恋愛相談のコラム









愛の反対は、情熱だ




「愛情の反対は、憎しみではなく、無関心なのです」、と初めに言ったのは、マザーテレサだろう。愛情の反対は無関心、これはいつのまにか一般常識になってしまっていて、「愛情の反対は?」と誰に聞いても、「無関心!」とまるでマークシート試験のように即答してくれる。あまりに自分で考える気配がないと、コイツは愛の考察そのものに無関心なのか?とも思えてしまうのだが。

ちょっと難しいことをいうと、エーリッヒ・フロムという偉い人が「愛するということ」という偉い著書で示した説では、愛には兄弟愛・母性愛・異性愛・自己愛・神への愛といろいろあるのであって、マザーテレサがいう愛は、ここでは兄弟愛のことのはずだ。そもそも愛とは、ベクトルではなくスカラーであろうから、反対という概念が不適当なのかもしれない。ブッシュの反対がフセインではないように。

まあそんなむつかしい話はおいといて、実際に恋愛をする中で、僕たちが気づいておくべきは、「愛の反対は情熱」ってことだ。何が反対かというと、愛は安定を求め、情熱は変化を求める、というところだ。

自分の母校の小学校が改築されるとして、それにワクワクする人はいないだろう。普通、ちょっと切ないものだ。一方、あなたが突然、明日からパリかニューヨークに住むことになったとする。これは、ワクワクするだろう。言うまでもなく、前者は愛によるもので、後者は情熱によるものだ。そこには、安定を求める愛と、変化を求める情熱という、性質が看てとれると思う。

恋愛も、愛による恋愛、情熱による恋愛があり、SEXにも、愛によるSEX、情熱によるSEXがある。どちらが本物でどちらがニセモノというようなものではない。そして、僕たちは業の深いことに、どちらか一方では満足しないのだ。だから話はいろいろとややこしくなる。

不倫なんかは、一番わかりやすい。愛する奥さんなり旦那さんがいるにもかかわらず、他の誰かを好きになってしまう。そういうのはイケナイことだと思っていても、否応なく胸は高鳴り、ずるずると関係を深めてしまう。奥さんなり旦那さんなりに対する愛がすでに無くなっている場合は、話がわりとシンプルなんだが、愛しているにもかかわらずそうなってしまうことはあるのだから、ややこしい。これは、愛と情熱のせめぎあいによるものだ。他には、可愛くて欲しくてしょうがないプレーリードッグを買って、飼い始めて一ヵ月後にはお母さんが世話をするハメになる、というのも、根が同じ現象だろう。情熱によって始まり、愛が育たぬうちに、情熱は次の変化を求めてしまったのだ。

理想をいえば、情熱によって始まり、愛を育て、愛を深めつつ情熱も豊かであるのが一番いい。だが、安定と変化が対をなすものであるから、それはなかなか難しいことだ。

というわけで、悩みのタネは尽きないものだが、愛の反対は情熱、愛は安定を求め情熱は変化を求めるということを知っていれば、なにかのとき、少しはあなたの混乱も軽減されるだろう。そして、もし今のあなたが、何か物足りないと感じていたならば、その足りないものは、愛なのか情熱なのか、それを知っておくのも大事なことだ。自分がぼんやりと憧れているストーリーを見つめ直してみると、案外、口では愛が欲しいと言っている人ほど、実は情熱を求めていたりするものだ。そういうことに気づくことも、きっとあなたにとって、何かのきっかけになるだろう。




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