ムン
それでもわたしは文学として書かねばならない
いまから十年前、わたしは未だ別の街にいたことを思い出す。その当時も書斎の窓から見える景色を横目に見る座席とライティング・デスクの位置をもって、このようなことが永遠に続けばよいと望んでいた。わたしには永遠の場所が必要で、わたしはそのことを当時、魂の帰る場所だと言い張りつづけていたはず。当時の東京葛飾区からいまは目黒区に移ったのだが、現在の書斎から見下ろす窓からの景色については、葛飾区のそのときほど趣きはないにもかかわらず、いまはそれは新たな永遠の場所としてわたしにひたむきに肯定されようとしている。やはりこのようなことが永遠に続けばよいとわたしは望むし、いまは、いくらでも自分は永遠の場所へ旅に出てもよいのだということも知るようになった。いかにも陳腐なわたしなりの発見を言うと、窓からの景色はその眺望というより、いつもその場所から見える形式が変わらないということじたいが景色になっているということなのだ。仮に観光客が見下ろすならつまらぬ街の一画が騒々しく窓枠に切り抜かれているのみでその旅の期待に応えるものではないだろうが、わたしがずっと自分の書き話しをつづける中、いつも左手にはこの景色があった。いかなるときも春夏秋冬はこの窓から吹き込み、家屋の逆側の窓へ吹き抜けていった。惰性的に流れる商店街の電柱スピーカーからのポップスらしいBGM――いまこのときはビートルズの Yesterday が弦で弾(はじ)かれている――も、高架を走り抜けていく東急東横線のけたたましさとあいまって、ついにわたしの意識には何ら干渉しないものとなった。わたしはさいわいなことに、この窓からの一切を高級なものとは認めない冷静さのまま、自分の窓との付き合いを永遠のものとして独りで隠し持つことができるようになったわけだ。
ささやかな自負とよろこびとして、わたしはいまこのときも、何らウソや誇張を盛り込むことなく、あるがままのことを正直に書き話すことができる。そのことは十年前もいまも変わらないわけだ、わたしが永遠の場所にいるかぎりは。わたしは今回、もっと淡々とした、必要とされる物事の見方と捉え方を、学門の形式で示そうとしているのだが、にもかかわらず冒頭からこのような言いようと文体を示してかかるのは、わたしがすべてについてどこまでも文学として書かねばならないらしいということの "しるし" だと受容してもらいたい。わたし自身にそのようなこだわりはないつもりだが、わたしが己の名を冠して文章を書こうとするとき、文学の呼びかけを排したそれを示そうとすると必ず途中で手が止まる。そしてそこまで合理的に書き示したはずの数万字を読み返そうとしても、はじめの数行さえ読む気にならず、印刷された縦書きの用紙はそのままゴミ箱に捨てられるのだ。隅をホッチキスで留めた甲斐もなしに。
「現代と恋愛」と冠した講義口調の文章を、十年前、わたしは自分の運営するウェブサイトに掲載している。いまは古くなって気恥ずかしい感触がする恋愛レクチャーという分類の、Vol2. として掲載したもの。あのときから十年が経ったわけだが、わたしは誇るでもなくどうやらあのときに予測した、あるいは予告したとおりのことがこの十年後に起こっているということをここに報告したい。ただし、予告したとおりのことが起こったとしても、そのじっさいの破壊力と悍(おぞ)ましさのインパクトは予想の範囲内になかった。そしてあのとき予告したことは、たしかにそのとおりになったけれど、いくらか変化球が掛かってのものにもなったということ、そのことまで含めて説明と報告をここに済ませたいと思う。わたしはこのとおり、いまも当時と変わらぬ声をまったくあたらしいものとしてここに乗せて書き話すことができるわけだから、わたしはあのときから十年間をなんとか生き抜いてきて、いまもここに生き続けているのだと誇ることができよう。この十年間をくぐりぬける道中では、無謀というほどの前傾姿勢にならざるをえなかったこともあったし、また旅路とは言い難いようなぬかるみの踏破をわたしなりにしてきたということもあった。そのことのデブリーフィングをここに刻むと共に、いまはあのときよりもはるかに精密な学門を、より有益な形で書き示すことができるようになったのだ……と信じているところのわたし自身の姿をもあきらかにしよう。もしわたしがそれらのことを正しく為し遂げることができるのなら、それらのすべてが未来への扉を無音で開錠するものとなるに違いない。
十年前のそれを各講のタイトルだけ取り出してみても、当時に何を警告していようとしていたのかが如実に汲み取れる。いわく、IT技術は情報量を減らした/「頭が弱くなる」時代/営みの魅力が失われる/わざとらしさが横行する/陶酔がよろこびに取って代わる/麻痺型と陶酔型、等々。
十年前には、いまのように誰も彼もがアニメやアイドルパフォーマンスの、稚気あるいは痴愚めいてさえいるかもしれないそれを「推す」というようなことはなかったわけだ。あのときよりわれわれは確かに「頭が弱くなった」に違いない。十年前は平成二十五年、まだ年末にシンボリックに行われる紅白歌合戦は人々に年越しのムードを提供していただろう、あのときよりたしかに営みの魅力は失われて、いまわれわれは紅白歌合戦が前もってシラけるだろうことを予想の大前提にしている。Youtuber という一語をおいてみれば、それだけで「わざとらしさが横行する」ということに適合はしようし、「エモい」という一語をもって「陶酔がよろこびに取って代わる」ということも事実の説得力を持つだろう。わたしはこれらの十年前の予告が的中したのだといって肩をそびやかす気にはなれないが、自分なりにはいじらしく、このときの予告をもって、いまからわたしが話そうとすることにもささやかな信頼性の担保を示したいということなのだ。誰にも保証できないことだが、わたしはきっと場当たりの思いつきや物事へのただの感想を投げ放っているのではない。
麻痺型と陶酔型と題された第九講では、メンヘラという言いように触れている。誰も彼もが心療内科のいうメンヘラになるわけではないにせよ、メンヘラ "的" にはなりうるじゃないかということ、それによるメンヘラ文化も起こるだろうということが予告されている。それで……メンヘラという言い方はそれじたいが荒んでいて、そのわりに表面的にはカジュアル化した言い方になっているので取り扱いに危険が伴うといまも惧(おそ)れるが、その実際的なクラッシュのリスクがついに眼前のテーマになってしまったという状況に現在ある。かつてそのリスクは "迫ってきていた" のだが、いまはもうその表現が当たらない。眼前まで洪水が襲ってきているとき、目の前にあるのは洪水のリスクではなく洪水の実体だ。そのときになってようやくノアが方舟を造り始めるという話はないだろう。
十年前、わたしは当の話をなるべくフェアに合理的にしようとこころがけて、すべては脳のはたらきと意識のはたらきの違いにあると説明しようとしている。そのやり口はいまもって妥当だし誠実だったと自分で言いうると思うが、それだけだと説明のつかない未来への入口に直面してしまっている以上、いまは新たな書き方をもってこのことを説明しなくてはならない。そこで十年前には用いなかった魂・命という語での言いようもやむをえず持ちだそうというわけだ。
十年前の言いようでは、最大のリスクはあなたがメンヘラ文化の人になってしまうかもしれないことだということで話は締めくくられている。そのときは、
――「メンヘラ文化」などというのは、もちろん本講義の造語です。「幸いに」と言うべきですが、そのような語でネット検索をかけても、今のところ該当するページは出てきません。
と安堵の材料を述べているが、とうぜん、いま同じ語で検索をかければシレッとそれなりの該当ページは出てくるわけだ。わたしは予告したとおりのそうした十年間を、わたし自身としては避け、かといって単に遠ざけるのではなく、無謀な前傾姿勢で切り拓き活路を見い出そうとしてきた。その中で出会い、発見してきた魂のはたらきと現象をもって、あのときから十年後のこの話をしたいと思う。メンヘラ文化うんぬんはもう言及する対象でもなくなった。それよりも想像しがたい変化球のクラッシュが、魂のこととしてわれわれに訪れようとしている。そのことに本質的に対抗する唯一の方法はやはり魂の命そのものであって、よってわたしはこのことを説明ではなく文学として書かねばならないということなのだ。
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