出会いのコラム









彼にとって特別な人になる方法2







オトコとオンナが特別な関係になるのに、時間はさほどいらない。お互いにオトナなら一晩あれば十分だし、オトナでなくても二、三回会えば時間としては十分だ。これは逆に言い換えれば、それ以上時間をかけても意味が無いということでもある。普通僕たちは、目の前にいる人について「この人は自分にとって特別」と感じるとき、ごく短い時間でそれを感じ取るものだ。時間をかけるのは意味が無い。時間が何か特別なものを作ってくれるわけではない。五年間一緒に働いた同僚でも、会社を辞めたら一生会わないということなどいくらでもあるのだ。

「彼となかなか仲良くなれないんです」

そういうふうに言うオンナに、詳しく話を聞いてみると、すでにその彼と二回デートはしたものの、肉体的接触はなし、会話の雰囲気からしてどうも友達モードっぽいです、というような話だったりする。そういう話なら、「なかなか仲良くなれない」という表現は間違っている。それはじっくり行けば大丈夫という話とは本質的に違う。それは単純に、「彼と本音でコミュニケートできません。二人の間に何も生まれません」ということなのだ。繰り返すが、僕たちはオトコとオンナの間柄において、特別な関係になるためにさほど時間を必要としない。本音が交換され、そこに何かが生まれれば、それこそ一時間でも三十分でも特別な関係にはなりうるのだ。

そうは言われても、なかなかそういうふうにはいきません、そう言う人については、僕は次のように言っておきたい。

本音を交換しあって、そこに何かが生まれれば、僕たちはすぐ特別な関係になります。

それができないのはなぜだろう?

それは、本音を交換する前に、あなた自身が自分の本音に向き合ったことがないからだ。

(多分ね。わからないけど)


***


狙っている彼がいて、その彼と特別な関係になれない、二回デートして二日に一回メール交換はしていますが、それでも特別な関係になれません、そう悩む人は多い。びっくりするぐらい多い。しかもそれが、人並み以上にキレイな女の子だったりすることもあるからなおびっくりする。

同様に、合コンやら飲み会やら、趣味のサークルやら習い事やらに行くけれども、出会ったオトコと特別な関係にはなりません、そういう気配すらありませんという人も多い。これもまた、人並み以上に元気よく生きていて、いろんなことに積極的なオンナがそう言ったりするから、まったく不思議なものだ。

どうもこのあたり、大きく考えてみて、人と特別な関係になる方法、特に異性と特別な関係になるための方法を、今までにまったく教わっていない人がいるようだ。人と特別な関係になる、そのための方法は大してむつかしいものでもないので、それを知らないとなるとこれは教わっていないのだとしか考えられない。一回でもそれを教わったことのある人は、別に意識しなくてもそれを自然にやれている。(ただし、ココロが歪んでなければ)

僕自身、それを誰に教わったのかはっきりとはわからない。が、色んな人に教えられて、それが積み重なって今の自分のやり方というのがあるのだろうと僕は感じている。僕は人と特別な関係になるのは多分得意なほうだが、これは別に僕の何かが優れているわけではなく、その方法を十分に教わってきたということにすぎないのだ。

なので今回は、その方法について話そうと思う。僕がそんなことを教えるというのは非常にゴーマンな感じがするが、まあでも他の誰もこのことについて話さないのでしょうがない。僕がゴーマンを覚悟で話すことにする。そういうわけで、今回は「彼にとって特別な関係になる方法2」というのを書くことにしてみたのだ。

(ところで、僕たちにはいつも基本的なことが足りていないわけだが、なぜ誰もその基本的なことを教えてくれないのだろう。アスベストは危険ですよというアナウンスはあるが僕たちはどれがアスベストなのか実物を見てもわからない。それと同じように、冷たくすると人に嫌われますよとは教わるが、こういうのが冷たいということですよということについては具体的には教わらない)

(まあいいか。僕は教わってるんだし。ちなみに僕は、アスベストを目で見て識別できます。化学系出身だから)

さて、人と特別な関係になるにはどうすればいいか。ここは女性向けに恋愛関係の話をする場所なので、一応、あなたがお目当てのオトコと特別な関係になるにはどうすればいいか、と考える。

オトコと特別な関係になるためには。

まず、本音で話すこと。本音でやりとりすること。本音を交換すること。

セックスすると、それだけである程度特別な関係になるが、それはセックスには本音のやりとりがついてまわるからでもある。(だから別に、本音さえ交換できればセックスは必要ない)

(ついでに、僕がセックスを求めるのは、単にセックスが好きだからだ。誰もそんなことは聞いてないか)

そして、もう一つ。

その本音の交換が、お互いに何か変化を与えうるものであること。お互いの人生というか、いのちを、精神を、あるいはカラダをも、発展なり進化なり深めるなりするものであること。

この二つができれば、あなたも彼と特別な関係になれる。

繰り返して言うが、それに時間は必要ない。

オトコとオンナが、お互いを特別なものとして意識するなんて、時には一瞬のことでさえある。

(どうしてもそれに時間の必要な人は、同窓会や幼馴染を攻めるというのも一法だ)


***


本音で話すということ。これが大事だということについては、誰も異論を差し挟まないだろう。僕たちは、本当はいつも本音で話し合いたがっている。じゃあ本音で話していないときはいったい何を話してるんだろう、実はそれはまったく無意味な時間なのでは、改めて考えるとなんとなくそうも思えてくるが、まあそれはここではおいておこう。とにかく、本音で話すのが大事。同時に、僕たちのそれぞれが、それぞれ自身の本音を自分である程度捉えられていることも大事。ついでに、自分の本音を自分で捉えるという作業は、かなり苦しい作業なのだけれども、それでもやる価値はあるし僕たちは結局それをせずにはいられない。それをサボるとやがて神経症になってしまう。

さてでは、本音で話すのはいいとして、それが「お互いを発展させる」というのはどういう意味だろう。このことについては、いくらか説明が必要だ。

例えば、あなたの目の前にいる外見偏差値50のオトコが、こんなことを言ったとする。

「オトコはやっぱしぃ〜所詮ヤリたいだけなんすよぉ〜まあぶっちゃけて言えばぁ〜オレもその中の一人っつうかぁ〜いやでもムリヤリとかっていう話じゃなくてぇ〜そのへんどうなんすかねぇ〜オンナの人でもほらぁ〜性欲とかってあるっていうじゃないですかぁ〜」

こういう口説きを受けたとき、あなたは胸にズキューンと感じるだろうか。感じる人がいたなら、その人にはメンタルクリニックに通うことをオススメしたい。治るとは思わないけど。

あと、まさかこんなことを言うオトコなんていないでしょうと、そう思うオンナの人もいるかもしれない。でもそういう人はラッキーなのです。実際に、こういうことを言うオトコはいます。実在します。お酒の勢いで、オンナを口説きたいのか恥ずかしいのか自分でもよくわからなくなって、これこそ自分の本音であり全男性の本音であるという調子で話し出す人はホントにいます。なので、こういう人を知らない人は、今までの幸運をカミサマに感謝しましょう。

ええと、まあそれはいいとして、とにかくそういうのを本音としてぶつけられても、あなたとしては何も感じられないし、はっきりいって不愉快だし、かなうことならキンチョールでもシュッとかけるか紙でくるんでくずかごへという気分になるはずなのだ。本音を交換するのが大事だったとして、本音ならなんでもいいというわけではないのである。

本音の交換があったとして、それがお互いを発展させる方向で作用する、ということが大事だ。僕はこのことについて、お互いを発展させうる本音を、「洗練された本音」と呼ぶことにしている。

洗練された本音の交換は、お互いを発展させる方向で作用する。

(洗練といっても、別にソフィスティケイトされているべしという意味ではない。余分なものを洗い落として、練るべきを練り上げていればそれでいいわけだ)

例えば、あなたの目の前にいるオトコが、あなたに向けてこう言ったらあなたはどう感じるだろうか。もちろんそのオトコは、本音とわかる調子で、あなたにそう語りかけてきているのである。

「笑った顔がいい。普段がちょっと怖い系の顔だから、笑うとすごくインパクトがある。いいな、その顔を見るためだけにでも、これからまたあなたと会う価値はあると僕は思った」
「あなたのその言い方、かなり気分悪いよ。さっきからさ、何をガンバってるの?いいじゃん、あなたは自分で言ってるほど強くないし、そのことを自分でもわかってるはずだよ」
「さっきあなたが上着を脱いだときから、正直、あなたを抱いたらどんな感触だろうって、そのことばかり想像してるよ。それがヨコシマなのかハレンチなのか僕にはわからない、けど、自然にそれを想像してしまうし、想像は消せない、できるにしても、想像してないフリしかできないよ」
「うん、いつも仕事がよくできるなあって、僕も見てて思うし、周りの誰もがそう思ってると思うよ。でも、あなたの魅力はそれだけじゃないっしょ。僕は今、それ以外の魅力を見てるけど、この魅力にあなたは自分で気づいてないのかな」
「今のままじゃ、破綻するよ。自分で分かってるくせに」
「いいんじゃない?成功するかどうかわからないけど、失敗するかどうかもわからない。だから、それが夢なら夢として、持てるところまでずっと持っていようよ。それが実現するかどうかは不明だけど、それに近づくのは間違いないんだから」
「いや、お前は本来、もっと力強く考えて進めるやつのはずだ。考え直せ」
「あなたは自分がバージンだからって、そのことにあぐらをかいてるよ」
「オレは戦争になったら兵隊になるよ。それが普通のことだからさ。いや、この国が異常なだけで、ヨソの国ではそれが普通なんだ」
「僕も後悔はたくさんしたよ。後悔がこれからの覚悟を養うって、僕は思ってるんだけど」
「人生は不平等だけど、いつだってフェアだ。そう思わないか?」

こういう言葉が、本音として交換されて、それがお互いの目を覚まさせるかどうか、ハッとさせるかどうかが大事になってくる。ここで、お互いの本音の交換に何か発見を見出せば、二人は特別な関係になる。

僕たちが人と特別な関係になるとき、僕たちは、その人との関わりで、新しい自分が創られることを予感しているのだ。その予感があれば、僕たちはすぐにでもお互いを、「この人は自分にとって特別な人」と認識する。

人と人とが交わるとき、それはよく化学反応に例えられる。

  A+B → C+D

このとき、AはCに、BはDに生まれ変わっている。僕たちはこの生まれ変わりをいつも希求していて、そのための反応相手を求めているのだ。

あなたは彼にとって、そういう存在になればいい。

ちなみに、化学反応を起こしうるものとそうでないものは、どこで分かれるか。

それはそのモノが、活性であるか不活性であるかによってきまる。

例えば、酸素は活性だから、対象のモノを酸化する働きがある。

それに対して、たとえば窒素は不活性だから、なにも働きが無い。窒素というのは、生きものを窒息させることしかできませんヨという意味で窒素と名づけられたのだ。

僕たちは活性の人に会って、変化と発展、新たな再生を得ることを求めている。活性の人は、力強く魅力的な「洗練された本音」を持っていて、それを表現することに臆さないから、僕たちはそういう人を求め、そういう人を自分にとって特別な人とする。

僕たちは不活性の人を求めない。不活性の人は、本音が洗練されていないし、それを自分で捉えられてもいないし、それを表現することに臆すからだ。

僕たちは、活性な人と一緒にいることで、やがて炎を上げる。

僕たちは、不活性な人と一緒にいると、やがて窒息する。

(言いすぎかな。まあ、少し言いすぎだ)


***


話が少し横に逸れてしまった。元に戻そう。えー、化学反応の話はあくまで例え話です。化学反応には触媒もあるだろうとか窒素だってプラズマになれば活性は高いだろうとか、そう言われたらややこしくなってしまう。

さて、あなたが彼と特別な関係になるにはどうすればいいか。それは本音を交換して、その本音の交換が、お互いを発展させるものであればいいということだった。うん、このことはある程度真実だと思う。誰かと一緒にいて、本音の交換をしない、お互いに発展もしないというのでは、根幹が退屈だしね。ついでに、僕たちはよく、その人といると「楽しい」とか、その仕事をしていると「楽しい」とかと表現するけど、実はこのことも間違っている。正確にいうなら、「充実する」なのだ。僕たちは自分を充実させるものを自分にとって特別なものだと感じるし、僕たちは自分を発展させるときに充実感を感じるものである。

なのでまずは、あなたとして、彼と本音で話そうと心掛けるのが第一歩になるんじゃないかな。お互いを発展させ、充実させあうことを目指して、本音を洗練させ、それを交換する。そのことを、とりあえず普通にオススメしておきます。

本音で話すということ、それがお互いを発展させるということについて、じゃあお前は実際どうなんだい、と聞かれてしまいそうだ。

僕の場合はどうだろう。それについて、少し考えてみる。

僕の場合、本音で話すのは得意である。というか、基本的に本音でしか話せない。本音病と言ってもいい。余談だけど、これはこれで困ったものなのだ。建前で話すのが苦手なので、そういうシチュエーションでは途端に黙り込む。特に商社で働いていたときなんかは、それでいくらか失敗もした。どうでもいいような会議に出て、不意に意見を求められたりすると非常に困るのだ。「てゆうか、この会議あんまし意味無いんじゃないすか」ということしか僕の脳には出てこない。だから「はぁ」とわけのわからない音を出して沈黙してしまう。もしそこで僕が、「この会議は意味が無く、意味の無いことを意味が無いと認めないのは時間の浪費であり一つの罪悪ですよ」とかっこよく主張したって、そこは年功序列と旧態依然の壁に阻まれて、僕がバカモノということになってしまう。

まあそういうのは実際僕が非常識なわけで、人間少しは建前での会話もできる必要があるだろう。(ああでも、やっぱり僕は建前トークがキライだ。今こうして書きながら想像しただけでしんどくなってきた)

僕はいつも、本音でばかり話している。オンナに対するときもそうで、キレイな人にはキレイですねと言うし、カッコイイ人にはカッコイイですねと言う。

ブスな人にはどうするか?ブスな人にはブスですねとは言わない。それを口に出して言うのは本音ではない。なぜか? それは、僕の本音として、彼女に彼女がブスであるということを、言葉として伝えたいと思っていないからだ。伝えたいと思っていないことを無理やり伝えたら、それは僕の本音から逸脱していることになる。このあたり、本音のやりとりとバカ正直は違うのだ。なんでもかんでもバカ正直に言っていいのは幼児だけの特権である。

僕は自分の気持ちの中に湧き上がってくるものを正直に捉えて、それを伝えたいと思ったら伝える。伝えたくないと思ったら伝えない。そこに、余分なものは差し挟まない。本音のやりとりとはそういうものだろう、と僕は思っている。みんなは、どう思ってるんだろうな。

僕の場合はそんな感じだから、相性の悪くない人とならすぐ特別な関係になれる。

あなたはキレイだと思うしそれは一つの才能だと思う、オトナのフリして乙女心がこぼれているのがかわいいからそれは隠さないほうがいい、とまどったときの表情がセクシーだからオレはあなたとこれからも少しマジメな話をしたい、オレの夢は小説家になって出版社の費用でニューヨークのホテルに一ヶ月カンヅメになることだ、お金には交換価値しかないので貯め込んでも豊かにならないとオレは信じている、邦楽の9割は音楽をあきらめてしまっているし邦画の9割は表現をあきらめてしまっているから日本はこれからもうアニメとテレビゲームをメインカルチャーにすべきだ、オレは自分を完成させるために集中力というものを高めたいし集中力の高い人間を尊敬する、ところでオレはセックスが好きだ、オレは今あなたを抱きたいと思ってる、抱かれているときのあなたの顔が見たいし声が聞きたいと思ってる、かわいいと思うオンナを抱きたいと感じる自分の機能をごまかしたくない、それを受けるか断るかはあなたにまかせる、断られてもいいからオレがあなたを抱きたいと思ってるということを伝えたかった、

そうやって本音で話しているうちに、相手も自然に本音でやりとりしてくれるようになる。そうやって本音を交換できれば、必ずお互いに何か発見があるし、それに伴う発展もある。だから、普通にお互いを特別な人として認識する。

僕の場合はそんな感じなわけだ。ただ、こうやって本音でやりとりする以上、一つのリスクは背負わねばならない。それは、相性の悪い人には速攻で嫌われるというリスクだ。これは単純な話で、僕が臆面もなく話す本音について、興味や好感を持ってくれる人もいれば、当然引く人もいるし嫌悪を持つ人もいるわけである。この点、僕は人と特別な関係になるのが早いけれども、嫌われるときはその倍ぐらい早い。

まあでも、僕は基本的に人に嫌われることをあまり気にしないからいいのだ。全員に嫌われるのはアレだけど、今のところ僕を嫌いになるのはせいぜい五人に一人ぐらいだから、その程度なら気にしないでいきたい。これは真実だと断言していいと思うのだけれども、人に特別嫌われることのない人は、人に特別好かれることもないだろう。タワレコにおいてあるCDを全部買ったらきっとお気に入りのCDは一枚も出てこないだろうというのと同じように、万人に嫌われない人は誰にとっても特別な人になれない。

ちょっとまた話がずれるけど、人に嫌われるというのは確かにあまりうれしくないことで、それなりに気分の暗くなることではあるけど、あまりそれを怖がらずに生きていこうね。嫌われることを怖がってたら、本当に何もできなくなってしまうから。

というわけで、僕の場合について話してみた。どうだろう。がんばってカッコよく語ったので、女の子のファンが増えることを期待する。

(ところで、サイト経由で会う人に、毎回必ずといっていいほど「思ったよりテンションのゆるい人だった」「もっとガンガン来る人かと思ってた」「案外フツーの人だった」と言われる。なぜだろう、僕の書くものはそんなにガンガン来てるのだろうか? ええと、それなら勘違いしないでほしい。僕はアレです、文章については読む人が楽しく読めるようにと、スッキリ言い切る形で書いているのです。いつもいつも、こんなに気合入れて生きてはいません。それだと疲れます。僕より周りの人が疲れます。だからいつもは基本的にダラダラしてます。ガンガン君ではないです。特に、僕は偏頭痛持ちなので、偏頭痛になっているときはものすごく弱くてイタいオトコになります。いたずらっ子にヒゲを切られた上に狼に追われている野うさぎのように頼りないです。いたわりましょう)


***


えー、本音で話すということについてもう少し。

本音を交換したら仲良くなれる、そのことは誰しも経験から知っている。だからあなたも、できれば本音で話したいし、彼からも本音を引き出したいと思っている。

ところが、その本音で話すという部分について、最近僕がよく耳にするフレーズはこんな具合のものである。

「彼も弱みを話してくれるようになってきた」

弱み。

弱みとはなんだろう。こういうとき、たいてい文脈としては、僕の言うところの本音というところを指しているようではあるのだけれど。

お互いに弱みを隠さないということは、それなりに大事なことではある。意外な弱みによって人間性が見えて愛されることもある。しかし、弱みはイコール本音ではない。なぜか、このことを誤解している人は多いようだ。ヘタすれば誤解していない人のほうが少ないんじゃないかとさえ思えてくる。

弱み(ヘンな言葉だ)は、本音のことではない。本音には弱みも含まれているだろうが、弱みだけで本音の全体を構成しているわけではない。そういうふうに誤解している人は、人間は本質的に弱いものだと思い込んでいるのだろう。そうではない。人間の本質は、強さと弱さが半分ずつで構成されているのだから、弱みだけ交換してもそれはある意味で本音の交換にはなっていないのだ。

本音の交換が大事だというのが、僕の主張である。が、ここであなたには、「彼と弱みを知り合えばいいのね」と誤解してもらいたくない。弱みがあってももちろんいいし、弱みがまったくないのはどうかと思うけど、それと同等に「強み」(やはりヘンな言葉だ)もなくてはならない。

僕はどちらかというと、今までに、オンナの強みにグッと惹かれたことのほうが多かったりするんだけどね。

「わたしはオンナだから、やっぱり、好きなオトコのそばでさ、いつもその人にコーヒー淹れてあげる、みたいに暮らしたいのね」

例えばあるオンナはそう言った。そしてそのオンナは、

「でも、好きなオトコに世話してもらわないと生きていけないって、そうなるのはイヤなの。それだと、支えあうっていうより、やっかいになってるだけじゃない? だからわたし、こうやって勉強してるのよ」

とも言ったのだ。

(カッコいいオンナでしょ)

そんなわけで、本音の交換ということについて考えるとき、「弱み」という発想で捉えるのはやめましょう。人間の本音は、必ずしも弱さだけで構成されていない。半分は強さで構成されている。それはあなたもそうだ。

このあたり、ちょっとでも踏み込んで考えると、本音を交換するということの前には、自分の本音を自分で捉えるということがあって、自分の本音を自分で捉えるということは、自分の本質を捉えるということで、自分の本質を捉えるということは、人間の本質を捉えるということと近似してくる、ということなのかもしれないね。

まあでも、それだと話が巨大になってしまうな。やめとこう。

考えるなら、もっと身近な、手ごたえのあることからだね。

ええと、僕は、ここまで「本音」ということを突っ込んで考えてみた。

ここで僕は、さてそこまでの本音で人とやりとりできる人、またそこまでの本音で実際にやりとりしている人は、はたしてどれぐらいいるのだろうなぁと少し首を傾げたい気分になってくる。

僕は本音で生きていきたいし、本音で人とやりとりしていたい。先ほども言ったけど、僕は建前のやりとりというか、本音の入ってないやりとりが苦手なのだ。僕はこれまで本音マニアとして生きてきて、これからもそれで行くつもりだ。

で、その僕として言わせてもらうなら、本音のやりとりというのは、実はそう口で言うほど簡単なことではない。なぜかというと、僕たちは自分の本音をそう簡単には捉えられないからだ。僕たちはそんなことを、誰からも習っていないし、そういう訓練もしていない。だから、それができている人はそう多くない。

自分の本音を速やかに捉えるには、けっこう訓練が要ります。それをうまく伝えるにも訓練がいるし、訓練以上に勇気と度胸もいるし、それなりに勉強したりもしなくてはいけない。

でも、それはやる価値のあることだと僕は思う。自分の本音と格闘し、それを表現するにもまた格闘する。それには価値がある。それ以外のことで価値のあることを探すほうが難しい。

だから、あなたもまずは、自分の本音と格闘してください。それから彼と、本音のやりとりをしてください。

で、これからずっと、本音で生きられるオンナになってください。

(ついでに、僕とも友達になってください。本音でお話しましょう。それは楽しくスリリングな時間です)

そんなわけで、今回はこの辺で。

まとめ。

彼にとって特別な人になるためには、本音を交換することが大事です。

で、それがお互いを発展させるものでなくてはならない。ダサい本音は相手に興ざめされるだけなので、もっと洗練された本音を。

洗練された本音。練成された本音とか、練磨した本音とかって言ってもいいかな。

あなたが今まで生きてきて、またこれから生きていくとして、その中であなたが自分の中に宿してきた本音。その中に、強さも弱さも統合した本音だ。

それを僕たちは、自分でちゃんと捉えて、上手に表現する、その努力をしなくてはならない。

そんな本音、無いって?

本音が無いのか。

無いものは、これから探しましょう。

(それは無いんじゃなくて、気づいてないだけだよ)












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