No.262 少女の怒れる眼が罪と愛を問うて
なにはともあれ、僕はここにいる。
二〇一二年が、二〇一三年になる前、明日はクリスマス・イヴだ。
円筒ストーヴの上に薬缶を焚き、物置台で通い猫が寝ている。
チェック柄の、雑貨屋で買った、安物の猫ベッドのようなものに、ようやく落ち着いて、うれしそうに眼を閉じて……
狭い路地を自動車が急いでいる。師走だ。窓の外は夜で、僕は音だけ聴いている。
ライターのガスが切れたので、ストーヴ用の着火器具で煙草に火をつけている。
鉄橋をゆく快速電車の音響は天空伽藍に渦を巻いている。
僕は先日、恋愛レクチャー集、なるものを作成し、サーバーにアップロードした。
それなりに苦心して、頭脳がすばやく構築を組み立てる、その生々しさが失せないうちに、書き纏めた。二週間ぐらいかかったろうか。たかが二週間でしかない。
でも、もう一度同じものは作れないだろう。作る気もない……
「もう一度」作ったら、それはもう、作るという営みではなくなる。
そうだな、と確認して、背中から熱い汗が噴くようで、僕は安らいだ。
僕は経験の乞食のようである。
レクチャー集を作っていて、はっきりわかった。それを作ることに、ずっとつきまとう不本意について。
それが不本意だったのは、僕は、自分がもう知っていることを、改めて引っ張り出すことに、まったく生の滋味を見出せないからだ。
自分がすでに知っているものは、過去のものであって、経験ではない。
経験というのはすべて、これから新しくやってくるものだ。
経験は、当人がそう望めば、回避しえないものになる。
いま持っているもの、過去にすでに知ったものを、全て要らないと捨ててしまえば、今日の全ては新しい経験になる。
むしろ、その経験と、自分として既知の知恵を、分離するために、レクチャー集というのをまとめた。
「賢い九折さん」は、全部向こうに預ける。僕は、本当には何者でもない。何者であるかを、これから知り、知っては全て忘れるために、これから行く者だ。
それでも、人に頼られると、僕なりに、既知の知恵を振る舞おうと、ついしてしまうところがあって……それが自分でイヤだった。
だから別の構造にまとめることにした。
せっかく作ったので、愉しんでもらい、役立ててもらえたらうれしい。
他人のことは関係ないさ、人それぞれ好きにするさと、言うやり方は、正しいのかもしれないけれど、もう飽きた。
素直に、喜んでもらえたら嬉しいなと、心をときめかせて、待つことにしよう。
そうして、全てのことに光を見て、報われなかったらどうなるかということも、今年の経験で発見した。
どうなるのかわかっていれば、もう怖くない。怖くても、もう怖がるのはやめることにした。
どうなったって構うものか。
それが僕の受け取る経験の全てなら、僕はそれを引き受けていくしかない。
今年は僕なりに危機もあった。危機の中で、人に支えられ、助けられ、教えられるということが、たくさんあった。
女子中学生にまで助けられたんだから、まったく無様だ。
僕はまったく、無様で、かわいそうな奴であっていいと思う。
少女が、怒れる眼で、罪と愛を問うて、僕は熱くなり、汗が噴き出し、救われたのだった。
僕は彼女に、しゃべるな、と言った……「黙れ」と言った。その唇を指差して、それを開くな、と言った。それはまさに正しいことだった。
唇を封じられた彼女は、純粋で、猛烈な怒りの光に満ちた。街の一隅で、得も言えない美しさの、怒りの炎を宿した少女の眼が、僕に向けられる。店内に掛かっていたバドワイザーのネオン広告が、ボン、と壊れた音を立てて偶然消灯した。
それは、受けて立つ、という眼差しであった。黙れと言われて、わたしは黙った、わたしをどうするの? 彼女は、内在していた激しい魂に、活動の許可を与え、目の前の男が、それに応じきれるのかどうかを、試しにかかった。
少女は、受けて立つ……つまり黙っている。そして本性の眼差しで、わたしをどうするの、犯すの、それともごまかすの、この先をわたしは知らないわ、と問い詰めにかかった。僕は思わず、その顔が見たかった、きれいだ、とこぼした。その本音は彼女に届き、ほんの少しだけ、怒りの光にやわらかさの緩衝が差した。
切迫する中、僕たちは、いま無意味なことはしていない、ということだけが、ひりひり息をしていた。
<<剥き出し>>になった彼女は、身体を鋭敏にしており、服の上からでも、それに触れると、身体をびくんと跳ねさせた。怒りの眼差しのまま……それでも声をあげず、息も漏らさないのは、彼女が「黙れ」と言われたことを守り続け、勝負をかけてきているから。けれど、わたしは怒るわ、そしてこの身体は、触れられると感じるのよ、ということを、堂々と臆さず、見せ付けている彼女は、ますます僕の眼に美しかった。
この年の秋以降、僕は怒りというものに、かき回されるように、教えられ、経験させられる日々だった。それをそれと知らないままに。おれのこときらいか、と問うと、やはり黙ったまま、少女は少し考え、いいえ、と友好的でない意味をこめて、首を横に振った、怒りの眼差しのまま……
その眼差しはついに、全身がオルガスムに支配されるまで、消えうせることはなかった。オルガスムに打ち砕かれて後、我々は許しあう機構しか持てなくなり、ふたたびおれのこときらいかと問うと、少女は逆と答えた。
少女の両手は、改めて、宝玉に向けて伸ばされるように、ゆっくり僕に向けられてきた。先ほどまで怒りの炎にゆらめいて、壮絶に美しかった少女の顔が、信じ難いことに今やその美も上回り、光を凍結させたように輪郭をぼやかしている。あの世の風景に、あの世の風を嗅いだ気がして、僕は転落するような恐怖と美を味わった。
僕は少女に、笑うなよ、と言うこともあった。やはり怒りをこめて、怒りが地下へ流れ込む前に、それを救い上げるような咄嗟のことで。二度、笑うなよ、と言うと、少女は頬をなでさすり、それだけで少女の頬は赤らんだ、――笑うの、くせになってる……と少女は痛みの伴う声で落ち込んでこぼした。僕は胸骨のうちにウウッと自分の声がきしむのを聞いた。
これらの時間は、年の瀬に向けてむすばれてゆき、ミラン・クンデラの声を経験することでも、僕にとってはあった。
天使の笑い/悪魔の笑い。クンデラによるこの指摘と糾弾は、その鮮やかさから支援され、まだ存命であるクンデラのすでに伝説のように扱われているのだと、今の僕には知られている。人はまったく異なる体験について、同じ「笑い」という反応をもってそれを迎えることをする。ひとつには、愛し合う者たちが慈しみ合いの中で交わす、生真面目な天使の笑い。もうひとつには、葬式のさなかに帽子が落ち、儀式さえ滑稽化して起こる悪魔の笑い。
この葬式の例えは我々にはわかりづらいものだと感じられる。ひいては、僕は今ただちにこのようなケースを付け足す。例えばある少年が、クリスマスは12月23日だよ、と嘘を教え込まれる。けれども少年はそれを嘘と知らず、自分の大切と思える人に、祝福を与えようと23日に特別な振る舞いを向ける。悪魔の笑いに取り付かれた人は、彼を物陰から窃視し、何なら入念な録画さえする、その映像を振る舞って、人人に悪魔の笑いを誘う……ゲタゲタ!
ゲタゲタ! という、あの笑い声で、人人は悪魔の活性化を覚える。
報われなかった愛が地底湖の水滴となって溜まっていく、そのことの反証のように、僕はある種の笑い声について、その性質に気づいている。悪魔の笑いは、いくらゲタゲタ! と笑っても、地底湖に落ちる水滴のぶん、胃の腑あたりがひゅんひゅん冷えていくのだ……それで僕は反射的に、頭蓋を左右に振り回し、ある種の笑い声が侵入してこようとするのをふるい落とす。
少女の怒れる眼が罪と愛を問うて、やがてオルガスムがその怒りの継続を不可能化するまで、保たれたあの美しい付き合いの中に、唯一、悪魔の笑いだけは入り込んでこなかった。僕は後々まで、そのささやかなことを、うつ伏せに寝転んで、胸のあたりを褒める心地で肯定した。あの切迫する中で、唯一の退路があるとしたら、悪魔が切り開いてくれる、よこしまなその道だけであった。そうムキになるなよ! 冗談に決まってるじゃん、というあたりで、悪魔の笑いに誘いこめば、僕はその切迫の中から逃れることができたろうし、お気に入りの体面も脅かされずに済んだ。
世間知の中に生きる人人に向けても、人間の上下についての例え話が、思いがけず滑らかに受け取られて、互いの心をときめかせるということがあった。このことは、僕にこれからも、手のひらを開いて、振り、勇敢に話すように、との励ましを与えている。言葉のキャッチ・ボールと、よく言うね? けれども、そこに上下の勾配があったら、いちいちボールは投げるまでもない、放っておいても次々に転がってゆき……受け取られたり、取りこぼされたりする。あなたの体験する上下関係が苦しく不快なのは、上下関係のせいではなく、直接、そこにある人間のせいなんだ。つまり、バレてしまった! あなたの上司が、人間的には実はつまらなく未熟だということが、平等平坦の関係ならごまかせていたのに、上下関係になったとたんにバレてしまった。上下関係は、それだけ「濃密」だということさ。
つまり僕たちが互いに自分の正体をバラしあおうとするなら、上下関係は有効だという、説得力も希望も具えたささやきが、僕には与えられたのである。互いのことを明かしあうなら、上下は常に入れ替わってよい。つまり、僕が話すときは「黙れ」と、あなたが話すときは僕が「黙れ」と……悪魔の笑いに侵入を許さないかぎり、それらの全ては美しくあれた。愛と怒りが同質のものであるという水滴音の経験は、僕をいちいちの怒りの脅威に怯ませないための支えともなった。これらの濁流を互いの極から混淆させるには、互いの上下がつぎつぎ入れ替わってよい。
勇気付けられた僕は、そういえば、じっさい公園でキャッチボールなんて、退屈なことをしている人間はそうはいないものな、と嘯くふうであったが、少女は人差し指をやさしく伸ばしてきて、わたしもおしゃべりをするのという合図で、僕の唇をそっと抑えた。冷たい体温に湿り気を帯びた指のやさしさにはっとさせられ、僕はたちまち胃の腑にあたたかさを取り戻した。<<少女の怒れる眼が罪と愛を問うて、やがて天使の笑い>>。
[少女の怒れる眼が罪と愛を問うて/了]