さよならアミヨさん、ネット輿論に別れを告げるときがきた
アミヨの矛盾1.アミヨは「大切なもの」ではない
革命は無条件に押しとおるからこそ革命であって、革命後にもたらされるものがどのようであろうが、革命そのものが消え去るわけではない。これまでにあったものをすべて根絶やしにして、その後にカードを引いたとする。そこでスペードのAを引けば、スペードのA革命ということになるし、ジョーカーを引けば、ジョーカー革命ということになる。革命後の世の中がどうなるかは、革命が済んだ後に決まっていくことであって、前もって革命後の世の中をデザインすることはできない。
よって、◯◯革命というとき、◯◯というテーゼは革命への動機に当たりはすれども、◯◯それじたいが精妙に成り立っているというわけではなく、◯◯それじたいが「しっちゃかめっちゃか」であったとしても、革命後はその世の中を受容せざるを得ない。不毛革命もその定めにあり、不毛革命後の現代には誰でも容易に見つけられてしまう矛盾点を抱えている。
それは、こともあろうに、アミヨ自身が誰にとっても「大切なものではない」ということだ。
考えてみれば前もって自明のことではある。「大切なもの」を、問わぬまま一切の「不毛」で根絶やしにしていくというのが不毛革命だったのだから、彼らの踏破したあとには一片の大切なものも残っていないはずだ。「大切なもの」というのは概念それじたい破壊されたのだから、その当事者であるアミヨが誰かにとって「大切なもの」であるはずがない。また自分自身にとっても「大切なもの」であるはずがない。
自分自身にとって「かわいい」ものではありえても、「大切なもの」ではありえない。
先の段に述べたように、たとえば不毛の子たるアイドルタレントは、これ以上なく「かわいい」ものであっても、断じて「大切なもの」ではない。不毛の中でも楽しみがないわけではない。「かわいい」によって神経を惰弱化する、そのことを楽しみとするのに、「大切なもの」うんぬんは関係も必要もない。
アミヨは誰にとっても大切なものではなく、ひいては、<<ネット世論は「大切なもの」ではない>>のだ。このことについてはアミヨたち自身でさえ賛同することになる。彼らは不毛なものが大好きなのだから。「ネット世論って不毛ですよね」と堂々と言うなら、彼らはそのことに曇りないよろこびと肯定を見出すだろう。「わたしが今から穴を掘って、わたしがまたそれを埋め戻しましょうか?」。そのように言うだけでアミヨたちはよろこぶ。彼らは「不毛」にのみ依拠しているのだから、「不毛」に寄与するものに敵対することは原理的にできない。
アミヨは「大切なもの」ではなく、アミヨたちの作り出すネット世論も同様に「大切なもの」ではない。このことは、ひとまずアミヨたちにとって本懐を為しているように見える。実際アミヨたちはこのことに、「それでいいと思っているから」と陽気な賛同を示すだろう。
けれども、そもそも革命が起こったことじたいにまでさかのぼると、やはりこのことには矛盾があるのだ。矛盾を開示する説明が続くと次第に混乱してくるので、ひとまず段を区切ることにする。
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