さよならアミヨさん、ネット輿論に別れを告げるときがきた
あなたに向けて、アミヨに向けて
長大な話をしてきたが、この話は遠いどこかの話ではなく、あなたの手元にある話だ。あなたの手元の端末にすぐあることの話で、あなたはその実物にアクセスするのに、ほんの指先をこする労力しか必要としない。
あなたに向けて、より直接の、具体的なことを話しておきたい。あなたは「どうすればいい」のか。あなたがどうすればいいかを、シンプルに知って使いこなしてもらうために、ここまでの話をしてきた。
ネット世論およびその飛沫など、ウェブ上にいくらでも見つかる。それを見かけるたびにあなたは、
「大切なものがない人たちだった」
と思え。残念ながら事実なのだから、その事実に即して捉えるしかない。
「こういう人たちは、ネットを見ている人の中でも、さらに 400 人に 1 人ぐらいね」
これも残念ながら事実だ。彼らは自分たちのことを多数派と思っているが、それはとんでもない錯覚であって、ほとんどの人はアミヨ活動を生涯に一度もしない。
さらにあなたは、
「プラットフォームごとにアミヨが違いすぎでしょ」
と思え。これも事実なのだからしょうがない。Youtubeと5ちゃんねるではアミヨたちの言うことが違いすぎて、何が輿論だよと馬鹿馬鹿しくなってくる。
とはいえ、
「拡散の担い手か」
と思え。
「有り余る不毛な時間を持っていることに関しては、彼らには誰も勝りようがないものな」
と思え。
商売上、イメージの保護が必要な人は、「注意」あるいは「警戒」もしろ。
そして、すべてのレスなりコメントなりが、
「不毛そのものを押し広げていくだけだな」
と思え。そのとおりのことを目撃しろ。彼らはそのことじたいを自らの活動としていると思え。事実だからしょうがないのだ。
「不毛だから、かわいい子を探しまわっているな」
と思え。必ずそのとおりになっている。
そしてかわいい子の映像を観たら、残念だが、
「かわいいけど、『大切なもの』は無いんだな」
と思え。事実だ。
アミヨの矛盾について、言わなくていいが、見ろ。
「膨大なネット世論があるけれど、アミヨさんはこれを「大切」って言わないんでしょ」
「アミヨさんは自分の勝利と正しさを言っているのに、なぜそんなに卑屈なの」
「みんな言っている、というふうだけど、アミヨさんはその "みんな" と会わないんでしょ。会わない "みんな" って何なの」
そして、
「わたしもアミヨ始めるかぁ……いや、始めるわけないわ」
と笑え。
「進撃の巨人」を見たら、
「徒党を組んでいるな、かわいくしているな、被害者になっているな」
と思え。調査兵団は徒党だし、女の子はかわいくしているし、他のキャラもかわいくしている。そして主人公も人類も「被害者」になっている。
「鬼滅の刃」を見たら、
「徒党を組んでいるな、かわいくしているな、被害者になっているな」
と思え。鬼滅隊やらその学校やらは徒党だし、妹は可愛くしているし、主人公も妹も被害者になっている。
大量のツイート、レス、コメントは、
「スーパー思し召し大会だああああ」
と思え。残念だが事実なのだからしょうがない。
スーパー思し召し大会の出場者は、みんな、
「徒党を組みたがっているな、『かわいい』をやりあいまくっているな、あっちもこっちも『被害者』を始めているな」
と思え。
「不毛革命だったんだ」
と思え。
それでもあなたは、これまでどおり、SNSを使ったり、Youtube を見たり、「まとめサイト」を読んだりしていい。
どこにも誰にも「大切なもの」はない、ということを忘れずに見ているぶんには、あなたは不毛連邦には取り込まれない。
「自分の機能が『思し召し』だけになり、自分の一挙手一投足、声も姿もまなざしも、『不毛』を押し広げるだけのものになるというのは、恐ろしいことだな」
と思え。
あなたはSNSにどんな投稿をしてもかまわない。不毛革命の子にならなければ、ウェブツールごときであなたがアホになったりはしない。
あなたが忘れずにいなくてはならないのは一点、
「『大切なもの』を持っている人に出くわしたときに、ずっこけない自分でいないと」
ということ。
「『絶対的なこころ』を持っている人に出くわしたときに、わたし自身からアミヨめいたものが出てくるようなことが、絶対にないようにしないと」
ということ。
ここまで、今度はこちらが "根こそぎ" だが、ここまでネット世論のアミヨを暴き立てて、見切ったからには、ネット世論というのも、もうあなたにまともに入り込むことはなくなるだろう。
ネット世論はうじゃうじゃある。そしてどれもうるさいが、もう何ひとつ使えないものになってしまった。
決して忘れてはいけないこと。不毛革命は成されたのだ。
あなたの手元の端末から閲覧できるのは、色んな人の色んなこころ、ではない。
すべて、
「自分がかわいいだけ」
の人たちだぞ。
「大切なもの」がないということは、「かわいい」しかないということ、ひいては「自分がかわいい」しかないということだ。本当にそれだけしかないものをわれわれは毎日大量に見ているのだ。
<<「自分がかわいいだけ」を躊躇なくぶちまけていい世の中になった>>のだ、だから「革命が成し遂げられた」と何度もくどくどしく言っている。
努々(ゆめゆめ)忘れることのないように。
どんなにかわいらしく見える女の子が、おしゃれな服を着て、胸元を見せていたとしても、何のためにやっているか、それは「自分がかわいいだけ」だ、まるで悪魔みたいだと思わないか。あなたの手元の端末は、そういう場所から抽出したエッセンスオイルをネット世論としてあなたの心臓に届けてくる装置だ。あなたの心臓はそれを拒否しなさい。
最後に、アミヨに向けて。もちろん、おれからアミヨに向けて言うことなんかないし、アミヨがこの話を、こんな最後まで読んでいるとは到底思えないけれど。
アミヨはおれに対して、「ムカつく」かもしれないけれど、本当は、自分がこの話にムカついていいかどうかさえ、自分ではわからないんだろ。自分では自身が持てないから、徒党を組んで「ムカつく」って言ってもらいたいんだろ。
目の前に誰かがいたとして、その誰かが同級生なり何なりで、友好的だったとしても、何を話したらいいか、実は本当にまったくわからないんだろ。
何をもって友人とすればいいのかわからないし、友人ではないだろと言われても、それも実はよくわからないんだろ。
何も好きこのんで「思し召し」だけをぶちまけているわけじゃないんだろ。本当にそれしかなく、本当に他には何もないんで、しょうがなしにその自分の「思し召し」をぶちまけているんだろ。
しゃーないよ、「こころ」がなければ理論上誰だってそうなる。おれだってそうなる。
いまおれが話しているこのことだって、お前のこころには届かないということを、おれは知っている。こころが無いんだものな。こころが無いんだからこころに届かないのは当たり前だ。
アミヨだけじゃなくて、いまは他の多くの人もそうだ。その点、アミヨの不毛革命はすごい成果を出した、その点は「恐れ入った」と言いたいぐらいだ。
アミヨだってそんな革命をしたかったわけではなく、自分なりに正しいことを突き詰めたらこれになったっていうだけだろうけどね。
革命というのは全部そうだ。同胞を虐殺して国をボロボロにした指導者だって、自分なりに正しいことを突き詰めてそうなっただけだ。
単純に知っておくといいのは、こころを向けてもこころが応えてこない場合、こころを向けた側としてはとてつもなく不快だということだ。とてもじゃないが耐えられるような不快さじゃない。
おれはいま、アミヨのこころには届かないと知った上で、このようにしているけれど、これはおれがほとんど気の狂ったような奴で、すべてを自分の学門に捧げるのが当たり前になっているから、平気でいられるだけだ。
ふつうの人の場合、こころを向けたのに、アミヨから「思し召し」が返ってきたら、反射的に殺したくなるよ。それはしょうがない、アプリオリにある尊厳の機能だからしょうがない。「二度と顔も見たくない、本当にきしょい、絶対にわたしに近づけないで、許せないっていうか本当に生理的にムリすぎる」。
かといって、われわれは実際に反射的にブッ殺すわけじゃない。殺したくなるというだけで本当に殺さない。それは忍耐強く、健全で、ひたむきなことじゃないか。
どうして嫌われるんだろう、と悩むようなことがもしあるなら、こう丸暗記しておけばいい。「こころで応えず思し召しを返しているからだ」。逆のことをやられたらわかるよ。アミヨがこころを向けて、相手から「思し召し」しか返ってこなかったら、アミヨだって反射的に殺意が湧くよ。そのときは前もって言っておくけれどね、殺意を誇るな。殺意なんて、今どき誰だって、毎日あちこちで湧いているんだよ。おれみたいなハッピーの中を生きている奴は例外中の例外だ。
「こころ」がどうやったら得られるのかはわからない。誰かのこころに触れ、誰かにこころを与えてもらうことでしか、こころは得られないということはわかるのだけれど、誰がこころを与えてくれるのかはよくわからない。
アミヨは、本当は、鏡で自分の姿を見るたびにゾッとしているだろう。自分が発した声を聞くたびに、本当はゾッとしているだろう。
自分がそこにいるだけで、自分が視線を向けるだけで、自分が声を発するだけで、そこにある何かが致命的に台無しになっていく、そういうキツさに、本当はこれまで直面してきているだろう。
ネット上ならそれが出ないから、ネット上が自分の棲み処になるのは必然的なことだ。
ウェブを通してなら、自分の姿とか目の色とか、表情とか、どんな声とか、どんな話し方とか、どんな呼吸しているとか、出ないもんな。ネット上でだけ自由闊達になるというのはわかるよ。
結果、ネット上で「思し召し」をぶちまけ続けるということに、どうしてもなるよな。かわいい女の子のおっぱい画像とか、子猫のかわいらしい動画とかばっかり見て、神経の惰弱化は果てしなく進んだだろう。数分ごと、どころか、本当に数秒ごとに、意識と集中力がフッ・フッと切れるだろう。一種の催眠のようなリズムで。もうそういう「体質」なんじゃないか、というぐらいにまで神経はやられ尽くしていると思う。
そのことを、嘆けばいいのか、嘆かなくていいのか、それも本当はよくわからないんだろう。おれの言っていることに安心を覚えればいいのか、不安を覚えればいいのか、それだってよくわからないはずだ。ネット上で拡散を担い、たとえ十年間も「思し召し」をぶちまけあったとして、一人の友人も得ないということはさすがにキツいことだろう。でもそれだって、嘆かなくてはならないのか、それとも嘆くべきではないのか、自分ではよくわからないはずだ。徒党を組んで言ってもらう・レスをつけてもらうしか何もわからない。
今や陽キャやらリア充やらも、アミヨと変わらない。本当は、鏡で自分の姿を見るたびにゾッとし、自分の発した声を聞くたびにゾッとしている。自分そのものが果てしなく「キツい」。だから強烈にキャラを着込む。強烈に「かわいい」をやりきる。Youtuber もインフルエンサーも、自分の姿と声にとてつもない加工を施している。自分そのものが果てしなく「キツい」。それなのにしかも、そのキツい自分が「かわいい」という原動力だけで動いているんだ。自分がかわいいだけのキッツい集団。こんなものキツすぎて、とてもじゃないがにわかに直面できるわけがない。
「大切なもの」を根絶やしにしてみんな平等にそうなった。革命の首謀者としてはアミヨは満足か。
唯一の言い方をしたらこうなる。アミヨが、神ならよかったのにな。神なら、こころではなく、思し召しだけを持っていればよかった。海が割れて、天の火が降れよという思し召しなら、すべてそのとおりになるよ。アミヨが神だったら思し召しだけでよかった。
でも地上の生を過ごし、そのまま死んでしまうのだから神ではないな。だからアミヨはけっきょく、神ならざる身で、自分を神だと詐称していることになる。思し召ししか示さないのだから神だわな。
そうして自分のことを神だと言い張るなら、マジもんの神がいたとしたら、「じゃあお前なんかにはこころは与えん、神だと言うなら思し召しだけやっていろ」と言うかもしれない。
まったくバカみたいな話、それでも何か唯一の可能性に近い話だと感じるのだけれど、「こころ」の始まりは、「自分は神ではない」という自己認識・自己宣言からだと思うよ。自分は神ではなく、神に近いものでさえない。神に近い人ランキングを集計したら、偏差値ではドベのところにいるかもしれない。
バカみたいな話、かつ大真面目な話。アミヨには思し召ししかないのだけれど、だからこそ神からは最も遠いのだと思うよ。アミヨは自分に「思し召し」しかないから、自分をどこか神に近い存在だと思ったのかもしれないが、それは単純な誤解だ。
神は人をこころあるものにしたはずなのに、それが神を詐称して思し召しマシーンと化したとしたら、神はただ舌打ちして、そいつを籾殻と一緒に火の中に捨てるだろう。
神の真似事はやめたら? ひとつ明らかなことがあるだろう、手元の電脳通信端末と、その先にあるコメント欄やツイート欄やレスポンス欄は、<<あなたの思し召し投下窓口>>じゃないか。そして思し召しを投下しまくることでネット輿論を醸成し、こころを豊かにして生きていこうとする人たちを妨害・阻害・蹂躙しまくっていったじゃないか。今日だってなお執拗な、その残敵掃討をしているだろう。
さよならアミヨさん、おれには終(つい)ぞ、あなたの思し召しと、あなたの言う「かわいい」がわからなかった。
あなたにも終ぞ、おれの言う「こころ」はわからなかっただろう。
お互いに別れを告げるときがきたようだ、どうぞお達者で。
お互いにせめて、なるべく健康で無事に生きていけるよう、そのことだけでもなるべく支えあって暮らしていきましょう。そちらネット輿論の国で、どうぞお元気で。
[さよならアミヨさん、ネット輿論に別れを告げるときがきた/了]
←前へ 次へ→