さよならアミヨさん、ネット輿論に別れを告げるときがきた
初めに読んでもいい編集後記
一人で書いているものに編集後記もへったくれもないとは思うけど、とりあえずお疲れ様。このページ、右下のページ数が1になっているが気にするな、Word で編集しているんだがこれ以上フッターをいじると何でか全体のレイ
アウトがバグるのだ、おれはこれまでに Word を思い通り
に使えたことなんて一度もないぜ。
さあ今回の話、ネット世論を真に受けるのはやめましょ
うという話、ただそれだけ。ただそれだけのことにこんな
に冗長に書き話す必要があるのか汗。いやいや、それがあ
るんだ(多分)。本当の構造を知らないと、その作用を根
幹から断ち切ることができないから。
そして、その本当の構造というところまで手を突っ込む
と、けっこう生々しい話になってしまう。ネット世論なん
てみんな半分冗談のつもりでやっているのにね。冗談半分
のつもりが、いつのまにか、何か別のものになってしまっ
た。そういうことってあるじゃないか。誰だって冗談半分
のつもりでパチンコ遊びを始めるのだろうし、麻薬でさえ
初めは冗談半分でやってみるものだろう。
どうしても言わなくてはならないことは、ネット世論は
残念ながら「大切なもの」を持っていない人たちが醸成し
ているようだということ。ネット世論の中にあなたの大切
なものはない。むしろ逆で、残念ながら必ずネット世論は
あなたの大切なものを破壊しにくる。怖いじゃねーか。
ネット世論が存在するという実態は、いまや誰でも知っ
ている。あなたも知っている。でも、そのネット世論なる
ものを醸成している人たちの、姿やその声の響き、眼差し
の色などは、見たこともなければ聞いたこともない。色ん
な人の色んな話があるように見えるけれど、それって「誰
の話?」と訊くと、あなたは答えられない。当たり前だ。
あなたの話はあなたの話でなくてはならないし、あなた
の聞いた話も「あの人の話」でなくてはならない。そして
あなたが「あの人の話」を大事に持つとき、あなたのいう
「あの人」は、何か大切なものを持っている人なのだ。当
たり前のことだけどね。ネット世論にはこれがない。誰の
話でもなく、大切なものを持っている人の話をあなたが聞
いたわけでもない。ここのところだけは正確に捉えていな
いと、あなたからネット世論の影響を切り離せない。
あなたが一本の映画を観たとする。それで、あなたが映
画のレビューサイトを見ると、その映画は「名作だった」
「感動した」と星印がたくさんついている。あなたはそれ
について内心、「そうかなあ」と違和感を覚える。一方、
同じ映画について5ちゃんねるのスレッドを見ると、「陳
腐すぎるだろ」「モチーフは◯◯の使い回しだ」「この女
優は監督とのコネだよね」「映画館で金を払ってまで観る
価値ないわ」とコメントされている。それについてもあな
たは内心、「そうかなあ」と違和感を覚える。
あなたの体験することが、すべてネット世論の評すると
おりで寸分も違いがないのなら、それでいいのだけれど、
まさかそんなわけがない。それで、その映画について実際
にあなたの友人たちはどのように言うかというと、別にそ
んなにあれこれは言わない。映画ひとつについて友人たち
と三時間もあれこれ話して盛り上がるかというと、そんな
ことはなかなかない。じゃあ、ネット上でレビューをやり
とりしている人たちはどういう人たちなのかという話だ。
ネット上では、本当におかしなことが進行している。も
うこのことは、単なる風物詩として看過できるような領域
を超えてしまった。あなたが本来体験するべきことを歪め
てしまう危険性を無視できない。無視できないどころか、
すでにあなたの体験や、体験を得られるだけの素質を、さ
んざん破壊していると見立てるほうが妥当なぐらいだ。
たとえばおれが、誰か若い女性と出かけるとする。「サ
イゼリヤいこうぜ」とおれがその女性を呼び出したとしよ
う。するとその女性は「やった〜 いいんですか」と応じ
る。断じて申し上げるが一ミリもウソじゃない。おれの友
人でおれがサイゼリヤに誘ってよろこばない奴はいない。
モスバーガーでも吉野家でもいいけど。もちろんおれがオ
ゴってその人がよろこぶわけじゃない、正直にいえばおれ
はオゴっていないし、かといって割り勘にもしていない。
別にそんなのオゴってもどうでもかまわんけどね。
おれは重度の喫煙者だから、ネット的に言うならいわゆ
る「ヤニカス」だけど、それで煙たがられるかというとそ
うでもなく、それどころか「この匂いが落ち着くんです
よ」といって、わざわざ副流煙を吸いに来てはしゃぐ奴も
いる(たくさんいる)。靴が泥だらけになったら「これ拭
いておいていいですか」と許可を求められるぐらいだ。こ
れらはすべて一ミリもウソじゃない。でもネット世論には
決して「そういうもんだろ」とは書かれていないだろう。
仮に、あなたが若い女性だったとして、そして仮にネッ
ト世論に深く影響づけられていたとして。おれがあなたに
「サイゼリヤいこうぜ」と誘ったら、あなたは激怒しない
といけない。でも本当にあなたのこころは激怒するのだろ
うか。安くてうまい白ワインを飲みながら、辛味チキンを
食べることがそんなに貧しいことか。女性であるあなたに
対する重大な侮辱になるのか。靴が泥だらけになったから
テキトーに拭いておいてくれとあなたに言ったら、それは
重大なセクハラやパワハラになるのか。
おれは昔、丸の内の商社マンだったころ、よく夜中に六
本木に置き去りにされ(部長がキャバ嬢とアフターしたあ
と、タクシーで帰ってしまうのでおれだけ置き去りになる
のだ)、そこで客引きをしていた背の高いガーナの黒人に
「お前、こないだも置き去りにされていたよな」と笑われ
た。アフリカンらしく本当に真っ黒の肌だ。おれはそのガ
ーナ人に「日本に来て何年目ぐらい?」と訊いた。すると
ガーナ人は指折り数えて、途中で数字がわからなくなった
らしく、エヘヘと笑った。「覚えてないやないか! テキ
トーに生きとるなあミスターチョコレート」とおれは言っ
て笑った。おれのやったことや発言したことは人種差別な
のか。当のガーナ人はウヘラウヘラ笑っていたのに。
つい先日、おれが玄関先に立っていると、歩きスマホの
お姉さんがやってきて、彼女は前を見ていなかったものだ
から、危うくおれと衝突するところだった。衝突はギリギ
リで回避され、お姉さんはなおもスマホをのぞき込みなが
ら、おれに対して「舌打ち寸前」という気配と表情を示し
て去っていった。ひどい話だと思う。ひどい話だし、そう
したことはいくらでもあるけれど、そこに本当に「大切な
もの」はあるだろうか。そそっかしいお姉さんなんてどこ
にでもいるだろうし、何か厄介で面倒な相手と LINE のや
りとりでもして苛ついていたのかもしれない。それにして
もひどい話かもしれない。でも、そういうことって誰でも
それなりにあるじゃないか。そのありさまを撮影してウェ
ブ上に拡散し、何もかもを貶めるふうに罵り倒す必要が本
当にあるのか。それは「大切なもの」と「不毛」のうちど
ちらに分類されるだろう。おれは不毛の側を世界に広げよ
うとは思わないし、そのお姉さんだっておれがサイゼリヤ
に誘えばよろこんでくれる可能性があるじゃないか。
世の中にはとんでもない人たちもいるし、とんでもない
ひどいこともある。あなたはそういうことに巻き込まれな
いよう、知識を持ち危機管理する必要があるが、それにし
てもネット世論で知らされる「ひどい人」や「ひどいこ
と」のすべてをあなたが体験したわけじゃない。「煽り運
転」のひどいニュースがあっても、あなたが煽り運転をさ
れたわけじゃない。あるいはあなたが煽り運転をされて
も、「わあ、怖い」ということでサッと別の道に逃げただ
けで済んだかもしれない。大半の場合はそうなるだろう。
あなたのこころやあなたの思いは、あなたの体験によっ
て構築されていくべきで、ネット世論で構築されていくべ
きではない。おれが青空の下で煙草を吸いながら、「誰か
缶コーヒー買ってきてくれ」と言ったとして、あなたがそ
のことを心底イヤと感じるなら、あなたはあなたの感じる
ままに行動すればいい。ただ、本当は腰が浮きかけて、言
われたまま缶コーヒーを買いにいきそうになるのを、ネッ
ト世論に引きずられて押し止められることのないように。
ネット世論があなたの「大切なもの」を守ったりはしな
い、それぐらいは誰にでもわかっていることなのだから。
仮に、ここにさまざまなSNSやコメント欄に書きこみ
を投下しまくっているXさんがいたとして、あなたはその
Xさんのコメントのすべてを一冊にまとめた「Xさんコメ
ント全集」を手に取って読みたいと思うか。その表紙にキ
スするか。またそのXさんの実物に直接会ってその話を数
時間ねっちり聞きたいと思うか。Xさんのコメントのすべ
てはあなたの行動決定の指針になると思うか。そんなこと
思うわけがない。ではあなたはなぜネット世論に影響を受
けなくてはならないのかという話だ。今回はそのXさんを
総じて「アミヨさん」と呼んだだけだ。考えてみればわか
ることだが、Xさんは、周囲に「あなたの話が聞きたい」
と言ってくれる人がいないので、八つ当たりのようにネッ
ト上のコメント欄やツイート欄にそれをまき散らしている
だけだ。誰にも「話が聞きたい」とは言ってもらえない人
たちが大量の書き込みをしている。それがあなたの行動を
支配する指針になるなんて馬鹿げたことだと思わないか。
平たく言って、ネット上に書かれている「世論」、その
元になる細々とした言説は、ただ単なるウソというのもあ
る。一番わかりやすい例でいえば、まともな恋愛経験のな
い人が、恋愛に関わるネット世論を作っている。正確に言
うと、恋愛経験を表面上で重ねても、そこに「大切なも
の」が得られなかった人が、恋愛に関わるネット世論を作
り出している。そりゃそうだろう、たとえばおれの場合、
大切な女性と大切なものを一度でも体験してきたら、その
一点をもって「女はクソ」みたいなことはもう言えない。
先輩にシバかれて、一度でも「あれで育ててもらった」と
いうことがあれば、もう安易に「パワハラはクソ」とは言
えなくなる。おれは商社マン時代にはサービス残業しかし
たことがなく(残業代を請求したことがない)、残業しな
かった日は一日もなかったけれど(夜間の通用口からしか
退社したことがない)、さまざまな体験があって、すごい
量のことを学んだ、だからそのときのことを「社畜」とは
思わないし、今このときもその残業代は「要りません」と
思っている。総額で新車の一台ぐらいは買えそうだけど
ね。もちろん世の中はそれだけではないだろうけれど、
「そういうこともあるよ」とおれは話しているつもりだ。
そういったことのすべての体験は、おれにとって、価値
があるという以上に何かが輝いている。なぜなのかはわか
らない。だからおれはそのことを、はずれようのないよう
に「大切なもの」と言った。残業しても大切なものがなか
ったら確かにクソなのかもしれない。先輩にシバかれても
大切なものがなければクソかもしれない。女性と交際して
も大切なものがなければ、となるのかもな。でもおれは、
もし大切なものに触れられなかったのならそもそも「話」
をしないと思う。おれのする話は第一に「大切なもの」に
ついて、第二には、その大切なものとは「違う」ものにつ
いてだ。大切なものを拠点にしてしかおれは話をしない。
おれがここに話したことを、あなたはすてきな話だと思
ってくれるかもしれないが、前もって断言しておく、おれ
のどんな話だって、ネット世論の場においたらズタズタに
八つ裂きにされよう。どういう理由から八つ裂きにされる
ということではなく、もともと八つ裂きが目的で成り立っ
ている場だ。代わりに八つ裂きにされない話でもしてみよ
うか。たとえばおれは、まったく何の意味もないが円周率
を百ケタまで覚えている。昔は百五十ケタまで覚えていた
が今は自信がない。このことは八つ裂きにされないだろ
う。初めから不毛を承知でやっていることだからだ。
くだらないことをこそ称賛するという、もともとの「ネ
ット」のノリもきらいじゃない。二十年以上前には、2ち
ゃんねるに入り浸っていた時期もあった。もともとのくだ
らないことの象徴として、一種の「祭り」に主要な役割と
して参加したこともある。だが当時のそれは成果などまっ
たく見込まない怠惰の極みのような遊びで、一時的なユー
トピアやろうとしていたにすぎなかった。世論の形成に関
わるなんてことはまったくありえなかった。
残念ながら今の「ネット」はそういうものじゃないな。
ある意味、最もゆとりのない場所がネットになってしまっ
た。手書きのマンガひとつ書いたところで、ファボを稼が
なくてはならないし、批評を受けなくてはならないし、炎
上を警戒しなくてはならないし、収益化を企まねばならな
くなった。かつては単なるヒマ人の集まりだったものが、
今は新しい「ギョーカイ」になってしまったのだろう。
あなたも含めた多くの人々に、ネット世論の影響という
のは明らかにある。言うまでもないことか。かつて、十八
歳が飲酒したからといって、誰がそんなことを騒ぎ立てた
だろう。おれが大学に入ってクラスメートと初めにやった
ことは当然飲み会だったぞ。高校生が煙草を吸っていたか
らといって大騒ぎするようなことか。おれの行っていた高
校は、屋上に「禁煙」と張り紙がしてあったぞ笑。そし
て、張り紙をしても効果が無くて吸殻が投げ捨てられるの
で、あきらめて学校側が灰皿を設置したのだ。マジの話
で、いちおう私立の進学校なんだぜ笑。中学のときは、教
師が「煙草はともかく、シンナーはやめておきなさい」と
真剣に言う感じだった。不良マンガが流行っていたし、尾
崎豊が堂々と「校舎の裏、煙草をふかして、見つかれば逃
げ場もない」と唄っていたぐらいだからな。
実際あなたの目の前で、高校生がこっそり煙草を吸って
いたとしても、あなたは非常ベルを鳴らさないし、緊急事
態のサイレンを鳴らしもしない。悪党としてその高校生の
写真を街中に貼り出したりもしないだろう。つまりあなた
は大騒ぎしない。でもネット上でその写真や動画を見かけ
たときは別だ。おかしなことだと思わないか。そのファイ
ルが手軽に「拡散できる」ということじたいがトリガーに
なって大騒ぎを始めてしまう。
高校生が煙草を吸おうが、ボランティア活動をしよう
が、そのどちらが良いとも言えない。どちらであっても、
「大切なもの」に触れた奴だけが世界を視る。けど、煙草
を吸いながら得た友人なんかネット世論は認めないだろう
し、ボランティア活動だって、千羽鶴を折った途端にゴミ
扱いされるだろう、ネット世論とはそういうものだ。
というわけで紙面が尽きてしまった。ところでふつう
「コラム」というと、この一ページのことをコラムって言
うよね。こんな冊子全体をコラムって言わねえよな。また
お会いしましょう。
2022 年 5 月 4 日 九折空也
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