さよならアミヨさん、ネット輿論に別れを告げるときがきた
整理
さして難解でもなければ複雑でもない話だが、ここまでのことを整理する。大げさに言えば「ネット世論」と呼ぶべきものが、すでに現在のわれわれを支配するに及んでいる。ただしこのネット世論の情勢には潜在的敵国からの破壊工作が含まれているかもしれない。そしてその破壊工作が含まれていなかったとしても、ネット世論を醸成しているのは人口の割合として極少数派だった。極少数派の上に、そのネット世論はプラットフォームに依存して吐き出されているだけで何の方向性もないものに過ぎなかった。にも関わらず、その方向性のない極少数派はあたかも世論の主流であるかのように振る舞う権勢を得た。その権勢はどのようにして得られたのだったか。情報を「拡散する担い手」として全体の構造に食い込んでいくことによって権勢を得た。他の人々は彼らアミヨのように有り余る不毛な時間を持っていない。かつては、この有り余る不毛な時間を持つ人の使い道は "なかった" のだが、こんにちにおいて「拡散の担い手」という使役の仕方がテクノロジー状況から生じた。こうして彼らの全体はあたかも「拡散審議委員会」のように猟奇性をもってはたらいたわけだが、彼らは自らその不毛さを拠点にしているがため、彼らが拡散するものは「不毛なもの」に必然的に偏った。不毛にこそ拡散規模を与え、不毛の反対側にある「大切なもの」に拡散規模を与えることは決してなかった。彼らのこのはたらきは「大切なもの」を根絶やしにする方向へ当然はたらいた。この根絶やし活動はつまり革命であった。これは不毛革命と呼ぶべきだ。不毛革命以降の現代にわれわれは生きており、われわれは「大切なものを持たない」「不毛な」子をのみ「かわいい」「エロい」などの表現で可愛がる。不毛のかわいい子をその不毛さにおいてのみ可愛がるというのが現代の真相だ。これらのことは、もしあなたが「大切なもの」を得よう・持とう・触れようとしたときに必ず襲い掛かってくる。そのときあなたは容赦のない攻撃を仕掛けられ、その攻撃はあなたが「すべてが不毛になりました」と軍門に下るときまで止むことがない。<<「大切なもの」を絶対に許さない>>。そういう秘密警察と村人たちに監視されながらわれわれは現代を生きている。
もともとネット世論を醸成していたアミヨは 400人に一人という極少数派だった。続いて残る 399 人について考えようと思う。399 人は、アミヨではないから "無事" なのだろうか。そう思えたら安心なのだが、残念ながら事実はそうではない。残る 399 人もやはり、「大切なもの」はその現象ごと失った人々として存在している。そのことを説明していく。
ともあれ、つくづく思うのは、もうこのネット世論というものがまったく使えないということだ。「大切なもの」を一切持たない人々の世論などまともに尊重できるわけがない。わたしはわたしの側が血迷っているのだとは考えずにこの話を冷静に書き進めているつもりだ。
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