ヤバイと思えてきたあなたへ
僕が話すようなことではないが、世の中不景気である。若い女性の生活は圧迫されている。
たとえば、「ちょっとした雑貨店」をやりたいわあ、と思ったとき、必要な知識は何か。
かわいい小物を見抜くセンス、ではない。
やる気、モチベーションを持続させる方法、でもない。
接客の重要さを知ること、でもない。
まずどんな商売だって資金が五百万円は掛かるという常識が要る。
それで、親兄弟に借金しても五百万円には届かないので、残りは銀行か国民生活金融公庫から借金する、そういうものだ、という常識も要る。
その融資をしてもらうために、事業計画書を書く、その知識が第一に必要になる。
テナントを借りるには賃貸契約の知識が必要で、居抜きとスケルトンの良し悪しを知っておらねばならず、保証金がどれぐらいかかってどう扱われるのかという知識が要るし、保証人をつけるなら保証人と連帯保証人の違いを知っていなくてはならない。
路面店でやりたいけど路面店はバツグンに高い、ということぐらいは知らないと話にならない。
担保が必要になることもあるから、抵当と根抵当はどう違うのか、賃借権って何なのか、場合によっては代物弁済予約とは何なのか、それを登記する登記簿って何なのか、あと有限責任と無限責任がある、ということも知らねばならない。留保権ぐらいもついでに知っておくべきだろう。
そもそも、動産と不動産があって、いくら高価な動産があっても、それは質権設定しないとお金を借りるタネにはならない、ということも知らねばならない。
あと、金利、時効(借金にも時効がある)、期限の利益の喪失、手形法、小切手法、なども知らなくてはならない。
機材をリースするならファイナンスリースのフルペイアウト原則を知っていなくてはならない。
個人商店でも事業で契約するとクーリングオフは適用されない。(特定商取引法に該当しない)
経営の知識としては、仕入れ、売り上げ、買掛金、売掛金、有利子負債、貸倒引当金、減価償却、などの知識が必要だ(要するに簿記だ)。最近はPL法も知っておくべきかもしれない。
その上で、客単価がこう、損益分岐点がこう、二年後にイニシャルコスト含めて黒字転換します、という事業計画書が書けなければ、銀行はお金を貸してくれない。
実務上では、受け渡し条件をFOBとかCIFとか知っていないと見積書も書けないし、輸入するなら為替の知識も必要になり、ときには為替予約の知識も必要かもしれない。
海外に売るにはもっとややこしくて、L/Cを開設しなくてはいけない場合もある。
輸入するときでも、専門用語の英語がそれなりにわかっていないとトラブルが続出する。
「先日のロットナンバー××の納品から梱包養生不足により5pcsの破損品が出ているから改善してくれ、あと5pcsを無償品サンプルとしてEMSで空輸してくれ、通関を待つ時間が無い」
というのを英語で書けないといけないし、5pcsの破損でも保険求償するべきかもしれない。
保険料率とかサーベイヤーとか、貨物が保税のままだったらとか、色々ある。
梱包が甘いからといって、倉庫まで出向いて梱包しなおしたら、保税だったから通関法違反だった、しかも横浜税関はシャレが通じなかった、みたいなこともある。
輸出入に必要な作成書類はインボイスとB/Lだ。
こういう知識は、何も珍しいものではない。ジャンルによって偏りはあるけれど、社会人なら一通り知っている。
ためしに、美容院にオーナー店長がいたら、「機材とかってリースしてます?」と訊いてみたらいい。店長はきっと、「いやあ、横着したいとこもあるんスけど、まあ機材も知れてますしね、ふつうに割賦で買ってますよ」と教えてくれるだろう。
輸入雑貨店のオーナーがいたら、「現地買い付けで、手荷物持ち込みですか?」と訊いてみたらいい。そしたら、「いやあ、初めはそうしてたんですけれど、さすがに最近はもう物量がね」と教えてくれるだろう。
ラーメン屋の店長と懇意になったら、「一ヶ月の家賃って売り上げ何日分で賄えてます?」と訊いてみたらいい。「いやあ、三日で、と言いたいところなんだけど、五日ぐらいかなあ。日によるし、月によるけど。一週間になったらさすがにまずいかって、そこまではいってないんだけど」と教えてくれるだろう。「でも現金の強みありますもんね」と言えば、「そ、ウチみたいなのはそこだけは気楽よ」と喜ぶだろう。
こういう知識は、一部の人にとっては極めて当たり前なのに、一部の人にとってはまったく縁が無い。
それで、何が言いたいかというと、若い女性に向けて、何か知らん知識らしきものがズラッと並んでいるけれど、これに「ギャッ」と拒絶反応を起こさないでほしいということだ。
これに拒絶反応が起こるのでは社会人として欠格である。
誰だって知っていることなのだし、これを知っているというのが社会人ということなのだから。
学校の先生は、おおよそ公務員なので、これらの知識をまったく持っていないという問題がある。
学校の先生は、勉強してきたに違いないが、学問と社会の知識とではかなりズレがあるということなのだ。
だから学生のうちはしょうがない。
学生が就職活動していると聞いて、第一志望はここですというのに、「資本金は? 売り上げは? 社員数は? 創業何年? 株主比率は? あと連結決算では?」と訊いてみても、まず把握できていない。
それはしょうがないことだ。学生のうちは、これらの数値が何を意味しているのか、感覚としてわかっていないので、いくら頭に突っ込もうとしてもなかなか頭に入ってくれない。
売り上げと社員数を聞くのは、言ってみれば、「馬券当てたよ」「配当は?」というぐらいの当然の問答なのだが、これはどうしても学生では感覚的にわからない。
不思議なもので、ウチのサークルは百人います、というのはわかるのに、社員数が千人か一万人かは気にしないものなのだ。
それはまったく、しょうがないことだし、使わない知識って頭にいくら詰め込んでも機能しないしな……
難しそうに見えても、東大生が本気で取り組めば、一ヶ月でベテランより精密に把握できるだろう。実際はその程度のものでしかない。
それで、何なのかというとだ。「ヤバイと思えてきたあなたへ」というタイトル。あなたがヤバイと思えてならないのは、この社会人としての知識が無いか、また、その獲得へ向けて自分がまったく進んでいないことに、理由のひとつがある。
何か根本的なものが身についていない、進んでいる気がしない、というのが、なんとなく「ヤバイ」と感じられてきているのだ(と思う)。
だから、どうせ働く気はあるのだし、割と一生懸命やっていく性格なのだから、どうせなら、機会の毎に、そういった知識の身に付いていくほうに進んでゆけばいいと、おせっかいながら勧めたいのである。
おせっかいと気づいて、さっそく消去したくなったが、まあいつものことだからしょうがない。
ヒントのひとつは、僕のような正体不明の河原者でさえ、そのあたりの最低限の知識は持っているということだ。
なぜって、社会人の端くれだからである。
「こんなやつに、社会的な知識で負けてたまるかよ」という発想が起こるのが正しい。
言い方にちょっと気が引けるが、たとえば雑貨屋さんで長年アルバイトをすれば、雑貨そのものの知識は身に付くかもしれない。センスも磨かれるかもしれないし、接客なんか人に教えられるレベルになるだろう。
が、それでもきっと、その「ヤバイ」という感触は収まらない。
根本的な、この社会の仕組みに沿った知識やノウハウを得ていないから、ヤバイのである。
もしあなたがお父さんと素敵な雑貨屋に入ったら、あなたは「商品」を見てキャピキャピしているかもしれないが、お父さんは「商流」のほうに半分方の興味を抱いている。
この素敵な店はどういう商流によって成り立っているのだろう? と、気になってしまう、それは社会人の本能みたいなものだ。
それで、なんと言えばいいのか、こうだ。
人は生き方によって、そこのところが大きく二分されるのである。
一方の行き方は、社会的な仕組みの知識と寄り添って生きていくが、もう一方は、まったくそれに触れられないのである。
その、触れないままで、何年も過ごしていくのはたいへんにまずい。
それなりに働いてお嫁さんになって……というのが、うまくいけばいいのだが、うまくいかない場合もあり、その場合はひたすら「ヤバイ」。
そして、うまくいかないケースも多々ありますよ、とは、なぜか世間は教えないのだ。
***
たとえば十八歳の女の子がいたとする。男でもまあ似たようなものだ。
高校を卒業して、いちおう普通の就職はしてみた。でも、続けていられなくなったり、会社のほうがつぶれたりする。「どうしよう」と、まだ気楽だ。まだ若いから気楽でいいと僕も思う。それでそこからどうするかというと、とりあえずアルバイトで食いつなごうとする。それも何も間違いではない。
ただ、アルバイトをするときに、「自分は何をするにしても経験不足だから」という理由がくっつきがちだが、その理由はくっつけないほうがいい。先に言ったように、アルバイトで得られる知識は、この社会の仕組みに沿った構造的な知識ではないからだ。
コンビニでアルバイトをしています、という人に、僕はよく、「テナント料はいくらで、月の売り上げはいくら?」と訊いてみる。まず、知らない。「聞いたことないです」という。「本部賦課金は?」と訊くと、「なんですか、フカキンって?」という具合。そりゃそうだろう。
でもそこのところがわからないと、コンビニがどう経営されているかは、実はまったくわかっていないことになる。
コンビニにだって本社がある。そして本社はおにぎりやサンドイッチを売っていないので、本社を運営するお金は実際に売り上げを出す各店舗から徴収していることになる。それが本部賦課金だ。言い方ややり方はそれぞれの企業で違うだろう。ちなみに収益を生まない部門はコストセンターと呼ばれる。
この賦課金は、その企業の実態を直接表すものだ。いわゆる高コスト体質、つまり給料のゴツい部長や役員がたくさん居座っている企業では、それを賄うために各店舗から徴収する金額が大きくなる。「新規展開どころか規模縮小しているのにこの賦課金のデカさは何だよ」みたいなことがあり、その賦課金のデカさは社内に高給取りがワンサカいて賄いきれない状態を意味している。
そして、そういう状態になったら、もうどうやってもムリだ、ということがあるのだ。いくら店舗でバリバリ儲けても、本社の側で全部食ってしまう、というふうになる。それでどうなるかというとリストラだ。金食い虫を追い出すしか方法がなくなるのである。だいたい、他社と合併して金銭的に呼吸できる状態にし、人事体制がガラリと変わったところで、その新しい人事体制が人情のもつれなく金食い虫をバサバサ斬っていくのが通例である。
もちろん、そのリストラ騒動は、末端のアルバイトには関係がない。が、その関係がないというところが逆によろしくなくて、「お店にちゃんとお客さん来てるのにリストラになるんだ、ふーん」という感想しか残らなくなってしまう。感想しか残らないのでは、いわゆる経験を積んだということにはならないわけだ。
コンビニで二年も働けば、だんだん飽きてきて、また周囲から情報も増えてくるから、「やっぱり夜の仕事したほうがいいかな」という気になってくる。夜の仕事には抵抗があるが、酔客の相手をするだけだし、別にエッチなことをするわけじゃないし、まあエッチといってもちょっと触られるぐらいなら別に、というふうになってくる。
それで、夜の店で働くようになる。どうせやるなら銀座でやればいいのにとも思うが(銀座は治安がいいし客層も騒がしくない)、まあそこは人それぞれ、環境もあるし、友達のいるところにお試しで入ってみるかもしれない。そこで大きめにお金を稼ぎつつ、お酒を呑むから内臓的にしんどいけれど、そのぶん休みの日も増えたし、遊べるからね、というふうになる。
それで全然いいと思うのだが、問題は引き続き、例の社会の仕組みに沿った知識はぜんぜん身に付かないということだ。高級な店に入れば、誕生日にはいろいろもらえたりするし、長く居ればインサイダー取引の情報を端っこだけもらえたりすることもあるかもしれない。が、そういう時間は実はあなたの自信をこっそり削り取っていて、やがてやはり「ヤバイ」というところにつながっていく。
夜の仕事で二年ぐらい稼いで、そこからはさすがにまともな仕事に就こう、と考えるところだろう。それはまったく合理的で妥当に思える。その年齢で転職する人はたくさんいるんだし、と。
ところが、その数年間で、たとえば中小企業の経理で働いていた人とは、やはり持っている知識の量が違う。例の、社会の仕組みに沿った知識の量が。ホステスをしていたことは隠して、家事手伝いや、家業の手伝いをしていました、というふうに面接に臨むのだが、面接官からすると「何かおかしい」という感触になるのだ。「ご家業は何を」と尋ねたところで、どうも仕入れのことに疎かったり、帳簿をつけていた気配が微塵もない。だいいち、椅子に座っているときの構えや、書類を扱う手つきがおかしい。中小企業で経理をやっていた女性は、「その、とにかく手を止めないように、していました。あまり仕事が早いほうではなかったので」と、地味な感じだ。でもそれは面接官に「わかるわかる」と受け取られる。「当社のROEなんですがね」と言ったとき、経理の女性は「ごめんなさい、ROEって何でしたっけ」と言う。勉強不足でごめんなさい、という気配だが、そんなことは別にいい、と受け取られる。それが夜の仕事から上がってくると、「ROE? あの、何ですかそれ」というふうになる。ビジネス用語を知らなくて恥ずかしい、という感触が滲まないのだ。それで面接官は「何かおかしい」と感じる。
まあ、それは当たり前なのだ。オフィスにいたことがなければ、第一に記憶するべきはバインダーの保管場所だ、なんてことは発想しようがない。プリンターのトナーが切れがちでそれをすばやく入れ替えるのが新人の仕事だし、いよいよプリンターが動かなかったらキヤノン販売に電話するということも知りようが無い。仕組みを知らないので、「自分がなぜ雇われたのか」というのが根本的にわからない。それで、言われたらやりますけど、という状態になり、こういう状態になると、その人物を選んだ人事課にマイナス評価がつく。面接官というのは、よろしくないものを通過させると、上から「おいお前いいかげんにしろよ」と叱られるので、いうほど好き勝手にはできないものだ。
何が言いたいかというと、こうだ。しばらくアルバイトで過ごして、自由というか、しがらみの少ない時間を愉しむなら、愉しんだらいい。夜の仕事に興味があって、というのもウソじゃないだろうし、そこで自分を試したいという野望が女性にあるのもよくわかる。毎晩ドレスを着て稼ぐというゴージャスな時間を人生に残したいというのもまったくよくわかる話だ。それを引き止める動機も理由も僕にはない。またその期間、いかに社会の仕組みに沿った知識から遠ざかってしまうとして、それはしょうがないといえばしょうがないので、そこにも特に重みは置いていない。
ただ、五年後のあなたは、「小さな雑貨屋でもやりたいわ」と真剣に思っているかもしれない。
そして同じことを、別の女の子も考えている。中小企業で経理をしていただけだけど、という立場から。
同じ「小さな雑貨屋をやりたいわ」でも、その捉え方は両者で違う。経理の女の子は、「すっごい難しそう、でも」と感じる。が、ともするとあなたは、「なんとかやれんじゃね? わたし割とセンスあるし」と感じかねない。
当人らは、自分が分岐を経てきているとはまるで知らない。経理の女の子は「センスもノウハウも無いしなあ」と思っている。が、経営が成り立つ状態を数値化して想像できる。一方は、もちろん色々勉強しないといけないと思っているけれど、それはあくまで空想のもので、「事業計画書」なんて言われると「ギャッ」と拒絶反応を起こしてしまう。
もちろん、ド根性が元々ある人は、全てを突破していけたりする。が、まったく逆のケースもある。具体的には、たとえば若い男性がバーを始めたとして、驚くようなことだが、<<一人も客が入らないまま半年後に閉店した>>、というようなことが実際ある。しかもそれが、珍しいことでもないのだ。採算が合わなかったどころか、本当に一円も入らずに終わってしまったというようなことが、実際にゴロゴロあるのである。そうなると借金だけが残ってしまい、これはもうヤバイどころではなくなってしまう。
そういう人は、安いテナントと一通りの備品だけで、つまり手持ちの百万円だけでなんとか開業できるじゃん、と発想してしまう。開業は確かにできる。でも彼は、どんな優秀な店でも黒字転換するのに二年は掛かるということを知らずに始めている。彼はきっと、発電プラントを建設したらその収益が黒字になるまで五十年掛かるということを知らない。
「ヤバイ」ということの感触は、何も頑張っていないからヤバイと感じているのではなくて、根本的な仕組みに沿った知識やノウハウを得ていないからヤバイのである。
ヤバイという感触は、動機としては有力だ。誰でもがやるように、公務員試験を考えたりとか、職業訓練校を考えたりとか、これから伸びる業界、たとえば介護はどうだろうとか、考えたらいい。
その動機にプラスして、自分はこれをやっていこうと「決意」までさせてくれるのは、そこに入り込んで社会の仕組みに沿った知識を身につけようということ、「そしたら本当に、小さな雑貨屋ぐらいやれるかもしれない」ということなのだ。
つまり、「社会人」になろう、と。そうなったら、ようやくヤバくはなくなるわけだ。
***
表参道のオシャレカフェだぜと思って入ると、女性の二人組に強烈な婚活話なんかを聞かされたりして、強烈なのは好きだからいいのだけれど、本当に彼女らの思うようになるだろうか、と気になる。見てみると、確かにすごく美人だ。完全に猫をかぶられたら、僕だって騙されるかもしれない。
僕は経歴上、某クルマメーカーの社員に複数の同期が居る。弁護士になった後輩もいるし、今から医者になるのかよ、というやつもいたが、彼らを見る限り、いわゆる派手な美人と結婚したやつは一人もいない。女遊びするときはド派手が好きなやつもいるのだが、そいつは大学のときからの彼女と結婚した。大学のときからの彼女と結婚する、という例は大変多い。同窓会で再会して結婚した、という例もあった。だからみんな女の子は大学に行けよ……というのは安直すぎるか。まあでも、ひしひし感じるものはある。
過去、家族というか、嫁に、ホスピタリティを求めている男性は多かった。「あーあ、家が六本木のクラブみたいだったらいいのに」と。今でもそういうふうのテレビCMなんかはちらほら見る。自宅にカウンターバーがあって、嫁さんが女バーテンダー役で、というような。
その思想はよくわかるし、かつて、働く夫と迎える妻というのは、それも社会の仕組みのひとつだった。でもさすがに、古すぎる。似たようなことは今でも出来るだろうけど、過去のように確固としたものじゃない。
どちらかというと、優秀な男性はいま、伴侶にパートナー性を求めている。
「おかえりなさい、USリートに目を通しておいたわ、やっぱり今は引き上げる必要はないって、わたしは思ったわ、少なくとも大きなリスクじゃない」
「そうか、それならよかった」
「そのぶん、ゆっくりおやすみになってね」
という感じがよいのではないかと思う。
もちろん、それで女性らしさが失われたら別だが、それは話がトンチンカンだろう。
ずばり言うとこうだ。以前は(本当かよ、と本当は疑っているのだが)、家庭的ということでプッシュして、肉じゃがが作れます、みたいなことが、お嫁さんとしての有能さアピールになりえた。(まったくウソに聞こえるが、まあ世間的にいちおう)
でも、今はまったく違って、いちおう簿記一級は持っているわ、会計士は投げ出しちゃったけど、MBAぐらいは近いうちに取得するの、というあたりが、肉じゃがに取って代わるのではないかと思う。
男は、
「この人の支えがあれば、自分は夢を叶えられるかもしれない」
と感じて、あなたとゆきたい、と思うのではないかということだ。
肉じゃがは、残念ながら、惣菜屋の技術が上がりまくってしまったので、あまり効果的じゃない。
また、そこまでじゃなくても、「前の勤め先で、帳簿は全部わたしがつけていたわ」という程度でも、今では有効なアピールになるかもしれない。
なんというか……アルバイトの店員さんでも、熱心に働けば、「働き者」として好評価にはなる。
でもその「働き者」は、どちらかというと、旧来のお嫁さんのスキルに近いもので、時代とマッチングが悪い。
そのせいか、あまり言うと口が曲がりそうで怖いが、健気な「働き者」ぶりを見せ付けてくれている少女たち、僕は彼女たちのことが大好きだが、どうも彼女たちから幸福の香りが遠い気がする。
「ヤバイ」という感触には、それもあると思うのだ。「働き者といわれるし、実際わたし働き者で、みんなに好かれるけど、これで本当に誰かもらってくれるのかな?」と。
もちろん、本当にもらってもらえないわけはないが、そこで「君をもらいたい」と言ってくる男について、当人が「あなたはイヤ」と言いかねないのだ。イヤというか、「何か違うの」と。
同じことは、男性に向けても当然起こっている。男が、「おれは、頭は悪いけど、やれと言われたらなんだってやるんだ、寝なくても平気さ」と言うと、すてき、と女性は思う。
が、恋人にするかというと、「うーん、ちょっと」となる。「何か違うの」と。
「そこに、冷徹でバッチリな、厳しい社会的知識が入っていたら、すごくいいのに」と。
時代だ。
現代、少女はみんなセレブになることを理想に掲げているから(子供の七夕にまで「セレブになりたい」という短冊がわんさかある)、セレブになるということはつまり、サッカー選手を除けば、経営者の妻になりたいということだ。
言ってみれば、女性の眼からは、経営者の男性しか生きているように見えない、ということがあるかもしれない。
ひでえ話だ、と僕も思うが、ひどかろうが何だろうが、もし事実だったらしょうがない。
オスを選ぶメスの眼に、文句をつけるのだけは永遠に筋違いだ。
オスはどうでもいいじゃないか、所詮……と、僕もオスだから好きに言える。
じっさい、オスのことより、健気な働き者の少女が幸福から遠ざかることのほうが許し難い。
「ヤバイ」という感触は、肝心なものから遠ざかったり、近づいていなかったりするときに、きっと起こっている。
セレブうんぬんは置いておいて、あなたが<<経営者でも舌を巻くほどの社会人>>に向かっていけば、そのヤバさはきっと消えるだろう。
お互いがんばろうね。
僕自身は、働き者の少女って、見ているだけで大好きなんだけど、がんばろうね。
[ヤバイと思えてきたあなたへ/了]