恋愛偏差値アップのコラム









恋愛の知性その2 かっこいい恋愛のために






あなたは色んな経験をしていると思います。そしてその経験から、色んなことを学んでいるとも思います。しかし、その経験をしっかり意識化して分析して考える、といったようなことまでしているでしょうか。ここで僕として、次のように問い掛けてみたいと思います。

「あなたの家の階段は、何段ありますか?」

意識してその段数を数えたことがなければ、おそらくこれには答えられないはずです。あなたが毎日上り下りしている階段ですら、そのように問い掛けられたら答えられないのです。どうでしょう、このことによって、経験だけでは学び得ないものがあるということが示されていると思われないでしょうか。僕としてやはり、経験だけでは不十分だ、意識化して考えてこそ得られるものがある―――そしてそれは恋愛についてもそうだ、と思うわけです。そこで僕は、恋愛の知性というテーマを立てて恋愛を考えていこうとしているわけです。(ヒュームの経験論に対する反論をそのまま剽窃(ヒョウセツ)してるじゃねえかと気付いた方、そのとおりですスイマセン)

さて今回は、「かっこよさを取り入れること」という題目にしました。僕としてこれは、とてもシンプルで、また重要なことでもあると思っています。

僕たちは、恋愛をするなら、素敵な恋愛をしたい、「かっこいい恋愛」をしたい、と思っているはずです。それはそうですね、付き合って二ヶ月で喧嘩別れしたいと初めから思っている人はいないと思いますし、想い焦がれる彼に冷たくフラれてそれを一年ぐらい引き摺りたいと思っている人もいないと思います。積極的にそのような「かっこわるい恋愛」を求めている人はいないと思います。

僕たちは「かっこいい恋愛」をしたいし、そのための方法を学びたいとも思っています。そのことに異論のある人はいないでしょう。さてそれでは、ここで改めて考えてほしいのですが、僕たちの周りには、十分に学べるだけの「かっこいい恋愛」の話が溢れているでしょうか。僕としてそのことを考えると、その学ぶべき「かっこいい恋愛」の情報が、そもそも少なすぎるのじゃないかと思われるのです。

テレビのワイドショーなんかを見ていれば、そのあたりは顕著です。ワイドショーが取り上げるのは、「人気女優○○が、結婚二年目で破局!!」とか「女子高生が美人局(つつもたせ)!!」とか、そういったものばかりです。それが僕たちの好奇心を刺激してしまうのは確かですが、果たしてそれが、僕たちの「かっこいい恋愛」のために、役立つものでしょうか。僕はそのようには思いません。むしろそういう話を聞いているうちに、積み重なって悪影響になるような気すらします。

このようなたとえ話をしてみましょう。あなたが一念発起して、東京大学に入りたいと考えたとします。その中で、あなたは次の二冊の本があったら、どちらを読みたい、また読むべきだと思いますか。(両方読む、はナシにして)

「100人の東大合格体験記」
「1000人の東大不合格体験記」

これで後者のほうを選択するのは、かなりのヒネクレ者だと思います。不合格になるのは簡単で、毎日プレステでもやってればそれでいいわけですから、不合格のコツなんて学ぶ必要はありません。そんなもの読んだら、不合格に近づくだけです。誰だってそう思うから、合格記のほうを読んでみようと思うわけですね。これは、極めて当たり前の事です。

ところが、恋愛の話についてはどうでしょうか。むしろ、不合格記に相当する、「かっこわるい恋愛」の話ばかりが溢れかえっているように、僕などは思われます。「彼といてもドキドキしなくなりました、これはもう別れ時なんでしょうか」「なんでメール返してくれないのよ!」「負け犬にならないために」「フラれても想いつづけています、苦しいです・・・」「密着40日・ストーカーの恐怖!」「マザコン男を見抜く方法100」などなど。果たしてこれらの中に、僕たちがこのような恋愛がしたいと思うようなものが一つでも入っているでしょうか。そのように考えれば、僕たちに与えられているのは「かっこわるい恋愛」の情報ばかりで、僕たちが目指すべき恋愛、憧れるべき「かっこいい恋愛」については、まったく情報を与えられていないというのが分かると思います。

これをよりリアルな形で考えることにしましょう。例として、バレンタインデーにあなたがチョコレートを携えて恋焦がれる彼に告白するときのことを考えてみます。あなたとしては、ぜひかっこいい告白をしたいでしょう。その時に、何か参考になる、あるいは手がかりになる、胸を打つようなかっこいいバレンタインの話があなたの中にあるでしょうか?そう考えたとき、僕自身としてもそのような話が一つも出てこないことに愕然とします。僕たちが与えられている情報はせいぜい、ゴディバのチョコレートは高級品だ、手作りチョコレートの手法はあまり最近流行っていない、告白するにしてあまり重たくならないように告白するほうがいいから手編みのセーターはもってのほかだ、バレンタインデーはお菓子業界の商業企画だ・・・そんなことぐらいじゃないでしょうか。僕としても、そもそも「セント・バレンタイン」が何の意味なのかすら知りません(そういえば「クリスマス」と「ノエル」の意味の違いなどもわかりませんが)。果たして僕たちは、そのような中で「かっこいいバレンタインの告白」をどのようにするかと考えたとして、本当に良いアイディアを見出せるものでしょうか。僕としては、それは甚だ疑わしいことのように思えます。

ここまで考えてくればもはや明らかなことですが、僕たちは「かっこいい恋愛」の情報をまったく与えられていないため、それなりに真剣に恋愛に向き合っているのに、自分の恋愛をかっこよいものにしていく方法については少しも学べていないわけです。だから先のバレンタインの時でも、結局は「これ、受け取ってください」という具合に、さしたる工夫も無く告白するしか方法を知らないわけです。そしてそのような状態は、恋愛のシーン全般において見受けられます。例えばあなたが、ある美容師の男性を好きになったとしましょう。そのときあなたが、その彼と上手く仲良くなっていく方法を考えようとしたとき、参考になる話の例、かっこいいやり方の情報は、記憶に一つも無いかもしれません。そしてせいぜいが、ラブレターを渡そうか、あるいはなんとかしてメルアドを聞き出そうか、その程度の発想しかできないとも思います。そしてついには、人生に一度の告白、プロポーズにおいてすら、給料三か月分のダイヤモンドの指輪を差し出すしか、僕たちは方法を知らないのでもあります・・・。

もうこれで、結論は出たようなものですが、敢えて言います。僕たちは「かっこいい恋愛」がしたいわけです。ですから、その「かっこいい恋愛」の話、「かっこいい恋愛」の情報、それがいかに少ないものであるとはいえ、なんとかしてそれを集めていきましょう。そしてその中からヒントを得て、自分の恋愛の中にそのかっこよさを取り込んでいくことができると思います。逆に言えば、それによってしか、僕たちは自分の恋愛をかっこいいものにしていくことはできないのでもあります。

「かっこいい恋愛」の話。それは良質の本や映画や歌の中に、いくらか示されています(それでも少ないですが)。そこからなんとかして、かっこよさを取り入れていきましょう。そしてテレビを見るにせよ、女性誌を読むにせよ、これは「かっこわるい恋愛」の話だと分かったら、それは意味の無いものとして聞き流してしまいましょう。それはあなたの役に立ちません。

僕として、「かっこいい恋愛」の話、そのささやかな例として思い浮かぶものに、俵万智の詠んだ次の歌があります。

―――「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

他に、宮本輝の小説の中で示された、次のような電報の一文があります。ロバという男は、一匹の蝶をフィルムに収めるために、恋人の元を離れます。その恋人は、他の人の子を体に宿したわけでもありましたが・・・。

―――シズカニ、シノゲルトオモウ。ネパールニイキマス。

僕たちが求めている恋愛のシーンは、このようなもののはずです。僕たちは「かっこいい恋愛」の話を集めて、そこからかっこよさを取り入れていきましょう。僕たちの置かれている環境は、「かっこいい恋愛」をするためにはかなり劣悪な環境なわけですが、まずはそのことを意識化して理解しましょう。そして明確な意思として「わたしはかっこいい恋愛の話を聞きたい」と思いながら生活するわけです。そうすれば、一片の詩句を見落とさずに拾う、といったようなことが起こってきます。そしてあなたは「かっこいい恋愛」の話を自分の中に蓄え出します。あなたはその「かっこいい恋愛」の話の中から、かっこよさの方法や智恵を自分に取り入れてゆくことができます。その積み重ねは、いずれ大きく効いてくるでしょう・・・。

そしてやがては、あなた自身が「かっこいい恋愛」をする人になるわけです。あなたがそうなった時には、あなたの「かっこいい恋愛」の話を、ぜひ僕に聞かせてください。





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