思想と哲学
いかん。反省だッ。
ここんところ、部屋でニーチェなど読みつつ掲示板にレスを書いて、新しいコラムをアップするという生活をしていたので、バカになった。本当にインターネットというものは危険だ。いくらでもバカモードにハマれる。いくら高邁な理論を書き連ねても、世間様に通用しなくなっちゃあダメさね。
思想と哲学、これは、別物である。
哲学というのは、「Aは、Aであると同時にAでないということはありえない」とか、「道徳的であるということそのものが不道徳である」とか、論理的というか数学的というか、そういう概念の話なのだ。だから、デカルトなど、哲学者兼数学者という人が多かった。そもそも、ユークリッド幾何学が生まれた頃は、数学=哲学ですらあったのだ。世界とはなんなのか、というときに、平行線は交わらないとか、それが世界を見る方法だった。だから、哲学というやつは、普通の人はイミがわからん、と丸めてポイするような内容だ。本当は面白いんだけどな。
それに対して、思想というのは、かつて大学闘争などがあったみたいに、社会はこうで人間はこうで、これからの世の中はこうなっていくから我々はこうしなくてはならない、という、イデオロギーなどの入った、方向性のある物事の考え方だ。マルクスとかポストモダンとか、そういう、○○主義、と名前のつくやつが、思想だ。もし、自分の思考に柱を通したいな、と思って本屋にいったなら、思想の本を手にするべきで、哲学の本を手にすると萎えるであろう。
どうも、ここんところ、精神が哲学に流れつつあった。論理パズルみたいになっていた。私の求めていたのは、思想のはず。
人間は、その人格が完成するとイケメンになって、そりゃもうサイコーの人生をゲッチューできるから、人格を完成させようぜ、という思想だったはず。危ない危ない。クズになるところだった。
Web上でいくらわかった気になっていても、世間に出たとたん、目は輝いていない、挨拶は元気がない、会話に笑いもユーモアもなく、面接におびえる、ということでは、思想どころか、ここで死相を手に入れたというオチになってしまう。目の輝きと声のオーラ、そのユーモアと機転で面接に受かる、そうでないといけない。負け犬ポンチはごめんだ。
アシタカ主義・鉄則その1
みなさん、お互いがんばりましょう。
[思想と哲学/了]