第七講 感じる /Quali,恋愛レクチャー集
問1.直接感覚
あなたの手の甲に、つまようじの先を押し付けました。あなたはこれを感じますか。答えなさい。
×誤答例
・感じない。痛いだけ。
○正答例
・感じる。「痛み」を感じる。
■解説
「感じる」というのは、何も上等な感覚に限定されません。冷水は冷たいと感じ、熱水は熱いと感じます。単なる身体の機能です。
問2.間接感覚
あなたは翌日の仕事が憂鬱でした。が、外を散歩すると憂鬱が消えました。憂鬱はどうなりましたか。答えなさい。
×誤答例
・気持ちが前向きになったので憂鬱は消えた。
○正答例
・直接感覚が優位になり、間接感覚が劣位になった。
■解説
喜怒哀楽や、憂鬱、不安、喜び、恐怖など、これらは「情緒」と呼ばれるものです。人は情緒を「感じる」ということができますが、これはつまようじのように肌に刺さったりはしません。
では何をもって「感じて」いるのでしょうか。
これらを「感じる」には、ある仕組みを経由する機序があるのですが、とりあえずこれを本レクチャーでは「間接感覚」と呼びます。
それだけ覚えて、先に進んでください。
問3.情緒の具体化
つり橋効果というのがあります。「つり橋の上で心拍数を高めた二人が出会うと、心拍数を好意と誤解して互いに特別な好感を覚える」という現象です。これについて、[情緒、具体化]という言葉を用いて説明しなさい。
×誤答例
・人の心はだまされやすい。
○正答例
・「好き」という情緒は、「ドキドキする」という具体化を経て感じ取られる。
■解説
精神には「感じる」という能力がないのです。「感じる」は身体にのみある機能です。
ですから精神は、情緒をまず、身体に輸出します。輸出された情緒は身体にさまざまな変化を与えます。
怒り=「腹が立つ」
喜び=「舞い上がる」「上気する」
嫌悪=「身の毛もよだつ」「虫唾が走る」
卑下=「肩身が狭い」
などです。
こうして与えられた身体の変化・状態を、これは身体ですから、「感じる」ことができます。
これを本レクチャーでは「情緒の具体化」と呼びます。精神が情緒を感じているのではなく、実は一度「具体化」を通して、身体で感じ取っているのです。
「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」という、心理学の有名な言があります。これをジェームス・ランゲ説と言います。
▼復習ポイント
身体に輸出され、具体化されてから、「感じる」。だから間接感覚と呼びます。
問4.情緒の具体化2
A子さんは自己卑下の感情が強く、普段からイライラしやすいタイプです。A子さんは情緒が豊かですか。答えなさい。
×誤答例
・情緒が豊か過ぎて逆に苦しむタイプ。もっと気楽になったほうがいい。
○正答例
・情緒の具体化が「偏って」いるので、豊かとはいえない。
■解説
身体の動作というのは、いわゆる「クセ」を形成します。貧乏ゆすりや咳払い、ペンを持つとペン回しをしてしまうというように。
情緒の具体化も身体の動作のひとつですから、ある特定の動作が「クセ」になることがあります。それはクセですので、「そうしていると落ち着く」という側面を持っています。A子さんは自分を暗くする情緒の具体化を身体のクセにしており、またそれで落ち着くところがあるのです。
問5.情緒の具体化3
B子さんは明るく元気なタイプで、よく笑います。B子さんは情緒が豊かですか。答えなさい。
×誤答例
・いいほうの情緒が豊かで、人に好かれるタイプ。
○正答例
・情緒の具体化が「偏って」いるので、豊かとはいえない。
■解説
それがいわゆる「暗い」「明るい」のいずれであっても、具体化の偏り=身体のクセになっているものは、情緒の豊かさとはいえません。
情緒が豊かな人とは、情緒の具体化に偏りやクセを持っておらず、のびやかである人のことを言います。
問6.情緒の具体化4
「怒り」の情緒が具体化するとき、首から上・首から下にそれぞれ具体化することを示す慣用句を示しなさい。
×誤答例
・首から上は頭をかきむしる。首から下は地面を蹴りつける。
○正答例
・「頭に来る」と「腹が立つ」。
■解説
情緒が具体化されるとき、それが頭部にくるか胴体にくるかという違いがあります。「頭に来る」という慣用句は、まさにその情緒の具体化の一例を指し示しています。
これらの慣用句は「なんとなく」でそう言われているのではないのです。本当に、「頭」に「来る」のです。
「頭に来た」人は、苛立ち、凶暴な顔つきになるでしょう。「腹が立った」人は、逆に静かになり、顔つきは整いますが、目に怒りの炎が宿ります。
▼復習ポイント
情緒が、まるで分波器にかけられたように、頭部にいったり胴体にいったりする、この不思議な現象をわれわれは実際しているのだということを観察してください。
そして、頭部に具体化されるものには、デメリットが多い、と覚えておきましょう。
問7.情緒の思念化
「頭にきた」A子さんは、「マジありえないんだけど」と声を荒げました。[思念]という言葉を使い、A子さんの情緒の成り行きを説明しなさい。
×誤答例
・A子さんはついに堪忍袋の緒が切れた。
○正答例
・情緒が頭部に具体化され、活性化した頭部は「思念」を起こした。
■解説
思念とは「思う」ということです。そして「思う」の機能は人間の頭部にあります。
「腹が立つ」という状態では、人はそこから思念を紡ぎません。ただ「腹が立つ」と、怒りの情緒を噛み締めています。
「頭に来た」場合、刺激された頭は自動的に思念を生み、A子さんは何かを強く「思う」ことになります。そしてA子さんは、「あのような人間存在はありえてはならない」と強く「思った」のです。
問8.情緒の思念化2
意図的にでも笑顔を作ると「楽しい」という情緒が得られます。これに付随する副作用を述べなさい。
×誤答例
・作り笑顔はどうかと思う。
○正答例
・頭部を操作しているので、「思念」が発生してしまう。
■解説
そんなまさか、と思われるかもしれませんが、丸暗記してください。顔・頭部が動く、あるいは頭部の筋肉が緊張するとき、人は情緒だけでなく思念を作ってしまうのです。
この例題の場合は、「楽しくなくちゃ(と思う)」や「こういうのって楽しい(と思う)」などです。この現象を本レクチャーでは情緒の「思念化」と呼びます。
誰も「思念」を持ちたいなんて思っていないのに、勝手に持ってしまうのです。
問9.まとめ1
以下の空欄を埋めなさい。
「感じる」という機能は( )にあり、( )にはない。したがい情緒を「感じる」というとき、それは情緒の( )という機序を経る必要がある。この機序が頭部に起こるときと胴体に起こるときとがあり、たとえば「怒り」の情緒がそれぞれに反映されることを慣用句は「( )」「( )」と言い表している。胴体に繁栄されたときは情緒を感じることになるが、頭部に反映されたときはそこに( )を副産物として生じる。これを情緒の( )という。また情緒が一番反映されやすい人体の筋肉は( )であるが、これを英語で( )マッスルという。ものまねする筋肉、という意味である。つまり、ものまねをすることで、情緒のみならず( )も複製することになりかねないので、人はこの筋肉が偏らないよう注意せねばならない。
○解答
「感じる」という機能は(身体)にあり、(精神)にはない。したがい情緒を「感じる」というとき、それは情緒の(具体化)という機序を経る必要がある。この機序が頭部に起こるときと胴体に起こるときとがあり、たとえば「怒り」の情緒がそれぞれに反映されることを慣用句は「(頭に来る)」「(腹が立つ)」と言い表している。胴体に繁栄されたときは情緒を感じることになるが、頭部に反映されたときはそこに(思念)を副産物として生じる。これを情緒の(思念化)という。また情緒が一番反映されやすい人体の筋肉は(表情筋)であるが、これを英語で(ミミック)マッスルという。ものまねする筋肉、という意味である。つまり、ものまねをすることで、情緒のみならず(思念)も複製することになりかねないので、人はこの筋肉が偏らないよう注意せねばならない。
■解説
人に笑顔を向けられると、こちらもつい笑顔になります。だからミミック・マッスルです。
笑顔を向けられて、こちらもそれを複製してしまい……「楽しい」という情緒を得ます。これはまるでよいことのように思えますが、副作用に注意を払わねばなりません。セールス・マンなどの、よく作られた笑顔をイメージしてください。そこに思念が乗っかっていることに、あなたは気づかれると思います。
人は本当に、笑顔ならなんでも好きでしょうか。笑顔の「楽しい」なら本当に全てを満たすでしょうか。これまでの名画の天才たちは、なぜ人の「微笑み」を描く程度にそれを留めたのでしょうか。マリア像にせよ仏像にせよ、それは「微笑み」に留められています。優秀なビジネス・マンの笑顔が強力な「感じの良さ」を与えたとして、あなたはそれを写真に撮って部屋に飾ろうとは思わない、ということに気づいてください。
それに比べて、野良猫であれ飼い猫であれ、ネコたちはずいぶん無表情です。けれどもあなたは、ときにその顔をかわいいと見て写真に撮りますし、ネコたちと見つめあう瞬間が好きです。ネコたちは、ケンカするときを除いては、常に顔面を無表情にしていますが、そのネコたちについて情緒が薄いなどと思う人は誰もいません。その情緒は、ひょっとすると人間などより深いかもしれないと思わせます。
情緒の具体化は、多く顔面の表情筋に起こりやすい。けれどもあなたが求めている真の「情緒」は、その具体化を胴体のほうに導く必要があります。「身をもって感じる」というとき、その「身」は胴体のことを指しているのです。
問10.直接感覚と間接感覚の拮抗
普段着で高級フレンチに連れていかれましたが、味がしませんでした。ここにある直接感覚と間接感覚の拮抗について説明しなさい。
×誤答例
・ムードによって食事の味は変わる。
○正答例
・普段着のせいで「肩身が狭い」という情緒が感じられた。この情緒(間接感覚)が優勢になり、味(直接感覚)は阻害された。
■解説
一般に、間接感覚は直接感覚を阻害します。「感じる」という機能は身体にしかないのですが、身体が間接感覚に忙しいとき、直接感覚を受け取る余裕を失います。
第八講では、人同士の「関係」を扱いますが、互いに「感じる」ということで関係を作ろうとするとき、多く間接感覚がその関係生育を阻害するのです。そのことはまた次の講で詳しく述べられます。
スリ師の技術は、この感覚阻害を利用しています。彼はまず人にドンとぶつかって、そのスキに財布を抜き取ってしまいます。ドンとぶつかられるとムカッときますね。そうして情緒(間接感覚)が忙しくなった瞬間に財布を抜き取りますので、その抜き取られている直接感覚は感じ取られる余裕がないのです。あくまでショーとして、これを実演できる手品師もいます。
問11.直接感覚と間接感覚の拮抗2
「どうせわたしなんて」と、顔をしかめて取り乱している女の頬を、男が強く打ちました。彼女は驚きましたが、しばらくして、「目が覚めたわ」と言いました。このようなことがなぜありえるか説明しなさい。
×誤答例
・ちゃんとしないといけないと本気で思ったから。
○正答例
・打撃による直接感覚の脅威が、思念化した情緒の脅威を上回ったから。
■解説
将来のことが不安に思えて……という人も、仮に虫歯が強烈に痛み出したなら、それどころではなくなってしまいます。それと同じです。直接感覚が強烈に与えられているとき、逆に間接感覚(およびその思念)が阻害され、いったん追い出されるということが起こります。ストレス解消に大きな音量で音楽を聞くという人も、まず鼓膜に音という直接感覚を強く与えることで、やっかいな情緒と思念を一旦追い出すということをしています。
ただし、この例題にあるようなことが実際に起こるとき、その打撃はテレビドラマにあるような穏やかなものではありません。本当に強烈でなければ、その種の「吹き飛ばし」のようなことは起きない。本レクチャーで申し上げることではありませんが、やましい心で真似するようなことではありません。その打撃は、はっきり言えば犯罪として成立するに十分な威力のものです。
また一部の人が、性交の技法として「痛み」を取り入れることがあります。これは直接感覚を強く持ち込むことで、偏った情緒や思念、いわば「雑念」を吹き払い、性交そのものの直接感覚に没頭しようとする方法です。目の前のもの、今そこにあるものだけに没頭したいと、そういう人は望んでいるのです。
問12.情緒の自給自足
情緒を「感じる」という仕組みに基づき、情緒を自給自足する方法を示しなさい。
×誤答例
・いろんなことについて自分で積極的に考えるようにする。
○正答例
・ある情緒を思念し、その情緒の表情を自分で作る。
■解説
たとえば「かわいそう」という情緒があります。これを「思念」する、つまり「思って」みましょう。
あなたの価値観と常識において、たとえば戦争孤児は「かわいそう」なはずです。けれどもそれはまだ、「かわいそう」という「判断」にすぎません。そこで次に、「かわいそう」の表情を作ってみてください。誰でもできると思います。表情を作れば、ただちにその情緒も得られましたね。
あなたは、戦争孤児は「かわいそう」という価値観から、「かわいそうに思う」という行為をし、その情緒も得ました。これを本レクチャーでは情緒の「自給自足」と言います。
勇気をもって言いましょう。あなたは、一部の慈善家がじっさい、戦争孤児について「かわいそう」に語り、その表情と声を涙に震わせるようなところを、見たことがあるはずです。そしてそれについて、これは自己陶酔で、「一種のオナニーだ」と直感したのではないでしょうか。それがオナニーだというのは、自給自足しているという点でまったく正しいのです。手淫としてのオナニーは、直接感覚の自給自足ですが、情緒のオナニーはそれが間接感覚になったに過ぎません。
問13.活動と経験
A子さんは、「男性は女性にやさしくするべき」と思っています。B男さんはそれを受けて、A子さんにやさしくしました。A子さんはB男さんを「いい人」と思いました。
一方C子さんは、恋愛について特に何も思っていません。が、D男さんにやさしくされて、それに感激し、「男性は女性にやさしくするべき」と思いました。
A子さんとC子さんのそれぞれの営みを対比的に説明しなさい。
×誤答例
・A子さんは積極的で、C子さんは受け身。C子さんは運がよかった。
○正答例
・A子さんは「活動」をし、C子さんは「経験」をした。
■解説
「価値観」という語を注視してください。価値観は、思念の土台です。A子さんはその土台によって、「男性は女性にやさしくするべき」だと思っています。
A子さんの営みは、「価値観を具体的になぞっている」と言えます。やさしくされるべき、という価値観が、具体的に実現されたので、それを良しとし、またB男さんも価値観において肯定しています。こうして「価値観を具体的になぞる、実現する」という営みを、「活動」といいます。
いっぽうC子さんのほうには、なぞるべき価値観が先にありません。ただD男さんのやさしさを「感じて」、そこから新しく価値観を手に入れています。こうして「感じる」ことから価値観を新しく得る営みを「経験」といいます。
A子さんのしているのは、男女交際という「活動」です。C子さんのほうは「恋愛」という「経験」です。
「価値観」が先にあるとき、「感じる」という機能は活躍しないことを発見してください。新しく価値観を得るために人は「感じる」のであって、価値観が先にあるとき、「感じる」という機能には用事が無いのです。
▼復習ポイント
子供が「感じる」という機能を豊かにし、「経験」の喜びを日々味わっていることにつなげて理解してください。あなたの「価値観」はあなたを感じない人に仕立て、あなたから経験の機会を奪います。
問14.「感じる」のデメリット
E男さんは、不良にからまれて、軽く小突かれると、ペコペコ謝りました。あなたはE男さんに軽蔑を覚えました。あなたはE男さんの何を軽蔑しましたか。答えなさい。
×誤答例
・ペコペコするのがカッコ悪いから。価値観に反するから。
○正答例
・痛みを「感じる」ことを恐れ、「経験」から逃げたから。
■解説
「感じる」ということには、明白なデメリットがあります。それは、自分が「脅かされる」ということです。
「感じる」ことで、人は新しい価値観を得、それを「経験」として喜びにします。けれども、価値観がすでに先にある場合、新しいそれは旧来のそれに対して脅威になります。自分が「脅かされる」。
自分の価値観を守るためには、「経験」および「感じる」を避けるしかないのですが、人はそこを避けた者を、なぜかしら根本的に「弱い」と感じ、本能的に軽蔑します。その理由については、深く掘り下げる必要は、もう無いと思われるので、本レクチャーでは追及しません。
E男さんが、ケンカに弱いことや、謝罪で済ませる態度が、あなたの軽蔑を買うのではありません。彼がなんとしてもそこに「経験」が起こるのを避け、「感じる」をひた隠しにし、自分の甘えている価値観だけを守ったことを、「弱い」とあなたは軽蔑しているのです。
問15.「感じる」のデメリット2
Fさんは諸活動に熱心ですが、「恋愛には興味ないかな、他にやりたいことあるし」「そこは人それぞれの勝手でしょ」と言います。あなたは彼女を尊敬できません。理由を説明しなさい。
×誤答例
・何事も本気でやっているように見えないから。
○正答例
・価値観において活動し、経験を得ることは避けているから。
■解説
仕組みは先述のとおりです。Fさんは意欲的に見えますが、勇敢ではない、とあなたは本能的に看破します。
Fさんの強固な価値観の保持を見て、またそれが保持されるうちFさんが「脅かされる」ことがないことを確認してください。
問16.「感じる」のデメリット3
あなたは手の甲に、つまようじの先を強く押し当てられました。あなたは痛みを感じます。
ではあなたは、「強くあろう」とするとき、どうすればよいのでしょうか? 答えなさい。
×誤答例
・痛いよ! とはっきり文句を言ってやる。
○正答例
・穏やかに、相手の目をじっと見る。
■解説
「○○がる」、という言い方があります。「痛がる」「怖がる」「嫌がる」「ウザがる」、あるいは「うれしがる」など。これは与えられた感覚や情緒について、意志表示の行動をすることです。人は自分で受け止めきれないものを与えられたとき、その「○○がる」で対処しようとします。誤答例が「痛がって」いるのを確認してください。また、問14のE男さんが「怖がって」いること、問15のFさんも、うっすら「怖がって」いることを確認してください。
……「感じる」ということには、明白なデメリットがあると言いました。自分が「脅かされる」と。であれば、われわれが覚悟しなくてはいけないのは、「感じる」ということは、基本的に不都合であり、「痛み」なのだということです。
「感じる」ということにはもちろん、快・不快はあるでしょう。けれども、快であるものについては、われわれはそれを避ける理由をもちません。避ける理由があるとすれば、必ずそこに何かしら痛みが伴っているからに違いない。
「痛みをまるで恐れない自分」、これを想像してみてください。手の甲につまようじを強く押し当てられる。痛みが走りますが、「どうしたの、わたしを痛くしたいの?」と、むしろあなたはやさしく彼を見る。そのような自分であれば、人を感じるということ、人と感じあうということが、確かに出来ると、あなた自身に予感されてきませんか。
「感じる」ということをするには、賢くあっても無力なのです。賢くあればあるほどむしろ、その痛みを避ける上手な言い訳を見つけてしまいます。
「感じる」ためには、むしろ愚かなほどに、勇敢であるしかないのです。受けて立ちましょう。価値観など心当たりをなくして! いろいろなことがありますが、どうか「嫌がら」ないで!
問17.まとめ2
以下の空欄を埋め、選択肢は正しいものを選びなさい。
一般に間接感覚は直接感覚を( )する。人同士が感じあおうとするとき、情緒の(1.発生 2.持ち込み)があると、それが彼の(1.精神 2.身体)の「感じる」機能を忙殺してしまうのである。逆に、強力な直接感覚が間接感覚を(1.促進する 2.吹き飛ばす)こともある。よく女性が、「ちょっと強引なぐらいの男性がいい」と言うことがあるが、それは男性が彼女に直接感覚をもってはたらきかけ、彼女を偏った情緒や( )の状態から引き戻す存在であってほしいということである。
われわれは結局、人生を( )すべきだ。「感じる」ことで、新しい( )を得て、それを喜びとする。これが逆転し、先に( )があり、それを(1.具体的 2.抽象的)になぞっていくだけでは、これは人生の大半が( )に費やされてしまう。けれどもわれわれが人生を振り返り、心から喜びをもって、「こういうことがあってね」と語るとき、それは決まって自分がまだ( )に固まっていなかったころの( )の話だ。
「感じる」ということには、デメリットがある。それは、自分が「( )」ということだ。それは旧来・現在の自分に対して、けっきょく破壊的に作用してしまう。新しい( )が得られるというのは、そういうことだ。それでも、( )を避ける者を、人は「弱い」と本能的に軽蔑してしまうからには、われわれの行く道はそこにしかない。「感じる」というのはつまり(1.得 2.痛み)なのだ。これに立ち向かうには、( )あってもだめで、愚かしいほど( )であるしかない。
そうでなくては、ついに寂しすぎる。いや……なるほど、それを避けてまわっても、情緒を(1.購入 2.自作)することはできる。( )を土台に、情緒を( )し、その情緒の( )を、自分で作ればよい。そうすれば情緒はたしかに得られる。けれどもそれは、情緒の( )だ。人と交わったものではない。ああ、わたしは全てのことについて、いちいち( )のをやめよう。( )になど、わたしは心当たりが無いのだ。
○解答
一般に間接感覚は直接感覚を(阻害)する。人同士が感じあおうとするとき、情緒の(持ち込み)があると、それが彼の(身体)の「感じる」機能を忙殺してしまうのである。逆に、強力な直接感覚が間接感覚を(吹き飛ばす)こともある。よく女性が、「ちょっと強引なぐらいの男性がいい」と言うことがあるが、それは男性が彼女に直接感覚をもってはたらきかけ、彼女を偏った情緒や(思念)の状態から引き戻す存在であってほしいということである。
われわれは結局、人生を(経験)すべきだ。「感じる」ことで、新しい(価値観)を得て、それを喜びとする。これが逆転し、先に(価値観)があり、それを(具体的)になぞっていくだけでは、これは人生の大半が(活動)に費やされてしまう。けれどもわれわれが人生を振り返り、心から喜びをもって、「こういうことがあってね」と語るとき、それは決まって自分がまだ(価値観)に固まっていなかったころの(経験)の話だ。
「感じる」ということには、デメリットがある。それは、自分が「(脅かされる)」ということだ。それは旧来・現在の自分に対して、けっきょく破壊的に作用してしまう。新しい(価値観)が得られるというのは、そういうことだ。それでも、(経験)を避ける者を、人は「弱い」と本能的に軽蔑してしまうからには、われわれの行く道はそこにしかない。「感じる」というのはつまり(痛み)なのだ。これに立ち向かうには、(賢く)あってもだめで、愚かしいほど(勇敢)であるしかない。
そうでなくては、ついに寂しすぎる。いや……なるほど、それを避けてまわっても、情緒を(自作)することはできる。(価値観)を土台に、情緒を(思念)し、その情緒の(表情)を、自分で作ればよい。そうすれば情緒はたしかに得られる。けれどもそれは、情緒の(自給自足)だ。人と交わったものではない。ああ、わたしは全てのことについて、いちいち(嫌がる)のをやめよう。(価値観)になど、わたしは心当たりが無いのだ。
■解説
情緒の「持ち込み」については、次の第八講で詳述されます。
あとがき.
お疲れ様でした。「感じる」ということは正しく理解されましたか。また、感じるということが、「身体」の機能であり、「感じる」ことが「経験」になるということ、価値観は結果であって原因でないということが、理解されましたか。
本講はちょっと難解に感じられたかもしれません。けれども不要な煩雑さは持ち込んでいませんので、どうか信じて、丸暗記を断行してください。難しいと感じればこそ、丸暗記が最善です。丸暗記の上で理解に取り組めば、何の苦もなく理解されてしまいます。あなたは、「胃と小腸で栄養分を消化し、脳から全身にいたる神経が……」という話を理解できます。それはあなたがその実物を持っているからです。自分が手に入れているものへの理解なら、あなたは抜群に得意なのです。
本講を丸暗記されたとき、あなたは、自分が自分の価値観へのこだわりをアッサリ捨てるところを目撃するでしょう。昨日までの自分が、ひ弱にそれにしがみついていたのにも関わらず。それは、それを捨ててよいのだという「知識」を、あなたが得たからです。あなたは鼻息も乱さず、静かに勇敢になります。それは勇敢さを知識が支えているからです。あなたはこの知識の獲得なしに、価値観を捨てたり勇敢になったり、人を感じて経験を得ていくというようなことはできません。いくら心がけても! なぜなら、その心がけだけなら、あなたはもう誰よりも強く持っていたのですから。
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