笑ったことのある人へ
Ceu de Azul no Brazil, 笑顔でいることが大切です
記録によると、2005,Sept.であるから、今からちょうど九年前に、僕は東京の西部に"スペシャル"に会いに行っている。会うといっても一方的なもので……たまたま会ったように感じているのは、その会場が賑わってにわかに野天のサイン会場のようになったからだ。僕は手持ちの書籍と、それなりに使い込んだ万年筆を手渡して、典型的なミイ・ハアの気持ちで、彼にシグネチャーを乞うた。"スペシャル"は、真っ先にペン先の感触について、「素晴らしいペンですねぇ!」と発見を愉快そうに、間違いのありえない確信を込めて言われて、僕を内心によろこばせたけれども、そうして金ペンの万年筆を使い込みはじめたのも、他ではないその"スペシャル"からの影響によるのだ。彼が、あまりに万年筆のペン先についてのよさを変態的に言い続けるものだから……そのことは、タイミングとして言い出せなかった。周囲は、同じミイ・ハアの気持ちでいる人々でごった返していたから。
そのときの、青インクで書き付けられたシグネチャーがこうある。"スペシャル"の、自身の名前こそをむしろ脇に添える程度のものとして、どこかしら雄大な書き方を感じさせる文字の形があらわれている。
"Ceu de Azul no Brazil, 2005, Sept"
雄大な書き方の文字は、これまでに何度も、スペリングを僕に「Caなのか、それとも、Ccuなのか?」「ここはcleなのか、翻訳に出てこないが?」と誤解させてきた。Brazilはかつての英語圏で主流だったスペリングらしく、現在はBrasilの綴りが主流のようだ。最近になって、インターネット上の翻訳装置のCGIが、Ceu de Azul no Brazilと入力した原文に対して和訳を正しく吐き出してくれて、僕はようやくフーとため息をついて、このシグネチャーとの付き合いを正統にすることが出来ている。
とはいえ、こうしてシグネチャーにあらわされた文言が、これまで何を言っているのかわからないということではなかった。それどころか、なぜかそれらの言葉の連なりを見た瞬間、あるいはそれが書かれてゆく途中にも、それは見ていて何のことを書きあらわしているのか、僕には直接に理解されたのである。
「ブラジルの青い空」
その文言への直接の理解は、今振り返れば日常の体験をいささか逸脱しているように思う。ポルトガル語への知識が一切無い僕が、何によってその「ブラジルの青い空」を確信したのか? 結局のところ遡れる理由はない。
このことに係わって、僕はこれまでに何度も、
「ポルトガル語には、"ブラジルの青い空"と言い表す慣用句があるらしいよ。それだけ特別な青色が、当地の空にはあるってことなんだろうな!」
と、うれしそうに人に語ったことがあるはず。今になって別の青色で顔色を悪くするところ、この慣用句の実在について、実は引き当たる証拠の記憶がないのだ。あるいは、記憶しかない、という言い方が正しかろうか?
何かでそう読んだはずだ、と、確信されているのだが……現在の僕は、そうした記憶の取り違えが、むしろ肯定しうるものとして、人間にいくらでも起こりうることを知っている。自己が瞬間的に発明した文言や物語を、過去に体験から確認した何かと完全に信じ込むことがあるのだ。それも、日常的には信じがたいような、深く、無邪気な現象として、それは起こることがある。
幼い頃、近隣を走り回るのにもいちいち冒険がつきまとっていた中、或る日のこと。僕は夕暮れに、冒険の果て、"完璧"な遊び場としかいえない、広い秘密の野原を見つけて帰ってきた。そこで新しい同年代の、とてもすてきな、静かであたたかで気分のよい友人たちも見つけてきたという。僕は帰宅するなり母親の背中へ、にぎやかな声でそのことを語ったはず。その湧き立つようなよろこびの体験のまま、鼻息を荒くして寝床に就き、翌朝には飛び起きて、クツを履いて家を飛び出すのだが、門を出たところで足がガクンとなって止まる。完璧な遊び場の、そこへの"行き方"がわからないのだ。大きく見て、向こうの方角だったはず、というのはわかる。しかしそちらの方角は、すでに冒険されつくして、隅々まで知られてしまっているエリアへの方向なのだ。
"行き方"がわからなくて、やがて胸が詰まってきて、苦しくて泣き出し、それでも昨日のあそこへたどり着こうとして必死に歩き回る。そういった経験は、かつて誰にでもあったのではないか。数年が過ぎてから、今度は自転車に乗って、あのときの遊び場はどこだったのだろう? という、今度はただ謎を解こうとする気持ちから、調査に走り回るのだが、やはり幼子の移動圏内にはそのような広さの完璧の野原などありえないことが確認されるのみ。
こういったことが、純然たる想像力の体験でしかなかったとしたら? その景色の体験はともかく、確かに血が通って感じられた、あの友人の手指との握手は一体何だったのだ。あれまでが幻想だったとは到底信じられない……その握手の感触はあまりにも具体的に残りすぎている。そのことまでを含めれば、想像力の体験というのも、一種のそら恐ろしさまでがつきまとってくるのだ。想像力がその気を出せば、無限の現実を作り出すことなどお茶の子さいさいで、今あるこの"現実"というのも、想像力における最低限の共有か何か、その程度のものでしかないのではないか?
僕がこれまでに最も大きな影響づけを受けたであろう、大江健三郎の「新しい人よ眼ざめよ」についてさえ、僕は今でも冗談混じりにこう言う。当作中で最も深く影響づけを受けた詩句はこうだ……「鎖につながれたる魂をして、緑の野に走り出でさしめよ。」……どうだ、完璧な詩句だろう? しかし立ち戻って当の詩句を文中に探してみると、見つからないのだ。ブレイクの詩篇アメリカ・ア・プロフェシーを大江が訳した文中から、想像力の体験をした僕が、勝手な編纂をし、さらには飛び越えた"発明"をしている。
参考までに元の詩文はこうなっている。
――「粉碾き臼を廻している奴隷をして、野原に走りいでしめよ。/空を見上げしめ、輝かしい大気のなか笑い声をあげしめよ。/暗闇と嘆きのうちに閉じこめられ、三十年の疲れにみちた日々、/その顔には一瞬の微笑をも見ることのなかった、鎖につながれたる魂をして、立ちあがらしめよ、まなざしをあげしめよ。(Let
the slave grinding at the mill, run out into the field;/ Let him look up
into the heavens & laugh in the bright air; / Let the inchained soul
shut up in darkness and in sighing, / Whose face has never seen a smile
in thirty weary years; Rise and look out,)
粉碾き臼を廻している奴隷……スレイブ・トゥ・ザ・グラインド。それは、「ただちに上演禁止になったんだよ」と音楽の教授が語ったカルミナ・ブラーナの冒頭シーンにも結び付けられている。そのような、「鎖につながれたる魂」。これが三十年の疲れにみちた閉じ込めの暗さから、立ちあがり、明るい野原に駆け出てくる。その明るい"野原"そのものを、僕の想像力があまりにも明視してしまったため、それを僕自身が「緑の野」と呼ばざるを得なくなったに違いない。幼い頃、僕が確かに、"完璧な遊び場"へ行ったのだと言うよりないように、僕が読んだ「新しい人よ眼ざめよ」にも、やはり確かにこう書かれてあったと言うよりないのだ。「鎖につながれたる魂をして、緑の野に走り出でさしめよ」。今このときでさえ、引用した文中にこの文言がないのが、不思議で間違っているという違和感がしてしょうがない!
Ceu de Azul no Brazil, この文言が、「ブラジルの青い空」を意味する慣用句だというのも、同様の手続きによるもの。慣用句への確信は、同時に、当地にそういう青空が実在することへの確信でもあるし、僕ならばその青空を目撃することができるということへの確信でもある。
さて、未だ引越しに際しての荷解きが完了しておらず、ダンボール箱へ押し込んだままになっていた蔵書のうちから、偶然引っ張り出されて今の手元にある、このシグネチャー入りの本。「どこ吹く風」という題のそれ。この本を手がかりにして、ようやく僕はこの一箇月の難渋を解決された受け止めなおしに結びなおすことができたのだった。
***
英国ロイヤルバレエ団から離脱しての、新しい試みをしてゆくアリーナ・コジョカルと、彼女を押し立てて支え励ましもする、僕からは詳しくなれようもない一味。彼らのする日本公演としてのひとつが、二〇一四年のドリーム・プロジェクトと冠されたそれだったわけだったが、実際に僕が座席にうずまりこんで目撃したとき、それは五反田公演の楽日だった。楽日に合わせて、本編のあとにトーク・イベントが特設される運びがある。それで、閉幕しても場内から期待の気圧は下がらずに残っていた。
場内はあらためて、いわゆるバレエ・ダンスの"関係者"ばかりなのだということが浮き上がったようにも感じられた。化粧と服装の具合、および、特に首筋が長くグッと姿勢がよい少女たちの点在が客席にあった。
すでに本編の役割を終えて閉幕した舞台の上に、改めて当日のバレエ・ダンサーたちが現れた。拍手で迎えられ、並べただけの丈の高いスツールにそれぞれが腰掛けてゆくと、彼らがいかに優れた体躯の持ち主であるかが際立って見える。それぞれ、よく似合う上等な服を着ていた。彼らは普段としての微笑み方を恢復させて見せる。
トーク・イベントを進行する司会者は、派手ではないが円熟しており、距離感について好ましい厳しさを持ちながら、ほがらかに、上手にそれを進行することができた。聴衆は彼の味方であったし、彼もまた聴衆およびバレエ・ダンサーたちの味方であった。アンケート用紙に集められた質問のいくつかを司会者としての声で投げかけると、肉体表現を本業にするバレエ・ダンサーたちは、思いがけず熱心に、理知的に、明晰に、的を射た話を返したし、合間にユーモアを挟んで聞き手をなごませ笑わせることもした。ただ抜群によい体躯をもった賢い青年たちというだけに彼らは見える。彼らが思いがけず熱心に語るので、その熱気を受けた司会者は、
「さて、あまり多くの質問にお答えいただくことはできないかもしれません」
と嬉しがる声で言いもした。
そうして、トーク・イベントが好ましく実り、進行していく途中で、アリーナ・コジョカルが気配もなく壇上に現れた。飲みかけの、コカ・コーラの赤い缶を手に持って。赤い缶は、ただちに聴衆に注目され、すぐさま、それほどの急激な燃焼と、当然必要な補給があるのだ、という納得のされ方を代弁するシンボルとなった。よく編みこまれたやわらかい生地の、よく似合う服装そのものより、足元に置かれてときおり口付けされもするコカ・コーラに、ウズウズする印象を受けなかった聴衆はこのときあるまい。
全体の進行において、それぞれの順序やタイミングについても、したたかな狙いを持っているであろう円熟の司会者は、ちょうどよいところを見計らって、コジョカルへの、視認性が高いというべきの、大胆なところの質問を読み上げた。質問の主は幼い少女で、その少女が憧れにまみれていることまで含めて、司会者はそれを達者に読み上げてみせる。
「コジョカルさん。どうやったら、そんなにかわいく踊れるのですか?」
場内が同意の勢いでドッと笑いに沸いた。通訳がコジョカルに耳打ちすると、コジョカルは赤くなった。コジョカルは、押し付けられた回答用のマイクを持て余し、それを隣にいる、パートナーであるコボーに押し付けることを思いついたようだった。そうしてマイクがぐいぐい、押し付けられようとすると、今度はコボーが驚いて、
「いやいや! おれには何も言えないよ!」
と忙しく両手をギブアップの形に振りかざした。断じてマイクを受け取りはすまいというやり方に、再び場内は好ましい笑い声を上げる。
しょうがなく、コジョカルは、向けられた質問に、自分なりに答えようとするしかない。
けれども……そうして人をはにかませるムードのものは、コジョカルがum...uh...と、彼女のこれまでしてきた取り組み方の実際へ、思索を深めてゆくとき、ただちに真剣味を帯びていって変質し、場内は次第に水を打ったように静まり返っていった。
それで、静謐の中で言われたのがこうだ。残念ながら、僕の語学力では通訳を経てしか全体を聞き取りえない。
「笑顔でいることが大切です。そして、出会いをどう力にしてゆけるかです」
ここでこうして語られた言葉が、その後の僕の一ヶ月間を難渋に苦しませる。「笑顔でいることが大切です」。確かに、舞台で観るコジョカルの踊りは、全身そのものが"笑っている"ように見えた。それは理解しうるにしても、では自分の直接のこととして、「笑顔でいることが大切です」とは何のことか? もちろん、表情筋に笑顔グセをつけるだけの投げやりな、営業マンの技法じみたそれでは、コジョカルの言ったことへの本意に添わないのは明らかだ。そうした笑顔の濫造はむしろ、最も「笑顔でいることを大切にしていない」と言いうるだろう。そんなことはわかりきっている。何しろ、静謐の中で、「笑顔でいることが大切です。そして、出会いをどう力にしてゆけるかです」と、コジョカルが"半笑い"で言ったわけではないのだから。
笑顔のことと、出会いのこと。このことは、平易で、無益でない発見を、僕に一つもたらしてくれたように思う。これまでに出会った人のことを思い返すと、驚いたことに、誰についてでも、その記憶はその人の笑った顔を中心にして形成されているのだ。いくつかの表情や姿のうち、特に座って笑っている顔の、「その人はどう笑ったか」ということの受け止めが、その人についての定義づけ、その中枢になっている。逆に、さんざん知り合っているはずなのに、この人とは「出会った」と呼びうる感触がないというとき、やはり記憶の中には彼の「どう笑ったか」ということの残像がない。出会いは笑顔を中心に構造化して受け止められているのだ。たとえば、「家」という建造物の受け止めが、居間を中心にして定義づけられていることのように。この僕の発見がもし正しかったとしたら、アリーナ・コジョカルの踊りが、観衆に出会いと、それに引き続く失恋を与えるということも必然であるわけなのだ。全身そのものが"笑っている"ように見える踊り。観衆は、バレエへの含蓄を気取りながら、いつの間にか、彼女がどう踊ったかではなく、どう笑ったかを目撃してしまっているわけだから……
ひとまずは、この発見への結びつけをもって、一つの話としての、まとめあげとしてよいとも、一度は思われた。しかし実際にそうしてみたところ、難渋はごまかされたのみで、解決はしなかった。自分はこの書き方、まとめ方で、"笑顔"でいることができるものかね? そう問いただすと答えは否において明白であったから。だからますます難渋は深まっていった。真夜中にも、ダンボール箱を引き倒して、中身を混ぜ返したりしていたのは、その難渋に行き詰まってのことだったのだ。その難渋のせいで、大切にしていた「どこ吹く風」の、オマケについてくる本のオビに、ビリリと裂け目が入ってしまったけれど。
想像力が勝手な編纂をすることはすでに述べた。場内の暗闇を、スポットライトの閃光が切り裂く先に、<<コジョカルは白鳥の姿をしていた>>し、閃光に水の微粒子が無数に浮き上がっていたから、そこは鬱蒼とした森の奥かどこかなのだ。そこからum...uh...となって、語られたことについて、それをコジョカルが言ったのか"オデット"が言ったのか、区別したがるヤボテンはさすがにあるまい? 特にそれがコジョカルのことについてであれば、コジョカルとオデットを区別することはほとんど無意味だ。
「笑顔でいることが大切です。そして、出会いをどう力にしてゆけるかです」
「どこ吹く風」は、著者がこれまでにした実体験をそれぞれ小編にしてまとめたエセー集だ。その一節に、題名をそのまま「ブラジルの青い空」として書かれているものがある。91頁から97頁にかけて語られるのみのそれを、驚いたことに、僕はこれまで何度も読み返してきたのに、青インクで書き足されたシグネチャーのCeu
de Azul no Brazilに結びなおして読むことをしてきていない。これまでに一度も。今ようやく、記録された日付に遡って、九年ぶりにそのことへ導かれなおしたといえる。
小題「ブラジルの青い空」は、出会いと笑いについてを描き出している。サンパウロにて、ボン・ディア、トゥド・ベン? 当地の挨拶の言葉が、徹夜明けでくたびれた守衛仕事の男たちを、仏頂面から笑顔へパッと変えることの愉快さから語りだしは始まる。
伴侶を失った悲嘆から、酒および薬物へと引きずり込まれていった女性・エウニセ。解決しようのない苦しみの仕組みから、彼女を救済したのは、痛烈な愛情をぶつけにきた、彼女の幼い娘だった。幼い娘は荒れ狂うエウニセに、ついに頬を殴られた。打擲に打ちのめされたところ、娘は……パッと起き上がった。そしてエウニセに向かってきて、小さな手でエウニセの頬を……挟んで……「ママイ、笑って」と訴えた。その真剣さは恐慌の中にあるエウニセをさえ怯ませ、涙を流させたという。
以下、「ブラジルの青い空」の末尾部の引用。
「よかったね、エウニセ」
「ええ」
「娘さん、今じゃ小学生だ」
「笑うっていいですね」
「悲しかったら笑うんだ」
「あなたを見てると、この話、聞いてもらいたくなったんです。聞いてくれてありがとう」
「こちらこそありがとう」
私たちは握手をした。
外に出る。両手を広げ深呼吸をした。
空は晴れていて、深い深い青が広がっていた。ブラジルの青(アズール)。大陸の笑顔みたいな青だった。
"スペシャル"の、悲しかったら笑うんだ、という励ましの説得力はもとより、そもそも、Ceu
de Azul no Brazil, のシグネチャーに書かれた「ブラジルの青い空」とは、この本の見開きに重ねて手書きされる上で、何と結ばれるべきだったのか? 言わずもがな、「大陸の笑顔みたいな青」。僕はこうして、九年ぶりのやりのこしへ、今になって導かれ、引き戻されにきたわけだ。
幼い頃の、"完璧な遊び場"に重ねるようにして、ブラジルの青い空という慣用句は、それが特別に成立する青空ともども"実在する"と言うよりないわけだし、同様に、白鳥の姿をしてオデットが語る「笑顔でいることが大切です」ということも、特別に成立する実在があると認めてよい。なるほど、笑顔でいることを大切にするといって、青い空を青い塗料の散布によって成り立たせようとする人間はありえないわけだ。大切ということは、作為に汚さないということでもあるから。
Ceu de Azul no Brazilにせよ、笑顔でいることが大切ですにせよ、完璧な遊び場と同じくして、明日にはふと「行き方がわからない」ということにはなったりする。けれども、そうして行き方や実在に再現性が得られないからといって、それらの体験を、自己の信じてよい体験としてはならない……というわけではないのだ。コジョカルは笑顔主義を推奨したのではなくて、あの青空が大切だわ、というような、普遍のことを言ったのみ。および、出会いもそのようなことだと、重ねて言っただけに過ぎない。
そして、わたしたちの誰であってもだ……たとえ"スペシャル"ではなくて、ここのところ曇りが続く空模様の誰かであったとしても、「あの青空が大切だわ」というようなことをただ言うだけのことに、何の禁止や咎め、憚りを気にしなくてはならないようなことがあるだろうか。「Ceu
de Azul no Brazil,」「笑顔でいることが大切です」。こういったことを、言ってはならない複雑ぶった事情など、はたして人間にあってたまるものだろうか? たとえ粉碾き臼への三十年の閉じ込めがあり、そこに疲れにみちた奴隷があるとしても、彼を"鎖につながれたる魂"たらしめているのは? そのことそのものによるのではないのだ。笑え!
[Ceu de Azul no Brazil, 笑顔でいることが大切です/了]
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