恋愛偏差値アップのコラム









恋愛の知性その3 かわいい女を考える









僕は基本的に女が好きである。例えば週末の遊びに男友達と女友達に同時に誘われたとしたら、どちらかというと女友達を優先してしまう。レンタカーを借りて伊豆スカをひたすら走りたいとか、みゆき通りのバーでアイラモルトを浴びるぐらい飲みたいとか、そういう気分のときは男友達を優先するけど、そうでないニュートラルな気分のときは女友達を優先してしまう。

そんなわけで僕は女好きなわけだが、もちろんどんな女でもいいというわけではない。僕は女好きだけれども、あくまでかわいい女が好きなのだ。かわいいといってももちろん、小池栄子かシャロン・ストーンでないとダメというようなわけではなくて、標準的にかわいい女であればいいのだけど。僕はその標準的という部分をかなり広くとっているつもりだから、僕としてはストライクゾーンを甘くしているつもりでもある。

しかし一方で、その標準的にかわいい女というのが、そうは多くなかったりもする。

標準的にいい男、というものが案外少なかったりするのと同じように。

(きっとあなたも、そう感じていると思う)


***


今この文章を、僕は駅前のジョナサンで書いているのだけど、実はさっき、この店内でナンパをしました。気だるそうに時間を持て余しているといったような、おそらくは終電を逃したのだろうと思われる、女性の二人組。顔も身なりも幼さがあって、ひょっとしたら十代のコたちだったかもしれない。ドリンクバーにカフェラテを汲みに行って、そのついでに僕は彼女らに声を掛けた。二人組は、ホットパンツで素足を組んでいる、まぶたにキラキラ入りのシャドーを乗せているコのほうがかわいかった。

「これ、あげる」

そう言って僕が差し出したのは、小説を書くための資料として持っていた女性雑誌。確か、ノンノだったと思う(もう忘れてしまったのだ)。加藤ローサが表紙のやつだ。

彼女らは一瞬戸惑ったが、すぐに僕が異常者ではないと見て取ると、警戒を緩めた。

「え、いいんですか?」
「うん、ちょっと事情があって目を通したんだけど、もう読み終わったからいい。捨てるとこだったし」
「え、まじですか。じゃ、すいません。ありがとうございます」

こういうときにちゃんとお礼を言える人は、最近若い人のほうが多い気がする。彼女らはちゃんと僕の目を見て、素の表情でお礼を言った。これはアレだね、彼女らぐらいの世代のほうが、見知らぬ人からの親切というかおせっかいが、フツーのこととして受け取られるのだろうね。これが二十代後半とかだと、なぜか猜疑心ばかり強くする人が多い。(そういう人はきっと、そういう悲しい世界で生きてるんだろうけど)

「終電逃したの?」
「あー、アレなんですよ、友達んちいたんですけど、なんか帰ってこないはずのそのコの親がいきなり帰ってきて、それで」
「なるほどね。ヒマならあれだよ、駅前には漫画喫茶もあるよ?池袋まで行っても、タクシーで千円ぐらいだし」
「あー、でもうちら、お金ないんで」
「そっか。って、言っとくけど俺もお金無いからな。タカるなよ」
「あははは、いやいや、そんなこと思ってないですよ」

このような会話の進みゆきで、僕はついでに彼女らのヒマつぶしに、コインを二枚使った手品を披露してやることにした。手品と言っても僕の場合は、そこいらの宴会部長がやるやつとはモノが違う。ここでやった手品は、リテンションバニッシュとアナザーリテンションバニッシュ、フレンチドロップにフェイクトス、ハンピンチェンムーブとバックピンチというテクニックを使ったものだ。(ワケがわからないだろう)

退屈のきわみにいた彼女らに向けてだから、もちろん手品はウケた。あれだけ退屈してたら、それは何だってウケると思うけど。彼女らは素直に「す、すっごーい!」「マジわっかんない!」と歓声を上げた。(そういえば、こういう素直さも、彼女らの世代のほうが正しく持っているような気がするなぁ)

「じゃ、またヒマで死にそうになったら、他の手品やるから呼んでくれ。奥の喫煙席のほうにいるから」
「あ、はーい。すいません、ありがとうございました」

彼女らは座ったまま丁寧に茶髪の頭を下げて、僕はそそくさと自分の席に戻った。以上で、ナンパの話は終わり。ついでに言うと、ドリンクバーにカフェラテをカップごと置き忘れてきて困った。

僕はよく女性に、ナンパとかするんですかと聞かれる。当然僕としてはイエスと答えるしかなくて、そのたびに女性に冷ややかな目で見られるのだが、このナンパのどこがいけないのだろう。この日僕は文章を書く気分だったので、自分から攻めにはいかなかったけど、もし僕が厚かましく彼女らの席に一緒に座って、仲良くなったりメルアドを聞き出したり、人生について語り合ったり、その他とっても楽しいことをしたりしたとして、そのことの何がいけないのだろう。

もちろん、このナンパの現場について、丁寧に説明すればわかってもらえるとは思うのだ。僕を非難したい気分だったその人も、ちゃんと説明さえすれば、「そっか、そういうのなら、ナンパってもアリかもしれないね」と言ってくれるだろうと思う。

が、正直僕はそこまで説明するのがめんどくさい。ナンパというだけで眉をひそめる人は、見知らぬ男女がフツーにささやかに仲良くなること、それがフツーに日常にあることだということをそもそも知らないのだから、それを説明するのは骨が折れる。第一、弁明させられているみたいで気分が悪い。もういっそ、誤解されたままでいいか、という気になってくる。

・・・と、話が逸れてしまった。僕のナンパのことなんか話してもしょうがない。かわいい女の話だ。

えーと、僕は女好きで、標準的にかわいい女が好きです。

で、標準的にかわいい女というのはとりあえず、さっきの二人組ぐらいで十分なわけです。

(これが言いたかったんだ)


***


インターネットのウェブサイトには、恋愛相談系のサイトがたくさんある。が、そのほとんどは構造的に重大な欠陥を持っている。それは、反感をモロに買うことを覚悟して言うならこういうことだ。

―――モテない人の相談に、同じくモテない人が無責任に答えている。

なんともひどい言いようだが、このことは誰でも気づいていることだろう。例えば、本当にモテている女はいい男と愛し合うのに忙しく、またそれ以外のことにも忙しいから、そもそも掲示板の書き込みなんか読まない。あるいは読むことがあったとしても、返信を入れたりしない。せいぜい、「わたしもそんなに上手くやれてるってわけじゃないけど、それでもこういうのは、ネットで相談しても掴めないところだと思うけどな」と内心に思って素通りする程度だろう。

かくして、モテない人の相談に、モテないヒマ人が答えるという構図が出来上がる。しかも、答える側は通りすがりのハンドルネームの書き込みだから、その答え方はたいてい無責任だ。

(結果、あらゆる相談が、「結局、自分で決めるしかなんじゃない?」というところに行き着いていたりもする。それはそれで有効な場合もあるけど、本質的に無意味なやりとりだ。)

もちろんここで、じゃあお前はどうなんだという問いかけも出てくるわけだが、僕は僕のやっていることはそれとは少し違うと思っている。僕はそもそも、文章を書くことを人生の真ん中に据えたいと思っていて、その活性化の一手段として自分のサイトを運営している。僕が掲示板にレスを入れるとして、それは僕としてまずはモノを書くことに取り掛かる、というつもりでやっていることなのだ。はっきりいって、慈善でやっているつもりはない。僕は慈善という発想がキライであるし、慈善というのはたいてい不健康なものだ。慈善で掲示板にレスを入れるのが生きがいになっていたら、不健康極まりない。

また、僕自身が運営しているサイト、僕自身の書いた文章をコラムとして掲載しているサイトで、僕自身がレスポンスするというのはそれなりに責任のあるやり方ということになるだろう。そこでの僕の受け答えがしょーもないものだったら、サイトそのものの人気が下がるのだし、第一、相談の書き込みそのものが入らなくなるのだから。その意味で、僕は自分のサイトを、ヨソのサイトと差別化できていると思っているのだけど。(みなさん、今後ともヨロシクおねがいします)

あ、ついでに言っておくと、僕は決してモテる男ではないけれど、それでも女性関係が寂しいと思ったことは一度も無く、また僕のことを好いてくれているかわいい女が望外にたくさんいるのは事実です。これは別に自慢しているわけではなくて、そう言わないと僕を好いてくれている女に申し訳が立たないということと、まるきしモテない男が受け答えしているわけじゃないのですよ一応、ということを言いたいわけです。

インターネットの恋愛系サイトには、構造的な欠陥がある。それは要するに、モテない人同士が寄ってしまいがちだということ。その中で呼吸してても、あなたはモテるようには決してならないだろう。

だから、あなたがもし、かわいい女になりたいと真剣に思っているのであれば、インターネットを利用することはあっても、ハマることがあってはいけない。基本的に、インターネットからは脱出すべきなのです。

(僕のサイトは例外扱いにしましょうね。ハマるのもアリです)


***


日曜日には、銀座のほとんどのバーが定休日になる。が、例外的に営業しているバー、加えてモルトが充実しているバーを、僕は三軒だけ知っている。日曜日デートでそのうちの一軒に行くと、たいていは閑散としているから、広めの個室を二人で貸切にできる。(そういえば、モルト屋で個室があるのはこの店だけかもしれない。ついでに、この店には超ウマいドイツの生ハムと、季節によっては生クリームみたいに濃厚な味わいの岩牡蠣が置いてある)

さてその個室で、ある女と二人で飲んでいたときのこと。二十歳になったばかりの彼女は、こんな悩みについて話し始めた。

「なんか、あきらかにさ、コドモ扱いされてるの」

彼女は年上の男に恋をしていた。彼女は派手めの化粧をしていて、それが逆に幼く見えるタイプだ。

「ね、やっぱりあたしって、コドモなのかな」
「うん」
「そう。そりゃ、そうだよね・・・ってか、またハッキリ言うし」

彼女はそう言って、セミロングの髪をガバッと両手で掻きあげた。

「でもあたし、がんばらなきゃ!って、がんばらなきゃって、この言い方がもうコドモっぽいけどさ、それでもあたしがんばるよ」
「うん、そうだな」
「ね、とりあえず、何から始めたらいいと思う?」
「うーん。じゃあまずは、新聞読めよ」
「あ、なるほど。ってか、それって意外に一番キツいかも。毎日やれって言われると」
彼女はそう言って笑った。笑い方は全然コドモっぽくなくて、歯がキレイだから実はセクシーだったりしたのだけれども、僕はそれをひとまず言わずにおいた。かわいいやつ、と内心で思った。

どんな人でも悩みはある。ましてこんな日本のこんな時代なのだから、悩みが無いのは幼児と多幸症の人ぐらいだ。だから、悩みがあっていいのである。

わたし、悩んでばかりでウジウジして、だめなんです・・・。と、そのように言う人がいる。僕が思うに、その人は知らないのだ。悩むにも、ビビッドに悩むということがあるのだということを。

(注・vivid : いきいきとした)

誰にでも悩みはある。だから、「悩んでたらかわいくなれないよ」というのはウソだ。そういうウソを言う人、またそういうウソを鵜呑みにしてしまう人は、誰だってそれなりに悩みがあるのだということを知らないし、ビビッドに悩める人がいるということも知らないのである。

で、ビビッドに悩んでいる女は、たいていかわいい。

ビビッドに悩むということを知らないと、かわいくなりようがないので、ここで知るようにしましょう。

あ、ついでに言うと、確かにあなたは悩んでいて、それによってかわいくなくなっているかのように見える。けどそれは、ほんとは悩んでいるからじゃないんだな。

正しく言うと、それは「疲れているから」なんだ。

悩むことで疲れてしまっている女は、もちろんかわいくありません。悩みを解決することに取り組む、そのパワーも出てこないし。そうなると、疲労+閉塞感になってダブルパンチだ。

(で、「悩んでてもしょうがない!」って、思考停止したりするんだよな。そうなるとトリプルパンチか。)


***


かわいい女について考えるとき、二種類の方法がある。ひとつには、かわいい女とはどのようなものだろうか、と正面から考える方法。そしてもうひとつには、かわいくない女とはどのようなものだろうか、と裏面から考える方法。

僕が思うに、実は後者の方法で思索を深めていっても、かわいい女になるための何かを発見することは結局無いのではないだろうか。それは、おいしい料理をつくるためにまずい料理について考えるというようなもので、どこか不毛だ。それによって、火加減と塩加減が悪いのだと発見することはあっても、結局適当な火加減と塩加減はどんなものなんだということについてはわからないままなのだから、解決には至らない。

かわいい女になりたければ、かわいい女とはどんなものか、と正面から考えていかなければならない。

が、意外にこの反対の方法ばかりを採用している人はけっこう多いのではないだろうか。僕はどうも、そんな気がしてならない。

この先に、僕はまたかわいい女のエピソードを書こうと思ってるのだけど、その前にひとつ、あなたに尋ねたいことがある。

あなたは、体験でも想像でもいいから、かわいい女のエピソードを書ける(あるいは話せる)だろうか。

もしそれができないようであれば、あなたはやはり、かわいい女というものについて正面から考えたことがないのだ。あるいは、かわいい女とはどういうものなのかについての情報を一切知らないのかもしれない。

それではかわいくなりようがないので、なんとかしましょう。かわいい女について、まずは想像できるようにならないと、それを実現するのはまったく不可能な話です。

さて、かわいい女のエピソードをひとつ。秋晴れの、長袖が丁度気持ちいい涼風の日。僕はある女と東京駅で待ち合わせをした。僕が待ち合わせ場所に着いた時、彼女はすでにそこにいて、僕を見つけると胸元で小さく手を振ってくれた。その時のくっきりとした笑顔は、受け止めてしまうとこちらも抗いようなく顔をにやつかせてしまう具合のもの。裾が斜めに裁断されたミニスカートからは元気な素足が伸びていて、唇にはローズピンクの口紅と、その上に下品にならない程度のグロスが乗せられていた。おはよー、という彼女の第一声は、通常の音量の中に、その表情に負けず若くいきいきとした響きのあるものだった。僕は場違いに、―――声って意外に大事だよなぁ、などと思ったりもした・・・。

その日僕と彼女は、僕の知り合いのシェフが腕を揮(ふる)っている、フレンチレストランのランチバイキングで昼食をとった。少々混みあって、着席に待ち時間があったものの、料理ならびにサーヴィスについて、彼女は満足してくれた様子。

「この値段でこのお料理って、フツーありえないよ!?」

と、膝にかけた紙ナプキンの端で口を拭いながら頬をほころばせて言う。彼女はまた、「ありがとうね、連れてきてくれて」とさわやかに言い足しもしたのだったが、それは彼女の物事の捉え方、その発想の大人びたところだった。

昼食後、皇居周りを散歩。そこで交わした会話は、彼女が目ざとく(鼻ざとく?)「あ、香水変えたよね」と気づいたので、その周辺のこと。あとは、彼女として「最近、勉強方法そのものを変えようって思ってるんだ。今のままじゃ、合格のメドがつかない感じになっちゃうから」というようなこと。受験勉強はどんなふうにしてた?と聞かれ、僕はそれについて答えるなどした。

二重橋に差し掛かったころ、僕と彼女は石畳を縁取る、手ごろな大きさの縁石に腰を掛けた。僕はユニクロで買ったピンクのデニムジャケットを、彼女の腰掛ける部分に敷いた。彼女は一瞬躊躇したが、ありがとうと女の表情で言ってその僕なりのサーヴィスを素直に受けた。彼女は腰掛けると、上半身で背伸びをして、深呼吸をした。彼女は体が柔らかいので、その背伸びは見ているだけでも気持ちがいい。

安穏とした皇居の風景、そこに流れるキンモクセイの匂いを含んだやさしい空気を吸っていると、年配の夫婦と思しき二人組に声をかけられた。

「あのう、すいませんが、シャッター押してもらえますか」

にこやかな表情の二人組は、身なりのよい、定年を過ぎた旅行者という雰囲気だった。男性はチノパンにポロシャツといういでたちで、その表情は不器用な老紳士といったふう。差し出されたカメラはニコンの一眼レフで、意外に最新式のものだった。50ミリ標準レンズ・オートフォーカスのデジタルカメラで、扱うにイージーなものではあったけど、これはやはり彼女ではなく僕がシャッターを切ることにした。まずは記念写真として、絞りをf11にして二重橋を背景にしたショットを一枚。もう一枚はポートレートとして、絞りをf2.8にして背景をボカして撮った。

「ご旅行ですか?」

彼女が実に滑らかな間でそのように二人組に話しかけると、奥方が上品な声で、

「ええ、そうなんですよ」

と言った。ご夫人は続けて、

「わたくしどもは長野から出てきたんですけれど、昔は東京にも住んでいたもので、ひさしぶりにねぇ、懐かしいところを見てまわろうと思ってね、出てきたのですよ。最近はねぇ、ようやく涼しくもなりましたし」

と話した。彼女はそのご夫人の話を、ひとつひとつ丁寧に頷きながら聞いていた。

昔と比べると、東京もずいぶん変わりましたか?そのようなありがちな問いかけも、彼女が丁寧におこなうと、実にその場に相応しいものに聞こえ、それに促されるようにしてご夫人は昔話をにこやかに話された。この後お二人は、帝国ホテルに食事をしにいくのだということだった。

ご夫人は、子供の頃に帝国ホテルに一度だけ行ったことがある、そのときは物資が不足していて、フルコースのメインディッシュは肉も魚もなくオムレツだったけれども、そのオムレツは大変美味しかったのですよというような話をされた。彼女はそのひとつひとつに、口を差し挟むことなく、いつしか真剣な面持ちで話を聞いている様子。

「わしはな」

スムースに会話に溶け込むのは得意でない、といったような照れくささの表情をたたえた紳士が、突如会話に割り込むようにして、大きな声で言った。

「こないだまでは、光学部品の工場で働いとったけどな、昔は東京で、GHQの車の修理工をしとったんや」

紳士はふわりとした手つきで空を指差し、あっちのほうや、と言った。

「あっちに、第一生命のビルがあるやろう?あそこが昔、GHQの本部やったんや」

紳士とご夫人、そして僕と彼女は、無言のままその指差されたほうを見やった。ここからは何も見えず、その紳士の指先は青い空を指しているのみ。その無骨な指は、長年の工場勤務によるものか、無骨に膨れ上がり、皮膚を硬くしていた・・・。

紳士とご夫人は、僕たちに礼を述べてから、ゆっくりとした足取りでGHQの本部があったほうへと歩いていかれた。僕と彼女は、その後ろ姿を、なんともいえずしみじみとした感慨をもって見送った。彼女はその視線を動かさないまま、

「わたし、なんかちょっと感動しちゃったかも」

と言った。

「そうだな、そりゃ、感動するよな」
「うん。そうだよね。今の話、感動しちゃうよね」

僕は思わず、彼女の表情を横目で窺った。彼女は何かに感じ昂ぶってしまっている表情だった。

僕は彼女を、かわいい女だな、と思った。


・・・と、なんとなく記憶にあるエピソードを拾ってみた。エピソードにしては長すぎだし、がんばって書きすぎて主題がわかんなくなってるから失敗かもしれない。まあ、別に失敗しててもいいんだけど。

かわいい女にも無限のパターンがあるけれど、その中のひとつのパターンを僕として示してみたつもりだ。

さて、あなたが持っているイメージの、かわいい女とはどんなものだろう。その女はどんな表情をして、どんな仕草をして、どんな振る舞いして、どんなことを言うだろう。

それをイメージするのは、存外難しいものです。それができる人は、けっこう少ない。

でもここで、こういう女がかわいくない女、とそっちをイメージすることに逃げてはいけません。そういうのばかりイメージしていくと、あなたはそっちに近づいていきます。(人間には、イメージしたことを実現する能力がある)

かわいい女とは何か。それを正面から考え、イメージし、実現していきましょう。

(なんか自己啓発セミナーのノリになってしまった)


***


さてここまで、かわいい女ってなんだろう、というようなことを考えてきた。いろんな話を、方向性の無いままに話してきたけど、それはもうしょうがないところだ。かわいい女について、明確な方向を示して理論的に突き詰めていっても、あまり意味が無い。かわいい女とは身だしなみと礼儀が整っていて明るくいきいきとしていて素直でかつ外に向けて気持ちが開けている女である、そんなふうに定義してみたとして、それが実現できるわけではないのだからやはり意味が無い。こんな定義を指針にして、自分を改造していこうという人はセンスがない。(そんな人はまさかいないと思うけど)

かわいい女について話そうとすると、まとまりがなくなる。そして、それはそれで正しいと僕は思う。かわいい女になりかけている人は、どこかで何かのヒントを掴むだろうからそれでいいのだ。人がかわいくなる、あるいはかっこよくなるというのは、そういう曖昧模糊とした手続きによってなされるものだろう。

一方で、ここまでの話の進みゆきは、僕としてある企みを背後に含ませたものでもあったりする。そのことを示して、話の締めくくりとしよう。

あなたはここまでの話を、どのような感触で受け取っただろうか。僕の文章の技術が稚拙で、それがつまらなかったということは抜きにして、次の二つでいうとどちらの印象で読み進めてこられただろうか。

・「そうだよ、その通りなんだよ!」という印象で、胸がすくような爽快な気分で読み進めてきた。
・「うーん、それが一理あるってのは、わかるんだけどさ・・・」という印象で、ため息がちに読み進めてきた。

僕の独善的な判断で言うと、前者の印象で読み進められた人は、かわいい女だ。そして後者の印象で読み進められた人は、かわいくない女だということになる。

僕はここまで、かわいい女が読んで共感するようにと、そう企んで書いてきたのだ。標準的にかわいい女とかいい男とかって意外に少ないとか、ナンパがどうこうって、ナンパって言葉で考えるからおかしいんだよとか、ネットにハマったりしたらますますかわいくなくなるよとか、誰だって悩んでいるのにあなたが勝手に悲観的になって疲れているだけだよとか、かわいくなるってのはもっと正面からやっていくことだよとか、かわいくない女をイメージしてると多分ますますかわいくなくなるよとか、そういう主張は全て、かわいい女が読んで共感できる、それでいて元気になれるようにと企んで、僕として書き進めてきたもの。

だから、ここまで読んできて、ダメージを受けた気分の人は要注意です。あなたの感覚は、かわいい女のものではないのかもしれない。そういう人は、なんであたしダメージ受けたんだろうと、そのことについて考えてみてください。あるいはこの話を読んで、「あたしは読んでて、まったくその通りだと思うよ?」と言ってくれる友達を探してみてください。(そういう友達は、とてもとても大事です)

あと、ここまで読んで、「まったくその通りだよ!」と元気になってくれた人へ。

その人は、僕と友達になってください。


ところでさっき、二人組のうちかわいい方、まぶたにキラキラ入りのシャドーを乗せた方のコが、僕の席までやってきた。

「あ、さっきはどうも、ありがとうございました」

彼女はそう言って、頭をぴょこっと下げてから、おずおずとした手つきで、懐かしいラベルのチューインガムを僕のテーブルの隅にそっと置いた。ブルーベリー味の、誰でも見たことのある板ガムだ。

「これ、めっちゃ意味わかんないですけど、一応お礼です」

いつのまにか、窓の外は白み始めていた。そうか、もう始発が出てる時間なのかと僕は理解した。

「ありがと。懐かしいな、このガム」
「パチンコでとったやつですけど」
「ありゃ、パチンコかよ。そっか。それでお金ないってことは、負けたのね」
「あはは、そうでっす。北斗の拳と、相性悪いんですよ」

かわいい女は、意外に少ない。けど、不思議にその辺にたくさんいたりする。はにかんで笑う、あまり器用でもなければ真面目でもない彼女は、それでもかわいい女だった。

「じゃ、気をつけてね。またどこかで会いましょ」
「はーい。じゃ、おやすみなさい」

彼女はそう元気良く言って、手を振って帰っていった。僕の手元には、ブルーベリーガムが残った。


ガムの包装紙には、彼女のメルアドが書かれていた。

(もちろん、そんなわけはない。もしホントに書いてあったらイタい)






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