さよならアミヨさん、ネット輿論に別れを告げるときがきた
ネット世論はあなたにとって「使えないもの」になった
輿論というのも大げさだが、他に言い方がない。輿論とは「世論」のもともとの言い方だ、多数の手でおみこしのように担がれた論のことを輿論と言った、「世論」と同じ意味だと捉えていい。
二〇二二年四月現在、ウェブ上でいろんな意見が飛び交っている。あちこちでレスバトルが生じ、あちこちでバズが生じ、あちこちで炎上が生じている。これらのすべてはネット世論という語で呼ぶしかないと思うが、これらネット世論はすべて、あなたにとって「使えないもの」になった。
なぜ使えないものかというと、けっきょくろくでもないからだ。
それがろくでもないものだということは、きっと多くの人がうすうす直観でわかっている。
とはいえ、ろくでもないものが席巻するということはしばしばあるし、われわれはろくでもないものに支配されないというわけでもない。
あなたはそれがろくでもないものだということを、内心で確かに知り、内心で確かに見切りをつけるべきだ。
そのために、冷静に理知的に、それがどのようにろくでもないものなのかを知っておく必要がある。
本稿はそうしたあなたの知見のために一助となるべく書かれるものだ。どうかこの小文がわずかでもあなたの健やかなあるべき心身を助けるものになりますように。
この話の奥は、ある種の「革命」ということが用意されている。それはわれわれがもたらすこれからの革命ではなく、われわれのところに起こってしまった血なまぐさい革命のことだ。それが何なのかの説明はこのまま読み進めていけば明瞭にわかる。
ある種の「うらみ」のようなものから、復讐としての革命が為されてしまった。それが為されてしまったということに、いま現在のわれわれはきちんと気づけていない。
一部、説明のために、ネット世論を醸成・構築している勢力のことを、擬人化して「アミヨさん」と設定することにする。網がネット、世が輿論で「アミヨさん」だ。
わたしもあなたも、現代においてアミヨさんが――あるいはアミヨさん「たち」が――何をどのように言うか、どのように厭らしく言うか、どのように圧力をかけてくるものか、数々の事例を目撃したことによって知っている。
そうしたアミヨさんの専横は猖獗を極めているのが現在の事実ではあるが、これはけっきょくあなたの友人ではないし、あなたがアミヨさんから学ぶところはひとつとしてないし、アミヨさんと肩を寄せ合うところもひとつとしてない。
ネット世論というひとつの時代は、現在も続きながら、その命としては終わってしまったと言える。
この先もその死骸がわれわれを脅迫し続けるだろうが、それでもそれはすでに死骸だ。それで本稿のサブタイトルは「さよならアミヨさん」とした。
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