さよならアミヨさん、ネット輿論に別れを告げるときがきた
ネット世論を担っているのは極小数派
ある Youtuber の動画を参考にその数値をサンプルに採る。一か月前に投降された動画、その再生回数は約 440 万回。グッドボタン(サムアップ)が約 10 万カウント、コメント数は 5,000 件と表示されている。チャンネル登録者数が約 1000 万人となっている。
動画を観た回数が一回限りとも限らず、またその視聴回数がどのようにカウントされるのかは明確ではないが、仮に登録者数からイメージして、200 万人がこの動画を一人当たり約 2.2 回観たと仮定しよう。そうすると、視聴者のうちグッドボタンを押した人は 20 人に一人、コメントを書き込んだ人は 400 人に一人という計算になる。なお動画の題材は、気楽なグルメ・食通のネタで、コメントを書き込むことに年齢や知識の障壁・偏差等はそんなに大きくはたらかないものと考えられる。実際にコメントの一例を引用してみると、「マジで旨そう、食べられないのがくやしい」という具合だ。
文部科学省の「学校基本調査」によると、小中学校の全校生徒数がだいたいその 400 人ぐらいだそうだ。つまり、小中学校の全校生徒が動画を視聴したとき、そこにコメントを書き込んでいる生徒は一名だけということになる。それは極めて少数派だと言っていいだろう。
あなたがパッと思いつく、あなたの親しい友人は、きっと 400人 もいないだろうから、おおむね「あなたのすべての友人のうちに Youtube 動画を観てコメントを投下する人は一人もいないだろうね」と想定できる。
われわれは現代において、「誰でもネットを見ている」のだが、同時に、「誰もネットに書き込んではいない」という状況の中を暮らしているのだ。
ではわれわれはいったい誰の声・誰の発言を聞いているのだろうか。
全校生徒 400人 のうち、 399 人は何をどう思っているのだろう?
<<われわれはウェブ上で多数派の意見のやりとりなどしていない>>、行き渡った通信端末からインタラクティブなマス・コミュニケーションが成り立っているというのは錯覚であり幻想にすぎない。われわれは引き続き、多くの人たちが本当にどう思っているかは「知りようもない」という中を生き続けている。
「みんなこう言っている」というような意見は実はどこにもないのだ。400 人に一人だけが思っていることの集積を真の「常識」と認めることはできない。
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