笑ったことのある人へ
永遠の生命とかつて少年のバラモン
アーグラーからカジュラホーまでの道程は、ひどく縦揺れするバスだったと思う。当地の人々はそんなバスの、屋根の上まで乗車席に使う。振り落とされないのは外国人から見れば人間業を離れている。
屋根に上るといっても踏みあがる足場がないので、背の低いヒンディーがやってきて、僕の肩を叩くと「ユーハブグッドショルダー」と言って笑った。何だ? と僕が首をかしげていると、連れていかれて……屋根上組が集まってきて列を為し、頼りがいのある頑丈な足場として、バス車のバンパーと僕の肩とを左右の足がかりに踏みあがっていくのだ。次々にという具合に。
「いてて、痛えよ、あと何人だよ」
「大丈夫、ユーのショルダーはとてもストロング」
そんなことが言われたような気がするが、カカカと笑われるとこちらもカカカと笑ってしまう。全て歯についた煙草のヤニと尽きない砂埃の風とに運ばれて消えていってしまった。
多くの足は大半が臭かった。
縦揺れのひどいバスは五時間以上走っただろう。縦揺れは本当にひどくて、座席から天井へ頭をぶつけるぐらいに身体が跳ねる。網棚に載せた荷物は、最前列に置いたはずがいつの間にかずれていって最後尾に転がっている。そして僕自身驚いたことに、"慣れ"というのはおそろしいもので、僕はそんなビートウォッシュ洗濯機の中で、すっかりグースカ眠れるようになっていたのだ。まだガンガー(ガンジス川)にも到着していない、かつてのインド旅行の、当て所ない前編の話である。
紫色の空とエンジ色の要塞アーグラー・フォートが、僕を迷子にさせる孤独な夢を見ていた。タージマハルは霊廟である。大理石シンメトリの巨大霊廟を何百年と抱えるアーグラー地区は全体が霊的な圧力に満ちているように感じられ、僕は数日でまったく押しつぶされていた。その受け止めなおしを夢の中でしていたと思う。シャワーにさえ使いがたい苦味のひどい水道水、時計の裏に隠れた巨大ヤモリ。運次第で聖人にもなるヒンディーの人々。
バスがカジュラホーに着くと、やはり尽きない砂埃と、今度は無闇な青い空があった。
***
昨夜僕は渋谷にいた。公園通りから神南一丁目を左折して……中心部より坂上のほうが僕には居心地がいい。坂道が上下にする"物理的な差別"が、二十代以降の僕の生に大きな影響づけを与えてきたから。
二〇二〇年以降の目途は立たない。世界経済の進行はより多くの人々に自動車を与えるだろう。そうしたらすぐに大気汚染の問題がやってくる。そこに欧州式の燃費規制が掛かると、日本の自動車産業はひどく不利なのさ。そういったことを教えてくれた、また実際に優秀なビジネスプレイヤーとしてその話の渦中に身を置く友人Tは、僕が丸の内に勤めていたときの同期仲だ。彼もこれから短かからぬ海外駐在へ飛び立つところだが、彼が共連れにする優秀な同僚について、これからどう篭絡し、揃って何を成し遂げようとするのか? それを後に聞き遂げるだけだとしても期待が高まる。彼は最も賢明な選択としての"思慮の浅さ"を自己に活用しており、前のめりに鼻息荒くすることが一度もなく、彼の才能から自然発生するポジティブシンキングに身をゆだねることを本懐としている。その点においては、彼は余人の追随を許さぬ者だ。
Tはしばしば、僕の"IQを吸い上げに"やってくる。Tが持つ能力、企業があったとして、その中での調整や建設的な人付き合いを恐るべき速度で加速していくその能力に、僕は生涯を賭しても敵わないと思うけれども、Tから見ても同様に、僕がする、正体不明の智恵へ根を張り広げていくことについては、到底勝ち目がないと感じている様子なのだ。十数年そうして付き合ってきたわけだ……彼の抜け目のない人格は、一方で"思慮の浅さ"によってゴムマリのようによく弾み、「IQの高い奴と話していると自分のIQも向上するらしい」と仄聞したことを素直に信じて、僕のところへその"吸い上げ"にやってくる。ニヤニヤしながら。
つまりは彼としても、救いがたいところがあって、僕のする与太話の、トルストイやブッダやユングにもすぐに接近して語るところの話の珍しさが、彼の"お好み"でもあるわけだ。彼がニヤニヤしてよろこぶのはそれ。僕と彼は救いがたい次元でロマンチストであるということで通底している。Tの"思慮の浅い"ロマンチストぶりの、可愛らしさの表れについて、周辺にコメントを求めたとしたら、「あいつらしいね」という好感の笑いが返ってくるだろう。
Tと過ごすのに酒無しということはありえないし、呑みにいくのだが、呑めば呑むほどよく笑うし、よく笑うのに合わせて、また互いによく呑むのだ。Tは当然に、大人がする気の利いた物の言いようをよろこぶし、大人の人間が示す生き方直接の熱さに共感し、同時にその周辺に現れるこっけいさの人間について、そこそこ悪い顔をして笑う。嫌味のまったくないそれは、天真爛漫というよりは彼の"思慮の浅い思想"にたくましく裏付けられて、抜け目が無いと感じられるものだ。チク・タクと音の大きい時計が優秀な時計ではありえないように、思慮の深さは多くの場合優秀でもなければ賢明でもない。抜け目のない時計があれば、それは最終的にどれよりも正しい時刻を指し続けているだろう。
呑みながら、笑いながら……進みゆきに、やがて僕は、人間および高等の哺乳類が持つ"主体"の現象について語り出した。デカルトを呼び出さずとも、この「わたし」と呼ばれる、誰もが持つ主体の現象。これは個々の人間にとっていつ始まったのだろう? 細胞分裂を繰り返して成育していく中の、どの時点で。そしてそれはどのような化学的成分で形成されていると言えるのか。
完璧な生命維持装置をつけた上で、人体を上下に切断するとする。そのとき、人間は「下半身を失う」と感じる。それは「わたし」が人体のうち上半身に依拠しているからだ。これはわかりやすいが、では同じ条件で、人体を左右に切断したときはどうなるのか? 「わたし」なる主体は、人体の左右のうち、左か右か、どちらに依拠するのだろう。そもそも、人間を上下に切断するのだって、千枚にスライスしたとしたら、その何枚目に「わたし」が宿っているのか?
これらのことを考えてゆくと、「わたし」なる主体の現象が、果たして肉体としての生命に本当に依拠しているのかどうか、疑わしくなってくる。ひいては、やがて来る肉体の死があったとして、その死をもって「わたし」なる主体の消失を保証はできなくなってくるのだ。よく言われる、がさつな言い方の、「死んだらオワリ」「無になる」というやつ。別に宗教を根拠にしなくても、このがさつな言い方に反駁するのは論理上の演繹で十分だといえる。
「長い間、この肉体が、イコール"わたし"だという暮らしをして、それに慣れきっているからね。けれどもその習慣をもって、"死んだらオワリ"、主体の現象が消失するというのは、理知としてナゲヤリだ」
このナゲヤリという言い方がTに気に入られたもよう。彼は自己の内に問い重ねられる珍しい思索に難渋し、その難渋ぶりに顔をしかめてよろこんでいた。まったく彼は、このような顔をするために酒を呑んでいるに違いない。
「いやあ……このようなね。このような、脳みそをギューと絞られるこの感じ! この感じだけは、お前と話すときより他にないんだよ。このような、持って帰ろうという話、そして何かこう、これからに役立てようという強い思いがする話は、お前と話しているときより他ないんだよな!」
ミクロ・マクロで仕事をし、そこに精密な仕事ぶりも鷹揚な舵取りぶりも積み重ねていく人間がいながら、渋谷で安くはない焼酎を割って呑みながら、恵まれた個室と座席でくつろぎ笑い、思いがけずこのような話が尽くされている。もし互いに必要な"ひらめき"へ干渉し合えるのなら、その関係は友人と呼んでよいのだろう。
僕は昔話として、旅の道中、カジュラホーで体験した、テラスレストランでの一幕のことを話した。店の名前はブルースカイレストランだったか? 忘れた、登場人物などは全てムハンマドでよい。細かな性交の彫刻で全体を装飾された、土作りの神殿を抱くカジュラホーは小さな町だ。
***
少年がいて、壮年がいた。日本人の僕がいて、もう一人見知らぬ日本人がいた。四人がまちまちに一つのテーブルについていた。利発で活発な少年が、物怖じしない快活さで尋ねた。僕にではなくもう一人の青年に向けて。
「この町までどうやってきた? by train?/電車かい? by bus?/バスかい?」
内気勝ちに見えた青年は口ごもって答えるタイミングが遅れた。それで僕は問いかけを足した。
「……on foot?/徒歩かい?」
これを受けて少年はゲラゲラ笑った。
「わははは! 歩いてかい? そしたら、彼はたいしたサドゥー(苦行者)だ!」
少年はカッと笑いを痛快に切ったあとで、よろこんで身体を前傾に起こして、手を伸ばして僕のストロングな肩をパシッとはたいた。その手はそのまま青空の下、テラス席での握手に差し出されたわけだ。滑らかな手に、よろこびから力の強い握手。
まちまちだった四人は、それぞれの個性のまま、一つの向き合い方へ収斂されていった。四人は四人とも、笑いながら話しながら、カジュラホーの空が赤く暮れていくのに、まかせて身を染ませていったのだった。
十六歳の少年、
「僕はバラモンだからね、教師になるんだ!」
当時二十五歳だった僕、
「それにしてもお前ら、インド人は面白い奴らだな」
壮年のインド人、
「それは違うクーヤ、それは違うんだ」
「おれとお前、おれたちとお前だから、面白いんだ。そうだろう?」
「ツーリストはたくさんくるさ。彼らがどんな奴らかはおれだってよく知っている。そこで、おれは思うのだけれどね、クーヤ。自分の国で通用しない奴が、インドに来たって、そりゃあ通用しないさ。お前はそんな奴じゃない。お前は、自分の国で通用しなくって、逃げ込んできた奴とは違う。そんなことは、日本人? インド人? そんなこと関係なしにわかるものさ」
引き受けて僕、
「そのとおりだ」
十六歳の少年、
「おれにも言いたいことがあるよ。なあクーヤ、誰も彼も、明日のことを考えるじゃないか。明日のことを考えるから、今日が楽しめない。今日が消えてしまうんだ。それって愚かなことじゃないか?」
引き受けて僕、
「そのとおりだ。まったくそのとおりだ」
「明日なんて放っておいても来るというのにな!」
十六歳の少年、
「僕はこんなに話が合ったことは生まれて初めてだよ」
そのとき僕は、遠い異国の少年が、当時の僕とまったく――完璧と言ってよいほどに――同じことを考えていたことに驚いた。驚きながら、同時に、当然だという気もしたのだ。大いに笑いながら……明日のことなど考えなくてもよい。明日なんか放っておいても来るものだ。そのとき誰もが高らかに笑い得たのは、何しろカジュラホーの、天井さえない夕暮れの下で、明日などというものに現実味などありえようもなかったから。
そういったことは現在も続いている。あのころよりはいくらか複雑にはなったにせよ、やはり明日は放っておいてもやってくるもので、今日中に明日は来ない。そのことはいかにも、説明したくならないつながり方で、人間の理性的主体の「わたし」が、肉体の滅亡によっては消失しないということとつながっている。
もし、人間が、「死んだらオワリ」というようなもので、それ以外のことを信じず、何も感じもしないということなら、僕とTはこれほどまでに友人でありえただろうか。同様に、異国の利発な十六歳のバラモンとも、出会ったときから友人でありえただろうか。そうではない、そうではない、という"破壊"ばかり湧く。もし世界が、がさつに言われるそれのように無味乾燥なものだったとしたら、何がTの脳みそをギューとしている? かつての少年のバラモンと干渉しあって確かめあったひらめきを、現在の僕が今なお持ち帰ってきたまま所有しているし、Tも焼酎の酔いごとギューとくるひらめきを持ち帰って役立てようとしている。僕がTに向けて話したことをそのままに言うと、
「ブッダにせよトルストイにせよ、死んだらオワリなんて言っていない。その正反対を言っている。さあ、彼ら大天才に比較して、凡人がガサツに思いつくことを、決め付けたふうに信用してよいものかね? おれにはそれが、度を過ぎた不遜に思えるんだね……」
その後何があったか。ハードシップを含む海外駐在に改めて向かう彼を、駅前に送り出し、当然のように差し出された手へ握手をした。彼の賢明さである思慮の浅さと、ロマンチストぶりの好いところが活躍する。滑らかな手に、よろこびから力の強い握手。場所はカジュラホーからハチ公前とずいぶん変わったが、僕は永遠じみてそういう今日を繰り返している。それにしてもニヤニヤしながら。
[永遠の生命とかつて少年のバラモン/了]
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