モテないのはなぜか
モテない、ということが、世界の悩みの半分を占めているように思える。座禅を組んで意識の無限拡散にいたるよりも、モテるようになるほうが、悩み解消には威力があるかもしれない。
かといって、モテるようになる方法、という安易なものはない。唯一、身だしなみを整える、ということぐらいだろう。
モテるようになる、というのは結局、かっこよく、かわいくなることだ。だから、自分のかっこ悪いところとかわいくないところを乗り越えていかなくてはならない。ここには、「モテない」を生み出す心のメカニズムと、それによってどう異性にふられることになるかを書く。それを読み進んで、自分の中に心当たりのあるダメな部分を知って、みんな、かわいくなってくれ。男性は勝手にしろ。女性はかわいくなって著者に感謝し、著者をたたえるように。
さて、なぜあなたはモテないか。
それを考えます。
まず、モテない人、というものを分析します。今回は説明なしに断定します。
モテない人は、本当はすごく幼稚で、ワガママです。相手をゲットして、自分を愛して欲しい、セックスしたい、とそれだけを考えています。この欲求は異常ではないのですが、不自然に切羽詰っている上に、相手に楽しんでもらいたいとか相手をより良くしたいとか、そういう愛情が欠落していています。あるいは、愛情があると錯覚していますが、強い依存心と執着心があるだけであり、愛情に見せかけた行為は相手を喜ばせて「得点稼ぎ」をしたいだけにすぎません。相手の幸福に関する事でも、自分の得点にならないことには興味を持ちませんし、自分に関わりの無いなにかで相手が喜んでいても、さっぱり喜びを覚えません。また、自分を愛してもらいたい欲求が、強く、せっぱ詰まっているため、自分に好意を示してくれた人をすぐに好きになり、その愛が深いように錯覚します。
これらの現象を、例にしてみます。例えば、受験勉強中に「○○くんなら、絶対大丈夫だから、がんばってね」と言われて、相手を好きになったとします。○○くんが幼稚でワガママだと、とにかく自分を愛してほしくてたまらなくなり、試験直前でも、ドカーンと告白します。そして、ふられたとしましょう。もちろん思いっきり取り乱します。彼女の試験の前日に泥酔して電話を入れるかもしれません。その後、彼女が志望校に合格した、という話を聞いても、胸にジーンとはきませんし、落ちた、と聞いても、自分のやったことの罪を考える事はありません。むしろ、そのことを謝ろうという理由付けで、相手に再度の接近を企てるでしょう。
「モテない」の構造をまとめていうと、「とにかく自分を愛して欲しい、相手のことなど後回しだ、という幼稚な甘えを持っており、その本心が露見しては逃げられてしまうので、シナリオを演じたり、ウソでごまかしたりして、相手を手に入れようとする。本質的に相手は誰でもよく、自分に好意を示してくれる相手に偏執的で急激な好意をいだく」、ということです。
これでは、「付き合ってください」といっても、ふられるわけです。
ちょっと横道にそれますが、これは、非常に残酷な事だと思います。大人になっても、「相手のことはどうでもいいからとにかく自分を愛して欲しい」というのが本心だという人がたくさんいるのです。実際に、いるのです。しかも本人はそれが幼稚だと自覚しないまま、自分は愛が高まりやすい人間なんだと錯覚したり、愛なんて、とニヒリズムに走るテクニックを身につけたりしてしまいます。また、自分自身が、相手に無償の愛をささげた事が無いため、本心から無償の愛の存在を信じられず、それでいてそれを求めつづけます。その結果、心から喜んだり楽しんだりできなくなります。かといって、いい年をした大人が、その幼稚な本心をさらけ出して生きることはできません。だから、愛を求めて、けれど自分は愛を与えず、そのまま死んでいく人もいるのです。
だれだって、弱ってしまった時は、せっぱ詰まって、相手を思う余裕がなくなってしまうものでもあります。そして余計に愛は手に入らなくなる、それはよくあることです。その仕組みは、とても残酷な仕組みです。
でも、人間には底力があって、いずれそこから抜け出していきますよね。その人が勇気を持てば。
閑話休題。
結局、「相手のことなんかどうでもいい」が、「モテない」をつくっています。だからふられる、ということです。
このモテないの基本構造の上で、いろいろなモテないタイプを考えてみましょう。ここでは、
1. キモチワルイ人
2. 暗い人
3. 無自覚ワガママな人
4. 無自覚バカな人
5. 冷たい人
6. 逃げる人
7. 自信のない人
という7タイプを考察します。
1.キモチワルイ人
「ある男が、道端でケンカをした。勝ち負けは無かったものの、少し足をいためてしまったので、連れの女性に肩をかりて歩いた。彼はすごく悔しそうだった」これがきっかけで彼女は彼に惚れた、という話を聞いたとする。そしてそれを真似して、「オレもデートのときケンカしてやろう」と思ったとする。で、そのデート当日の様子を、相手の女性の立場から見てみましょう。
「この人、自分からデートに誘っておいて、なんかきょろきょろと、探しているみたい。目がギラギラして、なにかせっぱ詰まってるみたい・・・・・あれ、なんかケンカを売り出したわ。なんて迷惑な人なのかしら。人が集まってきたじゃない。・・・・・殴り合いが始まっちゃった。こわいこわい。この人、頭おかしい人なのね。暴力反対。いつレイプされるか分かったもんじゃないわ。え、肩を貸せって、どういうことよ。全然平気なくせに。セクハラだわ。こんな、人に注目されて、他人のフリをしたいところだけど、しょうがないし。こんなに不愉快なの生まれて初めてよ。なんなのかしら、オレはクヤシイゼ、というウザいセリフは。この人危ないわ。誰か助けて」というふうに見えます。
ここで彼女に、「どんな人だった」と聞けば、「・・・・・キモチワルイ人」と答えるでしょう。
これが男女逆だと、「少女漫画の主人公を真似る女」とか「すぐ泣く女」とかがキモチワルイ。
何か、相手をゲットするための「シナリオ」を演じている人は、キモチワルイのです。
結局、こういう人は、喜怒哀楽とか思いやりとか、そういうまともな心がフリーズしてしまっていて、もう人間味がない。笑っていても、どこか笑っていないし、哀しんでいても、なにか演技っぽい。これはこわい。キモチワルイ。そういうことです。それの反対を考えれば、「男はつらいよ」の寅さんなんかは、すごく困った人ですけど、その心の動きには非常に人間味があふれている。だから、愛されているのですね。
演じている人は、人間味のなさがキモチワルく、ふられるのです。
2.暗い人
ここでは、「輝いていない」ではなく、もっと露骨に「暗い」ということを扱います。また、暗さに攻撃性が加わると陰険な人、陰湿な人になり、パワーアップしてしまいます。
暗い人はまず、自分の失敗や欠点を探します。そしてそれをネタに、自分を否定します。その自分を否定する行為が、いいことのように思っているのです。その否定は残酷なほうがよく、「私はなんて無能なの」や「私なんか誰も好きになってくれない」などから、いずれ「オレなんか生きる価値無いわ」というところに到達します。そこまでで済めばいいのですが、どうしても、自分を否定しながら、誰か優しく慰めてくれる人を待ってしまいます。さらに、慰めてくれる人がいないと感じると、その世の中全体が冷たく、価値が無いように思えてくるようです。素晴らしい人はいないと思い出します。ここまでくると、ついに、暗い、ということに到達します。
そしてそれがまたせっぱ詰まってくると、偏執的になってきます。
自分とさして変わらない人、別に立派でもない、同じぐらい無能な人が、楽しくしているのが許せなくなってきます。自分には価値が無い、というところから、自分とさして変わらないあいつにも価値が無い、という感情が生まれてきます。その人が恋人をつくったり、何かをがんばりだしたりすると、それを憎み、足を引っ張ったり、傷つけたくなってきます。これが陰険さの始まりです。自分には明るくするその権利がないと思っているので、「お前になんでそんな権利があるのか」という不満をもっているのです。それでいて、その陰険な不満を自分で認めません。つねに「あいつはバカだし、だらしないし、ロクでもない奴なのに、何も考えんと好き勝手やりやがって。俺はこんなに真面目にやってるのに・・・・・なんであいつばっかり・・・・・」と、心の中で言い続けます。
さらに具合が悪くなってくると、「なんでみんなは、誰よりも真面目にやっている俺を愛さないんだ。みんな間違っている」「みんなバカばっかりだ」というふうに、世界全体に不条理な不満をもつようになります。そうなってくると、あらゆるものを否定的に見るようになります。自分の立場を強化するものだけは特別に賞賛します。
ちょっと横道にそれます。ある少年が、暗い性格のまま、世間に言われるまま猛勉強を重ね、東大にはいったとします。しかし、どうも自分がモテるわけでもないし愛されているわけでもないように感じられます。暗い勉強マニアですから、当然です。そういうとき、バカ大学の奴が楽しくはしゃいでいるのを見ます。このとき、自分は勉強ばっかりしてきた、小さい人間だ、と思えるぐらい落ち込めればいいのですが、東大という肩書きがそれを許しません。そういうときに限って「東大なんだ。すごーい、賢いんだね」とべっぴんさんに言われるんです。そしてその賞賛にすがりついて、オレは偉いんだ、と自我を保とうとするようになります。もちろん、その女性に強烈な恋心を抱きます。落ち込むどころか、バカ大学の奴らには、毒づきだします。「ボケどもが」。そうして暗さに陰険さが加わりだしたころ、思いの人に告白して、ふられます。その人はバカ大学のあいつが好きだと言うわけです。するとついに、「なんでみんなそんなにバカばっかりなんだ」という考えになってきます。そうなると、「誰もオレの事を正しく評価できない、クズどもが」と思っているところに、「お前は特別な人間だ。我々の元に来て、その力を発揮しろ」と言われて、カルト教団に絡めとられるのです。だから、カルト教団に高学歴者がいるのは、何も不思議な事ではありません。
本題に戻ります。簡単にまとめて言うと、「自分を否定して、派生的に世界も否定する」というのが「暗い」ということで、「暗さが行き詰まって、人を攻撃する」ということが陰険ということです。
暗い人や陰険な人が、誰かに「そんなに意地を張るなよ、お前、いいとこもあるよ」と優しくされると、どうしても不自然なまでに好意が高まってしまいます。それは相手のどこが好きというよりも、一番欲しがっている慰めを与えてくれた、ということですがりつきたくなっているのですが、本人はもう止まれません。それで「付き合ってください」ということになるのですが、やはり相手は、自分が愛されているのではなくすがりつかれているのを知っていますから「ごめん」ということになります。それが自然ですし、この人だって、自分を愛してくれる人と付き合いたいと思うのは当たり前ですから、これはしょうがないことです。また、この後、普段から自己否定がクセになっているだけに、どうせ私なんか誰にでもフラれるに決まっている、というさらなる自己否定に入り、それによってフッた側の相手も、嫌な気持ちになり、だんだんと、なんでこんなことにならなくちゃいけないんだ、あんな奴とかかわるんじゃなかった、と、相手を嫌いになっていってしまいます。それによって、さらに重大な自己嫌悪が生まれ、暗さと陰険さが醸成されます。
3.無自覚ワガママな人
無自覚、とつけたのは、ワガママとわかっていないのが真のワガママだからです。文中では省略してワガママで統一します。
別のコラム「甘えの構造」でも述べたように、ワガママというのは、本質的に幼児的な甘えのことです。甘え、と書いてしまうと語感が変わってしまうのでワガママと書きましたが、結局は、相手の心、というものをリアルに知覚できず、自分の心を最優先してしまうことです。
例を出して考えてみましょう。
ある夜、恋焦がれるあの人への思いが募り、ついに電話を手にとりました。そして、コール2回で相手が出ました。
「あの、もしもし・・・・・」
「はい?」
「あの、杉村ですけど、あのちょっといいですか、その」
「ああ、はい、なんですか」(このとき彼女はテレビで特命リサーチ200Xを見ていた)
「あの、実は前からあなたの事が好きだったんです。付き合ってくれませんか」
「えっ。そんな・・・・・急に言われても・・・・・」
「お願いします」
「えっ、あの、その、ごめんなさい・・・・・」
「えっ、そんなこと言わずに。ねえ。実は、いつもあなたの事考えていて、ここんところ夜も眠れなかったんです。もう、苦しくて苦しくて・・・・・」
「・・・・・はあ・・・・・」
「そのせいで何度も酔いつぶれたし、一人でずっと泣いていたり・・・・・頭がおかしくなりそうなんです。それぐらい好きなんです。その気持ちを汲んでください」
「・・・・・はあ・・・・・でも・・・・・ごめんなさい」(もうこの辺で彼女は絶対に断ろうと決意。テレビの方に興味が移る)
「そういわずに。本気なんです」
「ごめんなさい」
「・・・・・なんでですか?」
「・・・・・なんでって言われても・・・・・」(ちょっとリサーチ内容が面白そうで、イライラしてくる)
「何でダメなんですか」
「・・・・・」
「何でですか?」
「・・・・・好きな人がいるから」(もうテキトーに答えている)
「好きな人って、誰ですか」
「それはちょっと・・・・・」(失礼な質問をきっかけに、もうムカついてしまう)
「誰か、教えてくれませんか」
「・・・・・」
「その人は、もう、どうしても好きなんですか」
「・・・・・はい」
「名前だけでも」
「・・・・・それはちょっと」
「ああ、もしここで断られたら、またこの苦しい思いで何日間も泣きつづけることになる・・・・・だから、そこをなんとか」
「ごめんなさい」(「もし」じゃなくて、もう断ったでしょ!と心中で怒る)
「うーん・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」(母親から「お風呂、早く入りや―」とせかされ、いらつく。テレビに稲垣吾郎がでて、目がハートになる)
「・・・・・」
「・・・・・あの、ちょっと忙しいんで、もういいですか」
「あ、うん、その、また電話して・・・・・いい?」
「・・・・・あ、はあ・・・・・」
「・・・・・」
「じゃ」
「・・・・・じゃあ・・・・・」
回線切断。
このやりとりを見れば、こりゃいかん、と誰もが思いますが、結構やってしまいがちなケースです。
なぜふられるのか。
それは、相手の心のことを考えられないからです。
まず、電話した時に、自分はもう限界まで高まっているが、相手はのんびりテレビを見ていた。このときのズレを認識できないまま、いきなり告白、付き合ってくれと決断を迫った。次に、口説く時に、相手のどこがどう素晴らしくて好きなのかを伝えるのではなく、自分がいかに苦しんでいるかをとうとうと語りだした。口説かれる時に相手が最も聞きたいのは、「私のどこが好きなの」ということ、つづいて、「どういうふうに私と付き合ってくれるの」ということ。そのことを認識できず、自分の中で一番大きい気持ちだけを、遠慮なく吐き出した。次に、自分がこれだけ苦しんでいるのだから、付き合ってくれたっていいだろう、という態度がある。自分にとって重大な感情が、相手にとっても重大なものだと感じられているのだ。次に、「何故ダメか」「好きな人は誰か」という遠慮すべき質問を、躊躇なくやっている。もう、自分が大告白しているということしか頭になく、相手に気を配る事はできなくなっている。断られる理由が知りたいし、好きな人とは誰なのか知りたい、という自分の気持ちだけしか感じられないのだ。次に、相手は勇気をもってお断りしているのに、自分は断られたと思いたくないらしく、わかった、ありがとう、ごめんな、の言葉なく、また電話すると言い残している。相手は勇気を出して「ごめんなさい」と明言し、「もう断った」と思っているのに、それをちゃんと認識できていない。自分の感じることしか、知覚できないのだ。
それら会話と態度の端々から、「この人、ワガママだな」ということを看てとられるから、ふられるのです。自分の気持ちしか考えていない、自分の気持ちしか感じられない。また、こういうワガママは自覚できないから、真のワガママなのです。誰でも、告白する時は取り乱すかも知れませんが、これは取り乱すというよりは、「実はこんなにワガママです」というボロが出た、と言うほうが正確でしょう。
こういうワガママは、自覚できない上に、あらゆるところで露出します。エレベーター内、そこに立っていたら後ろの人に邪魔でしょ、とか、さっきから私は帰りたい素振りをしているのに気づいてくれないな、とか、人ごみは嫌い、と言ったのに、予定は変更してくれなかったな、とか、こっちの席、タバコの煙がひどいんだけどな、とか、ノートを借りたら御礼言わなきゃだめだよ、とか、私の知らない専門用語使って話されても困るな、とか、いくらでもあります。これがバンバン見えたら、どうがんばられても、好きにはなれない。
自分のことしか感じられていない、相手の身になって考えられない、という無自覚ワガママで、ふられるのです。
4.無自覚バカな人
これは、このページを見ている人にはあまりいないような気がします。自分の将来のことなどをまったく考えないひとや、相手の話をあまり理解できない人です。女の人でも、すごく汚い言葉遣いで話します。いくら真剣な話を持ちかけても、的を射ない意見を交わした後、「まあ、自分のやりたいようにやればいいんじゃないの」というようなことを答えます。将来どうするの、ときかれても「べつに考えてない」と答え、また、焦りもしなければ、自分を磨こうとか自分の欠点を直そうとか、そういうことを一切考えません。言っていることが違う、と言われても「うーん、そうかな?」とよくわからない様子を示します。その上で、自分がいたって普通であると思っています。周りの人はもっと考えて生きているとは知りません。また、外見だけで相手を選んだり、高いブランド品で自分を固めたりするのがイケてると疑問なく思い込んだり、いい音楽とか感動的な映画とか、そういう感覚をもてません。電車の中で堂々と携帯を使い、人の悪口を言うのが好きです。勉強を嫌います。あるいはモラルをもって勉強はするものの、どこか下品で知識も応用したり説明したりすることができません。
そういう人は、あまり人間の心の機微が分からないため、目立つ人にアタックしたり、とりあえず手近な人に接近します。が、相手は、とうぜん自分を理解してもらっていないことが分かりますし、話をしてみてもいまいち通じないために、大事な事を共有できる相手ではないな、ということで、断るか、遊び相手どまりになります。
心と頭に真剣さがないので、ふられるのです。
また、余談ですが、コンビニの前に地べた座りしている連中も、会社の役員も、真剣な奴とバカな奴がいますね。
5.冷たい人
感情が冷えてしまっている人です。極端な例は、人格障害の連続殺人犯が、「どうしようもなくやりたかったからやった。気の毒だとか可哀そうだとかは思わなかった」と感じる心理状態です。そこまでいかなくても、「エサを欲しがって泣く猫を見ても、なんとも感じない」「財布が落ちていても、ラッキーとしか感じない」「酔っ払いにからまれている駅員を見ても、気の毒と感じない」「テレビでオリンピックを見ていても、がんばれ、と内心で応援しない」「親切全般を、したいと思わない」など、これらも「冷たい人」です。
他人の感情に共感する機能が停止しているので、誰かが真剣な話をしていても、真剣さは伝播せず、ふと別の方向を見たり、生返事をしたりします。誰かが哀しんでいて、慰めたりしながらも、悲しさは伝播していないので型どおりの慰めかたになります。誰かが不当な扱いを受けていても、その感情は伝播せず、怒りが湧いてきません。
その分、自分の感情には注目するようです。冷たくて、エネルギーはあるという人は、なにか不満があると、とにかく他人にそれを撒き散らしますし、いいことがあると、とにかく聞いてもらおうとします。何か悲しいことがあると、夜中に電話して一方的に話しつづけます。それで顰蹙をかっているのに、その時は周りの人間こそが冷たいと思うようです。逆に冷たくてエネルギーのない人は、何か不満があると、周囲のムードに関係なくむっつり不機嫌になります。なにか悲しいことがあると、周囲に関係なく、好きなだけ泣きます。同じく顰蹙をかって、逆に周囲こそが冷たいと感じるようです。
また、一般的に「冷たい」のはよくないとされているので、「冷たくないフリ」をすることが多いようです。必要以上に動物をかわいがったり、人よりも、「気の毒だと思うね」「許せないね」「うれしいよ」「愛してるよ」と口に出していうことが過多になります。
こういう人は、共感できないから、あるいは、共感していますと口で言っているだけだから、「大事な気持ちを共有できない人とは、付き合えないなー」と、ふられるのです。
6.逃げる人
自分自身を認めることを、恐れる人です。人間誰にでも欠点や足りないところ、至らないところはありますが、それを見ないようにして、あるいは自分は優れていると勘違いしたり盲信したりして、生きている人です。うぬぼれ屋、と本質を共にするもので、誰かが、やさしく真剣に「お前は間違ってるぞ」といっても、「うーん、そうですねー」と聞き流したり、「参考になった」と分かったフリをしたりします。
例を出して考えてみましょう。
男に振られて「私って男運ないからねー」
女に振られて「あれは、あいつが、照れてるだけなんですよ」
自給の高いバイト狙って「オレそういうの向いてるから」
面接で落とされて「相性が悪かったみたい」
後輩に首を傾げられて「まあ、こんど教えてやろうと思ってるんだけど」
小さな仕事をして「オレがやったから、すぐここまでになった」
進路がままならず「まあ、私は、なんとかなると思うんだけど」
・・・・・などなど。このとき、相手は「・・・・・ふーん、そうなんだ」と穏やかに同意を拒否しているはずですが、それを見ないようにするのです。こっちから見ていると、「そこから逃げていたら、成長できないよ」と思うのですが、何しろ聞きません。聞くことからも逃げるのですから。もしそっちの例をあげるとするなら、
「男運がない、とは思わないけど」「うーん、でもさー」
「あの娘、照れてる、という態度にはみえないけど」「あいつはああいう奴なんですよ」
「お前、そういうのやったことないやろ。向いてるとは思わんけど」「いや、やったらできると思うんですよ」
「相性より、お前って面接得意なんか」「うーん、得意ではないですけど、大丈夫なんですよ」
「教えるっていうけど、向こうは聞きたがってるのかよ」「うーん、そうですねえ、どうでしょうか」
「オレがやったから、ていうけど、それは誰でもやってるフツーのことやろ」「うーん、オレの周りバカばっかりだから」
「なんとかなるって、どうなるの」「まあ、それはわかんないけどー」
こういう人が、「付き合ってください」というと、どうなるか。
「付き合ってください」
「うーん、ちょっと、その気にはなれない・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・ごめんなさい」
「じゃあ、そういう気分の時なら、付き合ってくれてた?」
「うーん、それもよく分からない」
「じゃあ、もしかしたら、そうなってたかも、てこと?」
「うーん、まあ、そんなところ」
「あー、じゃあ、まるきりイヤというわけではない?」
「・・・・・んー?」
「じゃあ、そのことはおいといてさ」
「え?」
「とりあえず付き合ってみるとか」
「え・・・・・あの、ごめんなさい」
こういうふうに、ふられた、ということを受け止めずに、口説きが続いてしまいます。自分に都合の悪い事は、耳に入らないのです。これではコミュニケーションが成立していませんし、傷つく勇気をもっていないのが見苦しく見えます。
相手の話を心から聞かず、傷つく勇気をもたないから、みっともなく見えて、ふられるのです。
7.自信のない人
ここでいう「自信がある」というのは、自分は偉い、自分はモテる、と盲信したり大声で主張したりすることではありません。そういう人は、よく吠える子犬と一緒で、だまっていられるほどの自信がないのです。自信のある人は、ふられてもしょうがない、と思える人のことです。あきらめたり居直ったりするのではなく、ふられる悲しみ、冷酷な人に笑われるつらさ、自分の魅力のなさ、取り乱す自分のみっともなさ、そういうことから逃げずに全部感じ切ることのできる人です。
自信の無い人は、告白する時、ふられることの恐怖に負けます。ふられる可能性を考えると、びくびくして、堂々としていられません。自信の無い人は、自分の存在を安定させる家族なり友人なり自分自身なりとの愛情関係をもっていないので、異性に対する愛情に自分の存在の全てを委ねようとしています。その異性からもらえる愛を期待し、それにすべてを懸けています。それだけに、ふられるわけにはいかなくなっています。そして、恐怖のあまり、都合の悪い相手の気持ちを受け取らないムードがただよっています。これが相手からするとあまり気持ちのいいものではありません。相手は、ある種の答えを期待されていて、自由な気持ちを感じられない、表現できないプレッシャーを感じてしまうのです。自信の無い人は、このように相手に無言の強制をかけます。だから、ふられるのです。また、なにか巨大な愛を与えてもらおうという態度そのものも、ふられる大きな理由です。
それが実際にふられると、もう自分は破滅だ、という感じで、今度は周りの人にすがりつこうとしたりします。あるいは、ふられた原因を別の事になすりつけようとします。タイミングが悪かったとか、誤解されたとか、あれは誰でも無理とか、そういう言い方をします。本当にふられたわけじゃない、ということを主張するようになります。このときも、色んなことから強引に目をそむけているので、他人の意見や表現を無言強制するムードを持ちます。
自信の無い人は、ふだん、人の評価に異常に敏感になります。ちょっとでも誉められれば、そのことを拡大解釈したり、ずっとおぼえていたりしますし、ちょっとでもけなされれば、強く反発してけなしかえしたり、やはりずっとおぼえていたりします。本当は、他人が口に出してどう言おうと、自分自身の変化はないのです。ハンサム、といわれて男前になることはありませんし、不細工、といわれて醜男になるわけではありません。もともとある自分の顔を、他人が色々いうだけで、結局顔が変化するわけではありませんから、あまりに一喜一憂するのはおかしい話なのです。しかし、自信の無い人は自分が見えていないですから、良いように言われると自分は良いように思えて嬉しくなりますし、悪く言われると悪いように思えて暗くなります。それゆえ、つねに賞賛して欲しいオーラが出ていますし、悪い評価には耳を閉ざすムードを持っています。これもまた無言強制を感じさせます。
そんなわけで、自信の無い人は、ちょっとでも自分を誉めてくれた異性に極端な好意を持ち、その異性に与えてもらう巨大な愛を夢想して、それに自分自身の存在をあずけるがために、ふられるわけにはいかない、というムードをまとい、それが相手に「この人は、愛されることばっかり考えている」「私の気持ちを本当に聞こうとせず、何か言わせようとしている」と感じさせてしまいます。だからふられるのです。
というわけで、基本構造の上にいくつかのタイプを分類しました。これでモテない話はおしまいです。
ふー疲れた。モテない理由を書くぐらいキツいものはないですな。とにかく不愉快な奴のことを連想しつづけるのだから、めちゃめちゃ不健康スよ。でも、自分がなぜモテないかを知るのは、人生で一番大切なことですね。ここまで読んでくれた人は、ぜひ、自分のかっこ悪いところをあぶりだして、克服してください。その後、女性は管理人に励ましのメールを送ること。おしまい。
[モテないのはなぜか/了]