ムン
「傷つく」という不明の言い方
90年代の終わりから00年代の初めにかけて、「傷つく」という言い方が一種の流行になっていた。当時、傷つくという言い方は、よくわかる言い方であり、よくわからない言い方だった。
「恋愛って、好きになったほうが負けっていうか。自分からアタックしてフラれたら、自分が傷つくじゃないですか。だから自分から行くのはイヤなんですよ」
「でも、待っていたってしょうがないからなあ。自分から行くしかないんじゃないか」
「いや、自分から行くのは無理です。うーん、自分から行くことじたいはまだいいとしても、それで傷つくのはぜったいイヤなんです」
「そうか、じゃあもうそれはそれで、逆にはっきりしていることになるな。降って湧いた話でもないかぎりは、彼女とかそういうのは諦めるしかない、と」
「うーん、でもそれはそれでイヤなんですよ。だって、完全に諦めるっていうのはねえ、いくらなんでもさびしいじゃないですか」
「でも自分から行ってフラれたら傷つくからイヤなんだろ?」
「そうなんです。だからけっきょく、向こうから来てくれるのが、理想っちゃあ理想なんですよね」
「向こうからって言うけど、その向こうがいまいちなコだったらお前はどうすんの。けっきょくごめんなさいするんだろ?」
「いまいちなコの場合は……それはまあ、ごめんなさいってことになると思いますけど」
「それだと相手が傷つくじゃない」
「傷つく……うーん、それはそうかもしれないけれど、無理なものは無理なんで、そこはしょうがないですよね」
「言っていることがむちゃくちゃだと思うけどね」
当時、傷つくということは何やら無制限の権威を持っていた。たとえばある女性が部活動のメンバーと諍(いさか)いになり、やりきれないので部活動を辞めようかと思っているという。わたしは部外者だったが、その件について、
「どう思う?」
と相談されたので、そこまでのいきさつをなるべく入念に聞いたあと、次のように答えた。
「うーんそれは、聞いているかぎり、こちらから頭を下げるべきだと思う。あなたとしては、もちろんでしゃばったなんてつもりではなく、熱意からその役割をやりたくて、それが勢いあまって空回りしたってことなんだと思うけれど。でも、そこからのあなたの言いようが他の人に対してたしかに失礼で、単純にそのことが向こうにとって腹立たしかったんだと思うよ。もともと、あなたが分不相応を承知の上で申し出た話なのに、そこであなたが勢いであれ何であれそんな失礼な言いようをしたというなら、向こうがそれでじゃああなたに任せようって話にはなりようがないもの。今回はひとまず引き取って、何はともあれ、出過ぎたぶんについて頭下げておくべきなんじゃない。それにこんなことでいちいち退部していたら、何につけひとつのことをやり抜くってことができなくなっちゃうじゃん」
わたしがそのように話したことは、じっさいの会話のときはそれなりに、相談者に順当に理解され、納得もされたように思う。
しかし後日になって、その相談者の友人が、やや血相を変えてわたしのところにやってきて、
「あのさ」
と詰め寄ってくるように言った。
「先日あなた、あのコの相談を受けたんでしょ? それで、すごいキツいこと言われたって、あのコ傷ついているんだけど。それってどういうことなの」
わたしとしてはエッと戸惑わされる思いがけない展開。けれども同時に、当時としてはそれはいかにもありがちな展開でもあり、次第にそうした展開に慣れ始めているということもあったに違いなく、わたしはおおむねを察してヤレヤレという気分になった。
「うーん、わかるけど、聞いたかぎり、あれはあのコのほうから頭下げるのが筋だと思ったよ」
「それはそうかもしれないけれど。でも、あのコそれですっごい傷ついちゃったよ? それってあなたどうするつもりなの」
「どうするといっても、しょうがないじゃないか」
「何かもっと他のこと言ってあげたらよかったんじゃない? 彼女もともと落ち込んで相談しに来ていたのにさ」
わたしはこういうとき、かつては主体性について苛烈な性分も明らかにしているところがあったので、
「それはつまり、こういうことか、おれは自分で考えたことを自分のことばで言うことも許されないってことか。彼女が傷つかないようなことを思いついて、彼女が傷つかないために話せということか」
というような言い方が矢継ぎ早に出ることがあった。
「そうは言っていないけど。あのコ、ただでさえ傷ついているところに、そんな傷つくこと言わないであげてよ。ちょっと考えたらわかるじゃない」
「おれはおれなりに、彼女の話から誠実に考えて、向き合って答えたつもりだけどね」
「そのつもりだったのはわかるけど、じっさいあのコ傷ついているじゃない」
「じゃあどうしろって言うんだ」
「あなたからあのコに謝ってあげてよ」
「おれがいったいおれの何を謝罪しろというんだ」
「傷つけてごめんって。それだけで済むと思うからさ」
「傷つけてごめんって、こんなの、彼女が勝手に傷ついたって話じゃないのか」
「うーん、あのさあ、どうしてわからないの? 彼女、じっさいにすごい傷ついているんだってば。あなたのほうこそ、あなたから頭下げて謝ってあげればいいじゃない。傷ついたあのコの身にもなってあげてよ」
「それで、彼女の部活やめるうんぬんはどうなるんだよ結局」
「それはもう、いまのところいいじゃない。彼女の好きにさせれば。ねえとにかく謝って。こういうときって、一般に男の側から謝ってあげるのがふつうでしょ? あのコ傷ついて、このままじゃ立ち直れないから、そこのところの責任を考えてよ」
「傷ついた傷ついたって、いいかげんその "傷つく" ってのがどういう意味なのかよくわかんなくなっているけどな」
「傷ついたというのは、ただ傷ついたのよ」
「そんなの、あまりに言った者勝ちすぎて、実体がなさすぎるだろ」
「は? じっさい彼女は傷ついているじゃない」
傷つくということが無制限の権威を持っていて、当時はとにかく、傷ついていない側は傷ついた側に謝らなくてはならないというムードだった。どれだけの正当な事由や、推察しうる誠実さがあったとしても、そんなことはさておき、「傷ついた」ということだけが焦点になった。「けっきょく傷つけたのは事実なんでしょ?」。
あるいは当時、傷つく・傷ついたという当人の言いようのみが視認されていて、その他の事由や誠実さなど、誰も視認はしていなかったのかもしれない。「傷つけた」という罪だけが問われるのであって、まるで手形裁判のように、その審判にかかわる前後事情の証拠調べなどなかったように記憶している。
あのときから四半世紀が経ったいまも、この「傷ついた文脈」にどのように答えればいいのか、わたしにはわからない。あるいは現在のわたしから言いうることは、この傷ついた文脈というのは、じつは文脈でも何でもないのかもしれない。ただ傷ついたということに対する慰謝の請求、陳謝の要求、あるいは報復の意思が表明されているだけなのかもしれなかった。
いまここで、四半世紀前の話、二十五年も前の話をしていて、当時の「傷つく」という言いようについて話しているけれど、この話の中にさしあたり露骨な「ムン」は出てきていない。当時はまだ「レスバトル」というようなものは一般的にはなかったし、マウントとか映(ば)えとかいうものもなかった。入念な「自撮り」を作成するということもなく、もちろんそれをSNSで拡散するということもなく、せいぜい「プリクラ」を手帳に貼りためていくぐらいだった。
ここからどのようにして「ムン」は出現してきたのだろうか。
ムンは、ここで言われている「傷つく・傷ついた」の瞬間に出現する。少年の自転車が友人の自転車に比べてオンボロでみすぼらしかったとき、またそのことを指差して笑われたとき、ムンが出現する。
傷つく、ということにいて再考する。
「ごめん◯◯くん、ちょっとあなたの言っていることよくわかんないや」
「その色の服、なんかあまり似合っていないんじゃない」
「ちょっと太ったんじゃない?」
「さっきからさ、あまりにも口だけ大きいこと言いすぎじゃない」
ある男性が、A子の髪型について、その髪型いいよねえ、と褒めたとする。A子は褒められたことをよころんでいた。しかし似たような髪型のB子のことは褒めてくれなかった。B子はそれに "傷ついた" としよう。
傷ついたというのはどういうことなのか、どういう要件で「傷つく」が発生するのかは、現時点では不明だ(あとで説明する)。ただ、傷ついたと言いだせばそのことは、ここまでに示したように際限がなくなる。
「あなたさ、A子のことばっかり褒めて、B子はわざと無視されているみたいって、すっごい傷ついているんだけど。どうするつもり? ないがしろにして傷つけたぶん、ちゃんとB子に謝ってあげてよ」
就職活動に失敗したC男は傷ついた。卒論が評価されなかったD男は傷ついた。告白してフラれたE子は傷ついた。コンクールに落ちたF子は傷ついた。自分の記憶力が悪いことでG男は傷ついていた。体格が貧相なことでH男は傷ついていた。育ちが悪いことでI子は傷ついていた。恋人にもらった誕生日プレゼントが高級品ではなかったのでJ子は傷ついていた。自分の両親が金持ちではないことにK男は傷ついていた。自分より走るのが速い人がいることにL男は傷ついていた。自分の料理が下手なことにM子は傷ついていた。自分が帰国子女ではないことにN子は傷ついていた。自分が宇宙飛行士になれないことにO男は傷ついていた。ミスを上司に叱られたP子は傷ついた。
傷つく・傷ついたと言い出せば、それが何のことなのかは不明なままで、けれどもわかりやすく強力だ。少なくとも当時は強力だった。そして内心でさえ言いだされたそれは、いったん言いだされるともう止まらなくなる。
「屁理屈を言われてもピンときません。とにかくわたし、傷ついたんです」
傷つく・傷ついたときにムンは現れる。<<傷ついたときにムンは最強の味方だ>>。ムンがあなたを捕えるのではなく、あなたがムンを抱きかかえて離さない。
あなたに意図的にダサい服を着せて、あなたの隣に意図的におしゃれな女性を座らせてみよう。そしてあなたの隣の女性を、
「カッコいい、惚れるわ、エロかわいい、マジ天使、センス高いよなあ」
と褒めつづけてみよう。あなたに向けては何も言わない。みんなで、あなたのことを見ず、あなたの隣にいるその女性だけを見続ける。
そうするとあなたは勝手に傷つく。われわれであなたに何かをしたわけではないが、ただの配置によってあなたは勝手に傷ついていく。意地悪を言っているのではなく、ただそういう現象があるということだ。そのとき傷ついていくあなたの内部に、濃厚に「ムン」が立ち上がっていくことは、想像に難くないのではなかろうか。
←前へ 次へ→