを生産しなくてはいけなくて、貸しアパートを建てる、するとアパートは減価償却していくので、人を住まわせねばならないのであって……
話がどんどん横道に逸れていく。それどころか、冒頭から横道に入ってしまい、本線に戻る見込みがまったくない。
何が言いたいかというと、別に何も言いたくないのだが、それでは収まりが悪すぎるので、こうだ。
<<言われてみれば当たり前なのだが、言われるまで気がつかないということがある>>。このウェブサイトは、ニュースソースを引っ張ってくるでもなし、アンケート結果を広報するものでもなし、ウェブ上のつぶやきをまとめるでもなし、ホームページのシステムで、生活史でも体験記でも活動報告でもない、画像も動画もなくて、二次創作性は皆無、ひたすらテキストコンテンツの一点張り、しかも恋愛テーマサイトを一貫しているという、こいつは相当珍しいぞ、ということだ。「言われてみれば確かに!」と驚嘆するように。
そして、時代はとっくに人人に恋あいを捨てさせてしまった、と言ったけれども、それはどういうことかというと、間違ってもあなたはこうして恋愛をテーマにしたテーマサイトなんか作ろうと発想しないだろう、ということだ。いわゆる若者の恋愛離れ。
良し悪しでなく、時代の話だ。
昔はそれが、ネコも杓子もという具合で、実際あった。人人の興味の第一が恋愛に向かっているところが割とあったわけだ。今となっては、たぶん想像もしにくいけれども。
そのように、人心は変化しているのであって、そのことは、人人が何気なく話している、その会話の内容や性質にも現れている。
あるテーマでテキストオンリーで話そうとはあまりしない。ニュースソースを引っ張ってきて、それを「斬る」か、つぶやきをまとめるか、自分の生活史を語るか、体験記か、活動報告をするか。
「テレビか何かで観たんだけどさ、あれってなんかヤラセっぽくない? そういうの、マジやめろよって思うんだよね。それで実際、視聴率とか今もう最悪になってんでしょ。それで、芸人とかマジ怪我とかしてるし、笑えないよね。みんなの話聞いてると、あれかなあ、みんな割とヤラセでも構わないって、思ってるのかなあ。いちおう盛り上がってるもんね。あとそれで、パソコン買い換えたんだよ、今ってもう動画観る時間のほうが多いからさ。自作できる奴がツレにいるから、同行してもらってさ、いやぁあいつら実際すごいよね、そんなに安くはならなかったけど、やっぱり性能が段違いっていうか、使ってて気持ちいいよ。店の店員ともう何を話しているのか、横で聞いてて全然わかんない。あ、あとそれで、あれだ、沖縄ツーリング行ってきたよ。超楽しかった。写真見る?」
くれぐれも、悪く言っているのではない。正直、僕はこれの何が悪いとも本当に思っていない。ただ、これだな、と思うのみである。なんというか、「こういうのに、聞き馴染みがあるでしょう?」ということを僕は示したいわけだ。ニュースソース、斬る、つぶやきのまとめ、体験記等々。<<言われてみれば当たり前なのだが、言われるまで気がつかないということがある>>。
文脈、ということで前に話したように思うけれど、普段から自分の触れている文化の仕組みによって、自分の精神の機構が性質づけられるのは当たり前のことだ。
こんな話はイヤ、したくないし聞きたくない、と言ったって、まあ無駄だ。すでにこれが主流で、ふつうだ。逃れられない。
じっさい、そういう聞き馴染みのある話し方以外の話し方を、言われてみたらできないわ、不思議ね、という人は多いはずだ。
なぜこうなってしまったのか、というと、先のとおり、機材が文化を創ってしまったのである。誰か、人の意志でこうなったわけではない。だから人の意志がどうあっても、機材は逆行しないし、時代は以前のそれに戻ったりしない。
僕のような奇人が例外的に、テキストオンリーの一点張りで話してもいいが、するとこうなる。
「見てよ、この旧道は、先がやわらかく湾曲していて……無性にあの先へ行ってみたいと、人を誘い込む感じがするね」
「はあ」
こんな感じだ。これは笑ってくれていいし、僕も笑う。
彼女は、つまらない話を聞かされて、ああスマートフォンを開きたいわ、という強い衝動を覚えるだろう。
これも別に悪口ではない。むしろ悪口だなんていうと、エッ、と僕のほうが驚く。
まさか僕のテキストオンリーの話が、スマートフォンの切り開く広大な空間より面白いと思っているんじゃあるまいな……
何を話したいのかわからなくなってきた。
恋愛は、したらいいぜ、じゃあな、と言って走って逃げたい。
ただ、なんというか、恋愛というと、
――楽しくて、笑い合えて、支えになって、いつも傍にいる、傍にいるだけで安心できる、ありふれているけどダサくはない、そしてわたしの世界を広げてくれる、そういうのがいいわ。
というイメージがあるのだけれど、すまん、それはスマートフォンで事足りるな、ということだ。
じっさい、それで事足りているから、若者の恋愛離れ(言葉が恥ずかしすぎてつらい)という事実があるわけだ。
つまり、楽しくて、笑い合えて、支えになって、傍にいたら安心、世界を広げてくれて……という恋愛のイメージは、もう間違っているのだ。
それはもう過去のもので、それでは恋愛はできなくなった。
Q.どういう恋愛がしたいですか
×.楽しくて、笑い合えて、支えになって、傍にいるだけで安心、世界を広げてくれて……
○.意志が触れ合うのよ、それ以外にないわ。
たしかに、スマートフォンがいくら強力なパートナー端末だったとしても、端末だから、それ自体に意志があるとか、意志が受け取られるとかいうことはない。
スマートフォンは、ローマに二年住みたいとか、ローマからヴェネツィアに旅行に行きたいとか、その道中で目に付いたサンドイッチを全部食って、ゴンドラに連日揺られた末、「ああ、そろそろローマに帰らないと……」とつぶやきたい、なんて言い出さない。意志が無いからだ。
女の子は、意志があるから、ある日とつぜん男を見放してくれるが、スマートフォンにはそれがない。
ああ、あいつは行ってしまったのか、という意志に触れることが無いぶん、こいつはまだいてくれるんだ、という意志に触れることも無い。
新時代方式の恋あいでは、恋人は、楽しむものではないし、笑いあうためのものではないし、支えにするためのものではないし、安心を得るためのものでもない。世界が広がるのはいいけど、そのために恋人があるのではない。
あくまで新方式でね。
やはり機材が文化を創るわけだ。
「あなたは、楽しくて、わたしを笑わせてくれて、支えになってくれて、傍にいるだけで安心できるの。あなたはわたしの世界を広げてくれたし、わたしを裏切らないってわかる、だから恋人じゃないわ、ソフトバンク」
というのはカッコいいと思う。どうだろうか。
カッコよくないわよ、という人には、うるせえブス、と言い放ってごまかしてしまおう。
***
メモ、意志に生きよ+恋愛、という部分。
メモしておかないと本当に自分で忘れる。
先の段の話はもういい。
本当は触れたくもないのだが、触れざるを得ないのである。
そんな、キメツケて、悲観的になることはないさ、と思うのだけど、じっさい外に出てぶつかるのはそれなのだ。
暗くならず、でも覚悟はしておくしかない。
それはいいとして、本題、意志に生きるということと、恋あいの話。
何かバッチリな話をしないとね。
人が、男が、あなたという人間に触れるということは、あなたの意志に触れるということだ。
あなたは意志を示していなくてはならない。
間違っても、ワタシのキモチとか、ワタシの思うこと、とか、そういうことを話してはいけない。
まあ、ダメということはないのだけれど、「この地球の自然は大切にされるべきだと思うわ、戦争反対」なんて言ってみても、何もいいことは起こらない、ということだ。
キモチなんて話は、してはいけないし、聞いてもいけない。
環境破壊がどう進んでいるかなんて、けっきょくスマホ先生に聞いたほうが詳しいし説明も上手だしな。
一般には、人の話はちゃんと聞きなさい、と言われる。
それは、人間としての義務だから、まったくそのとおりと思う。いかなる話でも、人の話はひとまず聞き遂げるべきだ。
ただ、一方で、聞くにはきちんと聞くとして、聞いても何のトクにもならない話、というのもある。
風俗で、一発済ませた後のオジサンが、世話になった嬢に説教をする、そういうときの話は、聞いても何のトクにもならない。
だいたい、説教というのは、それだけで何のトクにも……モゴモゴ。
それでも、話されたら聞くのが義務だから、聞くのは聞け。
僕はいまだに、ホームレスのおじさんにつかまって、小一時間ぐらい話を聞かされることがある。すさまじい人生の無駄だが、しょうがない。
そんなわけで、人の気持ちうんぬんの話は、聞くな。聞いてはいけない。義務としては聞くのだが、一ミリも関心を持つな。理解だけせよ。そっちに寄ってはいけない。
慣れてくると、そうしてキモチ問題の世界へ行っても、パッとこちらへ戻ってこれるようになるのだけれど、それは割と高等技術だ。
ところであなたは、初対面の人と、一対一で、どれくらい話し込んだことがあるだろうか?
僕の場合、五時間ぐらいはザラで、三時間だと短く感じる。八時間になると、うわあがんばったな、という感触で、長いのだと十三時間というのもあった。そうなるともう物理的にヘトヘトになる。
よく、ナンパしてその日のうちにホテルへ、なんて言うと、きゃあ不潔、みたいな印象があるが、それが夕方にナンパして、八時間も話し込んでしまった、終電で帰る気にまったくなれない、「あのさ」「うん、しちゃおうよ」というのなら不潔じゃない。
そうして話し込むのを、二時間かける4回、なんて分割しても別に意味は無いんだからね。
それが不潔に見えるなんて、お前はいったいどんな街に住んで……モゴモゴ。
そうして初対面でも、十数時間と話し込むと、心が開きあわれるかというと、そうではない。
心を開きかけて、また閉じて、ということを繰り返すだけの人もいる。心が開かれるというのはそんなイージーなことではないのだ。
そういう人はけっきょく、何が好きかというと、心を閉じているのが好きだ。心が開かれるということに興味があるけれども、それを見物したいのであって、心を開きたいのではない。
そういう人は、たぶん一生それでいく。これはキメツケではなく演繹だ。そうして心を開いたことのある痕跡を持っていないご老人は確かにいるのだから、つまりそういうことか、と判断しえよう。
それについて、どうこう思うというキモチは僕にはないし、それを何とかしようという意志も僕にはない。
僕の意志はひたすら、ここに面白い話をしようということのみだ。あとは、ローマに二年ぐらい住みたいとか、そんなことだけ。
証拠というとおかしいけれど、僕がここに、「心を開かない奴というのはまったく、彼らは心の問題を……」みたいな話をしたらどうだ。つまらないし、元気が出ないだろう。ウゲーッと思われるだけで、この人とこの秋だけ恋人になりたいわ、なんて誰も思ってくれない。
だから、驚くなかれ、僕の話していることは本当なのだ。<<キモチの話をしてはダメ>>なのである。
ひとつ、仮想訓練をしよう。あなたが特別にイイ女というのは、すでに事実だと思うが、それに磨きをかけ、より確たるものにする訓練だ。
ある男がこう言う。
「あれってさあ、ああいうの、バリうざくね?」
それについてのあなたの応答……STOP。ここであなたは、「そうねえ」とか「うざいかなあ」とか思考してはならない。それはもうキモチ問題の世界へ引き込まれているのだ。
<<決して付き合ってはいけない!>>
あなたの返答例はこうだ。相手の眼をきっぱり見て、両手は愉快さのジェスチュア。
「うん、あれだね、言われて思い出したけど、やっぱりバリ島に行ってみたいよね。一ヶ月ぐらい、ボーッとして過ごすのよ。現地の肉とビールだけ摂取し続けて。わたしね、どうも、南の島ってベタなものに憧憬があるみたい」
つまり、男が深い話をすればするほど、あなたはバリ島のことだけ考えろ。
バリ島で一ヶ月、肉とビールだけ、ああたまらない、ということだけは、あなたの中で永遠にウソにはならないから。
燦然と輝くあなたの意志だ。
何なら僕が直接、訓練してやりたい気が……たとえば僕があなたにこう言う。
「ここ最近の、自国としての領土問題についてどう思う?」
僕はシリアスふうに言うので巻き込まれないように。付き合ってはいけない。訓練だ、だまされてはいけない。
領土問題を考えるな。とっさに、脂の焦げる牛ステーキに、高くふりかける黒コショウの、なまめかしい粒のことだけ考えろ。
食べ切れなくても、大きいステーキを注文したいのよ、と思え。切実に思え。
切実に思いながら、回答、
「守るべきものがあるわ」
と。
食べ切れなくても、大きなステーキを注文する、ということは守られるべきだし、領土もやはり、守られるべきだ。切実に。
あとはマナーの問題で……
領土問題について、真面目に考えて回答してもいい。それで全然かまわないが、恋あいにはまったく進みませんよ、というだけだ。
僕はいま、なんて誠実に話しているんだろう、と自分で感心しているぐらいだ。ここに話しているのは全部本当のことだ。
ひとつ、考え方を変えよう。修正すると言ったほうがいい。
「バリうざくね?」「バリ島はいいなあ」「領土問題」「(大きなステーキは)守られるべき」などというのは、いかにもふざけていて、けしからん、というように見える。が、そうではないのだ。
そもそもが、妙齢の女性と話すのに、バリうざいものについて話すとか、領土問題について話すとか、そちらのほうがふざけているのだ。とんだ失礼、ひどいマナー違反である。
その証拠に、男はブロンドの美女にはそんな話はしない。どこの男が、ミニスカートを穿いたブロンド美女が、内心で(ねえこの新しいピアスを褒めてよ)と思って微笑んでいるところに、バイザウェイ、サムエクスパンショニスム、ファッキンアスホール、イズントイット? なんて言うのだ。
男が甘えきって、甘え腐っているので、そんな話題を失礼にもブチ込んでくるのだ。あなたは怒っていい。
そんな連中は放っておいて、おれと遊ぼう。おれとあなたで、意志の見せ付けあいの八時間を……と、この言い方は飽きてきたのでやめよう。他の、どこぞの馬の骨とでもかまわない。
男があなたのオッパイをナデナデする、そのときも、一ミリもキモチ問題に入ってはいけない。<<あなたは意志に生きよ、一秒も怠りなく>>。
サタデー・ナイト・フィーバーが撮影された、あの橋に行きたいわ、記念写真を撮るの、横幅の大きい車に乗せてもらって、と思え。ナデナデされながら、イキたい、イキたいわ、ああイキたい、と思え。
ささやかな愛の問題があるとしたら、
「この人とイキたいな」
と思えたら、それが感動的だというだけだ。
僕と会ったら、ピースサインをよろしく。
じゃあ、意志と恋あいの話、おわり。
[了]