インド旅行記@カジュラホー
11/9
バスはカジュラホーに到着した。小さな、町とも村ともいえない集落。T字路に沿って路村が形成されており、全域を見てまわるのに1時間ぐらいか。村だと断言しにくいのは、観光地のため、みやげもの屋が林立しているからだ。
バスからおりると、「シルク、チョウコク、ノータカイ、ミルダケオーケーネ!!」が10人ぐらい寄ってくる。ノーセンキュ。この言葉、インドにいる間に何回使う事になるのだろう。物売りはおっさんと子供。女性はほとんど働いていない。黒く焼けた、陽気でかつ狡猾そうな顔。麻薬のやりすぎで歯が抜けていたり声がガラガラだったりする。強引につかまれる腕を振りほどき、連れの彼女とともに、ホテルに向かう。ホテルZenに決める。まだ新しく清潔なホテルだ。
とりあえず部屋に入り、扇風機を回して、ベッドに寝転がる。バスでのダメージを癒すのだ。この部屋は清潔で、蚊もいないから快適だ。と思っていたら、扇風機が止まった。部屋の明かりも消えた。あれー、と思って、フロントに文句を言いに行く。すると、発電所の都合による計画停電で、毎日この時間帯は停電らしい。なるほど、だから部屋にロウソクがおいてあるのか・・・・・。
真っ暗な部屋にこもっているのもつまらないので、外に出る。まだ日が暮れるにはしばらくある。もう晩飯を食いに行ってしまうか。ホテルのおやじさんがすすめる、ブルースカイレストランというところに行く。歩いて15分ぐらい。途中でまたみやげもの屋の売り口上を聞く。あまりにおもろいおっさんだったので、しょーもないキーホルダーを一つ買ってやる。15ルピー、40円。そのおっさんは40円で本当に嬉しそうになる。あまり上品な喜び方ではなく、「うっひっひ」という感じの下卑た喜びである。だが本気で喜んでいる事には間違いない。ショップに引き込もうとする子供の客引きやボッタクリ兄ちゃんを振り切り、歩きつづける。砂埃が舞い、夕日が顔をじりじりと焼く。自然に、目を細め、眉間に力が入る。だからだろうか、この光るインドの風景に、彫り深く険しい顔をしたインド人の顔が、よく馴染んでいる。
ブルースカイレストランに到着。レストランは階段を上って2階だ。レストランといっても、ドアを開けて入るタイプのレストランとなると、かなり高級な部類に入る。普通は開け放しの空間にテーブルと椅子がところ狭しと並べられているだけ。ブルースカイは、ドアこそ無いものの、テーブルとテーブルはかなりゆとりを持って置かれており、完全に外国人観光客向けの、まあレストランと呼べるレストランだ。ただし、その名のとおり、青天井。
ベジタブル・チョオメンを注文。35ルピーほど。注文をとりにくるウェイターも例外なくインド人なので、陽気だ。メニューをもってきては、人の肩をバンと叩いていく。全部で30席ぐらいしかないこの空間に、10人以上の西洋人がいて、聞こえてくるのは英語ばかりだ。パンクな風貌をしたアメリカ系白人のお姉さんはノーブラのノースリーブだし、レゲエな兄ちゃんは明らかにドラッグを嗜んでいらっしゃる。いかにもフリーダムなああいう集団は、ちょっち苦手だ。いいだろ、オレの自由だ。それよりは狡猾で陽気なインド人のほうが親近感を持てる。
ベジ・チョオメンは、野菜やきそばであり、それは日本のそれとさして変わらない。ただやはりナゾのスパイスは聞いているし、結構油っぽい。使われている野菜はキャベツが多いかな。レストランではちゃんとフォークを出してくれる。インドでは手で食べる、という話がよく出るが、ツーリストがそれを強制される事は無いし、インド人でも、レストランではフォークを使う事が多いようだ。左手は不浄の手とされて、食事や握手にはつかわないと言われるが、実際には誰も気にしていない。サンドイッチを左手で持っている人もいるし、二人が肩を組めば、一方が左手を使うのはやむをえない事だ。もちろん、手で食べる風景はしょっちゅう見る。それはインドの風景にマッチしていて、いいものだ。チャパティー(平焼きパン)を片手で鮮やかにちぎり、カレーを手ですくって口に流し込むワザは、イタリア人のフォークさばきに匹敵する美しさがある。
食べ終わると、インド人の兄ちゃんが寄ってきた。しばらくチャットになる。彼の名はDeepak、このレストランのウェイターをしており、日本語が非常に上手だった。もともと日本人向けツアーのガイドをやっていたらしく、そこで日本語を勉強したらしい。今は、地方新聞の記者、ジャーナリストをやっている。大学にも通っていて、ここカジュラホーの歴史に精通していた。インドの大学は、日本とはシステムが違うようで、ほとんどの人が、働きながら、聴講生のようなスタンスで勉強している。働かずに通学だけで生きてはいけない人がほとんどなのだ。
日本語で会話できるため、非常に助かった。ディーパックは、カジュラホーの寺院の詳細を教えてくれた。ここカジュラホーは、寺院群の彫刻像で有名である。何十もある寺院の外壁が、全面、エロティックな彫刻像で覆われているのだ。私は明日にその寺院群を見学に行くつもりだったので、なぜそのような寺院ができたのかを尋ねた。
インドの宗教、ヒンドゥー教には、たくさんの神々が登場するが、その中で一番有名なのがシヴァ神、次に重要なのがヴィシュヌ神である。そしてこの二人の上にはブラフマン(日本では梵天とよばれる。仏教用語。実際の発音はブラフマーのほうが近い)という、姿の無い神々のボスがいて、この3人が三角形をつくっているのだ。まずブラフマンが命なり魂なりのすべてをつかさどっており、そのブラフマンからもらった命を、ヴィシュヌが世に送り込む。ヴィシュヌは創造神なのだ。そして、その被造物を、破壊神シヴァが破壊する。命はまたブラフマンのところに戻る。そういうふうに、この世界はできているのだ、と説明される。そのシヴァの奥さんがパールヴァティー(ドゥルガー、またはカーリーの姿をとることもある)、その子供が象の首を持つガネーシャ。ヴィシュヌの奥さんがラクシュミー、そのほか猿の将軍ハヌマーン、将軍クリシュナなどが神話に登場し、人気(?)を集めている。
カジュラホーの寺院の伝えることは、こうだ。神話によると、あるとき、シヴァが瞑想に入って、目を覚まさなくなったことがあった。そのため、世界を形成する創造と破壊のシステムがストップし、神々は困り果ててしまった。みなシヴァの目を覚まそうと手を尽くしたが、瞑想は深く、いかなる方法も通用しなかった。また、破壊神シヴァはおそろしいパワーを持つ神であり、みなびびっていたのだ。お手上げになったところに、愛の神カーマが登場する。カーマ・スートラという書をご存知だろうか。性技のノウハウをリアルにかつ神秘的に書いた、インド古来の書である。そのカーマは、愛とセックスをつかさどる神で、神々の依頼をうけたカーマは、その薔薇の矢で、シヴァ神を射たのだ(薔薇の矢は、しばしば露骨に陰茎の矢として描写される)。いかなる方法でも目を覚まさなかったシヴァはついに目を覚まし、その第三の目から出た炎で、カーマを焼き殺してしまった。しかし、シヴァの目を覚まさせた愛の力、セックスの力は偉大であり、セックスは、神に近づくためのコンセントレーションを得るヨガの一つでもあるのだ・・・・・
だから、カジュラホーの寺院には、露骨にセックスを描写した彫刻があり、神殿を取り囲んでいるのだ。
話をしている間に日は没し、しばらくすると、二つある寺院群の一方である西寺院群がライトアップされた。聞き取りにくいアナウンスがながれ、各寺院が色とりどりの光に映し出される。きれいなのだが、そのライトの色が、なんとも単純で軽薄な色なので、インドらしいなー、と笑えてしまう。インド人は、ハデハデが大好きで、ブッダの絵にネオンサインの後光をつけたりする。神々しさ、という感覚がまったく違うのだ。なんやかやと話している間に、二人でウイスキーのジンジャエール割りを飲んでいる。インドでは、基本的にお酒は禁止である。レストランなどで飲む場合はいいし、製造販売が違法なわけではないが、飲む場所(特に酒屋はダメらしい)によっては罰金、最悪国外退去。電車のチケットの裏にも、「アルコールは人間をこわすのでやめましょう」という公共広告が入っているし、ビールなども、ウェイターがわりとこっそり持ってきて、コップをペーパーでくるんだりする。値段も、インドではかなり高いものになる。ビール1本が200円くらいするのだ。結局、マリファナと大麻の方が世間的に認可されているし、値段も庶民的だ。そういう国なのだ。まあ、旅行者がレストランでウイスキーを飲んでも何の問題も無い。ディーパックも酔っ払っている。なにやら注文していないタダ飯も色々と食べさせてもらった。
ディーパックは、いつも外国人観光客に、「シルクの相場はいくらぐらいか」などときかれて、うんざりしているらしい。彼いわく、インド人でも、初めての土地に行って、知らないものを買うときは、ぼったくられるものらしい。どんなものであれ、自分の目で見て、自分で判断して、交渉するんだ、それがインドのルールなんだと言う。私もまったくそのとおりだと思った。日本人は穏やかで、人を疑う事を嫌うため、インド人からすれば、よいターゲットになっている。そのため、インドで会う日本人は、とにかくだまされないように、インド人に負けないように必死になっているし、いつもインド人をやっつけた話をして盛り上がっている。私は、ディーパックの言いたいことが分かるので、「日本人は、インドがどういう国か、ガイドブックを読んで知っているはずなのに、わざわざインドまで来ては、だまされたーだのインド人は信用できないーだのインドは最悪だーだの、文句を言っている。インドのルールがいやなら、インドに来なければいいのにと思う」と言った。ディーパックはやけに喜んでくれ、ウイスキーはもう一本注文された。
飲み代はワリカン。かなり夜遅くなった。インドで初のロングチャット、初ほろ酔い。気持ちよく夜風を浴びながらホテルにむかう。
11/10
今日は、朝から寺院群を見に行く。ガイドブックにかかれているように、レンタサイクルを調達して、西寺院群へいく。ぬけるような青空、乗りにくい自転車、あらためて道路がでこぼこであることに気づく。ふらつく自転車にからかいの声を浴びながら、T字路を右折。寺院群の入り口、脇に自転車を止める。入場料は、外人料金10ドル。
敷地は、300メートル四方ぐらいか。メインとなる寺院が6つ7つあるようだ。その寺院の周りの外壁は、強い日光を浴びてくっきりとした影を落としている。複数の男女が性交している像、腰をくねらせて立つ裸体の女性像、口づけをかわす男女の像、何百何千という彫刻が、寺院を取り巻いている。一つ一つの彫刻のクオリティも手抜き無し。敷地内は基本的に芝生の緑色で、ブーゲンビリアのショッキングピンクが目立つ。アオイソラとオヒサマの健康的なインドの午前に、この彫刻群を見ていると、現実から遊離したような気持ちになる。神殿の中は、石造りで、暗く、ひんやりした空間。仏壇、ではない、シヴァ壇が、差し込む光できらきらと輝いている。ちょっと、カメラを向けにくい雰囲気。
あらかたの寺院を回り、ちょっと芝生でくつろぐ。日差しは強いものの、木陰に入ると、湿度の無い空気が吹き抜けて快適だ。今はちょうど冬の始まり、そろそろ夜用に長袖を用意したい時期である。寝転んで、ぐーっと背伸びをする。すぐそこに、野性のリスも一緒に涼をとっている。通りすがりのインド人がハロー、ジャパニー?と笑いかけてくる。ナマステー。
そろそろいくか。あれ。
自転車のカギを無くした・・・・・。
もう、自分のこういうパターンにはイヤ気がさしてくる。でも、もう24年間もこれでやってきたんだから、今さら落ち込んでもしょうがない。さて、レンタサイクル屋に歩いて戻る。もう、逆ギレ的な陽気さでいく。自転車屋では修理代を100円ほど取られた。くそー。もう改めて次の自転車も借りる気にならないので、東の寺院にいくのはやめた。しばらくホテルの部屋ですねることにする。うじうじ。
チャイなどしばき、その辺のショップを冷やかして歩いて、夕方には再びブルースカイホテルに行く。さっそくディーパックも寄ってくる。今日は、別のインド人も紹介された。オオタケマコトとカトチャンだ、と紹介された彼らを見ると、なるほど、似ている。どこかの日本人がそう名づけていったのだろう。確かに似てるよ、ジャパニーズタレントだ、と言うと、喜んでいた。
もう今日は初めから宴会だった。初めからウイスキーを頼む。人数も大勢だ。カトちゃんも結構日本語が話せる。途中で、カジュラホーに4日間滞在しているという日本人の男も加わり、ちょっとパーティーみたいになる。インド人の高校生が私の右にいて、彼はもう一方の日本人に話をしていた。「お前はこれからバラナシにいくのか。電車か、バスか、飛行機か、歩いてか」と言ったところで私は「歩いていったら彼はサドゥー(苦行者)だ」と笑った。そいつも笑う。高校生は私に向かって「OK、もうインドがどうとか日本がどうとか、そんな話はたくさんだ。ここはもうインドなんだし、日本の話をしてたらここは日本になってしまう。ここにはお前とオレがいる、お前の未来とオレの未来のことを話そう」とテンション高く言う。「お前の夢はなんだ」と問われて、私は「私の父は住職だ。だから、立派な僧になる。そのためには、人より勉強し、人より苦しまなくてはならない」と答えた。その高校生は、「オレはバラモン(カーストの最高身分)だから、学校の先生になる」と言う。
このときに思ったが、やはり、お前の夢は、と問われて、答えられなかったらかっこわるい。インドの人は、99パーセント日本人より貧しく、99.9パーセント、日本人より選択肢が少ない。生まれながらにカーストに縛られているから、ごみ拾いの子はごみ拾い、リクシャーワーラーの子はリクシャーワーラーというのが現実なのだ。その中でも、学校に行きたいとか、結婚したいとか、何かしらの夢を、ささやかな夢を、強く持っている。これは、日本人が思い出さなくてはならないことの一つだろう。世の中に絶対はないというものの、夢を持って生きる、それはかなり、絶対いいことだと思われる。私はとっさに坊主になると答えたが、これは実のところ私の中で燃え上がっている夢ではない。でも、とりあえず答えることがあってよかったと思う。
宴は盛り上がり、ディーパックは、「寝るのは死ぬのと一緒。だから、毎日死ぬ。明日は新しい人生が始まる。だから、今は今のことだけ考える」と言う。確かに、インドの人はそうだ。刹那的なわけではなく、その場で燃焼しようとする。タイミングを計ろうとはしない。そのへん、社会の発展をさまたげる思想(貯蓄とか投資とかをしない)ではあるものの、インド人の陽気をうみだす根源であるように思った。調子よく威張っていたディーパックが、吸っているタバコを隠した。親が通りかかったらしい。「インドでは、タバコは何歳から吸っていいの」「インドでは、何歳でも、親の前で吸ってはいけない」とさ。「どこにいっても、リクシャーとの交渉が大変だ」「インド人が、日本人から1万ルピーとったって、金持ちにはなれないさ。リクシャーのおっさんも、自分の子供にアイスクリームを買ってやりたいだけだよ」「日本人は、仏教徒なのか」「いや、日本人は、神様を感じるけど、それに名前をつけないんだ。神様の名前も姿も知らないけど、悪い事すると報いがあるということ、死んでからは想像のつかない世界に行くということだけは知ってるんだ」「どんなことをする時でも、大事なのは内容じゃなくて、集中する事だな」「そう。そうすればすべてのことがBase of successになるのさ」
帰りは、ディーパックのバイクに3人乗りして送ってもらう。とちゅうで悪ガキ連中にあって、また足止めを食う。なにやら、用事があるのか、カトちゃんと悪ガキらは、いったん建物の中に入った。しばし静かに、二人の間に夜風が吹く。空は暗いが、砂ぼこりで星は見えないのがインドの夜。ディーパックは遠くを見ながら言った。「今日は面白かったから、よく眠れそうだ」「明日はあたらしい一日、だな」「ああ。でも、最近は、飲まないと寝られないんだ。3ヶ月前に彼女と別れてからね」「そのへんは、どこでも一緒だな。ディーパック、そのことも、お前のBase of successになってるさ」
最後に、二人で写真をとった。
今日も夜遅くなった。明日は、朝が早い。少しだけでも寝なくてはな。布団に入ると、すぐに眠気が来た。ぼんやりと心に残ったこと。そうか、集中と、Base of success、か・・・・・
[インド旅行記@カジュラホー/了]
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