恋愛偏差値アップのコラム









精神性をおしゃれにしよう







最近、コラムがつまらなくなった。誰に言われたわけでもないが、自分としてそう思うのである。最近のコラムは冗長で、説教くさい気がする。本人としては丁寧に書いているつもりなのだろうけど、果たして読んで面白いものかどうか、役に立つものかどうか、甚だ疑問だというように感じる。

もっと面白いものを書きたい、と僕は率直に思う。そんなわけで今回は、ちょっとスタイルを変えてみることにした。読んでいる人にその変化が伝わるかどうかは分からないけど、自分の中ではそれなりにその別のスタイルをやってみるつもりである。

さてさて、それで本当に面白いものになるかな?面白いもの。僕は世の中の価値あるものはすべて、面白いという印象をともなうものだと思っているわけだけど・・・。

僕たちが生活している中で、色々と心に思うことがある。それは恋愛についてだけでも、あるいは恋愛の手前の段階、男女が出会ってどうこうという段階についてだけも、まあ本当に色々とあるのである。色々と無い、なんて人はおかしい。心が機能しているかぎり、色々とあるはずである。でも、「最近そういう話、ないのよね」という話もちらほら聞くから、そういう人は本当に、色々と心に思うことが無いのかもしれない。それは心が機能していないのかもしれないな、と思ったりする。心が機能していない人、そういう人についてはもう考えないようにしよう。(このあたり、スタイルの変化だと受け取ってもらいたい。冷酷だと思わないように笑。スタイルです、スタイル)

色々と心に思うこと。ひとつ、僕のどうでもいいような体験談をしよう。

ある土曜日の夜、僕は小説を書かなくちゃいけないけれど、もう脳みそが腐ってしまったということで、執筆を投げ出し活性化を求めてダーツバーにいった。ダーツはシンプルなゲームだから、部屋の壁にボードをぶら下げればそれだけでもプレイはできるわけだけど、それはダーツバーにいくのとは意味が違う。ダーツバーには安物のテキーラとジントニック、とりあえずビッグビートと呼ぶしかないBGM、それに大仰なスペクトラムのダーツマシンがあり(最近はダーツライブというマシンが多い。通信機能つきでステキなマシンだよ)、そこにダーツを投げることにムキになっている愉快な人種がたむろってくれているのである。その馬鹿げた空間でダーツを投げるのが楽しいのだ。それでこそ人間は活性化する。

僕は友人と連れ立ってそのダーツバーに行った。友人は残念ながら女性ではない。土曜出勤があって疲労している男友達を、いつもどおり遠慮なく呼び出した。僕はダーツをやるとすぐムキになるので、あまり女性とはいかないことにしている。僕はダーツをやりだすと、いつのまにやら本気になってしまって、ついには「ホテルなんか行ってられるかバカヤロウ」、みたいになってしまうのだ。それでは女性に失礼になってしまうので女性はつれていかない。ダーツのお供はオスに限る。その日の友人(オス)は疲労していた、まあ彼は最近人生に疲れつつあるわけでもあったが、それを強引に呼び出したわけである。人間の脳みその80%は眠っているんだ、その眠っている部分は遊びの部分というやつで、要するにそれは遊ばないと活性化しないってことなんだよ、みたいな虚言で口説いて。

ダーツをやりだして、今日のカウントアップは500点もいかないぜと絶望しはじめたころ、隣のテーブルに女性の二人組がいることに気づいた。女性は明らかに初心者で、ダーツをバスケのフリースローみたいなフォームで投げている。運否天賦で飛んでいったダーツがトリプルリングに刺さるときゃあきゃあと騒ぐ。一人は美人で、一人は普通だった。

僕はタイミングを見て、彼女らにマイダーツを貸してやった。貸してやったというのは、彼女らがハウスダーツを使っているからであって、僕としてはそれではダーツの醍醐味は味わえまいということで、おせっかいを申し出たのだ。このあたり、ダーツに詳しくない人のために説明しておこう。ハウスダーツは店に備え付けのダーツ、要するにボーリングで言うところのハウスボールと同じもののわけだが、ハウスダーツというのはまるっきりのおもちゃなので、投げていて気持ちよくないものなのだ。ダーツをダーツゲームとしてちゃんと楽しむためには、安物の1200円のやつでもいいから、まずはマイダーツを持たなくてはならない。

「これ、使ってくれていいすよ」

僕はそうシンプルに申し出た。一応恋愛関係のサイトなので、ここは丁寧に書いておこう。女性二人のうち、先攻の一人(美人のほうだった)が第一投を投げようとしたとき、そこに強引に割り込む具合にして申し出た。ここでは強引さがポイントだ。腰が引けていると相手にとっては余計に気色悪いものだから。

「ハウスダーツって、14gしかないんすよ。これ、18gありますから」

僕はそんな説明をまじえつつ、まあ投げてみたらわかるよ、と促してみた。彼女らは二人とも戸惑っている感じだったが、投げ出すとマイダーツの意味を了解した様子。ある程度重みがあるダーツは、余計な弧を描かず真っ直ぐ飛んで行ってボードに刺さる。それはそれだけで気持ちがいいものだ。また、ボードにしっかりと食い込むから、ボードから抜くときもちょっとコツが要ったりもする。こう、時計回しに捻って抜くんですよ、と僕は説明した。彼女らはいかにも不器用な感じに、なぜか反時計回しに捻ってボードから抜いたが、逆ですよとは言わずにほうっておいた。そこまで口出しすると野暮になるからだ。野暮、この感覚についてもちょっと偉そうに言っておこう。こんなときに「それは捻り方が逆ですよ」とか「投げ方はもっとこうですよ」とか、そういうことを言い出すと野暮になる。そういうのは聞かれたら教えればいいのであって、聞かれてもいないのにしゃしゃり出るのは野暮だ。ステキな恋愛をしたいと思う人は、この野暮という感覚を身につけなくてはならないだろう。その感覚に自信が無い人は、単に冷静に考えてみることをお勧めしたい。ここでの僕は、彼女たちに18gのダーツがダーツらしく飛んでいく、そしてボードにガツッと突き刺さる、その快感を伝えようとしただけだ。スローイングのコーチをしようとはしていない。スローイングのコーチが、一投一投にきゃあきゃあ騒いでいる彼女らに必要だろうか?その辺りの配慮が野暮を防ぐわけである。

彼女らは8ラウンドを投げきって、借りたダーツを僕に返した。

「あの、ありがとうございました」

そう言って僕にダーツを差し出したのは、二人のうち美人のほうだったのだが、その物腰は思いがけずダサかった。ダサいと言うと正確じゃないかもしれない。なんというか、その礼の言い方が場違いに丁寧なヨソ行きのもので、またいかにも気持ちがクローズしているっぽい声調で、印象としてイモっぽかったのだ(イモっぽいって死語だけど、ここでは実によく当てはまる言葉だ)。銀行の窓口でボールペンを借りたのならわかるのだけど、ここはダーツバーである。ダーツバーでそうやっておりこうさんぶるのはイモっぽい。本当に利口な人は、夜中の二時にダーツを投げたりしていないはずである。

彼女らの年齢は、まあ二十歳そこそこ、池袋の深夜にふさわしいオシャレないでたちの二人だったのだが、その振る舞いのイモっぽさに僕は「ありゃ?」という具合に驚かされた。外見と精神性は必ずしも一致しないものである。外見だけで言うなら、僕のほうが100%イモっぽかったのだ。僕はユニクロのシャツにアジアンなネックレスをしていただけ、その美人は実は安物でないと思われるデニムのミニスカートにゴールドのサンダルを履いていたのだから。

僕は東京に住みだしてかれこれ二年半になるが、まあ女性たちのおしゃれ上手なことについては脱帽である。僕の友人に足のきれいなオンナがいるが、彼女はかなりきわどいミニスカートを穿くときに、「これはブーツと合わせないと絶対にダメ」というようなことを意識する。なぜなんだと問うと、ブーツでないと足が出すぎで下品になるの、ということだった。僕は素直に、ほほーうと感心した。足見せの上品下品は、スカートの短さによるのではなく肌の露出の面積による、ということだ。それはまったく、僕などの田舎者には考えもつかない発想。試しにパンプスバージョンとブーツバージョンを見せてもらったが、確かにブーツのほうがひきしまってかわいかった。

しかしだ、そのダーツバーの美人も、カワイイ系のファッション雑誌に掲載されておかしくないようないでたち、思い切ってブリーチしてもコシを失っていないセミロングとぴっちりと体に張り付いたTシャツ、それでいてお顔のほうも濃くはないにしても感心するぐらい整っていたのだけれども、なぜ精神性はイモっぽかったのだろう。僕としては単純に不思議に思うのだ。それだけ外見が美しければ、それにともなう自信があって、その場に応じた適切な振る舞いが上手いことできそうなものなのに。もちろん、そこから先彼女として僕にからまれたくなかったのだとしても、それはそれでかわし方などいくらでもありそうなものである。例えば、「ありがとうございます、ダーツ、あたしも買っちゃおうかなぁ笑」などと言いつつ、間を外す具合にそのままお手洗いに行ってしまうとか。そういうふうに無言のコミュニケートが行われれば、お互いに気持ちのいいものなのだけれど。

先のミニスカートとブーツのバランスのこと、またそのダーツ初心者の美人のいでたちについてもそうなのだけれども、彼女らはおしゃれということに関してはものすごく洗練されている。僕の友人にパリの美術学校に留学していたやつがいるが、彼いわく「パリよりも東京のほうが、女の子は抜群におしゃれだよ」というほどであるらしいのだ。彼女らはまた、単に上品でハイソなものを目指しているのではなく、若い女性としての危なっかしいセクシャリティを前面に押し出して堂々としているのでもある。大胆かつ繊細、セクシーだけど上品、そういうバランスをきっちりやりこなしている。

僕として思うに、その大胆かつ繊細、セクシーだけど上品、そういうバランスを、精神性においてもやりこなせばそれだけでいいのじゃないか?それだけで彼女らは、僕たちザコの男どもでは近寄りがたいような、上等な女に一気に成長してしまうはずである。そして、彼女らがその気になれば、そんなものはすぐに身につけてしまうのではないかとも思うのだ。精神性をおしゃれにしよう、とマスコミの誰かが呼びかければ、本当にすぐにでも・・・。

僕はそのように思うわけだけど、とりあえずその日の彼女らはイモっぽかったのだった。まったくもったいない話だ。彼女らはテーブルでテキーラサンライズを飲みながら、男との交友関係について、ぼやきのような会話をしていたが、そこから聞こえてくる彼女たちの精神性はまったく彼女たちらしいものだった。まだ彼女らは、しばらくそのままの精神性でいくだろう。彼女たちは、なにやら色恋沙汰の状況に、常々満足していないのだというような話をしていたのだったけれども・・・。美人なのにもったいないなぁ、と僕は本気で思い、かといってどうにもできないから、あとはただダーツを投げていた。もちろん僕は、それ以上の会話を彼女たちとはしていない(お互いに動機がないからな)。クリケットは、友人(オス)に負けてしまった。そいつもド素人なのに。(納得がいかない)

というわけで、見ず知らずの女性をこきおろすような傲慢極まりない書き方になったが、とりあえずそういう体験が僕にはあったわけだった。僕はその体験を通して、精神性のおしゃれ、というようなことに思い至ったわけだ。まあ体験といっても非常にイージーなもの、こんな体験はだれでも日常的に腐るほどしていると思う。体験に気づいてない人、体験のチャンスに気づいていない人もいるかもしれないけれど、どうやらそれは各人の心の機能で、勝手に気づいてもらうしかなさそうである・・・。

・・・さて、僕はこの話の冒頭に「スタイルを変える」みたいな宣言をした。はたして、その僕なりの変化は伝わっただろうか。最近になって僕として気づいたことなのだが、ダメなものについていくら精細に描写しても意味がない、それは結局だれも勇気付けられないものだから、もっと別のやり方が必要なのだ。そこで僕は、もっと力強いシーンや威力のある考え方を示していく、というような方向に向かおうとしているわけである。さてさて、そんなことが実現できているかどうか。(まだまだ手探りです、これからもっと頑張っていきます)

ダーツバーで気持ちをクローズしている人はイモっぽかった。場違いだった、ということだな。場違いがすなわちイモっぽいというのは、そのままファンションの意味においてのおしゃれの感覚に通じるところがあるだろう。リクルートスーツにヴィトンのバッグを持っている女性がいるが、それは面接開場に入ったら、ちょっと場違いにならない?と思うような感覚である。そういうところについては、女性のほうがはるかに鋭敏。その感覚で、精神性についても考えれば物事はすごく明瞭になるような気がするのに、と僕は思っているわけである。

精神性をおしゃれにしましょう。大胆かつ繊細、セクシーだけど上品に、しかもTPOまで考えて。女性たちの得意分野です。

というわけで、なにがイモっぽいとか、どこで強引さが大事とか、徹底的に僕のセンスで話してみた。そのあたり、反発された方もいるだろう。でも、このことも最近になって気づいたのだけど、僕は僕のセンスと合わない人に物事を伝えることができないらしい。そんなことはもともと不可能であると気づいた。ので、これからももっと、自分のセンスを、決して洗練されているわけではないと知りつつ、押し出していこうかななどと思っている。

まあ話し出すときりがないな。今回はここまで・・・。あ、結局カウントアップは500点いかなかった。499点、という恥ずかしい点数が最高点だった。最後の一投で手が縮こまっちゃった。メンタル面の弱さが露見してしまったなぁ。(後ろで見ていた店員さん、大ウケだし。)





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