No.190 タフガイとセンチガール
僕の友人らはいまダンプカーのように働いている。年齢的にも頑健なころだし、元々が連中はタフガイだ。あいつらがため息をついているところなんか見たことが無い。かといって何か頑張っているというのでもないのだ。元々がタフなダンプカーだから、それが平常運転なのである。
たまに女性と話していると、ここの感覚に落差を覚える。バリバリ働いて優秀で、社内でも業界でも認められていて、高収入で伸びしろがあって、それで週末にスポーツをする男性なんかがいいわ、という人がいるのだけれど、彼女らはそういう男の実像を誤解している。ダンプカーのような彼らにとっては、恋愛というのは人生の項目の小さな一ジャンルに過ぎない。彼らが誰かのことを想って夜眠れなくなる、ということはまずない。彼らは嫁さんも家族も大事にするが、それもなんというか、馬力で大事にする。うっとりして大事にする、というのではないのだ。
彼らがあなたをデートに連れて行ったら、そのデートはきっと楽しくて上等で、お金もかかっているし食事もおいしいだろう。けれどもそれは、ひょっとしたらあなたが思っているような、心を尽くしてのアレンジというのとはちょっと違う。やはり、馬力なのだ。せっかくデートするんだから楽しくしようぜ、と、これもまた頑張るというのでなく、平常運転としてそれをやるのだ。
こんなもの、彼らの能力は、そこいらの夢見がちなフェミニスト君とはまるで違うのである。彼らは明日アラブに行けと言われたら、即座に飛行機を手配してビザうんぬんの渡航手続きを済ませ、現地での移動手段の確認と宿泊の確保を段取りするのだ。それで夜中まで酒を呑んで、翌朝はさっさと空港に向かうのである。
また客人をアテンドするのも、アメリカからベンチャー企業の中国人社長が来る、ということで、その出迎えからホテルの確保から接待の料亭の手配まで全部やるのである。ハイヤーの取り方や、タクシーのつかまりにくい場所、地点間のタクシーでの移動時間、女の子のいる店については、キャバクラならあっち方面、客が望んでエッチな店にいくならこっち方面と、全部把握してアレンジできるのだ。慣れないデートでぐるなびを探し回って徹夜する男の子とはモノが違う。彼らが一時間で出来ることと、少年が一時間で出来ることはまるで違う。
ただ、女性の側であるあなたが、そうしてぐるなびで徹夜してしまってというほうに、かわいいな、うれしいなと思うところがもしあったとしたら、そこはタフガイについては改められなくてはならない。彼らは女の子の想像では及びもつかないほどタフだ。明日の朝からあなたとデートする予定であっても、その前日は夜中まで六本木のおねえちゃんを口説いて遊んでいるだろう。それでも当日、スタミナ的にバテるのはあなたのほうなのだ。
彼らは冷血なのではない。むしろ、ひ弱な男よりは情に厚く人に労わりも向けるものだ。あなたが病気をして動けないとなったら、夜中に何時間かを掛けて駆けつけてくるかもしれない。
ただ、そのときあなたは、わたしのためにここまでしてくれるなんて、と思うかもしれないが、そこが微妙に違うのだ。彼らにとっては、そんなことは大してエネルギーを要さないことなのである。夜中にそんなことは面倒くさい、という感覚は彼らにもある。けれども彼らはその面倒くささを踏み躙って進むことが習慣になっていて、ほとんど有って無きが如しなのだ。
彼らは生きる世界がタフなので、些細なことで揺れ動く心とか、ナヨナヨした部分を一切持ち合わせていない。ここのところが、女性の持っているイメージと巨大な誤差を持つことがある。ねぇあの夜のこと覚えてる? わたしあのとき、本当に寂しかったの、そして実は今もね……みたいなことを言っても、まったくそういうムードになってもらえない。彼らはあなたのその申し出に興味が無いわけではない。いちおう聞き遂げようとはするのだが、聞き遂げてもわからないのだ。彼らのハートがタフすぎるから。それで、よくわからないけど、謝るから、もう一軒いこうぜ、みたいなことになってしまう。あなたは「ああ、わかってくれない」となる。
それであなたは、悲しくなってその夜をお開きにするが、あなたが冷たい足音をカツカツ鳴らして地下鉄の構内を歩いたのとは裏腹に、彼は何なんだよと言いながらタクシーに乗って六本木に行くのだった。
あなたが陶芸教室に通って、妙に入れ込んでしまって、上達してしまい、ついに何かの金賞なんか取ってしまったりする。すごいでしょ、とあなたはウキウキするのだが、彼らはそのウキウキに共感してくれない。すごいな、とは言ってくれるけれど、熱気が無い。なぜかというと、彼にとって「すごい」と言いうることは、自分の業績が日経新聞に載ることだからだ。それで会社の株価が上がった、というようなことを「すげえな」と本当に感じる。あるいは、息子が運動会のリレーでアンカーになった、それで一位になった、ということを「やったな」と言う。よっしゃ、一番いい自転車買ったるわ、といってマクラーレンの自転車を買い与えたりする。ハッハッハ、と豪儀なものだ。
ちなみに彼らは、ナイスバディの女の子が純粋に好きだし、お笑いキャラを振る舞っている女の子の、裏腹の心のうち、みたいなことは考えない。毎日出社してのこの勤労と何なのか、生きる意味について考えてしまうんです、みたいな新入社員には、即座に「うっざ」としか思わない。
くれぐれも、彼らに情愛やハートがないわけでは決して無い。ただ、サイズが違うのだ。またそのサイズとパワーがなければ到底戦っていけないのである。
結局のところ、彼らの住んでいる世界は、女の子がついていけるような世界ではないのだ。もし彼らと交際して結婚でもするのならば、その男の世界との断絶を覚悟していなくてはいけない。というよりは、そういうのは女に関係ないでしょ、という感覚の人でないとやっていけない。女はただ、大きくて快適な家に住み、子供をたくさん生んで、元気な旦那が帰ってくる、自分はたっぷり料理を作っておいた、と、そういうものだし、そういうふうに暮らしたいでしょ、というのでないとやっていけない。
それで実際に、タフガイの彼らが誰と結婚したかというと、大半が大学時代の誰かと結婚した。大学時代に知り合ったか、あるいは大学生のころから付き合っていたか。そういうものだろ、と彼らは思っているし、そこに疑いを持つべき動機なんか持っていない。
彼らは別に仕事人間というのでもない。よく映画なんかも観る。話題作を素直に観る。好きな人は自宅にホームシアターをがっつり作りこんだりする。それで映画を観るのだけれど、たとえば僕のような軟弱者がそれを観るのとは態度が違う。僕は今でも、映画を観ては、それを自分が生きることと接続してしまい、重く垂れ込めたような夜を一人で過ごしてしまったりするが、彼らにとって映画はただ面白いかどうかだ。うまいワインを飲みながら映画を愉しむのである。
女性は、もしバリバリの優秀なタフガイを求めるなら、このことを前もって知っておくべきだ。シティホテルのバーラウンジで、一番高いシャンペンを開けて、というところまでイメージは合っている。けれどもそこに、メランコリックの味わいや繊細なセンチメンタルをイメージしていたら、それはちょっと苦しい。そういう夜は多分無い。
そして男は、立場や地力がどのようであれ、自分の戦う相手、競う相手は、そういうタフガイの連中なのだ、と知っておかねばならない。なんであれ、彼らに後れを取ることは男として恥なのだ。感性が深いつもりでいちいちショックを受けて寝込んでいたら、彼らには「病弱」としか思ってもらえない。体質的に酒の飲めない奴はサラリーマンとして「才能が無い」としか扱われない。その才能をカバーして活躍するタフガイしかやはり彼らには認められないしついていけない。
彼らは頭がいいので話はわかる。わかるどころか、人の話についての理解力は人並みを抜けてピカイチである。そうでないと商談なんかできないからだ。だから彼らに向けて、そんなダンプカーのように進んでいくことが本当に豊かとは思えない、と言ってみたら、即座に「それはあるね」と理解する。
かといって、彼らは立ち止まるのではないのであった。彼らはダンプカーのように進み、僕などは、彼らから見れば「変態」で、僕はその変態として進んでいく。彼らはその変態にも一理あると理解を示すのだから度量がデカい。彼らは頭が本当によくて、突き詰めるところ自分が真に生きたいように生きるしかないだろ、ということを初めから突き詰めているのだ。
僕は遅れを取らないように気張るしかないのである。
ついていける気はしないが、いやいや、彼らの進み方にも重大な隙がある……
あなたはどの男と寝ますか。おやすみなさい。
[了]