No.346 パーティへの誘い その3
パーティ宣伝の、コラム第三弾。
内容は何にしようか。
最近、世の中には、出会い系イベント、みたいなものかたくさんある。
その、出会い系イベントと、こちらのパーティとでは、何が違うのかを説明する……
というのは、とてつもなく面倒くさいからやめよう。
見るからに違うのがミエミエのものを、いちいち説明させられるのは、とてつもなくしんどい。
僕が最近購入したタブレット機がいかに便利か、ということについて話し続けようか。
便利、といっても、どこででも書き物ができるな、ということでしかないが……
普通のノートパソコンだと、キーボードがアレなのでいやなのだ。
僕は、タイピング専用の、高級キーボードを、タブレットにつなぐことによって……
つまり、出会い系イベントと何が違うかというとだ。
僕が言っているのはまるで逆で、
「出会い系イベントに、お世話にならざるを得ないという、窮地に追い込まれる前に、しっかり遊ぼうね、遊ぶことをやめたら詰むよ」
ということだ。
遊び続けるシステムがいる。
何も出会い系イベントが悪いというわけではない。
僕だって後学のために参加したことがある。
もちろん、馴染まなかったが、ああいうのも、馴染める人にとっては何も悪いものではないのだろう。
見知らぬ男同士がいて、目の前に派手な女がいたりするから、けっこう熾烈な「取り合い」みたいなものが起こり、ときどき暴力的なムードもちらついてしまうけれども。
僕はそういうものに、割と耐性があるので、なんだかんだ、楽しめてしまったかもしれない。
でもそれも、けっこう昔の話だ。
キヤノン販売株式会社の、下請けの会社に派遣社員として勤めているのかな、と思われる、プリンターの出張メンテナンス工員の男性が、勤め先を訊かれて、
「おれ? おれキャノンだよ」
と答えていた。
それを聞いた派手な女が、
「えー、すごいじゃん」
と、真に受けていた。
だいぶ古い話だ。
キヤノン株式会社とキヤノン販売株式会社はまったく別の会社だ。
ちなみにここでは仮にキヤノン販売という名前を使わせてもらったが、もちろん実際は違う会社名だ。古くても一応個人情報だから守秘する。
キヤノン販売は何も悪くない。ちなみにキヤノン販売は小さな会社ではまったくない。
しかも、プリンターの出張メンテナンスは非常に重要な仕事だ。なくては困る。
そういえば、もう、キヤノン販売という会社はないのだっけ?
何か、ホールディングス的な、包括的な企業に再編されたんじゃなかったかな。
そういえば、確かキリンビールも、今は「キリン」という包括的なものにまとめられたのだっけ?
新聞を読んでいないのでわからない。恥ずかしい……
ヤフーニューストピックにはあまりそういう記事は出てこないしな。
キリンは確か、キリンビールとキリンビバレッジが、昔みたいに分離されていない仕組みになっていたはずだ。
そういったことは、極めて大きな変化だ。
企業組織図が変わるというのはとても大きなことで、いろんな人が憂き目に遭っているものなのだった。
キリンビールに入りたかった新入社員とかね。
と、いうようなことを、話し込んだりする、それのどこが、出会い系イベントなのだ。
いいかげんにしろ。
われわれの開催するパーティは、ただ僕が、日頃の溜まってもいないうっぷんを晴らすために、適当な口実をつけて、何もかもにやりたい放題をする、という企画だ。
みんな来てね。
(と、やっぱり、これを言わないと、宣伝している気がしない)
(みんな来てね!)
ところで、たまに奇態がられるのだが、あなたは作文をするとき、周りがやかましいと集中できないタイプだろうか?
僕は、アダルトビデオを大音量で再生しながらでも、まったく問題なく文章を書き綴ることができる。
いや、実際に、わざわざそんな悪趣味なことはしないけれども。
別にどんな態勢でも書けるので、最悪な環境としては、終電に乗り損ねてしょうがないのでド田舎の駅前の駐車場にうつぶせて、原稿用紙に小説を書いていたことがある。
居眠りをして、胸元を巨大なアリに噛まれた。
別になんだっていいじゃないか、そんなことは。
さすがに、ボールペンとか、キーボードとかが、指先にダイレクトに悪感触では、いらいらしてしまうけれど……
デスクと静かな書斎とクラシック音楽がないと文章が書けない、というのは、まるで、出会い系イベントでないと人と出会えない、というような弱い空想だ。
強くありたい。
快適さには負けるけど……
ちなみに、僕はいいが、他の健常な人々は、こんなメチャクソな文脈のつなぎ方をしてはいけない。
この本文をコピーして作文として提出したら、中学生の宿題であっても、0点、再提出、あと死ね、という、教師・怒りの赤ペンコメントが返ってくるだろう。
文章がヘタクソなのだ。
もし、ヘタクソでないように読み取られているなら、それはあなたの読み方が上手なだけだ。
あるいは、もしあなたが女性であったら、あなたが僕に恋をしているがゆえに、僕の心が直接あなたの心に届いているのだ……
男は知らん。
男は猛烈に畑をたがやせ。
どうしても、というなら、説明の仕方がなくもない。
ある参加者は、ごく早いうちから、
「これ、九折ゼミじゃないですか」
と言った。
わからなくもない。
アブラゼミとかのゼミじゃないよ。
大学の、ゼミナールのことね。
座り込んで、いろいろ話し込んでしまうしね。
九折先生の、酩酊ゼミナール、ということなら、たしかに、パーティの実際の現場を、一部言い表してはいる。
最近は進化して、やや、泥酔ゼミナール、という趣きが強い。
泥酔ゼミナールにおける、九折教授の特徴は、驚くほど何も教えない、というところにある。
何も教えないし、課題も与えないのに、単位だけ取れ、と、超能力を要求してくるのだ。
世の中はそんなモンである。これ以上、有効な教授の仕方はない。
ゼミナールね……
それでも悪くないのだけれど、僕としては、もっと座談がぐいぐい盛り上がってだ。
僕はその端っこでウィーと酔っぱらっていたいのである。
それが偽らざる、僕の心の底からの望みだ。昔から言っているな。
ただし、盛り上がるといっても、高度に盛り上がらねばダメだ。
ヒーローとヒロインが出現し、明晰な思想が出現し、積み上げられて……
そこに若い才能が芸術的に華やぎ始める、というのでなくてはダメだ。
そうでない限りは、おちおち居眠りもしていられない。
みんな来てね!
これは来るわけがない、最低のタイミングでの呼びかけだ。
そうでもないのかな。
別に誰も、自分に才能がないと思って生きてはいないだろう。
あなたにはきっと才能がある。
カマボコをとてつもなく綺麗に焼き上げる才能があるだろう。
不満を言ってはいけない。
カマボコ焼きの才能に不満を言うということは、小田原市民全員を侮辱するに等しいことだ。
カマボコを綺麗に焼いてくれるおばちゃんは、決してババア呼ばわりされないのだ。
こうして聞くと正論だろ?
僕も驚いている。正論に聞こえるね。
出会い系イベントと、吾らが企まんパーティとの違いは何か。
うーん……
急に、水死体のツイートのように、マジメなことを言うと、こうだ。
パーティうんぬんと、言っているのはあれだ。
みんな、ここにある「九折さん」なるものの、ひたすら書き話すものの声に、「なんなんだこれは?」と、疑問というか好奇心というか、一種のミステリーを抱えて、やってくるのだ。
そこの、動機が違うのである。マジメに言うと。
ものすごく、当たり前のことだが、あえて言っておくことにした。
モチーフが違うのだから、心象そのものが違うに決まっている。
地獄のように説明しづらい言い方をしてしまったので、無視して進むが、出会い系イベントというのは、要するに需要と供給のものだ。
一方、吾らがパーティの企みには、需要もないし供給するものもない。
そこには、吾々の誰もが、需給に振り回されること以外に、何かできることがあるのではないか? という、どうでもいいような希望がひしめいており……
たぶん、アレだ。
しょうがないから少しだけマジメに話す。
もし、パーティに参加しておきながら、
「いやあ、実は、九折さんのやつ、全然読んでないんですよ〜。ノリで。ノリで来ちゃいました」
という人があったら、その人は申し訳ないが、何をどうあがいても完全アウェーのまま、凍結させられてしまうだろう。
何事にも、ノリで、ということが、悪いわけではないのだ。
ただ、この企画に限っては、そのどこにでも通用する「ノリ」のやり方と、あえて違うものをやってみよう、という企画なのだから、しょうがない。
その彼が、いかに軽やかなノリと、飲み会の盛り上げのうまさを持っていたとしても、こればっかりは通用しない。
ノリのことはみんなわかっているのだ。
わかっているのだが、もういいかげん、飽きたのだ。
誰もが半分方、あるいは九割方、内心では飽きているように、吾々もその飽きを認めてきた。
一方で、「読んで三日ですが、ぐいぐい読んでしまいました」という人は大丈夫。
そういう人は、必ずどこか、わかりあえるところがあります。当たり前だ。
当たり前だが、この当たり前がパーティの基本の仕組みだ。
全員が初対面でも、同じものを読んで、同じ動機を覚えて、そこに遊びに来てしまったのだから。
初対面なのに、同じものを読んできました、ということが、先にお互いに共有されているのは、とても不思議な感覚になる。
初対面だが、こう、何というか、「やっと初対面ですよ」という感じの、既視感があるのだ。
「初対面」と、「赤の他人」は、まったく違うものなんだな、ということがわかる。
あ、そうか。
ひとつ、わかりやすいことに気づいた。
出会い系イベントと、吾々が企んでいるパーティとは、何が違うのか?
もちろん、何が違うかといって、モロに違うのだけれどね。
パーティの参加者のうち、出会い系イベントに行ったことがあります、という人は、おそらくゼロだと思う。
みんな、ありがたいことに、この「九折さん」の、文章力のない文章を、なぜか知らないが好んでくれて、読んでくれているのだ。
読んでいるうちに、やがて「いったいこの人は何なんだ、どういう人なんだ」ということになり、そこから内心に宿る一つの謎を解決するために、遊びに来てくれた。
誰もが基本的に、そういう手続きで遊びに来てくれている。
そのあと、長居するかどうかは、人それぞれだ。
気づいた、というのは、こういうことだ。
出会い系イベントは、今はもう、何も珍しくなくあるし、婚活が社会的に認知されてきたから、そういうイベントに参加することへの心理的抵抗も薄らいできた。
ただ、そうしたイベントは、自分にとっての何か「出来事」を体験するものではない。
ラーメン屋に行ってラーメンが出てくることは、出来事でも何でもないからだ。
一方、吾々が企むパーティは、何かしら、複数の人に、「出来事」を与えてしまった。
事実として、「出来事」が体験されてきた。
そこが決定的に違う。
何しろ、パーティ企画を復活させてから、毎月開催して、もう二年になろうとしている。
二年間、すべての回に来てくれている人もいるのだ。
そんなものはもう、イベントとは呼ばないのだろう。
いつの間にそうなったのか、誰にとっても定かではない。
でもこの二年間のうち、いつの間にか、いくつもの出来事があった。
今、当たり前のように来てくれている人も、どこかで起こってしまったその「出来事」から、つながったまま今も遊びに来てくれている。
遊びに来てね。
出会い系イベントじゃないですよ。
赤の他人なんか集めたってしょうがない。
そもそも僕は、ヨソにすでにあることを、わざわざ自分でなんかやらない。
パーティと、出会い系イベントとの違いは、だいたい説明できただろう。
「出来事」ね……
もう、いったん、パーティのことは忘れてしまおう。
「出来事」だ。
誰にとっても、何の出来事もない日々はつまらない。
二週間ぐらいならガマンできるが、四か月も「出来事」なし、というのでは、いくらなんでもつらすぎる。
高いローンで高級車を買ってしまいそうになるだろう。
「出来事」がなさすぎると、人はやがてさびしさに耐えきれず、乱行に走ってしまうものだ。
そうまでして、自分に「出来事」を、与えたがってしまうものだ。
しょうがない。
それが人の心というものだと思う。
これまでに、パーティに参加してくれた人たちに、
「どんな出来事がありましたか、パーティに係って」
と問うたなら、うーんと唸り、例によって、また誰も何も言わないだろう。
何か言えよ。
そういうのは単純に欠点だぞ。
まあ、でも、出来事が何もなかった、という人はいない。
遊びに来てくれて、深入りしてくれた人はね。
今も残って、遊びに来てくれている人たちは、つまりそういう人たちだ。
この、「出来事」が生じうる、繊細な土壌のまま、うまくやっていけるだろうか。
もし、こうして宣伝コラムを書いて、テコ入れして、拡大に成功したとして、副作用として「出来事」が生じなくなったら、僕はそのときあっさりこの企画を終了するだろう。
そのことは約束しておく。
そもそも、ここまで長々と、続けるつもりではなかったのだ。
ただ、まだ「出来事」の続きが、じわじわあって、終わっていないので、ここで投げ出してしまうわけにもいかない。
続ける理由はないが、やめていいタイミングも失ってしまった。
いろいろあったからね……
あっ、いかん。
テコ入れなんか、しなくていいんじゃないか、という気がしてきてしまった……
いかん、危ない、危ない。
ちゃんとしましょう。
遊びに来てね。
「出来事」に、新しく巻き込まれる人があるかもしれないし、巻き込まれない人もあるかもしれないけれど、別にそれはどちらでも……
土曜日の夜、予定がなければ、遊びに来てね、という誘い方じゃ、あなたは来てくれないだろう。
その誘い方はヘンだ、と、僕もずっと思っていた。
だから、こうなんだな。
土曜日の夜、出来事が起こる予感があれば、遊びに来てね。
これでようやく、誘い方が正しくなった。
夏の夜は出来事がないとね。
九折
[パーティへの誘い その3/了]