No.260 こんな夜は
夜中に目覚めると身体の中心線に燃える溶岩のような熱が通っていて、溶岩はさらりと粘性がない。対比して頬の上を通るささやかな窓からの風は千本松の夜気を吸って活発である。植物は深夜には思考を始めるのかもしれない、集会の討議を始める……なんどもそう思わされてきた。植物は夜に酸素呼吸を始めるが、彼らはそのときこっそりと本領発揮を始めている、夜中の植物はよく動くのだ……ざわざわ、動物どもが寝静まった山道に。
数年前の、わたしが新人であったときの会議での発言に、思い出しが起こる。今さらになって、けれどもこれは繰り返されてしまう。それは役員レベルから本部レベルへと下賜されてきた緊急性の業務命令で、本部内がいかにもバラバラであるから、統合されるよう討議で話し合えというものであった。わたしはその知らせを受けてまだ左右もわからぬ身であったが、報われた気がしていたものだ。なぜこうバラバラなのですか? と不可解に尋ねてまわっていたのが当時のわたしであったから。
"会議での発言"と切り取って呼ぶのは、その顛末がいつまでも生々しい驚きをわたしに与え続けているから。その会議は企業の中枢から上意下達されてきたもの。長方形に座した面々に順繰りに発言は回ってゆく。それぞれ言うことは同じで――結果的にバラバラになって横の連帯がない、「フェーズを揃えなくては」と――それが確認されあうのは表面上だけでも力強い息吹を具えているように感じられなくはなかった。
順繰りはやがてわたしのところにもやってきて、衆目は暗黙にこの不慣れな者がどのような公的発言をするのかに、箸休めのような興味を湛えて注がれる。わたしは手短に済まそうと思い、またそれでも正直に心あることを述べるべきだとして、――驚きました、みなさんが、バラバラだと言われていたのが(フェーズというのですか?)、思いがけず、揃っていたので、と述べた。するとこれは、完全に集団が同調した笑いがドッと起こった。わたしはそれで心底エッとなり驚いた。何か笑うべきようなところが? わたしは動揺したというより、まったく想定外のことに場違いな興味を強く惹かれた。若手ともいえぬ中堅の社員から、言うことが部長クラスだな、という、声の愉快ぶりがあきらかな野次めいた指摘があり、わたしは「ああ、そういうことか」と内心でただちにその笑いの起こりの構造を知った。
立ち尽くしたまま、なんであれ和やかさの熱気に寄与できたのだからよかったと、わたしも一緒に笑うふうだったのだが、何かおかしい、という心地は消えない。やはり手早く済ませるふうに、――なお驚いたというか、不思議なのが、全員がそうして内心ではフェーズが揃っているのに、結果的にはみんなバラバラになっていた、ということです。なぜバラバラになってしまったのでしょうか? そして、僕にはよくわかりませんが、この会議を経ても、またフェーズが揃ったままバラバラという、元のところに戻るのか? それでは会議の値打ちがなかったことになります、と纏めた。
わたしは純粋な、極めて純粋な疑問をだけ、提出というよりは、こぼしていた。
わたしはいかめしい先人らに、奇妙がられているところはあったけれども、別に憎まれたり嫌悪されたりというところは、もっていなかったように思う。箸休めの笑いが共有された和やかさに、冷たいスープが混入して、なお混ざりきらぬという、空気のマダラ模様がしばらく人人の顔面を撫でていった。
順繰りが進むうち、伊達男ぶりを頑なに守っているところがある、わたしの部署からはエレベーターホールを隔てた向こうにある部の一人の青年が、髭を整えた顎の先端に指を当てて考えこみ、わたしに思いがけない援護をしたか、あるいはじっさい彼自身思っていたところの補強にした。
「さきほどの、彼が(と彼は手でわたしを指し示した)正しいと思う。言われてみたらまったくそのとおりで、なぜ言っていることはみんな一緒なのに、バラバラだったんでしょうね? バラバラになるんでしょうね? 彼の言うことはまったく正しくて、われわれは、彼に笑われるようなことがあってはならない。もし一年後、同じ会議をしたとして、やっぱり前と同じバラバラだったとしたら、そのときは本当に、<<彼に笑われるしかなくなる>>」
そしてそのようなことがいかにもありうるのだ、むしろ濃厚な予感として……という含みを残して、伊達男の発言は終わった。この発言は正当かつ新鮮さのあるものとして人人に受け入れられ、あわせて再びの発言をやや促すかのような空気がわたしに向けて起こらないではなかった。けれどもわたしは身分に合わせた発言の尺時間は使い果たされたと自負していたので、何が起ころうとも何かを足して声を発するつもりは一切なかった。伊達男はふたたび、尖った顎に指を考えて、沈思に入り込むようであった。
<<彼に笑われるしかなくなる>>と言った伊達男の、わたしへの援護の声は、つまり人人がさきほど新人の正当な発言を不当に笑ったことについて、糾弾を示していた。笑われるのはどちらであるのか? わたしは彼の勇敢さを認めたが、同時に、彼を不利なほうへ引き込んでしまったことを、本能的に心苦しく感じた。
あのときから十年が経ち、あのときは身分に合わせての尺という当然の感覚から未発に終わらせた自分の話の続きについては、十年経った今もやはり変わらずにある。今さらそれを取り出すとすれば、――むしろみんなして、揃ってしまっている、というのが真相なのだ。知らず識らず、このバラバラぶりが、全員揃っての、実は暗黙の合意のシロモノなのだと。それが揃っているという証拠は、いま出ました、全員で寸分の狂いなくドッと揃った、わたしに向けての笑い声。
何かが揃っていなければ、あれほど完璧な同調は生まれない。その中でわたしだけが揃っていなかったから、心底エッと驚かされた。その中で一人の伊達男が、いくらかはわたしに対する労りの心はあったにせよ、それ以上に違和感に気づかれて、ふとわたしの側に立つことをした。彼はひょっとしたら、ドッと一斉に笑った同調の中に、自分が混ざったことを驚いたのかもしれない。
もちろんこのような組織は解体された。いくらかは、会議後の変化をそれぞれポーズとして纏ってはいたが、地盤から変化したということは何もなかった、つまりわたしは奇妙がられるという側面を残し続けた。たまにすれ違う伊達男の彼が、好意的に挨拶してくれるようになり、責任を気負って立つ勇ましさの声で、お前が正しいが、お前のやることじゃないから、まあ見ててくれよ、というふうなことを言った。けれども全てを押し流すような、土台としての円高が、結局われわれを土俵から押し出す具合であったし、コストダウンの目的から各企業が中国に生産拠点を移す中、その移行は成功しながらも、肝心のコストダウンは成功しきっていないという苦しさがあった。最終的には、全ての努力をもってしても、バブル崩壊時に抱え込んだ数千億におよぶ有利子負債は、監査の鋭い指摘が手心を加えるのをやめたとき、ついに企業を打ち砕かないではいなかった。
吸収合併に伴い、かつての部署は温和に解体されていった。それは切り捨てる者たちを保護する温和さであった。その保護の中で彼らは、わたしを奇妙がることを、ついに最後までやめなかった。
***
わたしがこの数十年に求めてきたもの、またこれから数十年にわたって求めていくものも、ついに同じ一つのことかもしれない。わたしの言うことは、しょせん、地雷の廃絶運動の程度のものでしかない。人人が正しい道を行くように……それは正しい道の外側には地雷を敷設するということなのか? わたしはそれをもって、人人がビクつきながら歩を進めることを否定したいのである。あのときのわたしにドッと起こった、完全同調の笑い声は、つまりそこに地雷が敷いてあったことを示している。
思ったよりぜんぜんユルい人でした――と、好意的に言ってもらえることがよくあり、それには喜ばしさを覚えるけれど、それが意外さを与えること自体わたしの本意ではない。わたしは人に説教をしているのではなく、むしろ人人がわたしに説教をしている。それをやめろというのではなくて……わたしはむしろ人人に、わたしの前で間違うことを求めているのだ。まさにそればかりである。なぜ自分の敷いた地雷をありがたがって、ビクビク歩くことを自ら喜ぶ? じっさい、わたしの前で、間違ったことを言ったり、間違った振る舞いをする人はごくわずかだ。中にはもちろん、自分で敷いた地雷を踏んで悲鳴をあげる自暴自棄の輩も無いではないが、そうなるものならなぜもともと地雷を敷くのだ。
地雷さえなければ、正しい道は失われるかもしれないが、好きに踊り歩いた足が踏み固めたものが、やがて道になりゆくだろう。願わくば……わたしにむしろ、間違った説教をしにきなさい。そして自分自身に向けては、正しい説教などというものを与えることのないように。慎重に歩いても地雷を踏めば死ぬし、地雷がなければどう間違いあってもわれわれは死ぬことができない。わたしは日夜、眠るごとに幸福の夢にうなされて、目覚めるたびにクソーと許し難さに震えている。こんな夜は特にそうだ。
[了]