SEX
私はセックスが好きである。助平である。あんなにイイものはない。
一方、世の中には、セックスがあまり好きでない、と公言する女性がいる。なんとも、残念な発言である。逆に、セックスに執着、そして依存する男性と女性がいる。それはそれで、遠慮したい相手である。寝転がったままマグロといわれる態度を実演する女性もいる。マグロ、という言葉を知らない人もいるだろう。セックスに際して、自らは一切動かず、ことがすむまで完全に無反応・受動的である女性の事である。もちろん、魚市場に寝ころがっている「マグロ」を彷彿とさせることに由来する。これには思わず、「帰っていい?」とでも言ってしまいそうになる。挿入段階を「えぐい」と拒絶する男性もいる。えぐい、と称された相手の女性が気の毒である。
コンビニに行けば、エロ本がたくさんあるし、テレビや映画においても、性的描写は自由になってきた。しかし、よりセックスがすばらしくなったかというと、そうでもない。どのメディアも、むしろ歪んだセックスを選んで表現するため、セックスは狂気や獣性に属するものと思われがちになった。
いいセックスがあれば、悪いセックスもある。成熟したセックスもあれば、未熟なセックスもある。すばらしいのは、いいセックスだ。当たり前の事なのだが、その当たり前が知られているかというと、そうでもないようだ。やはり性教育後進国なのだろう。ここでは、セックスの常識について書き、いろいろな誤解を解こうと思う。セックスが好きな女性が増えると、色々と有利だ。違う。もっと崇高な目的だ。女性がセックスをしたくなることこそ、我が興奮であるのだ。いや違う。違うはずだ。なお、これは電脳猥褻だと気づかれた方は、ブラウザのバックボタンに左を打ち込んでください。
セックスというのは、人間関係の延長に過ぎない。人間関係は、結局、お互いにいつくしみ合うのがゴールで、セックスは身体をつかってそれを行える男女間だけの特権なのだ。なにかしら神秘的なものもあるのかもしれないが、それは人間関係として完成した上で、さらに降臨するかもしれないものであろう。だから、セックスをすれば何かがおこる、というわけではない。セックスに、人智を超えたなにかを期待してはならないし、セックスは動物のやるものだから何も考えずにやっていい、というわけでもない。動物のやるものは繁殖行動であって、人間のセックスと同一ではない。
どうしても幼い間は、セックスに神がかり的なものを期待する。とくに女性によくあることだ。セックスがとにかくすごいもので、すばらしいもの、と思い込んでいると、「悪いセックス」をしていることに気づかない。ベッドに寝転がっているだけで、神秘体験をしているかのように錯覚してしまうのである。もちろん、今よりも感動的なセックスがあるとは想像しないから、いずれは飽きて「セックスはあまり好きじゃない」と思うようになる。
ただ、セックスがただの人間関係だとも言いがたいのは、その威力が大きいからだ。男性同士でいえば、殴り合いぐらいの威力がある。いつくしむ気持ちで相手をノックアウトするのが、セックスだ。逆にいえば、お互いいつくしむ気持ちが無いと知ってゲームセットになるのも、セックスだ。それぐらい、威力がある。
握手からセックスに至るまで、いいものと悪いものはどう違うのか、教訓をまじえつつ述べよう。
たいてい、楽しかったデートの終わりに握手をすると、手を離しづらくなる。で、準備のできているカップルは、お互いを自然に抱き寄せられる射程範囲にいるものである。強引に抱き寄せて唇を奪う、というシーンは、現実には少ない。手をクッと引くと、自然に彼女が自分の胸にストンと納まるものだ。
<教訓1>
男性は、彼女に跳びかかるようなマネをしてはならない。それは熱烈というよりクレイジーだ。
女性は、その気なら、彼の射程距離に入っていなくてはならない。
で、その時は普通、女性は男性の胸に手をつく形になる。だけれども、ステキな女性は、タイミングよく、その手をこっちの首に回してくれる。男性は単純なので、これにすっかり感動するだろう。これで、抱き寄せる、から、抱き合う、になる。すばらしい。女性の側も、その気なら、せめて手を相手の腰にまわそう。男性に抱き寄せられたら、次は女性の番。抱き合うのだ。どうしても進行しない場合は、男性が女性の手を、そっと所定の位置に運ぶ。多分、女性の多くは、こういうふうにリードされるのがいいんだろう。でも、それがあまりに極端だとマグロ化する。
<教訓2>
抱き寄せるのは、男性の側から。
抱き合うに発展させるのは、女性の側から。
抱き寄せるから抱き合うに発展すると、密着度はとても高くなる。自然に唇が、首筋にあたるはずだ。
相手の手や唇からは、ダイレクトに気持ちが伝わってくる。手にはしっかりと、「あなたが好きです」という力をこめよう。そして、相手の背中や髪を、いつくしむつもりで撫でる。いつくしむつもりの無い人の手は、止まっているものだ。唇の当て方などは、もっと露骨に伝わってくる。唇をこすりつけるようにする人は情熱的な人だし、何度も小さくキスをする人は優しい人だ。どうだろう、想像するだけで、「あなたが好きです」が伝わるのがわかってもらえるだろう。あなたを愛しいと思う、いとおしむ、そういう意思が直接、伝わるのだ。
逆にいえば、肩にアゴがささって痛えよ、とか、鼻息が荒いんだよ、とか、勃起してるし、とか、身体固まってるし、とか、力入りすぎで痛いよ、とか、そういうことから、「オレをいつくしむつもりは無いんだな」「無神経なところあるな」「好きより先に興奮してるな」「わがままだな」という性格や気持ちが、伝わってしまう。
そういうのが伝わってしまうと、イヤなものなので、誰とでも抱き合うわけにはいかないのだ。不愉快な抱擁というものも、間違いなく存在する。お互いに、直接触れ合っても大丈夫、という好意と信頼の関係がないと、いい抱擁、そしていいセックスはできない。
よく、寂しい時には、誰かに抱きしめてもらいたい、と思うものだが、その夢想は、実は「抱きしめられる」ことが核ではなく、抱きしめられながら「いつくしまれる」ことに焦点があるのだ。だから、その辺のおっさんに抱きしめてもらいたいわけではない。寂しい時には、いつくしみを全身で浴びたいものなのだ。もちろん、その辺の男にテキトーに抱かれても、まがい物のいつくしみで失望する事のほうが多いだろうが。
一つ横道にそれたいことがある。よく「心と身体」という言い方をするが、心と身体は果たして分割できるものなのか。セックスをしたい、というのは、「身体を求める」と翻訳していいのか。本当に身体だけの関係なのか。どうもそれはムチャな発想だと思われる。古くから日本では心技体という言い方をするし、身体を清めて身だしなみを整えるなど、禊(みそぎ)によってケガレが落ちるとも考えた。病は気からともいうし、腹黒いという表現もする。もともと、心と身体を分割して考察するようなことはしていなかったはずだ。近代医学を発展させるために、身体を一つの有機機能体ととらえたのは、西洋の自然科学。それにはそれの功績があるとして、セックスは肉体の結合である、という科学を生活に持ち込むのは、なにやら「バカ」のような気がする。安心して、セックスを求めていい。プラトニックラブが偉いというわけではない。哲学者「プラトン」の名は、「肩幅の広い男」という意味なので、肩幅の広い奴のレンアイとでも思っておけばいい。
<教訓その3>
抱き合う目的は、相手をいつくしむため。
抱き合ったときの気持ちは、全部伝わる。全部バレる。
さて、そうこうしていると、いずれキスする流れになる。身体の微妙な動きで、「キスしていいか」「ちょっとまって、心の準備をするから」というコミュニケーションが行われる。もちろん、強引な男や無神経な男はバレるし、勇気の無い女もバレる。聞くところによると、やはりフェミニズムが認知された昨今でも、いきなり舌を入れる男はいるらしい。ダメだとは言われていても、もうこのあたりでウソはつけなくなっている。何度も言うように、すべてバレるのである。いきなり舌を入れた、ということほど、その男の性格を表現しているものはあるまい。
唇と唇を合わせるのは、心のコネクタを直接つなぐようなものである。硬くなった唇からは緊張、その継続時間からは喜び、相手の唇を優しくはさむ唇からはいつくしみ、むさぼるような動きからは性欲、逃げる唇からはおびえ、すべて自分の心に流入するのがわかるだろう。もちろん、相手にも伝わっている。
また、男性は、唇を重ねたまま、手を、相手の肩からスライドして、そっと女性の胸に触れてみる。ただし、揉むと死亡する。あくまで、手を乗せるだけ。もし、相手の女性が、まだそれを望まないなら、その手をそっと振り解くだろう。女性は、許すつもりなら、そのままにしておいてもいいし、できるなら、相手の手の上にさらに自分の手を重ねればいい。むしろ、相手の手をとって、自分の胸にもってくるぐらいがサイコーだ。
無言であっても、「触れていいか」「まだダメ」とか、「いいよ」とか、「もっと触れてくれていいよ」とか、メッセージは伝わっている。同じように、「あーあ、なんかキスされちゃった」とか「やらせろ」とかも、残念ながら伝わってしまう。
<教訓その4>
キスする目的も、相手をいつくしむため。
誠実に、「触れたい」「触れてもらいたい」を示そう。
次は、ベッドでもつれ合うことになる。男性は、女性の服を脱がさなくてはならない。もちろん、いきなりひん剥くようなことはしない。唇を合わせたまま、脱がせるのが一番紳士だ。いまから脱がします、と面と向かってやられると、女性は恥ずかしい。また、男性の側も、自分の服を脱ぐタイミングが難しい。女性を全部脱がしたけれど男性はスーツ姿のまま、というのはかなりマヌケだ。しかし、服を脱ぐときというのは、空白時間ができるため、なかなか難しいし、男もそれなりに恥ずかしいものだ。それに気づいて、こちらの服を脱がそうとしてくれる女性は、とてもステキである。裸になって恥ずかしさで赤面しつつも、相手に対する気遣いが消失しない、その瞬間こそ、本当に優しい人だなと思う。これがジーンとくるから、セックスはイイのである。同じように、男性が緊張しながらも、なんとか優しく脱がそうとしてくれている、それがジーンとくるから、セックスはイイのである。
裸になったら、お互いに触れ合う。このとき、マグロといわれる女性は、本当に冷凍されたように、転がっているだけである。それはつまらない。せめて両手で、相手の身体に触れよう。相手の身体に口付けできるなら、そうしよう。できない位置なら、身体をずらして、できるようにしよう。男性は、乳房や女性器ばかりに直行せず、手や足や背中、全身に触れる。自分が何をされたら嬉しいかを考えて、それをそのまま、相手にするだけのこと。男女の別など関係ない。
途中で男性をぐっと押し倒して、「されてばっかりじゃ、わるいから」と、攻めにまわる女性がいる。そして、どうすれば男性が喜ぶかを、時間をかけて、体を使って、知ろうとする。これはとてもステキである。もちろん、女性としては恥じらいがあるところだが、恥ずかしいながら、相手をいつくしみたい、というところがステキなのだ。誰でも、セックスのとき「こうしてもらいたい」というのがあるだろう。それをそのまま、相手にしてあげる。恥ずかしいのは当たり前だが、愛する人のためなら、恥ずかしさも超えられる、というのが、ジーンとくるところなのだ。相手に喜んでもらいたいという熱意、それが伝わる。だから、セックスはイイのだ。
最後まで終わったら、男性は急速にクールダウンするが、女性は徐々にクールダウンする。だから、最後は男性が女性に触れながら、フェードアウトしよう。性欲が冷めてもいつくしみが冷めない、それが最後のジーンとできるところだ。
もちろん、逆のことも伝わる。自分の快感だけに集中する女性は、男性の心を一気に冷やす。恥ずかしいから何もしない女性は、相手を喜ばせる熱意の貧しさを露見する。自分の快感だけに集中する男性は、女性に愛想をつかされる。相手を気持ちよくしたい、という熱意の無い男性は、触れ方に優しさがなくなる。自主的に避妊しない男性は、根本的に他人の事はどうでもいいのだし、「へたくそ」と内心思っている女性は、いつくしみに共感できないことがバレる。
<教訓その5>
相手を喜ばせる「熱意」が伝わる。
自分は恥ずかしいとか、気持ちよくなりたいとか、それは当然。その上でどうするか、という個性が伝わる。
あらためて、なぜセックスが「いい」かというと、このように、相手の本当の心が伝わってくるからである。老人に席を譲ろうが、ボランティアに参加しようが、プレゼントを買ってくれようが、本当にその人がやさしいかどうかは測れない。それは道徳教育にすぎない。だが、暗闇で性欲と恥ずかしさにおぼれつつも、なおいつくしむ心、思いやる心を消失しない人がいる。それを実感できるのが、セックスであり、イイのだ。
だから、セックス以前のコミュニケーションで、いつくしむ心、思いやる心がないとわかった相手とは、セックスしたくならない。いいセックスができないことはもう分かっているからだ。
私は、傷ついた女性を慰めるために一晩だけ、というセックスをしたことがある。だがたいてい、そういう女性は「そりゃフラれるわ」というようなセックスをする。それでいて、こちらの気分が萎えると、不満そうだ。こういう女性は、いつくしまれることを求め、それが与えられず傷つき、被害者のつもりでいるのだ。彼女は、寝転んだまま「もっともっと」と言う、それだけであった。それに冷える私に不満をもつというなら、残念ながら、フラれる循環からは脱出できないであろう。
もちろんこのことで、私はセックスがきらいになりはしない。これが悪いセックスであったことを知っているからだ。しかし、もしこういうセックスしか知らなければ、セックスがきらい、という人がいても不思議ではない。いつくしみ、いつくしまれる、そのすばらしさを知っている人しか、いいセックスはできないのだ。セックスがきらい、といっている人は、いつくしみの心を知らないのかもしれない。もしそうなら、「セックス」がきらいなのではなく、「本当に心が通い合うこと」がきらい、と言っていることになる。それはとても残念な事だ。
抱く抱かれる、ではなく、お互いをいつくしみあう、それがセックス。握手から、抱擁、キス、順序を踏まえていこう。男はワガママとか性欲のままに行動するのが熱意と勘違いしないように、女性は何もしないことがおしとやかで女性らしいと勘違いしないように。恋人のいる方はよりすばらしいセックスを。テクニックを勉強する事も、相手を喜ばせたい誠実な心だ。恋人のいない人はいつくしみ合える人を探そう。いつくしみが深ければ、あなたとセックスをしたいと思う人がいるだろう。セックスをしたことのない人は、その時のために、深いいつくしみを持てるよう自己の研鑚をつもう。
[SEX/了]