恋愛偏差値アップのコラム









二秒でオトコにモテる方法







昨夜、二十一歳のオンナのコからメールを頂いた。とてもうれしい内容だった。こそばゆい、という感じもあった。そのコは、友達と一緒にこのサイトを見てくれていて、いつもそれについての話題であれやこれやと話を弾ませてくれているらしい。「ウチもそのコも、九折さんの大ファンなんです」、というようなことを書いてくれていた。

とてもうれしい。

とはいえ、今回僕としてそのコのメールにこそばゆさを感じたのはその部分についてではなかった。

「ウチとそのコは、もう自他共に認めるクオリアンです!」

これはメールの原文そのままなのだが、クオリアンというナゾの言葉が説明もなしに使われている。クオリアン。おそらくは、Qualian とスペリングするのだろう。ヨーロピアンとかテクニシャンとかミュージシャンとかエピキュリアンとか、語尾に-ianのつく形、そういう意味合いでの「クオリアン」ということらしい。これは要するに、僕のシンパというとアレだが、僕のお話に全身的に共感してくれている方たちということなのだろう。クオリアン。若いオンナのコの造語能力にはまったく感心する。しかしまぁ、言われる側としてはかなりこそばゆいというか、ぶっちゃけ恥ずかしいものがある。(イヤがっているわけではない)

昔、吉永小百合のファンの人たちを、サユリストと呼んだらしい。僕の場合はなぜクオリストにならなかったのだろうか。まあそんなことはどうでもいいか。クオリアン、クオリスト、どっちにしてもそういう固有名詞ができたら恥ずかしいことには変わりが無い。(きっとこれを読んでいる人も、プププッと笑っていることだと思う)

(※補足。ひとつ、余計な話をする。本筋に全然関係ないので、興味の無い人はこのカッコ内の話は読み飛ばしてくれて結構だ。実は「クオリアン」という言葉は、かなりマイナーではあるものの、すでに哲学用語として存在している言葉だったりする(多分知っている人は一人もいないと思う。知らなくていい)。哲学としてかなりコアなところの言葉で、しかも割と最近の哲学用語らしいのであまり学術的にも議論の詰められていないところの言葉だ。クオリアンとは、カンタンに言うとクオリアを認める立場の人のことをいう。クオリアとは何か? これについて話すと、意識のハード・プロブレムというやつでかなり話が難しくなってしまうのだが、まあアレだ、物理学と観念論(唯心論?)の境目にあるところの話で、たとえばリンゴは赤いというけれど、赤いって感覚は何なんだよと、可視光線とか周波数とか網膜とか視神経とか脳の視覚野とか、そんなことを研究したって「赤いってナニよ?」ということの解答には結局ならんだろう? と、そういうようなところの話だ。ここにおいてクオリアとは、リンゴが赤いということに対して「赤のクオリアである」と説明するための言葉になる。まるで禅問答みたいな話だ。また禅というのは実際、そのクオリアの付近へ到達するために言語や思考や自我意識の一切を遮断するメソッドのことでもある。ところでこうやって、禅、なんて言葉を使っていると、何だか僕はまた背筋が少し寒くなってくる。僕のやることなすこと、その周辺に必ず仏教がちらつきだすのは何故なんだろうか? まあそれはいいとして、クオリアンという言葉を使ってしまったので、一応本来のクオリアンという言葉について説明しておいた。もう、忘れてくれていい。むしろアレだ、クオリアンと言えば、このサイトの共感者でありこのサイトの主張を実践する者なのだと、これからはそういう認識を世の中に広めていこうではないか。(いや、それはムチャだ。ムチャだし、それは僕が恥ずかしい))

恥ずかしい恥ずかしいと言いながら、僕がアレコレと綴っている駄文に、自分はクオリアンだとまで言ってくれるファンがいてくれるんだと思うと、実のところそれはかなりうれしかったりする。僕はオナニーで満足する趣味はないし、読んだ人が楽しんでくれたらいいなと、いつもそのことはマジメに考えて書いているので、ファンですと言ってもらえるとそれは本当にうれしいのだ。何度言われても素直にうれしい。正直、そういう励ましのメールが来なかったら、僕はとっくのこのサイトの運営を投げ出していたとさえ思う。(僕はあまり根性とか粘りとかのあるタイプではないので)

これからも、こういうのが続けばいいな。

さて、今回このコラムでは、恋愛のお話をしながら、普段からこのサイトを応援してくれている人たちに、感謝の言葉を申し上げていきたいと思う。なぜそんなややこしいことをするかというと、今のところ、メールをくれた人にもなかなか返信しきれてなかったりするのが大変申し訳なくて、何かしら感謝の気持ちぐらいは伝えておきたいと思ったからだ。

だから今回は、コラムというよりはちょっと、私信めいたものになるかな。

まあそのあたりは、私信めいていながらも、とにかく読んでてツマラナイものにはならないようにと、そのことは精一杯努力して書きます。

ここでとりあえず、このサイトをいつも見てくれているみなさんへ。メールとかアンケートとか、送ってくれたみなさんへ。

お礼を言いたい。

僕は本当に感謝してます。感激もしてます。

ありがとうね、ほんとに。

これからもガンバってまいります。

で、恥ずかしながら、やるからには精一杯やって、クオリアンを世の中に増やしていくぞと、そんなことを企んでいくことにします。

(クオリアンという言葉は僕にとっては死ぬほど恥ずかしい言葉だが、まずいことにけっこう便利で上手い言葉だ)

(さああなたも、今日からクオリアンに笑)



■あなたのモテるモテないは、二秒間にかかっている。

最近の僕のコラムは、内容がやや過激に、かつ挑発的になっている。それは素直に白状するならば、僕として意図的にそうしたものだ。まあ、そのことにはお気づきの人のほうが多いかもしれない。

過激かつ挑発的にと、そのように演出したのは、単純に僕として自分の書いたものを威力のあるものにしたかったからだ。インパクトのあるもの、ということでもあるかもしれない。ほんわかと気分良く読み流せないものを書きたかった。それが成功したかどうかはわからないが、とりあえず最近の僕はそのような意図からわざと表現の調子を変えたということだ。もちろん、ただのスキャンダリズムに堕していたつもりはないし、手抜きをしたつもりも毛頭ない。事実、そのように表現を変えてから、読んで目が覚めましたと言ってくれているメールを受け取ったりもしたので、別に品質が下がったということはなかったのだと思う。(思いたい)

とはいえ、一方では、昔からのファンの人から、「あったかく詰め寄る、そういうタイプのが久しぶりに読みたいナ」という要望も受け取ったりする。昔から読んでくれている人は、僕の考えていることをすっかり見透かしているようだ。僕の最近の過激寄りの演出もなんとなく見抜いていて、しかも「あったかく詰め寄る」というような、僕の持ちネタを総括するような表現をしてくる。(正直、ギクッとしたよオレは)

そのあたりのコメントをいくつか受け取って、そろそろかな、と僕は思った。

そろそろ、過激寄りの演出もやめて、元の方向へ戻ってみようかと思う。

もちろん、そこに進化が無ければ意味が無い。

だから、以前の表現と、今の演出を、融合してレベルアップしたものを目指そうということになる。

(んん、本当に私信めいてきた。退屈してたらゴメン)

そんなことができるかどうか怪しいものだが、努力はしてみる。

また、そう新しい思いに至ったのも、読んでくれている方々のサポートのおかげだから、僕はホントにお礼を言わなくてはいけない。

重ね重ね、ありがとうね。

さてそんなわけで、そろそろ本題の、恋愛の話にしていくことにしよう。

二秒でオトコにモテる方法について。


***


世の中のオンナがみんなハッピーになればいいな、と僕は思っている。いつもそう思って、こうやって文章を書いている。

あなたがオンナだとして、あなたは今ハッピーだろうか。ハッピーならステキだと思うのだが、まあなかなかそう断言できる人は少ないだろう。みんな、アンハッピーとまではいかないけれど、自分の現状に満足はしていないのが普通だ。それは、僕たちがハッピーについて貪欲なのだからしょうがない。ハッピーの実感がないまま、今の状態をハッピーということにしようと自己洗脳するよりは、素直にウーンと唸っているほうが健康的だと僕は思う。そうやって唸りながら、ハッピーになることを目指すのが元気なオンナの健康的な生き方だ。

オンナのハッピーはどこにあるか。それは、ステキなオトコとラブラブになることにある。もちろん、そんな単純にハッピーの全てを定義することはできないが、ステキなオトコとのラブラブがハッピーの一要素であるのは間違いないだろう。それを否定する人は、そもそもこれを読んでいないと思う。

オンナはオトコに愛されて、ハッピーになるのだ。

オンナはそのことを素直に追いかけるのが一番カワイイのだと僕は思っている。

さてでは、オンナはオトコに愛されるために、どのようになっていけばいいのだろうか。今回、そのことを当たり前に再考してみる。愛されるオンナ、モテるオンナ、それらは実のところ当たり前のことの積み重ねで構成されているのだ。(僕たちはその当たり前をしょっちゅう忘れる生きものだ)

たとえば、挨拶をかわいくできるオンナはモテる。このことなんて当たり前で、かつどこまでいっても真実だ。真実なのに、僕たちはこのことをすぐ忘れる。忘れるし、実際的に挨拶をかわいくできるようになろうと努力したりはあんまりしなかったりする。

挨拶をかわいくできるというのは、単に礼儀と形式の整った挨拶ができるということではない。礼儀と形式が整った上で、さらにそれを崩したり、そこに愛嬌を乗せたりできるということだ。(コレって練習とか訓練とか要ることだよ、実際ね)

相手の目をしっかり見て、○○さん、おはようございます、と明るい声で挨拶する。ただし、目も声も、のっぺらぼうの明るさではなくキラキラした明るさでなくてはならない。威力のある挨拶。あなただって、そういう挨拶を誰かから受けたことがあるはずだ。ドキッとさせられて、少し不意を突かれて気圧される感はあるけれど、どうしても気持ちのいい挨拶。元気だな、かわいいな、素直にそう感じさせられてしまう挨拶。それは、時間にすればたった二秒程度の動作でしかない。ところが世の中には、その二秒の動作ができるオンナとできないオンナがいるわけだ。

あなたのモテるモテないは、二秒間にかかっている。だとすればあなたは、その二秒間を極めるオンナと極めないオンナ、どちらに所属したいだろうか。そう考えれば、あなたのやるべきことは明らかで、目指すべきところもシンプルなところなのだ。もちろん、人との関わりは挨拶だけではない。とはいえ、挨拶が大事なものだということには誰も異論がないだろうし、挨拶がかわいくできて、他のことは一切できませんと、そんなことはありえないというのも感覚として誰でもわかるのではないだろうか。

挨拶というのは大事だから、ここで改めて、挨拶というところに集約して話をしてみる。

モテる挨拶とはどのような挨拶か?


◇◇◇


まず、思い切って彼の<近くに立つ>。足はそろえておく。

彼の<目を見る>。強く見るのではなく、しっかりと見る。

自然な<微笑み>をたたえておく。微笑みとは半笑いのことではないし、<半開きの口はNG>だ。

「○○さん」、と相手の<名前を呼ぶ>。名字でかまわない。

「おはようございます」と明るい声で言う。<語尾が消えない>ように注意。明るい声というのはデカい声ではないし焦っている声でもない。

頭を下げる。ただしこれは、「おはようございます」と言いながら下げてはいけない。<二つの動作を同時にしない>のが、上品に見せるための大きなコツだ。

「おはようございます」と言い切ってから、頭を下げる。頭を下げるタイミングが見えないのは、おはようございますの発声自体に元気とリズムがないからだ。<声のリズムとカラダのリズムは同調する>。

頭を下げるときは、ひょこっとおざなりに下げるのではなく、やや深めに、背筋を伸ばして下げる。下げて、コンマ五秒止まる。ここは<キレのある動作>が大事だ。キレがあるというのは、速度があるということではない。静と動がくっきり分離されているということだ。

頭を上げたら、また彼と視線を重ねる。頭を上げて静止するまで、動作のキレを失わない。おじぎは<残心>までやってから完了する。

彼がおはようと返してきたら、それに合わせて<笑顔>を見せる。微笑みのときは唇を閉じておくが、笑顔のときは<歯を見せる>。

ここまでがスムースに出来れば、彼と笑顔を交換している状態なので、自然と<会話を開始する間>になっている。

会話ができたら、会話をする。<相手の名前を入れて>会話にする。話題になりうるものとして、彼の服装や髪型や表情を観察しておく。ただし、元気がなさそうでも<元気無いですか、とは言わない>。

話題が出てこなかったら、「今日も一日よろしくです」というような<社交辞令>を交わす。

視線を切って挨拶を完了するが、<視線はやさしく切る>。挨拶完了の際、距離によっては彼に<ボディタッチ>する。<ボディタッチができたほうが視線は切りやすい>。ボティタッチが出来ない場合はそもそもの立ち位置が遠すぎなかったかと検討する。


◇◇◇


挨拶は大事なものなので、挨拶だけ切り取ってもこれだけの話になってしまう。なってしまうが、これは時間にすればたった二秒間の話だ。この二秒間をマスターすれば、その人は本当に人生が変わってしまうだろう。具体的に言えば、オトコに話しかけられる回数が変わってくるし、メールの来る回数も変わってくるし、デートに誘われる回数も変わってくるということだ。要するにモテるようになるということだが、モテるモテないは本当にこの二秒間によって変わってくるのだ。

「こんな挨拶、やりすぎでヘンだよ」と思う人はいるかもしれない。そう、確かにこの挨拶はヘンなのだ。ヘンなのだが、それはこの挨拶をそのまま使うとヘンということであって、この挨拶がイケてないということではない。この挨拶は挨拶の骨格なのだ。この骨格に、現場に合わせた肉付けをすることで、本当にイケてる挨拶になるのである。

どういうことかというと、たとえば若い連中が夜明けまでズンドコ踊り狂っているクラブで、このままの挨拶をするとそれはアホウだということだ。何事でもそうだが、理論と実践は違うものだ。いかに正しい挨拶でも、現場のTPOにそぐわないということは出てくる。そこには当然「アレンジ」が必要になってくるだろう。そして、その「アレンジ」を柔軟にこなすために、先のような骨格として正しい挨拶ができる必要があるということなのだ。

カンタンに言おう。先に示した挨拶を、カンペキにやれるオンナがいたとする。そういうオンナが、たとえば合コンのようなくだけた場に出て挨拶をしたとしよう。オンナは当然、挨拶を「アレンジ」する。目を合わせることや相手の名前を呼ぶのはそのままにしておいて、オンナはまず単純に声を大きめにするだろう。「○○さん? はじめまして、△△といいます」と、微笑みではなく笑顔からスタートするかもしれない。おじぎはしなやかに、少し首をかしげるふうにするのではないだろうか。笑顔を交換して、会話を開始する間はそのままに、ボディタッチのタイミングを応用して、手際よく乾杯をしてしまうこともできる。

骨格があるから、アレンジが利くということ。現場で応用できるということ。挨拶の骨格というのはそういうことだ。基本フォーム、と言ってもいいかもしれない。基本のフォームがしっかりしているからこそ、現場で応用が利くということになる。たとえて言うならば、素振りのフォームのままで外角低めのカーブを打つということではなく、変化球に対応するために素振りでフォームを固めるということである。

このあたりのことは、スチュワーデスと合コンをして、酔っ払った彼女らを見たりすると一撃でわかる。彼女らは、業務用のそれとはいえ、やはり一つの正しいフォームをマスターしている。それは酒に酔ったからといって失われない。彼女らは、折り目正しさの気配をどころに残したまま、それでもキュートな酔っ払いとしての挨拶を、いい具合にアレンジできてしまうものだ。(それでもちろん、リラックスもしてるんだよ)

まあアレだ、あまり理屈を並べ立ててもしょうがない。クオリアンを目指す人(笑)は、だまされたと思ってこっそり挨拶の練習をしてみればいいだろう。鏡を見ながら声を出して練習すれば、数回の練習でもあなたの挨拶は見違えてくる。挨拶が見違えるということは、人間関係のスタートラインが見違えるということだ。これほどラクチンなアドバンテージの取り方は他に無いと言っていい。

あなたのモテるモテないは、二秒間にかかっているのだ。

その二秒間をマスターしたら、三秒後の世界はかなりハッピーに近くなっているだろう。



■二秒あれば、プチドキはいくらでも作れるのだ。

挨拶について、異様に細かく分析してしまった。見ようによってはイタい話である。そこまでマニアックにならなくても、という気はしないでもない。まあそのあたり、マニアック過ぎて引いてしまった人は、挨拶一つでも、その中に一ヶ所光るポイントがあれば有利だヨ、という程度に思っておいてもらえばいいかもしれない。光るポイントというのは大事だ。僕たちは、誰かの光るポイントにグッと惹きつけられて恋をする。光るポイントがなければいくらイイ人でも好きにはならない。光るポイントが恋の火種だ。火種が無いと、いかに燃料が山積みでも発火することがない。

二秒でモテる、というようなことをタイトルにしてしまったので、引き続き二秒単位の話をする。二秒というのは短い時間だ。しかし、何もできない時間かというとそうでもない。

たとえば、僕はあなたのおっぱいに、二秒間だけ触れてもいいだろうか。イイよ、と言ってくれる人はすさまじくやさしいが、そんな人はこれを読んでくれている人の中で1ppmぐらいしか存在しないだろう。おそらくは、コンマ一秒でも触った時点で、僕は平手打ちなり金的蹴りなりを食らう。二秒というのは、それぐらいの事件を起こせる時間だ。時間の問題じゃない、とあなたは言うだろうか。そんなことを言わずに、もっとバカみたいに二秒で起こせる事件を考えてみることを僕は勧める。なぜかというと、あなたの知らないところで別のオンナが二秒の事件をこっそり起こしているからだ。

事件といっても、平手打ちを食らうようなものはよろしくない。そういう破滅的なものでなく、先に言った光るポイント、そのためのアクションを二秒間で作り出そうという話だ。

「光るポイント」というのを、もう少し使いやすい言葉に代える。光るポイントというのは、相手をドキッとさせるポイントのことだ。それも、決定的なドキーンではない。もちろん致命的なウワッでもない。もっとささやかな、それでいて見逃せない、そういうドキッのことを言う。ここではそれを、「プチドキ」と呼ぶことにしよう。二秒間でプチドキを作る。それは、先ほどの挨拶の話でも同じだ。相手をプチドキさせる挨拶をする。そういう些細なことから火がついて、いつのまにかあなたの周りには恋がパチパチと爆ぜ始めることになる。

ここでなんとなく、ふと素に戻ってしまうが、僕たちの周りにある実際の恋愛とはどのようなものだろう。特に、その始まりはどのようなものだろう。そう考えていくと、始まりはたいていプチドキにあるような気がする。そのことを、ひとつ確認しておこう。

たとえば、こんな話があったとする。

◇◇◇

「いやー、今回はありがとう、ホントに助かったよ!」

腕まくりをした彼が、坂道を下りながら背伸びをしてそう言う。彼の顔には、一仕事終えた後の安堵と充実、そして疲れて無邪気な笑顔があった。

「そんな、わたしは大して役に立ってないですよ」

あなたが照れ隠しにそう返すと、彼は、―――ん? という表情を一瞬見せた。そして、―――何言ってるんだ、というように、あなたの二の腕を乱暴の寸前の力加減でポンと叩いた。あなたはその思いがけない力の強さに驚き、軽く息を呑んだ。

「取り消せよ。今回は、お前のおかげじゃん」

彼は笑いながら、そう言ってあなたの目を覗き込んできた。

◇◇◇

あなたとして、あるオトコが気になり始めるのは、こういうプチドキのワンシーンからではないだろうか。僕たちの周りにある恋愛は、現実的には全てこういうところから始まっているような気がする。

オンナのコはよく、「何で彼のこと好きになったの?」と訊ねられると、「なんか、いっぱいやさしくしてくれるから、いい人だなぁって思い始めて」というように答えたりする。それはそれで認識として間違ってはいないのだが、その話を根掘り葉掘り聞いていくと、たいていはそのスタート時点、発火の時点にプチドキのシーンが見えてくるものだったりする。であれば、プチドキが恋の火種、そう考えるのが一番リアルで実用的なのかもしれない。結局は、プチドキを与えることと受け取ること、その二つができるオンナが豊かな恋愛を生きていくのだろう。

まあそんなわけで、二秒で作るプチドキ、というところに話を戻す。二秒というのは短い時間だ。しかし、プチドキを考えるためにはちょうどいい時間かもしれない。

これについて僕のアイディアは、たとえばこんなものだ。あなたが飲み会に出たとする。飲み会に出れば、お目当てのオトコの隣に座ることもできるだろう。そして、彼に攻め込まないまでも、ほろ酔いの中でぼちぼち楽しい話はできると思う。そこまでは、たいていのオンナのコが出来るものだ。ここから、プチドキを作る。

メニューを見るとき。飲み会では、一つのメニューを二人で同時に覗き込んだりするものだ。彼がメニューを手にしたときは見逃してはならない。メニューを一緒に覗き込み、そのときさりげなく、態勢を支えるふうに彼のひざの上に手を二秒間置くのだ。これはベタだが有効な方法だ。オトコというのは所詮スケベな生きものなので、気にしないフリしながらたいていは「オレに気を許してくれてるのかなぁ?」とプチドキしているものである。

トイレに立つとき。居酒屋などでの飲み会は、ふつう座席の間隔が狭くなる。立ち上がるにも立ち上がりづらいものだ。そこであなたは、なれなれしく彼の肩に手をついて、ごめんね、とか言いながら二秒間で立ち上がるのである(もちろん、トイレから戻ってきたときも同様)。これも、安易だが有効な方法だ。オトコのほうは、よくわからないが頼られた気分&甘えられた気分でプチドキしてしまう。ただし、思いっきり体重をかけてはいけない。彼の肩に手を乗せているだけ、という程度が一番よろしい。思い切り体重をかけると、オレは手すりかよ、という気分にさせてしまう。なおここで、自信のある人なら、立ち上がり際に彼に耳打ちするのも一つの方法だ。「ね、もう少しお話したいからさ、できたらこの席さりげに取っといてくれない?」、そう耳元でナイショ話をしてしまうということで、これもオトコにとってはプチドキになる。(ただ、場が乱れていて席が確保できないときや、彼として別に狙っているコがいるときはおじゃんになる)

写真を撮るとき。飲み会で写真を取るときは、みんなが顔を寄せ合ってくっついてしまうものだが、その中であなたはこっそり仕掛けをしてしまう。彼にくっつくのはもちろんだが、そのときに自分の身体を支えるフリをして、背中から彼の腰に手を回してしまうのだ。実質、横から抱きついてしまう具合だ。腰に手を回しても写真には写りこまないし、みんなカメラのほうを見ているから周りには気づかれることがない。そうして、シャッターが下りるまでの二秒間、不意打ちの密着状態を作ってしまうのである。これは、プチドキになる。彼としては、ノリでやってるのかなと思う一方、でもすごいくっついてるしと思ってしまうし、また胸がちょっと当たってるし(笑)とも思ってしまう。そして彼が混乱しているうちに、シャッターは下りてみんなバラけてしまうので、彼は混乱を混乱のままプチドキの感覚だけを残すことになる。もし、腰に手を回すのが難しい状況なら、彼の腕を抱きかかえる具合にするのもいいだろう。どうせ二秒間である。少々強気に出ても、彼としてはプチドキを整理するヒマはないからセーフティだ。

そんなわけで、とりあえずテキトーに三つの例を挙げてみた。ありがちな状況でベタな方法を取り上げたが、この類のことは現場ででもいくらでも思いつけるだろう。

とにかくも、これらの所要時間はいずれも二秒。

たった二秒なのだ。

二秒あれば、プチドキはいくらでも作れるのだ。


***


前半で、挨拶の話をした。後半では、飲み会の話をした。いずれもプチドキの話だが、少し性質が違う。そこをカンタンに言うならば、前半の話、挨拶の話は、「技のプチドキ」と言うことができるだろう。そして後半の話、飲み会の話は、「アイディアのプチドキ」と言うことができるように思う。あなたはどちらのプチドキが得意だろうか。どちらも得意ならすばらしいが、なかなかそうはいかないかもしれない。まあとにかく、どちらにも心当たりが無いというのはマズいので、どちらか一方だけでも身に付けていくのがいいと思う。

今回の話を聞いて、あなたがどう感じたかは定かではないが、最後にひとつだけ注釈めいたことを言っておきたい。今回の話は、おそらく読み手によって大きく二つ、「そんなの当たり前じゃん」と感じた人と、「そんなのできる自信ないよ」感じた人に分かれると思う。あなたは、そのどちら寄りだっただろうか。「当たり前じゃん」と感じたならば、それはとってもイイことだ。あなたは多分、自分に恋愛の力不足を感じてはいないと思う。

ただ、「自信ないよ」と感じた人、そういう人については僕はおせっかいを申し上げておきたい。あなたとしては、「こんなのムリだよ」と思っているのかもしれないが、そこは至急考えを修正する必要があるだろう。ムリではないのだ。なぜなら、今回のこの話を、「当たり前じゃん」と思っているオンナもたくさんいるのだから。そしてだ、そういうオンナはあなたの周りもたくさんいるのだ。そういうオンナは、あなたの知らない二秒間で、彼にプチドキを送りまくっているのである。

そう考えれば、あなたはあまりノンキにしていられないのではないだろうか。ムリだと思ってるのはひょっとして自分だけ? みんなやってるの? それぐらいの感覚で、もう一度考え直してみるのがいいように僕には思われる。繰り返すが、ムリなことでは決してないのだ。モテるモテないは二秒間にかかっている。あなたはまだ、そのたった二秒間の技と勇気とアイディアを、まだ手に入れてなくてソンをしているというだけのことなのだ。

だからこれから、あなたはただ、自分におけるその二秒を追求していけばいい。

プチドキの二秒。

クオリアンとは、その二秒を追求する者のことをいうのだ。


(あ、ヘンなシメかたをしてしまった)


(まあいいや。こっ恥ずかしいけど、クオリアン万歳ということにしておこうか)


ではでは、今回はこのへんで。

またね。



→九折さんにアンケートを送ってあげる
→九折さんにメールしてあげる




恋愛偏差値アップのコラムに戻る
出会いと恋愛のtopへ戻る