女の口説き方2
続編です。
上手く口説くためには、
・ 明るいこと
・ 相手の立場に立ち、相手の意思を尊重できること
・ 筋違いな不満をもたないこと
・ 相手に楽しい時間を提供できること
・ 相手を深く理解でき、自分に対する理解も矛盾していないこと
などが重要です。念のため、明るいこと、を付け足しましたが、4つが実現できる人が暗くなる理由はありません。
まずい口説き方は、
・ 相手の気持ちより自分の気持ちを優先させる
・ 筋違いな(甘えた)不満をもち、しょっちゅうムカついている
・ 相手を手に入れようと必死になるだけで、楽しくない
・ 好きだというわりには、相手を理解していない
・ 暗い
などがあります。
高度な口説き方としては、
・ エロい話を織り交ぜて、SEXを連想させる
・ はしゃぐデートとしっとりするデートのコンビネーションを組む
・ 相手の身体に触れる機会を上手くつくる
・ 相手の何が素晴らしいかを、惜しげなく語れる
・ 相手に嫉妬心を起こさせる
・ 基本的に押しが強めであり、引く余裕も持ち合わせている
などがあります。いわゆる、マニュアル本に書かれている内容であり、具体的だけどレベル的にはかなり高度で、普通に好きな子を口説けるけれど、もっとエレガントにテクニカルに決められるようになりたい、という人向けに書かれています。
明るく、相手を尊重しつつ、筋違いな事はせず、楽しく、自分自身と相手を理解している。この5つの要素「明尊筋楽理」(なんかかっこよくなった!!仏教風!!)を実現できているかどうかが、異性を口説く時、というか人間関係全般でマトモにやれるかどうかの根幹になります。
次に、具体例を入れますが、これはどーしてもイタくなるので、その辺は目をつぶってください。「あれはイタいよー」と掲示板に書き込んだりしないで下さい。
<例・電話でのお誘い風景>
こんちはー(明)。今何してた、忙しくなかった?今、時間大丈夫か(尊)?明日ヒマやからメシでも行かんか。いやまあ、どこでもいいけど。でもお前、込んでる店とか嫌いなタチやろ(理)。うんうん。え、おいおい断る気かよ。また「なんとなく」で断ってるし。それクセやろ、なんとなく断っとくの(理)。なんでやねん、細かい事言わんと、行こうぜ。いざマチに出てみりゃあ、来てよかったナーとか絶対思ってしまうもんやって(明・楽)。このクソ寒いのに部屋に閉じこもっとる気か?まあ、寒いからな・・・・(楽)。まあ、その気にならんのならしゃーないけどな(筋・尊)。でもボクはきずつくぞ(筋)。あーあ、しくしく。お前さ、なんとなく腰が引けて断っているだけならイカンよ(理)。俺とじゃなくても、だれか別のやつとでも遊びに行き(筋)。まあ勿論俺と行くのがベストやけどな(楽)。おっしゃ、また夜に電話するから、断るならその時断れ(尊)。断るのがめんどくさかったらイルスでも使え(筋・尊)。その代わり俺は一晩中号泣するぞオイ(筋)。神社に行ってクギをうつぞ(楽)。それが恐ろしければ電話に出ろ。おう。じゃあな、ありがと。またな。
とまあ、電話1本にしても、この明尊筋楽理はあちこちにでるわけです。
あ、どうも・・・・すんません、あの、今ボクテレビ見てて思ったんですけど、なんかクリスマス特集とかしてて、・・・・えーとその、もしよかったら、明日にでも、一緒に、食事・・・・でもしないかなと思って・・・・。・・・・・はぁ、何か用事でもあるんですか・・・・・?もし何も用事がなければ・・・・・なんか理由があるんですか。あー、・・・・そこを何とか、そういわずに・・・・・お願いします・・・・。いや、きっと、家にいるだけじゃつまらないと思うし・・・・・別に用事とかはないんでしょ・・・・?なんでですか・・・・?(しばらく沈黙)・・・・・あのー、じゃあ、返事は、NO、なんですか、・・・・・そこを何とか、・・・・・どれだけ必死に頼んでもダメですか・・・・・それがなんでか、というのは・・・・・はあ・・・。はあ、・・・・じゃあ、また電話しますんで、もし、あの、気が変わったら、その時は、お願いします・・・・・あ、はい、じゃ、失礼します、・・・・どうも・・・・・。
で、明尊筋楽理が欠落すると、こういうのになりますね。
続いて、一つ一つの要素について、偉そうな注釈をつけていきます。
明
明るい、というのは、前向きに、楽しさ、喜び、感動などの快を指向するということです。前者では「マチにでりゃあ楽しいんだよ」という姿勢が見られます。が、後者には楽しみに向かう姿勢が感じられませんし、「家にこもっていても」というネガティブな考え方も露見しています。
あくまで、前向きに快を指向する、ということであって、激しいとか穏やかとかはこのことに独立するものです。関係ないということです。
この明が欠落している人は、まず「明るい」ということが素晴らしいとは感じられなくなっており、それがますます明を遠ざけます。
尊
相手の立場に立って考え、相手の意思を尊重していることです。相手の立場を想像して、その立場から自分を客観視することは、非常に難しいことです。そうしようとする意思のほかに、それをリアルに想像できるだけの経験・人格と、心の余裕が必要です。それは実に難しいことなので、本当に相手の立場に立とうと尽力している人は、決して「いつも相手の立場に立って考えてるよ!!」と怒鳴ったりしません。むしろ、想像力や思いやりの足りない自分に至らなさをしばしば感じているのが本当に「尊」の片鱗に触れている人でしょう。
先の例では、前者は、相手の拒絶を拒絶として受け入れようとし、その拒絶の理由などを聞こうとしませんが、後者は、拒絶されると、その理由を聞いて反駁しようとする姿勢を示しています。
この尊が欠落している人は、「なんで俺がこんな目に」「なぜあんなにあいつらは冷たいのか」「なぜこんなにうまくいかないのか」など、Whyの疑問を抱えるようになります。自分が他人を見るように、相手が自分を見ているのだということを実感できない、土井健朗の言う「甘え」の状態にあります。
筋
自分を特別扱いせず、物事の当たり前を当たり前に感じることです。頭の悪い人がいたとして、その人がまわりにバカ扱いされているのを平然と観ておきながら、自分がバカ扱いされると逆上したりします。その友達と自分とが、第三者から見れば同格だという事が実感できず、常に自分を特別扱いします。これは根が尊と同じで、この筋が欠落しているという事は、自己中心的「甘え」から脱却できていないということです。筋が欠落すると、常に不満を持つことになります。誰かとぶつかって、そのまま通り過ぎたら、「なんだあいつは、謝りもせず」と不満になり、自分も謝らなかったことには気づきません。
先の例では、前者は、拒絶されると「その気にならんのならしゃーない」といい、後者は、拒絶されると、その理由を聞き出そうとしています。ここで流れている筋は、デートに誘う→常識的な範囲の誘い方をする→受けてくれたら喜ぶ、振られたら残念(不満とは違う)→振られたとしても、とりあえず話を聞いてもらって、時間を割いたことに小さく感謝する、というのが大まかな流れです。ここに、断る理由を説明する、とか、あいまいな返答をしてはいけない、などの筋はありません。よって、後者は筋が欠落しています。この筋というものは個人差がありますから、一概には言えませんが、まずその個人の中で、他人に要求する筋を自分にも課していなくては矛盾ですし、先の例の場合、「その気にならんのならしゃーない、理由も特に話す義務はない」の筋はわりと常識的だと思われます。
楽
楽しい、を定義するのは非常に難しいので、ここでは楽のまま、感覚的に使います。
人に接触すると、必ず対人性ストレスが大なり小なり発生します。しかし、人はストレスを受けてでも、楽を求めます。相手がデートの誘いに応じるのも、そのためです。心を許せる相手なら、ストレスは小さくなりますし、自分の好きな人なら、楽は大きくなります。結局はそのストレス−楽のバランスで魅力度が決まります。さらに、単純なジョーク一つでも、笑えば、それはこわばっていたお互いの空気をほぐしてストレスを減少させ、心の余裕を表現します。
楽が欠落すると、目と表情から生気がうせ、声が小さくなり、全体の活動性が減少します。笑っても、元気のない笑いになりますし、映画の広告をみても映画を見たくなりません。先の例では、前者は、「いざマチに出てみりゃあ、来てよかったナーとか絶対思ってしまう」というところで楽がにじみ出ていますし、冗談やジョークを入れる余裕もあります。後者は、全体の活動性の低さや、余裕のなさ、笑いのなさが楽の欠落を示しています。
なお、活動性の低さは、その精神活動の勢いであって、単純には測れません。ワクワクせずに映画を100本観ることもできます。
理
自分自身と、相手を理解する事です。
自分自身を理解するということは、人間が一生をかけて到達するべき事であり、完成は一朝一夕に望むべくもありません。また、他人を理解するというのも、本質的には不可能であり、一生をかけて一人の人間を理解する事ができるかどうか、が、凡夫たる我々の限界でしょう。
自分を含めて、一己の人格を完全理解したと思うのはたいがい思い込みだと思われますし、常に変化もするものです。その上で、可能な限り相手を理解することが理の求道です。
まず、相手を理解するということは、相手は、どんな時に喜び、怒り、泣き、感動するのか、何が好きで、何に迷っていて、何に困っていて、何が許せなくて、何を夢見ているのか、です。あいつは静かなレストランが好きとか、カクテルを選び迷うのが好きとか、ウェイトレスの態度が悪いのは許せないとか、こういう音楽が好きとか、怒ったときに「放っといて」と言うものの、しつこくかまってやったほうがいいとか、などなど、その人の心の働きにつねに目を向けて、それを知ることです。
そして、自分を理解するということは、自分が本当は何が好きで何をしたいのか、を知ることです。「とにかく女の子とデートしたい」と言っていた男でも、風俗に3回行って、もうどうでもよくなる人もいます。「とにかくSEXしたい」と言っていた男が、デートでしっとりするだけで満足してしまったりします。
この理が欠落すると、デートをしても、相手の人格を無視した(相手の機嫌には注意していても)行動をとることになります。それを恐れて、相手にどうしたいか常に尋ねる人もいますが、「そういうのは、察しあうものでしょ」と相手は考えていたりします。デートの時だけでなく、あらゆる時に、相手の心に添えず、相手にストレスを感じさせることになり、熱意は空回りしがちです。相手を理解する力は、経験と人格の実力であり、がんばってどうにかなるものではありません。ただ、注意すべきは、何かしらの計算や、下心、欲、自分勝手な願望などによって、理解の眼力は曇るということです。待ち合わせに彼女が来た瞬間、「あれ、ちょっと体調の悪い日かな」と思ったら、遊園地を突如キャンセルして喫茶店で軽くお話して、その日は昼過ぎに帰宅してもらうのがいいでしょう。しかし、「今日こそは海の見えるショットバーで告白して、そのままホテルに」と血眼になっていると、相手のサインを見落とします。そのまま彼女に「愛しています、常にあなたの事を思っています」と告白すると、非常に残念な結果になるでしょう。この告白は、自分自身に対する理が欠落していると宣言しているようなものです。「常にあなたの事を思って」いないのですから。自分自身に対する理の欠落は、このように、ウソやフリを生みます。明るいフリ、相手を尊重するフリ、筋が通っているフリ、楽しいフリ、相手と自分を理解しているフリなどです。口ではどう言っていても、暗さがにじみ出ていたり、なにかこちらの選択肢を奪ってきたり、不満を押し殺していたり、そういうのが相手に伝わります。さらには、相手に対する執着心を愛情と勘違いしたりして、ストーカーになっていったりします。
以上、明尊筋楽理の説明を偉そうにしました。最後に大事な事を付け足しておきますと、これらは、体得していれば、行動や言動や人格ににじみ出てくるものであって、大声で主張するものではありません。俺は明るいとかお前を尊重するとか、お前の事を理解しているとか、主張した瞬間、全部ウソだと宣言するようなものです。
例えば、「ありがとう」「好きです」「がんばってください」「おめでとう」、こういう言葉は、誰がどういう表情とどういう声で言ったかが重要です。もし、そのにじみ出るものを感じる感覚が人間から消失すれば、すべてのコミュニケーションはeメールでいいでしょう。ラブレターをワープロで打つ人はいません。いや、いるかもしれませんけど・・・・・。とにかく、「口説き方」とはいうものの、人間の中にあるものが重要なのであって、メソッドは、その中にあるものを箸で食べてもらうかナイフとフォークで食べてもらうかの違いに過ぎません。もし、どんな相手もゲットできるそのメソッドを探し求めているとすれば、それはすごく怠惰な、人間というものを侮辱した考え方ではないでしょうか。
[女の口説き方2/了]