No.323 総理大臣って、つまり何?
女の子が、知能を高めていく姿が好きだ。
男は、まあ気分は悪くないが、オスなので、あまり興味がないというか、どうでもいい。
「ねえねえ、総理大臣のことなんだけど」
「なんだよ」
「こないだ話してくれたこと、ようやくわかったのよ。ねえ聞いて」
「はいはい」
「日本は『法治国家』じゃない? 法によって国を治めるのだから、法律が大事になるのよね」
「うん」
「それで、法律の中で、最上位にある法律が、憲法なの」
「そうだそうだ」
「憲法の、第一条には、国民主権って書いてある。それで、他の条項には、三権分立、ということも書いてある」
「書いてあるね」
「だから、日本は、『三権分立で、国民主権が実現されている国』でないといけないのよね」
「そうだ、そのとおり」
「三権分立のうち、立法は、わたしたちが選挙で議員を選んでいる。わたしはまだ、選挙権ないけれど」
「うん」
「立法府の、国会議員は、そうやって選挙で選ばれている。本当は、国民全員で会議ができればいいのだけれど、一億人で会議はできないから、国民の代表を選出するのよね。それで、選ばれた代表が、法律を作る仕事をする。代表たちの多数決で決めていくようにする」
「そうそう」
「三権分立のうち、司法は、信任・不信任だっけ。最高裁裁判官の。選挙のとき、やっぱり投票するのよね」
「うん。国民選挙のとき、○×をつける形で審査しているよ」
「そして行政には、大臣を送り込んでいる」
「うん」
「行政は、実務の仕事だから、シロウトの寄せ集めでは仕事ができない」
「うん」
「行政は、たとえば大きな橋を作るとか、教科書と学校を作るとか、そういうことができるプロ集団だから、シロウトの寄せ集めでは仕事にならない。ただし、この行政が、勝手に橋や教科書を作ったら、それは国民主権にならないのよね」
「そうだね」
「それで、行政はプロ集団でありながら、その意思決定権は行政自体には与えられていない。事務次官だけでは行政を動かせない。最終的な意思決定権は、大臣にあるのよね。それで、大臣は国会議員で、選挙で選ばれた国民の代表だから、行政にも国民の意思が反映され、ここにも国民主権が成立している、と」
「そのとおり。ただ、大臣になるのは、必ずしも国会議員とは限らないけどね」
「そうなの?」
「過半数は国会議員からの選出だけれど。一応、その他の、公務員になる資格のある人なら、外部の人でも大臣に任命していいんだ」
「そうなんだ」
「いわゆる、民間人閣僚というやつだね。まあ実際には、先の選挙には立候補しなかったとか、あるいは、『元』国会議員とかね。それでも十分政治には詳しいわけで、別に現職の議員じゃなくても大臣はできるだろう」
「あ、なるほど」
「あとは、実務レベルでさ、行政のことをよく知っている人を大臣にするとか。つまり、元外務省の官僚を、外務大臣にするとかだよ。そしたら、その大臣は誰より実務レベルに精通しているわけじゃない。人脈も含めてね。あとは、元日銀の総裁を大蔵大臣にするとかだな」
「そうか、そういう場合、別に国会議員じゃなくても大臣にしていいんだ。メリットもある」
「そう。それで、その政治の一番肝心なところだね。その『大臣』を選んで任命するのが……」
「総理大臣というわけね」
「そう、だから、内閣総理大臣」
「『内閣』は、大臣たちの集まりのことよね」
「そうそう。だから大臣らのことを、閣僚ともいう。内閣の同僚だからな」
「そっか。じゃあこうだ。国民選挙で選ばれた、国民の代表たちが、国会に集まる」
「うんうん」
「それで、国会の中で、さらに内閣総理大臣を、多数決で決める」
「そうだね」
「じゃあ内閣総理大臣は、つまり、国民の代表たちの、さらに代表だ」
「そのとおり」
「それで、この国民の代表の代表が、大臣を誰にするか、選んで任命する権利を持っているから、間接的に行政にも、国民主権が反映されていると言えるということよね」
「そう」
「それで、憲法に書いてあるとおり、三権分立で、ちゃんと国民主権が実現されている、そういう国になっていますよ、ということだわ」
「そういうこと。えらい勉強したなあ」
「そう? だって、ちゃんとわかりたかったんだもの」
健全で、健気な女の子には、思いがけず知性への欲求がある。
物事を、本当に知りたがるという、知的好奇心か、あるいは好奇心以上の欲求がある。
(男にだってあるのだろうが、考慮しない。オスは勝手に勉強しろ)
女の子は、この知性の欲求によって、物事の本当のことを知りたがり、それを知り理解していく過程で、知能を向上させていく。
そういうとき、どうしたって健康的だから、女の子の目はまぶしく、うつくしいものだ。
知能が未発達の段階では、たとえば総理大臣についても、こうやって説明するしかない。
「国のことを決めている、一番偉い人のことよ」
子供に対しては、こうしか説明できない。
つまり、初等の知能は、イメージ的なものしか理解できない。
これがやがて、童女が少女になり、知能を中等に発達させていくと、本当のことを知りたがるようになってくる。
うつくしいことだ。
学校で習った、日本国憲法とか、国民主権とか三権分立とか、テレビでよく聞く総理大臣とか、そういった断片化した情報が、知性によって一気に統合される。構造が音を立てて形作られる。
そのときには一種の感動がある。
この感動が、少女の脳をよろこばせ、よろこびが脳への滋養になるので、少女は知能を発達させるのだ。
少女は中等の知能を持つようになり、もうガキんちょではなくなる。
少女は、イメージばかりの商品には次第に興味を失ってゆき、「本当のこと」へ興味を移していく。
もし、この感動と、脳への滋養、知能の発達が得られなかったとしたら、人間はその後もずっと、イメージ的なものしか理解できない、という状態になる。
たとえ何歳になろうが、総理大臣というと、
「日本で一番偉い人じゃん? そんで、絶対ウラで悪いことしてる人! ぎゃはは」
と、それこそ「そういうイメージ」しかない世界を生きていくことになる。
知能が初等のまま、イメージしか理解できない状態の人に、たとえば「太平洋戦争」という単語を与えると、暗い感じになる。その人のタイプによっては、ヨヨヨと泣き崩れる流れにもなっていく。「戦争反対」と言い出す巧言令色の準備をする。
イメージしか理解していないからだ。
中等の知能を持つようになった少女は、「太平洋戦争」と訊くと、その暗くならざるを得ないイメージはともかく、それよりも、
「太平洋戦争って、つまり何があったんですか? どうして、大東亜戦争ともいうんでしょう」
ということに心が向く。
知性への欲求があるのだ。
本当のことを知りたがり、本当のことを聞きたがる。
本当のことを尻もせず沈鬱ぶるのなら、それはイメージに浸っているだけだわ、と、すでに発達した知能が嗅ぎ分けているからだ。
そのときの少女は、どうしたって、「ぎゃはは」の人よりもうつくしい。
童女が少女となり、もう子供ではなくなっていく、そのぶん知能も発達させていくということは、自然の理だから、その自然の理が阻害されず育っていく様は、健全であり、うつくしいものだ。
別に、「ぎゃはは」の人が、頭が悪いからブスだ、と言っているわけではない。
ただ、本来発達していくはずの知能が、どこかで発達を阻害されて、子供のようにイメージ的なものしか理解できない状態にとどまっていると、健全ではないので、その不健全の印象が何か胸にウッとくるのだ。
童女は少女となり、知能は中等となって、イメージ的なだけの理解から、社会的なものの理解、構造的なものの理解へと進んでいく。
その次はどうなるか。
次は、少女が一人のレディになってゆき、知能は中等から高等へ発達するだろう。
知能が高等へ発達すると、今度はやはり、社会的なだけのものから興味を失っていく。
初等から中等へ進むと、イメージ的なだけのものからは興味を失ったように、今度は中等から高等へ進むにあたり、社会的なだけのものからは興味を失っていく。
そのとき、興味は、実存的なものへと移っていく。
実存とは、「人が生きるとはどういうことか」を、直覚する現象のことだ。
彼女はもう、総理大臣を「偉い人」とは思わなくなっている。
イメージとして、「偉い人!」とはもちろん思わないし、社会構造的に「偉い人」というのは理解しているが、同時に「だからといって」とも感じている。
どのような社会構造があれ、人は人であり、誰だって一個の人間だ、と感じている。
たとえ目の前に現職の総理大臣がいたとしても、彼に自身の実存が看て取れないなら、そこに感動は覚えない。
一方、たとえば伊藤博文が、総理大臣を務めたことも含め、どのように生きたか、その実存には心が傾く。
伊藤博文は、常から夫人に、「生きて帰るものと思うな」と言いつけてから家を出ていた。
だから、凶弾に斃れたときも、夫人は訃報を知らされて、まったく驚かなかったそうだ。
テロリストに銃撃された伊藤博文は、
「三発当たった。相手は誰だ」
「おれを撃つなんてバカなやつだ」
「おれはもうダメだ、他に撃たれたやつはいるか」
「森もやられたのか……」
と、それを最期の言葉にして死んでいった。
剛毅な人だったのだ。
この伊藤博文のエピソードには、「人が生きるとはどういうことか」を、剛毅さにおいて直覚させる力がある。
こうして、「政治家」と呼ぶべき人がいたのだ、ということは、レディを感動させるだろう。
その感動が、やはり脳の滋養となり、彼女の知能は中等から高等へ向上する。
そのとき、彼女の眼差しは、やはりうつくしいものだ。
彼女は、今や本当のことを聞くだけでは物足りず、本当に生きるように生きたいと欲求し、本当に生きるように生きている人に触れたいと欲求するのだ。
彼女の知性は、社会的なもの・構造的なものへの理解を土台にして、その上に飛び越えて成り立つ実存の直覚実現を求めている。
そうして、知能が発達し、欲求が高次化する様は、健全であり、うつくしいものだ。知性の求めるところが、彼女に「本当に生きるように生きたい」と求めさせることは、実際とても人間的で、やはりうつくしいものだ。
(オスは知らん)
***
こうして、人間の知能と欲求は、段階的に進んでいく。
・初等知能は、イメージ的なものを理解できる。そしてイメージ的な刺激を欲しがる。
・中等知能は、社会的なもの・構造的なものを理解できる。そして社会的・構造的なものの、「本当のこと」を知りたがる。
・高等知能は、実存的なものを直覚できる。そして、「人が生きるとはどういうことか」、それを直覚実現することを生に求める。
女の子の話ばかりして、オスのことはどうでもいいのだが、たとえばあなたが自分のパートナーを考えるとき、オスのことも重要になってくるだろう。
だからあなたは、まず心当たりのオスに、
「ねえ、総理大臣って、つまり何?」
と訊いてみればいい。
そのとき、どのような答えが返ってくるか。
イメージ的な答えしか返ってこないか、あるいは社会的なものとしての答えが返ってくるか。あるいはそれに加えて、実存的なものまで含めた答えが返ってくるか。
同じ質問を、お父さんにしてみるのもよいかもしれない。お父さんが、企業勤めで、会社の構造などをよく知っており、新聞などをふつうに読んでいるタイプなら、あなたは実はお父さんが「総理大臣」を正確に理解しているということを知って、少しは尊敬を取り戻してあげるということになるかもしれない。
一方、あなた自身も、もし二十五歳を超えてなお、先に述べた「総理大臣」の説明が自分で出来ないようだったら、「ある程度マズイぞ」と焦りなおしておく必要がある。
ひょっとしたら、自分が誰と結ばれるか、自分が誰と友人であれるかは、自分の知能程度に依存するかもしれないからだ。あなたの彼氏は必ずあなたと同程度の知能です、ということになった場合、いろいろマズいことがあるに違いない。
「この人かな」と、あなたが目星をつけている男性が、
「総理大臣? 日本で一番偉い人でしょ。政治家で。おれは別に、偉いとは思わんけど」
という答え方をするようなら、あなたはもう少し、彼について考える必要があるだろうので、慌てないことだ。
彼と一緒に映画でも観て、その後彼がどう話すのかを、よくよく聞いてみればいい。
たとえば映画「タイタニック」を観て、
「レオ様、超かっけえ」
と興奮しているようなら、それを「かわいいわウフフ」とはなるべく乗せられずに、ちゃんと彼のことを知っておくべきだ。
彼はおそらく、映画に示された実存にまったく理解が届いておらず、イメージ的なものだけで興奮している可能性がある。
映画「タイタニック」なんかは特に、「人が生きるとはどういうことか、それも恋あいの上で生きるということは?」という、一つの実存像が示されている。
もし、あなた自身が、その実存像に理解が届いていなければ、それはおあいこというか、お互いさまだが……
映画でも小説でも、歌でもアーティストでも、何でもよいのだが、同じ「かっこいい」と感想や感激を漏らす場合でも、それぞれの知能程度によって意味するところはまったく違うのだ。
イメージ的な刺激を受けて、「かっこいい〜」と興奮しているのか。
社会的な構造を理解した上で、その構造上に何事かを成し遂げる、その社会性について「かっこいい」と感心しているのか。
実存的な直覚として、肯定せざるを得ない人間の生を受け止めて、「かっこいい」と感動しているのか。
それが実存的な直覚だった場合、そこには同時に、「では自分はどう生きるべきか、あらためて?」という問いかけが起こっているのも一つの特徴だ。
だから、願わくば、映画「タイタニック」を観たあと、彼はしばらくまるで落ち込むようにして、自己への問いかけと考えごとに入り込む、というほうがまともだ。
といっても、単に映画というメディアに接続が薄いだけのタイプもあるので、あまり決まりきまった方程式は存在しない。
ただ、「マジ感動した」と言って、さあビール飲んで寝よか、とすがすがしい場合、彼の「マジ感動した」はさすがに完全にウソだ。
そうしてすがすがしいタイプは、別に悪いわけではないのだが、そういう人で満足できるとしたら、それはあなたが相当無欲な場合に限る。
どういうことかというと、知能程度がイメージしか捉えていない人がいたら、そういう人は、あなたのこともイメージ的にしか捉えていないということだ。
それでいいじゃん、と言えるほどに、あなたが無欲でなかった場合は、その人はやがてあなたを決定的にさびしがらせることになるだろう。
あまり言うと恐怖になるから、あまり言わない。
なるべく、当たり前だが、誰にだってうつくしくあってほしいし、うつくしく生きてほしい。
イメージと実存を取り違えているケースはとても多いのだ。
イメージに強い執心がある人のことを、意志が強いとは言わないし、熱意とも言わないし、その熱意みたいに見えるものは、実際に生きるときにはあまり役に立ってこない。
先ほど、伊藤博文の話をした。初代総理大臣で、加えて死にざまの話もしたのだから、それはイメージだけで見たって、「すごい!」「かっこいい!」となる。
だが、そこでホットな気持ちになったつもりでも、それはイメージであって、実存には及んでいない。
だから、そこで得たホットな気持ちのようなものは、彼に自己への問いかけを与えないし、彼の明日からを新しくするということはないのだ。
そういう、イメージと実存の取り違えというのは実によくある。
恋愛なんかは特に、イメージ的な捉え方が堂々と横行している。
「あこがれの結婚生活」みたいなイメージはいくらでもあるし、三回目のデートでディズニーランドでキスとか、シティホテルの最上階ラウンジがロマンチックとか、全てイメージ的なものだ。
こんなもの、もちろん実存でも何でもないが、恋愛といえば「そういうもの」と、思いがけず確信している人は、実は男女ともに多い。
そういうとき、言わずもがなだが、別に相手は誰でもいいのだ。イメージの欲求だけ満たされればいい。
「それでいいじゃん、そういうもんじゃん」という側面も確かによくわかる。そうした、典型的なイメージを、「うーん、やりたい」と望み、一種のシャレで、「イメージどおりのベタなことをしようぜ!」と取り掛かっていくのも、「人が生きるとはどういうことか」の直覚、実存にもちろんなりうる。
が、本当の本当に、イメージ「だけ」というのは怖い。
本当の本当に、イメージだけしかないんだこの人は、と後になって気づく場合もあるので、問題はそのときだ。
そこで、それでいいじゃん別に、と言い切れない場合は、いつの日かそのことに気づいたとき愕然とし、致命的に寂しさを知ってしまうだろう。
もう、怖い話になってしまったので諦めて言うが、人が泣いているときや笑っているとき、イメージだけで泣いていたり、イメージだけで笑っていたりすることがあるのだ。イメージだけで怒る人もいるし、イメージだけで結婚する人も当然いる。
そういう人がいるからこそ、詐欺も成立するのだ。パリッとしたスーツを着て、それっぽいトランクでも持って、「国際線のパイロットさ」みたいなことを言う、結婚詐欺みたいなことも通用するのだ。
もし、その詐欺のターゲットが、思いがけず社会的なものを理解する知能を持っていた場合、
「ねえ、飛行機の機体って、そのたびごと輸入になるの? そうしたら関税が大変だわね。それともやはりある種の、保税の扱いなのかしら。でも燃料を給油したら、それは輸出になりそうよね。あと飛行機のメーカーというと、ボーイング社とエアバス社と、他にどこがあるのかしら。エンジンは自社製じゃないわよねきっと」
というようなことを問い詰めるので、詐欺は成立しない。
あるいは、ワンクリック詐欺みたいなものが一時期流行し、被害者が続発したが、あんなもの、簡易裁判所からの支払督促状と異議申し立ての手続きを理解していれば、引っかかる人は一人もいない。
パイロットというとイメージで、法的手段というとイメージで、何もかもイメージでしか理解できていない人は、やはり恋愛だってイメージでしか捉えていないことが多い。
最近は、たとえば「サプライズ」というようなものが流行っているから、「女の子はこういうことをされると喜ぶ」というイメージを、そのまま真に受けている男性がけっこういる。
そうすると、あなたが生理痛でお腹が痛いときに、彼はあなたの様子なんかまったくお構いなしに、企画した「サプライズ」の進行だけを嬉々としてやり続ける、という可能性が出てくる。
あなたは彼のその熱意の「ようなもの」をどう受け取るか。難しい判断になる。とりあえず内心での苦笑いは避けられないだろう。
その他、たとえばベッドシーンで、「女の子はこういうふうに言われると興奮する、そして感じる」みたいなことを、イメージだけで思い込んで真に受けていたら、あなたは正直、そんな男性とやっていけないだろう。
不動産屋のテレビCMを観て、閑静な一戸建てに家族と大きな飼い犬、それが幸せ、というようなイメージを、そのまま真に受けている人だって少なくないのだ。
閑静な一戸建ては、決して悪くないだろうが、問題は、彼の抱くイメージ世界の中には、あなたのことなんか存在していないということだ。彼はただ、「イメージ」を実現したいだけでしかない。
そうしてイメージと実存を取り違えている人は今とても多い。
「人が生きるとはどのようなことか」
この問いかけについて、イメージで回答する人は今とてつもなく多いのだ。
恋あいなんかは特に、実存に及ばないなら、わざわざそれをする値打ちが失われるものだ。
イメージ的に、「ディズニーランドでハッピー」を、やりたい、というのは別におかしくない。
社会的に、「結婚していないと生活が不利」とか、「結婚していないと世間につまはじきにされる」とか、「いい歳をして交際経験もないのは恥」とか、「カップルでしか行けないところがたくさんある」とか「趣味やセックスのパートナーって必要」とか、そういう捉え方もよくわかるし間違ってはいない。
が、それらは、よくわかるけれど、どう考えてもうつくしくはない。
人間が、健全に、人間らしく発達していって、知性の到達点が「それ」だと言い張るのは、あまりにも無理がある。
男性に、結婚願望が強い人はけっこう多い。
そして、
「オレ、超結婚したいし、結婚したら、嫁さんに超やさしくするよ」
と、強く言い、自身としても固く信じている男性は少なくない。
あなたもときに、そういう話を目の前の男性から聞くことがあるはずだ。
居酒屋か何かの、隅っこの席で。
そのとき、ふと、おかしいと感じないだろうか。
彼の熱弁が、グッド・イメージなのはさておきだ。
目の前の彼は、目の前にいるあなたに、「超やさしく」しているだろうか。
別に結婚願望でなくても、「彼女ができたら、おれ超やさしくするよ」でもいい。
その、グッド・イメージに聞こえる話に比較して、目の前のあなたは、そのとき彼に「超やさしく」されているかどうか。
それどころか、
「お前はあれじゃん、女友達っていうか、ツレじゃん」
と、投げやりに粗雑にされていないだろうか。
ツレ扱いは別に悪くない。
「お前」呼ばわりかよ、というのも、別に悪いことではないだろう。
が、何かがヘンだ。
彼は、「イメージ」の話をしていないだろうか?
彼の、「夢があるなあ」という感じの印象は、彼の執心する「イメージ」に基づいていないだろうか?
執心するというのは、いわば「マジになる」というようなことだが、彼は目の前のあなたに対してマジだろうか、それとも、彼自身の思い描く「イメージ」に対してのみマジなのだろうか。
仮に、その日から、あなたと彼は交際することになったとしよう。
彼は、翌日に、大急ぎで指輪を買ってきた。
「ほら、これ。おれの彼女のしるしだよ」
おれ、言ってたとおり、自分の彼女は超大切にするし、超やさしくするから、と彼は照れながら言う。
彼はあなたの、姓ではなく名前を、男らしさの印象で呼び捨てにした。
あなたは指輪を受け取る。
あなたはそれが、うれしくない、わけではない。
気持ちがほころぶようなところも、ないではない。
が、やはり何かヘンではないだろうか?
「あなた」が、彼にとって「彼女」になった途端、そんなに豹変するものだろうか?
あなたはあなたのままで、彼は彼のまま、実物としては何が変わったわけでもないのに。
また、別の考え方をすれば、あなたに対してそれだけ豹変するということは、別に「彼女」があなたでなくても、彼は同様の豹変を見せただろうということだ。
相手があなたでなくても、「彼女」であれば。
即日、指輪を買ってきてプレゼントするあたり、彼の「超やさしくする」というモットーは、さしあたりウソではないようだ。
が、それは、「そういう彼氏と彼女」というイメージを、執心的にやりたい、そうしたい、というだけではないだろうか。
このことを肯定的に見るか否定的に見るかは、とても難しいところだ。
とりあえず彼の「彼氏ぶり」が、悪意に満ちているというわけではない。
熱意と、善意に、満ちていないとも言えない。
言いうるとしたら、その「熱意」のようなものが、どこに向いているのか、ということの疑問だけだ。
極端なところ、マネキンを「彼女」にしたら、マネキンにも同様の「超やさしい」を向けるのだろうか?
こうして始まったあなたと彼の関係は、はじめのうち、きっとあなたをある程度喜ばせるはずだ。
ところどころ、何かヘンだ、という違和感を覚えつつも。
女として、そうして「彼女」らしく扱われることは、気分の悪いことではないだろうし、むしろ「こういうことって、あったほうがやっぱりいいかも」と思われてくるだろう。
違和感を覚える、「何かヘンだ」という部分も、「別にいいじゃん、そこまで難しく考えなくても」と思いなおすことで、処理可能だ。何せそのときは、新しい彼氏彼女として、彼は浮かれているし、あなたも浮かれている。
何かヘンだと思えるところも、単に、付き合いたての浮かれた気持ちがそうさせる、一時的なものなんじゃないの、それはしょうがないよ、と楽しく思えてくる。
もちろん、理想的には、そうして浮かれてしまう時期に、求めていたベタなイメージの求め合いと与え合いをし、その後落ち着いてきて、当時の「バカップル」ぶりを笑えるようになれば、それでいいのだ。そうした経験を持てるということもすばらしいことだろう。
だが、彼が、一時的にイメージに狂乱したということではなく、根っから、イメージ的なものしか理解できない、という知能次元の男性であった場合、進みゆきは悪くなる。
付き合い始めて一か月という日を、記念日にして、お祝いしよう、という話になったとする。
あなたはその日、アルバイトが入っていたので、「夜からなら大丈夫だよ」という話になる。
彼のほうも、「それはそれで、必要なことだからね、アルバイトがんばってね」ということになる。
が、あなたは、アルバイトの仕事あがりに彼と会うということを、そのとき初めてするのだった。
よりによって、その日はアルバイトの仕事が大忙しで、終業は遅くなったし、正直クタクタに疲れてしまった。
仕事中、店長に八つ当たりもされて、イライラもした。
その後、彼に会うと、彼は満面の笑みで出迎えてくれて、それはやはりうれしい。
よろこびきれる体力がないが、気持ちとしてはとてもうれしい。
が、そのとき、あなたのよろこびようが、いつもと違って沈みがちなので、彼は「あれっ」という気持ちになる。
いつもの、あの甘やかなあの感じは、どこにいったのだろう。
まして今日は、付き合って一か月の、特別な日だ。
また彼は、あなたの帰りを待っていた時間、今日という特別な日をどう過ごそうか、空想を膨らませてますます浮き立っていたのだ。
そのあたりで、いわゆる、二人の「温度差」がかけ離れてしまう。
彼のほうは威勢がいいので、あなたは、
(ちょっと待ってよ、もう)
と、内心で少し溜息をつくふうになる。
疲れているのだ。
それに対して、彼が肩をすくめて何かぶつくさ言うが、あなたは疲れているので、
(ちょっと、もう、気楽なこと言わないでよ)
(わたしにはシャワーを浴びる権利もないの?)
と、わずかに苛立たしさを覚えてしまう。
こんな温度差や、すれ違いは、よくあることだし、誰にだってあることだ。
が、このとき、この彼が彼氏である場合は、それでは済まなくなってくる。
温度差があるとしても、彼にとって重要なのは、あなたの温度ではなくて、彼の「こうしたい」というイメージの温度だからだ。
これまでは、あなたの温度が、彼のイメージする「彼氏彼女」の温度に、たまたま合っていたから、彼のイメージしたとおりのことをなぞることができた。
しかし、今日のあなたは疲れ切っており、到底、そのイメージされている温度へお付き合いすることができない。
「ごめんね、ちょっと疲れてるわ」
あなたは素直にそう謝る。
が、そのあなたの声は、なぜか彼に、ちゃんと届いていない感触がする。
このとき初めて、あなたは「あれっ」と感じる。
何か、仕事あがりで疲れて帰ってきたあなたより、これまで寝転んで過ごしていた彼のほうが、傷ついて不機嫌な様子になっている。
あなたは、彼の機嫌を損ねてしまったことに、悲しみを覚える。
が、同時に、
(でも、だって、仕事帰りでもいいって、強行したのはあなたのほうじゃない)
と、ゆずれない反論の気持ちも起こってくる。
こうしてこの日、あなたと彼は、初めて気まずい、不仲の時間を過ごす。
それでも、翌日には、お互いに頭も冷えて、仲直りするだろう。
「ごめんね本当に」
「いやいや、おれがどうかしていたよ。ダメだね、おれマジで反省してる」
「いいよ、忘れて」
こういうやりとりが、通信端末で交わされる。
これで、このときのことは解決する。
しかし、このままいくからには、同じことは必ず起こってくるし、必ず繰り返される。
そのうち、あなたはやがて彼について、その様子から、
(あ、これはダメなパターンだ)
というのを、先に気づけるようになってしまう。
あなたはやがて、彼が不機嫌になるパターン、気まずくなり不仲な時間になってしまうパターンから、その本質を見抜き始める。
(そっか、この人は結局、自分の思うとおりにいかないとイヤなんだ。わたしが疲れているときとか、そういうことは、わかってくれないんだ)
それはちょっと、どうなのかな、という気持ちが高まってくる。
彼が、彼の友人を連れてきて、三人で食事をした後など、必ず文句を言われる、というパターンにも気づいてくる。
「お前さあ、前も言ったけど、他の奴がいるときは、おれのこと立ててくれよ。かっこつかないし、おれだって人付き合いで立場とかいろいろあんだよ」
あなたは、彼と彼の友人との三人で、楽しくしているつもりだった。
だがどうやら、
(そっか、彼の頭の中には、もっとこう、何か違うイメージの光景があったのね)
ということを理解する。
そして、
(そんなの、言われなきゃわかるわけないじゃない。あなたの頭の中にあるイメージなんて)
と、このときはもう、堂々と溜息をつくようになっている。
「どうしたの?」
「いえ、別に。何でもないよ、気にしないで」
もちろん、そういった浮かないことだけではなく、楽しく無邪気なシーンも存在する。
急に暖かくなった春の日や、あなたが無性に「遊びたい!」と浮き立つ日、あなたは彼と、とてもウマが合う、という気がしてくる。
彼は、そうして彼氏彼女らしいイメージのことをやることにかけては、理解が早く、精力的で、また実際に有能だった。
「いちご狩りにいきたい。ねえ、もう行っちゃおうよ」
「マジで? えー、じゃあおれ、先輩に車借りてくるわ」
こうして、あなたが彼の描くイメージに適合する日、あなたと彼はとても仲良しだ。
それはとても楽しい記憶なので、あなたは彼について疑わしさを思うとき、
(でも楽しいこともすごくあったんだ)
と必ず思い直すことをする。
あなたはそうして、楽しさ半分と、我慢半分で、彼との交際を続けている。
それが決定的に破綻へ向かうのは、あなたが「やりたいこと」を見つけたときだ。
あなたは大学の卒業論文を書き始めた。初めはおっくうだったが、いつかしら、自分のやるべきことが見えてきて、のめりこみ始めた。論文発表の日も示されて、それに向けて緊張感と、プレッシャーも高まってくる。
あなたは、忙しくなるが、それ以上に、他の時間でも卒業論文のことについて、どこか考えている様子になる。
このことは、彼をさびしがらせるだろう。彼から見れば、あなたはこのところずっと上の空だ。
あなた自身もそれは自覚していて、それをやはり申し訳なく思っている。
が、それでもやはり、ふとしたときに、しょっちゅう、考えてしまうのだった。
彼はあるとき、ただならぬ調子で、
「お前さあ!」
とあなたに怒りを向ける。
あなたは、彼がそこまで怒ってしまったということに、ますます反省し、自己嫌悪もするが、同時に、こうも思ってしまう。
あなたは今の自分自身が、やるべきことに向かっていて誇らしいからだ。
(確かに、わたしが悪いけど、あなたも、あなたのやるべきことを見つけてよ)
(わたしが悪いんだってことはわかってる。でも、わたしだって、こんなに何かに真剣に取り組むのは初めてなんだよ。そんなに責められたって、恋愛と同時進行なんて、わたし器用なことできないよ)
あなたは、彼と、ちゃんと話し合うべきだと思い、卒業論文の制作日程を一部変更して、彼ときちんと話せる日をもうけることにした。
「話したいことがあるの」
あなたはそうやって、話し始めてから、ある感触に手ごたえを覚える。その感触の記憶から、
(ダメだ)
ということを思い出す。
(そっか、ダメだ。そうだった。ダメなんだった)
(この人は、こういう話を聞いてくれる人じゃないんだった)
(そのことこそが問題だったのに、わたし何やってんだ、馬鹿だ)
(この、いつもの感じ。言葉が初めから跳ね返されてしまう、まるで聞いてもらえていないこの感じ)
(わたしは、あなたの、「楽しい彼女」でないといけないんだったものね。あなたにとって)
あなたは、話をつづけながら、
(この感じ、この感じなのよ、この人は)
と、改めて「彼」という人間の感触を確かめていく。
こうして話をして、わかってもらおうとしても、何か言葉は、届いていかないし、受け取られていかない。
何かこう、ずっと、自分の得意なパターンというか、自分の持っているイメージの何かに、流れを変えて持ち込もうとしてくる。
この人、本当に、わたしのことなんか見てない。
なにこれ、わたしって、あなたに一定量の、あなた好みの何かを体験させるためだけの存在なの?
それならもう、正直、他の誰かにお願いしてよ。
あなたは彼と、喫茶店で話していたのだが、あるシーンを目撃して、改めて愕然とする。
彼は、喫茶店のウェイトレスが来たところで、ウェイトレスにある種の笑顔をサッと見せ、さも、「彼女を連れている爽やかな男性」と見せるような、小芝居をしたのだ。
彼は、咄嗟にそういうことをするし、咄嗟にそういうことをしたとき、必ず何か満足げだ。
(この人、本当にこういう人なんだ)
(……)[何かが割れるような感触がする]
「ねえ、あのさあ。そういうのって、本当に大事?」
「は?」
「ううん。いいや。わからなかったらもういい」
「なんだよそれ。お前が話あるって言ったんじゃん」
「ううん、じゃあわたしが間違ってた。また今度、お話するね。何か中途半端になっちゃってごめん」
卒業論文の、中間発表の日がきた。緊張で、口調はたどたどしかったが、教授は「内容はいい、すごく充実してきている」と評価してくれた。
あなたは、達成感と、一時的な解放感を味わう。
卒業論文の制作にあたり、手助けしてくれている先輩たちを含め、中間の打ち上げとして居酒屋に行く。
打ち上げはワッとはじまり、その後、感慨深さからしっとりしていった。三々五々、それぞれはそれぞれのタイミングで帰っていった。
あなたと、ある先輩は、歩いて帰宅できる距離だったので、最終電車が出たあとも、動く気になれずしみじみ飲んでいた。
あなたは、人に悩み事の相談をする性格ではなかったが、解放感と酒精に煽られて、自分と彼氏との状況についてポロポロ話し始めた。
笑ってもらおうと思って話し始めたのだったが、先輩は、「それはなあ」と言って、浮かない表情をして、胸を痛めてくれる様子だった。
「そんな、暗くならないでくださいよ」
「いや、まあな。でもな」
先輩は、まあとにかく、話してよ、話せる限りのところまで、と言った。先輩は、あなたを焦らせるふうではないが、酔客とは思えないような集中力を取り戻して、視線をやや伏せ、あなたが話し始めるのを待ち受けている。
あなたは人にそのように迎えられるのはずいぶん久しぶりだった。
そうなると、まるで「泣きそう」という気持ちになり、冗談で両目に手を当てたら、本当に涙が出てきて、止まらなくなって泣き始めてしまった。
何年かぶりに、横隔膜がけいれんするほど、ひっくひっくと嗚咽をもらして、その挙動が、身体的に苦しい、ということを思い出した。
泣きながら、「こんなに溜まっていたんだ」と、自分があわれになった。
あなたはしばらく、テーブルに突っ伏して泣いていた。溜まっている涙を、全部出してしまおうと思った。途中で先輩が、コートを肩にかけてくれた。先輩は、しばらくあなたの背中を撫でていたが、
「そのままでいいから、何も気にせずにいて」
と言い、少しの間トイレに立った。
あなたは、さんざん泣いたので、やっと気持ちが落ち着いてきた。
顔を上げて、目をこすり、
(だめだ、こんなことじゃ。ちゃんとしよう、先輩に悪い)
と唇を噛んだ。
先輩が戻ってくると、あなたはその姿を見て笑ってしまった。
「え、なんですかそのおしぼり」
「ん? いやだって、ほら、泣いてるからさ」
「だからって、こんなに、ここまでたくさんは要りませんよ」
「そうかな、慌ててたから」
「お店に悪いですよ」
「うん、まあ、大丈夫、これ保温ケースからこっそりパクってきたから」
「えー」
「ここ片づけるときにバレるけどな」
「そうですよ。でも、その、すいません。ありがとうございます」
「うん、まあ、いいじゃない」
「○○さん、やさしいですね本当に」
「そうか? まあ正直、こういうとき、どうしたらいいのかわからん。我ながら情けない」
あなたは温かいおしぼりを目に当てながら、ふと、
(そうだ)
と思い出した。
何かものすごく懐かしい感じがする。
何だっけ、この感触。この記憶。
!
ああ、そうだった……
(あれは、何だったの。言ってたね、「彼女ができたら、おれ超やさしくするよ」って)
(あれって、何よ。全然、ウソだったじゃない)
あなたは、事の発端からその後に続く彼との記憶を走馬灯のように思い出し、今改めて、全てのことが統合されていくのを受け止めなおした。
(ある意味、彼は、はじめから何も変わってない。初めからずっとそうだったよ。よくよく考えたら)
(だから、わたしがバカだったんだ。あまり、人のこと言えない)
(それで、なんというか、これでよかったよ。正直、こんなもので済んで)
(このままいったら、わたし、彼と結婚してたかもしれなかったもの。ううん、たぶんしてた。危なかった。わたし、本当のこと全然見られてなかったんだ)
あなたは、顔を上げて、フーッ! と大きくため息をついた。終わり! と言いたかった。息を吸おうとすると、鼻がズルズルっと鳴った。すべてが解決した、謎が解けた、という心地がして、何かが可笑しくて、ディッヒヒヒ、と笑った。筋肉がよれて、まともな笑い声ではなかった。
つられて先輩も笑ったが、先輩はまったく珍しいものを観察するようなあきれ顔で、研究者のようにあなたの顔を覗きこんでいた。
「何か、笑ったねえ」
「すびぱせん。何かもう、逆に可笑じくて。カッカ」
あなたは無敵になった心地が一瞬した。
「○○さん」
「ん?」
「○○さんは、本当にやさしいです」
「え、あ、はい」
「わだじが保証じます」
「そりゃ、ほう」
「どこかの誰かとは大違いなんです」
「うーむ、怖いこと言うなあ」
先輩はあなたを、あなたの下宿近くまで送ってくれた。求められるかな、と、少し期待もしたが、先輩はそういう発想を持っていなかったらしく、ひたすらあなたのことを気遣っていただけだった。
むしろ、抱かれたかったのに、抱いてほしかったのにな、とあなたは思ったが、あなたは、
(まあ、もう、それどころじゃない、今は)
と気を引き締めなおした。
帰り道、先輩といくつか話をした。
「○○さんは、彼女さんとかいないんですか」
「いないよ」
「やさしいのに」
「いーやぁ? おれはそういう、女の子とラブラブ仲良しって、そもそもそういうキャラじゃないしな」
「そうですか?」
「自慢じゃないが、女の子とそうして仲良くやれる自信、まるでないよ」
「へー、そうなんですか」
「逆に、上手くいかない自信が確然とある」
「そんなこと、ないと思いますけど」
「いーやぁ、おれのことは、おれが一番よくわかってる。だまされんぞ」
「ははは、なんでわたしが○○さんをだますんですか」
その話を聞きながら、あなたは、「本当に大違いだ」と、いっそ感心していた。新しい世界を見るような気分だった。
(確かに、わたしが○○さんと付き合うとか、そういうことはなさそうだけれど)
(絶対、この人のほうがいいよ。なんでだろ)
(わたしはどうして、○○さんとは、付き合うとか、そういうことはなさそうって感じるんだろう。あー、いやでも、わかんないけどね。そういうのって、本当わかんない。決めつけられることじゃないし、決めつけないほうがいいよね)
アパートの二階、あなたは下宿に戻った。いつも通りの散らかった部屋だ。
カーテンを開けて、下を覗きこむと、先輩はライターの調子が悪いらしく、それでもなんとか煙草を吸おうと悪戦苦闘していた。
あなたは窓を開けて、
「○○さーん」
先輩はあなたを見上げた。
「あの、わたし、卒論がんばるんで。その、最後まで、付き合ってください。わたし、頑張りますし、できたら最後まで、○○さんに支えてもらいたいんです」
先輩は、照れくさそうに、そんな気にすんな、という手振りをして、その後、手のひらにOKサインを示して掲げてくれた。
そして、なお話そうとするあなたに向けて、もう夜中だぞ、でかい声だすなよ、というしぐさをして、背中を丸めて、歩いて帰っていった。なんとか、煙草に火はついたようだった。
***
と、文学史上まれに見るバランス感覚の悪さで、長大な例を話したが、これはこれで逆にオモロイということでこのまま掲載するが、それにしても、「イメージ」というのはそういうものだ。
これほど、元の話が消えて、元の話の説得力が消失するケースも珍しいだろう。
男女の一幕について、小説めいて話したが、ちなみに、この場合、主人公の女性にも、いまいち好感が持てない、何かどうしても引っかかる気がする、というほうが正しい。
そういうふうに書いた。現在、リアルさで書くならそうするしかないからだ。
何が引っかかってそう感じられるのかは、面倒なので説明しない。読み直せば誰にでもわかる。ただこんなものは、誰も読み直したくはならないが。
主人公の女性が、何か「傲慢」な気がする、それも何か根本的に……という感触を覚えるのは、かなり正しい。
先行きを考えたとき、暗さというより、うすら寒さや気持ち悪さが予感される、そしていつか「クラッシュ」が……と予感されるのは、かなり正しい。
怖い話になるのでやめよう。
それで、何の話だっけ? もうどうでもいい気がしないでもない。
力ずくの強引さで、話を元に戻すと、知能の程度と、理解の限度、という話だった。
初等の知能は、イメージ的なものしか理解できない。
中等の知能は、社会的なもの・構造的なものまでを理解できる。
高等の知能は、実存的なものを、直覚できるようになる。
そういう話だった。
そして、
<<イメージと実存を取り違える人はとても多い>>
ということだった。
このことを、人に疑ってかかるいうのは悪趣味だが、手探りしてみる余地は十分にある。
その方法は、
「総理大臣って、つまり何?」
と訊いてみることだ。
それについて、適切に、社会的なものとして答えられる人は、実は少ない。
「国のことを決めている、一番偉い人でしょ。あと何だっけ、社会科で習ったよね。たしか、天皇が任命するんだよ、総理大臣は特別だから」
そういう答えが返ってくるたびに、あなたは少しばかり慎重になっていい。
<<中等知能に至っていない人が、高等知能の実存だけ先に獲得しているというのは、甚だ怪しい>>と。
彼が、いかに一見、堂々としているように見えても。
語気が強く、よく笑い、自信と積極性があるように見えても。
あるいは逆に、まるで川辺の柳のように、恬然と穏やかに見え、その顔面が脱脂綿のように、油っけ無く見えても。
また彼が、「意識が高い」ふうであったり、男女観が勇ましく、結婚願望がほほえましく、将来の夢をよく語るように見えても。
あるいは、映画を観てよく泣き、音楽を聴いてよく感動し、戦争のニュースに嘆きと怒りを強く表すように見えてもだ。
「総理大臣って、つまり何?」と訊かれたとき、それを「勢い」で返そうとする人間は、発想の機構がヘンだ。
何もかもを、イメージでしか捉えていない、知能が初等のタイプの人間かもしれない。
それで、よくよく見ると、彼は「イケてる人」のイメージ演出を自分にほどこして、それで通用すると思い込んでいるだけなのかもしれない。
その結果、野放図に堂々としたふうになり、傍若無人に積極的、パワフル、よく笑う、となることはよくある。
あるいは、本当に知能がイメージ世界に限定されている人は、「自分をどういうイメージにしていくか」、その演出に臆面がないことがあるので、それが一見アイデンティティがあるふうに見えることもよくある。
イメージは、イメージでしかないが、その自分の思い描いたイメージに、強い執心を持つ人はいるのだ。
「人が生きるとはどういうことか」について、彼もときどきは、何かそれらしいことを言うだろう。
が、そのとき、彼の言うことは、常に何か定番の「イメージ」に収まっていないか。
彼は、「我が道を行く」感を見せているが、その「我が道」は、すでによく知られた定番の「イメージ」をなぞっているだけではないか。
彼は、物事を感じやすいタイプに見え、感じたままを素直に言う大胆さにも見えるが、彼が映画を観たあとの様子はどんな具合か。彼は本当に「感じたまま」を話す人間か、それとも、「イメージに刺激されたまま」の興奮を放り出すタイプではないか。
もちろん、単に社会的なものだけがわかっているだけの、ただのおじさんと交際してもうれしくない。
そういうことではなくて、特に恋あいということになれば、それは「人が生きるとはどういうことか」の直覚へ、直接の足しにならなければ意味がないのだから、もちろんその実存が触れ合える人と交際するべきだということだ。
ただそれよりも、まず可能性として、「イメージと実存の取り違え」に巻き込まれることのほうが、はるかに危険で数が多い。これは今まさに、実際的な問題だと思う。
まさか、本当の本当に、初等の知能のまま止まっているなんて、普通は考えもしないからだ。このことには、どうしても警告風味が混入せざるをえない。
イメージの、強いふう演出や、親しみやすいふうの演出、「イケてる」ふうの演出、純愛主義の演出、平和主義の演出、特に「心のきれいな人」ふうの演出などに、だまされてはいけない。
だまされないためには、いっそ、
「総理大臣ってつまり何? こんな質問にさえきちんと答えられない人は、基本的にまともじゃないわ」
と、きつめの調整で、心構えをしておいてもよいぐらいだ。
人の、「人に向ける気持ち」は大切にするべきだが、「イメージに向ける気持ち」は、同格ではないので、同等にまで大切にしなくていい。
切り捨てたり、踏みにじったりまでは、決してするべきではないけれども。
ディズニーランドに行きたい、バカップルがやりたい、というイメージへの気持ち、ささやかな執心は、付き合ってもらえばいいし、付き合ってあげればいい。
が、そのことのためだけに、人の存在を利用していいわけではない。
特に、「花嫁姿」のイメージ、「ゴールインでうらやましい姿」のイメージに、強い執心がある女性は多い。子供心のころから植え付けられているからだ。ディズニーランドと同じく、それは一つの「夢」のようにも思われている。そういう人が「結婚したい」と言う。そのとき、特定の誰かを指して、「あの人の妻になりたい、わたしはあの人を支えて生きたい」というわけではない。
子供心に見た「夢」を、そのままに執心していてよいのか。あなたは今もまだ子供なのか。子供心に植え付けられたあこがれのイメージだとして、あなたは真正、その子供心のままなのか。花嫁姿のイメージ、「ゴールイン」でうらやましいイメージ、内心のライバルに、差をつけて鼻を明かしてやる「してやったり」のイメージ。また、その逆をやられるのは絶対イヤ、絶対負けたくない、というイメージ。それらは全て「イメージ」だ。
「人が生きるということはどういうことか?」。まさか、そういうことなのか。そんなことは間違いで嘘っぱちだと、本当は大人なら誰だって見当がついている。
ほんのり執心の残っていたイメージが、めぐり合わせで、満たされることを祈りたい。そりゃ誰だって……その幸運はすばらしいことだ。だが、その自分かぎりのイメージへの執心を満たすために、何もかもをペテンに掛けようと考え、そのことに臆面もない、そんなことはまともだと言えるか。まともであるはずがない。
人に向ける気持ちより、イメージに向ける気持ちのほうが強いから、イメージが大事で、人は正直どうでもいいのと、そんなことがまともであるはずがない。
僕はしばしば、そうしてイメージへの執心に狂乱する人に、そこまでの意味をすべて込め、
「総理大臣って、つまり何?」
と訊く。
この方法は、遠回りすぎて、いっそ奇想天外、荒唐無稽に聞こえる。けれどきっと、最短で、間違っていない。
イメージで答えるな、もう子供じゃないんだとっくに、ということなのだから。
もちろん、ここまで言うからには、あなた自身も、決して初等知能のイメージ人間であってはならないということだ。
僕は、大人がコドモみたいであることを、結局許さない。
本当は、誰も結局許さないだろう。
ちゃんと、知能を向上させて、社会的なもの・構造的なものを、よく知り、理解して、感動を得ていくことだ。
実存は、さらにその先にある。まだ手元にはない。
人が生きるということはどういうことか。女として生きていくということはどういうことか。恋あいの上で生きるということはどういうことか。そういった実存の直覚は、知能の発達として、あくまで中等をこなした上で、高等へ到達してからのことだ。
いくらご気分に沿わなくても、「中等はナシで」と、飛び級して実存の直覚を求めることは成立しない。
イメージと実存を取り違える人の動機のほとんどはそれだ。
「何も知らないけど、本当の大切なことは、全部わかっているの」というつもりでいたがる。
なぜ自分だけ勉強せずに許されて進めると思うのか。
なぜ自分だけ子供の知能で祝福されると思うのか。
それは、逆説的に、知能が子供のままだからだろう。
「総理大臣って、つまり何?」
このことに、いつまでも、イメージで答えていて本当に許されるのか。
アイドルタレントは、イメージ商売だから特殊な演出をするが、あなたはイメージ商売で生きていく人間ではない。
イメージ商売から植え付けられた「かわいい」のイメージで、あなたは生きていくことはできないし、かわいくもなれない。
僕もあなたも、同じ、ただの一個の人間だ。それがどうして、あなただけ、「イメージ」の演出で、何かを稼げると思うのか。
あなた自身、特に恋愛を、イメージでしか捉えていなかったとしたら大問題だ。
あなたはきっと、同程度の知能次元の男性とお付き合いすることになるし、何なら、そのまま生涯の伴侶として結ばれてしまう。
お互いその先、一生、グッド・イメージの小芝居をし続けなくてはならないというのでは大変だ。実りのない苦行を続ける様になる。
あなたがアイドル演出を続け、彼が少女マンガ演出を続けるなど、何年も続かないどころか、数ヵ月、あるいは数週間だって続きはしない。
そういったストーリーにならぬよう、何ができるかというと、知能を向上させることだ。そのために、さしあたり悪くない方法は、冒頭に書いてあったとおりに、「総理大臣って、つまり何?」を回答できるよう、あのまま覚えてしまうことだ。
つまり勉強することだ。
あの程度のことは、誰だって知識として回答できていいし、回答できるようになったとき、あなたはそれについて気分が悪くなく、むしろ「わたしはなぜ今までこういった勉強をしなかったのだろう」と、自分に驚いているはずだ。
それは、脳に滋養が届いて、知能が覚醒しようとしている合図だ。そして、冒頭に申し上げたとおり、そうしているときの女は、健全で健気でうつくしいのだ。
[総理大臣って、つまり何?/了]