笑ったことのある人へ
牡丹灯籠およびトゥシューズがフシギの森の根に結ばれること
一箇月間続いた扁桃腺炎の、症状は治まったけれども、夏祭りの準備に忙しいアスファルトの夜道を蹴り歩こうとするとき、身の中に砂が詰まっているようなだるさはなお起こった。桃色の提灯の下を歩けば、数分もせぬうち骨身からハーとため息をつかされる。暑く蒸していたが掻く汗は熱気によるのみのものではありえなかった。それでも電車を乗り継いで、友人が以前から用意して招いてくれた(なにぶん僕は先の予定を決めることが大の苦手で、この種のことは友人に頼るしかないのだ)立川志の輔のする落語を聞きに下北沢の本多劇場へと向かった。友人に道案内をしてもらったので、僕の視界にはいくつかの線ネオン管が各所に光っていたという街の記憶しか残らない。新しくした手持ちのデュポン製のライターの、まさに無闇な火力のエッジをシャアと叫ぶガス音に楽しみながら、むしろその着火作業こそをここ数日の深い楽しみにし、劇場の前で風に吹かれるノボリ旗と同程度にはゆらめく頼りなさで、溜め込むような喫煙をしてから場内に入った。
語られる予定の落語は牡丹灯籠だ。手元の冊子にも場内の垂れ幕にもそのように書かれてある。牡丹灯籠というと三大怪談のひとつとしてすぐにもカラコロと高下駄の足音が記憶によみがえってきた。だがその記憶はイメジであり、よく考えれば高下駄がコンクリートでない地面を踏むときに立てる音を僕は知らない……そうしているうちこなれて聞こえる例のブザー音が鳴り場内がじわじわ消灯すると、完全な暗闇の濡れたような視界の中に、スクリーンに映し出された"志の輔らくご"のたくましい文字が揺れた。そのような飾り気のない正当な演出は、僕の性根にはびこっている好奇心を直ちに刺激せずにいない。この好奇心はひどく夢見がちで、こいつこそがこれまで僕に全てのよろこびを与えて来、ほぼ全てのやりにくい困難さを与えても来た。
縁台に風鈴の飾られる日本風情をモチーフにした舞台装置が照明に示され、それはただちに、この落語は素直な落語の形では始まらぬということを教えた。脇からするりと志の輔が現れると場内の湧くうちにザザッと口上を始め、聴衆がすぐに食いついたところで、驚いたことに数秒もかからぬうちに聴衆は彼のする"悪い冗談"にコロリとだまされて場内は笑いにドッと沸いた! 僕もそれに笑わされながら、それよりもあまりの傑出した技芸に心胆を寒くさせられるほどであった。笑いを本懐とする芸の担当者がよくするツカミというのに当てれば、これは数秒と掛からず、開幕の混濁のうちに、つかまれたと認識する間も与えられずに"制圧"されるほどのことであった。
当代の天才へ腹を括りなおして向き合う、僕自身は構えとなったが、その構えも腰を落としきらぬうちに、当代の天才が説くのは牡丹灯籠についての、その高下駄がカラコロいう幽霊の話は間違いだ、ということだった。彼が言うには、そういった怪談話の要素は作中にあるけれども……ごく一部でしかない。そもそも牡丹灯籠というのは、全域を話せば口述は三十時間に及ぶ。原作者、三遊亭圓朝が十五夜の連日にわたり人形町の寄席で語りぬいたものに端を発するものだ。機械式の記録メディアがない明治の頃のこと、寄席に日本式の速記術を研究する二人の文士がもぐりこみ、舞台袖で話の全てを速記に記録することが許されたので、現代までその牡丹灯籠という長大な物語は原本を保存してくることができた。志の輔はそこまでを含めて今夜の接続について先人の恩に深い感謝を偽らず身に染ませて示す態度。たちまち聴衆にも、こうして今宵の牡丹灯籠の物語を受け取れるのは、古い時代からの僥倖が重ねられてのことなのだという思いが湧く。であれば、旧時代の寄席に棲んだかつての霊たちがこの場へ紛れ込んだとしても、時代の連綿として差し支えないことだと思わされる、すでに語り手の術中。飯島平左衛門の後妻風情に収まった女中お国が、内通する源次郎と悪だくみをする、その談合を奉公人の剣士・孝助が立ち聞きに知らされて血なまぐさい選択を迫られる……というサスペンス部分については我々一般の牡丹灯籠の知識にない。美女お露の高下駄がカラコロ鳴るのはもっと後の、別の一幕だ。全体を通しての"主役"が誰なのかということについては、構造上実に輻輳する。
この、本当は三十時間かけて話す牡丹灯籠を、今夜一晩で話しきるというのはどうしたって無理があるんです! という痛快な声を振り絞る志の輔の頭上に、気の利いたタイミングによって、新たな舞台装置、人間関係の構図を図示する大きなボードが降りてきた。志の輔はテレヴィ番組の司会役も名人でこなす技量で、図示されたボードの空欄へ入る人名を適宜貼り付けて解説を進めていくうまいやり方で、まず人間関係のおおよそを血肉をもって語りこんだ。聴衆が外形をかろうじて把握したところで次の幕へと続き、改めて開幕すると今度はきちんと高座に落語家としての立川志の輔が正装し座り込んでいた。"牡丹灯籠"が始まる……口述されていく牡丹灯籠の物語は、愉快に痛快に、ときに妖しく、幽霊の役割も鮮やかに織り込む形で、聴衆にとっては納得しかゆかないという心地で展開されてゆく。僕は聞き込むうち全身に、特に背中に大量の汗を掻いてボトボトになった。物語が終点に近づき、終点の第一で、ボソリとこのことが話される。「……ここまでが、牡丹灯籠、三遊亭圓朝の原作でございます」。
語りだされる作中世界は、語り手にも聞き手にも明視されたままだ。ここから、一分に満たない程度の、ごくごく控えめな……立川志の輔としての"牡丹灯籠"の、その結びが語りだされる。その直截の内容についてはここに書いて明かそうとは思わないが、つまりは、立川志の輔の開拓する熱意の世界として、牡丹灯籠の"主役"は誰なのだ? という、痛快な締めくくりが示されるのだった。それは、夏の夜の、お盆といえば決まって怪談の、高下駄のカラコロ鳴るといえば悪霊ということで定番の、改めて眺めれば湿っぽさへ偏った古びた和風への強烈な打開を突きつける、短く有効な一撃となった。志の輔は亡き三遊亭圓朝への畏敬を向けた墓参りの上で、牡丹灯籠を復活のみならず叙事詩に転生させて示したわけだ。
毎回のことであるが、こうして志の輔の落語に身を寄せて聞いたとき、僕は会場を出てもまともな直立や歩行が困難になる。ひどい酩酊と、それ以上の使い果たしがあるのだ。それだけの体験をさせるものだから、そうしてフラフラになることは僕にとって本懐のこと。まず異常な量の食事をし(バターフライドポテト、フライドチキン、ソフトクリーム、アイスココア、リブロースステーキ、コーンスープ、マルゲリータピッツァ、うどん)、三刻ほど当て所なく歩行して調子を正常化してから帰宅した。しかし今もなお僕の心は、ふとしたときに牡丹灯籠の作中世界を歩き回ることができるままだ……
"牡丹灯籠"の前日に観た、アリーナ・コジョカルとその一団が示したクラシック・バレエとコンテンポラリーのダンス世界に合わせて、僕は病み上がりの身にも――むしろ病み上がりの身でしか抱えきれない類の――重要な発見を抱えている。「人間はわけのわからないことをする!」。それを文化といい、営みに認めるのだ。人間はわけのわからぬことをするものだから、人類はやむを得ずそれを、文化だ営みだといってつながる歴史の中で認めてきた。半ば以上未知のままそれは取り扱われ続けることが優先されているのだ。
このことは久しぶりに手元に転がり込んで見開き、見開くとただちに新しく読み込み始めてしまった大江健三郎の、「私という小説家の作り方」という本に結ばれて、今ある発見を僕に向けてトリニティ構造のように補強しあっているのだ。大江が、自身の読んだ詩や小説の"まとめなおし"をする。まとめなおし? 彼のいう大江という作家は、四国の山間部の深い森の中で、詩や小説を読み、それらに影響付けられた結果としてのまとめなおしを出力してゆくという、それを繰り返す一つのユニットに過ぎない、というのだ。事実としてそうした数十年をやってみせた一人の作家を眼前において、「人間はわけのわからないことをする」ということを文化や芸術創作の本質として大前提とするのに何の背反があるだろう? 東に牡丹灯籠が語られ西に白鳥の湖が踊られる。東西を鎮魂する森の根元に大江が棲みついて、それらは僕に必要であったトリニティを形成するのだ。事実としてこれは三日間のうちに連続して紡がれた出来事である……
クラシック・バレエへいくらかでも造詣があり、それに触れたことがある者の中で、アリーナ・コジョカルの名を聞いて、頭上かこめかみの脇にでも「!」の記号を浮かべない人間はいない。英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルとしての名声が高いコジョカルについての、その可憐さや、卓越した技術、自身でも呆れているという完璧主義、またそれらの全てを越えてある、我々が特別に感じずにはいられない「コジョカル」そのものについてを、僕がここでコメントすることは初めから虚しく感じられる。それは言わずもがな、すでに誰にでもよく知られたことであるから。
僕が僕自身の進みゆきを切り拓いていかねばならないと、追い立てられて感じる中で、僕自身にとって必要な言い方と、またそれは間違っていないという言い方を採るとすれば、まず僕はこうしてコジョカルの名前を文面に表すだけで心臓をえぐられる胸の痛みを覚える。それはつまり、コジョカルの踊りが観衆に失恋を強いるということ。コジョカルは観衆に失恋を与え、失恋のどうしようもなさを思い出させる。このどうしようもなさ……苦しいのに甘く美しいものだから、自ら苦しさを味わう繰り返しに執心してしまう、その愚かしさごと肯定せずにはいられない……ということは、そのままつまり、僕自身のこれから行く先のことへ重ねて当てはめうるのだ。人間はわけのわからないことをするが、そのわけのわからないことへこそ、本当の恋をし、永遠に固定されたような失恋を味わう。その愚かしさこそ、人間の肯定すべき生そのものだ。さあ勇気を出してそれらを生活と分けて文化と呼ぶことに僕もしよう。
アリーナ・コジョカルという、美しく理知的な女性の名誉のために言い足しておくと、コジョカルは数年前に起きた日本の大痛手である東日本大震災と、特にそこに生じたであろう孤児の問題に向けて、心を痛められた。そしてコジョカル本人の強い意向として、五反田の公演にはっきりとしたチャリティーの側面を持たせた。サイン入りのコジョカルのトゥシューズは会場ロビーに抽選のチャリティーの品としてその色合いともども宝石のようにショーケースに飾られており、どう見ても印象に刻まれざるをえないそれは、憧れられて多くの人々の向ける携帯カメラの的になっていた。
引用すると冊子に挟まれた当日のプログラム表には次のようにコジョカルからのメッセージが書かれている。――私は自分が好きなことを出来る幸運に恵まれていますが、同時に、皆がこの美しい芸術を楽しむとともに、恵まれない人たちのことを心に留め、彼らを助けることが出来ればと願っています。どうぞこのチャリティーに私とともにご参加ください。どんなにわずかな助けでも、大いに役立つことでしょう! 心を込めて、アリーナ/I
have the great fortune to do what I love and hope that while we all enjoy
this beautiful art form, we can help and remember the less fortunate people!
Please join me in supporting this charity, every little you might have
to spare will go a long way! Yours sincerely, Alina
これを、善意によってこそ濁りがちな我々の意識に注意深くして素直に読み取れば、彼女は踊ることの表現で孤児を援けようとはせず、この文化的な営みに付随させうるチャリティーの機能によって十分に援けるはたらきができると捉え、そのことを求めている。このまったく賢明さと博愛の表れでしかありえない意思の示しようは、人間が恋をする「わけのわからないこと」への取り組みと、一見相反する理由ある当然のこととの間に、必然的なうまいやり方があることを示しているのだ。そのことは、これからわけのわからないことへの一層の深入りをしていこうとする僕の、不安さに脅かされているところへ、背後に確実な温かみを与える一灯になるのだ。
[牡丹灯籠およびトゥシューズがフシギの森の根に結ばれること/了]
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