さよならアミヨさん、ネット輿論に別れを告げるときがきた
不毛のかわいい子
不毛革命以降、「大切なもの」というのは概念ごと破壊されて消失したのだが、たとえ「大切なもの」でなくても、楽しみそのものが無いわけではない。つまり娯楽のすべては不毛革命以降も残るということになるが、その中で特に、現代における「かわいい」という語に焦点を当てておきたい。たとえば男性にとってすでに女性は「大切なもの」ではありえないわけだが、それでも生理的欲求としての性欲は残る。「大切なもの」ではない対象に対して性的興奮と陶酔をするというのは実際の行為として整合しづらい。そこで「かわいい」という概念が台頭してくる。現代でいう「かわいい」というのは、「大切なものではまったくないが、かわいい」という意味で使われている。アイドルタレントおよびその類似として人々に知られるようになる女性たちは皆はっきりと「かわいい」が、かといってその中の誰が突然死んだとして、そのことを巨大な喪失として悲嘆に崩れ落ちるという人はいない。このように、「大切なもの」を根絶やしにした中で、その生理的性欲を「かわいい」に結びつけて陶酔するのが現代の主流だ。それが「かわいい」ということおよび、そのことに対して起こる陶酔と神経の惰弱化は強力なもので、その作用の大なるについては虚偽がない。それに関わってはヨダレも涙も流すだろう。ただしそれでもその「かわいい」は、「大切なものではまったくないが、かわいい」という文脈で必ず使われている。「エロい」も同様で、「大切なものではまったくないが、性衝動を誘われてたまらない」という神経の惰弱化のことを現代では「エロい」と表現している。
大量の女の子がキャラクターとして出現するアニメも、あるいは女の子だけでなくジャンルとしては少年マンガとして登場するキャラクターたちも、あるいはソーシャルゲームのたぐいも、すべて「大切なものではまったくないが、かわいい、エロい、派手で刺激的」という形で描かれている。それがきっちりと不毛なものという土台で描かれていて初めて、それはアミヨたちに拡散してもらえる。またそうしたアニメやマンガやゲームだけでなく、実生活に体験することも不毛であることがこの革命以降の現代で佳きものとして拡散の名誉を受ける。不毛な趣味、不毛な旅行、不毛な交友関係、不毛なサークル活動。不毛なグルメ、不毛な知識、不毛なフェス、不毛な舞台、不毛なスピリチュアル、不毛なマインドフルネス。不毛な散財、不毛な貴族趣味。Youtuber が激辛百倍やきそばを「食べてみた」と映像レポートするのも、それがわかりやすく「不毛」だからということで、現代の安心の "お墨付き" をもらっているということになる。不毛な筋力トレーニングでニコニコしている人が現代人はとても好きだ。
いかなる革命においても、革命以降は典型的なその「革命以降の子」が可愛がられるのが必定だから、不毛革命以降の現代においては、全力でその「不毛の子」をやっている者が革命以降の子としてかわいがられることになる。これは「不毛のかわいい子」と一般化して定義してよい。われわれはもし、美人の女の子が友人と「大切なもの」を通い合わせている気配を目撃したならば、その美人の女の子を決して可愛がらない。そうではなく、不毛の子として、
「土曜日は、一日中寝ていました。えへへ……それで今日は、ちょっと服装に、コスプレを効かせてみました。どうでしょう、似合っているでしょうか〜。わたしどうしたんでしょうね、こんなことをやっているような年齢ではないのに、えへへ。みなさんも、楽しい一日をお過ごしくださいね」
というようなことを明らかにしているのが好きだ。われわれはそうしたものが好きだが、わたしは正直に、そうしたものをわたし自身は本当は好いてはいないと正直に自白しておく。わたしは、そうして「かわいい」子が、その実「大切なもの」を一切持ち合わせていないということが、直接の肌身に触れたときどれだけ恐ろしいことかをよく知っているからだ。
現代は革命以降の、不毛の子を可愛がる。不毛だからかわいいと感じ、可愛がるのであって、万が一「大切なもの」を真にその手にしようとするなら、人々は一斉にその子に容赦のない攻撃を始めるだろう。彼女のすべてが不毛になればよいという容赦のない攻撃を仕掛け、「すべてが不毛になりました」と軍門に下ったとき、人々は彼女に屈託のない笑顔を向ける。
不毛のかわいい子は、この世の中をどのような原動力で生きていけばいいのか。先ほどの「服装にコスプレを効かせてみた子」は、実際にどのような原動力で、その溌剌としたふうの日々と、表情と振る舞いのパフォーマンスを続けているのだろう。
このことは必ず知っておかねばならない、そうでなければ最後の最後であなたの精神は正気を失ってしまうだろう。その本当のものに触れたとき、それが肌身に直接どれほど恐ろしいものか、わたしはすでに知っているし、あなたもいずれ知るときが来てしまうかもしれない。
「不毛」の世の中と「かわいい」の強力さの中で、彼女は「自分がかわいい」という強烈な原動力で生きている。不毛革命以降の現代はすべてが「不毛」で塗りつぶされ、「かわいい」だけが台頭している。その「かわいい」は、外向的に生じるのみではない、自分自身に内向的にも生じる。大切なものを持たない人も、大切なものを許さない人も、アミヨのすべても、言わないだけで「自分がかわいい」という強烈な原動力で生きている。自分に「大切なもの」がなくても、自分が「不毛」であっても、自分が「かわいい」ということはまったく別に容赦なくはたらき続ける。
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