インド旅行記@デリー
私は、2000年の11月1日から、12月12日まで、42日間、インドに個人旅行に行ってきました。単独行、デリーからカルカッタまで、北インド周遊。私の体験したインドを、できる限り楽しく、ここに綴ります。
日記形式でいきます。けっこー長いんで、接続を切るなどして電話代の節約を。
11/1
出発の日。関西国際空港から、エアーインディア315便。13時30分発。航空券はJTBで往復83000円だった。インド行きは11月ごろがラッシュなので、1ヶ月前に予約しても、ギリギリ取れたぐらい。初めて知ったが、いわゆる旅行会社でも、そのあとのアフターケアはまったくなし。「どういうルートで観光するのが一般的なんですか」などの質問には一切対応せず、ただのチケット屋としてふるまう。地球の歩き方を読んで、自分で勉強しなくてはならない。飛行機はインドの夜9時に到着すると言うのに、アドバイスはなしだ。
で、離陸の1時間半前に空港についたのに、結局駆け込み乗車。関空は馬鹿でかい上に、肝心なゲートの人手が足りていないし、その従業員も割とのんびりしている。はじめての飛行機だったから、手続きもよくわからない。説明は超不親切。これを読んだ人は、「空港には離陸の2時間前につかなくてはならない」ということが、当然のことと思わないようにしましょう。例えば銀行で2時間待ったらブチ切れでしょう。あれは空港の企業努力不足です。まあ、空港は競争がない独占形態なのでおのずとそうなろう。マルクス万歳。あれで大借金抱えて殆ど企業更生法適用寸前なんだから、ほんと国家にビジネスをやらせると最悪だ。
まあとりあえず、乗機。椅子にすわると、肘掛がポロっと取れて、なんか電線が見えた。おんぼろだ。さすがにエアーインディア。スチュワーデスはインド人で、サリーを着ている。おばさんだ。インド人はサービスという概念が薄いので、機内食を持ってくるときもぶっきらぼうだ。香港を経由する。香港の機内チェックはやけに厳しい。爆弾探しまくりである。ソレが終わると、大量のインド人が乗り込んできた。ここからインドの始まりである。
くさい。インド人の足とかワキがくさい。オレの隣の子供は暴れまくって、オレの足を踏む。前の座席を蹴る。でも親は気にとめない。あと6時間ぐらいこの状況が続くのか。大日本帝国万歳。
耐えつづけて、インドの首都ニューデリーに到着。インドの町は、昔からある町とイギリス占領軍が作った町とに分かれていて、それがオールドデリー、ニューデリーというふうに分かれている。旧市街と新市街である。大阪と新大阪みたいに、お互いすぐそばにあるもので、ちがう土地というものではない。空港は市外からは離れて、郊外にある。
手続きを済ませて、インド入国となる。ぱちぱちぱち。
まずは、両替。左にある銀行は、窓ガラスをバンバン叩いて客を呼び込んでいる。こんなところに行ったら、必ず一枚抜き取られる。右側のトーマスクックで50ドルのトラベラーズチェック(旅行者用小切手)を両替すると、2300ルピーになった。ちゃんと数えないと、やはり1枚抜かれる。これはインドでは当たり前である。
外に出ると、猛烈にほこりっぽい空気。リクシャーやタクシーのドライバーが100人ぐらい群れになっている。ものすごい顔の濃さである。ソレが100人。リクシャーというのは、日本の人力車が語源で、自転車の後ろを2人のりにした、昔でいうリンタクである。町の足のメイン。スクーターをリクシャーにしたオートリクシャーが、やや高級なものになる。タクシーもあるが、値段はオートリクシャーの倍ぐらいになる。この空港前にたむろっているリクシャーに乗ると、なにやら怪しい地域につれていかれて、ヘンなオフィスに連れて行かれて、ぼったくりツアーを強要され、ぼったくりホテルにつれていかれる。断ろうとすると、「今この時間に町に出たりしたら殺されるぞ」「もうホテルは閉まっている」「その地域は特に危険な地域なんだ」「この時期、どのホテルも満室だぞ」と脅される。そもそも、現在地がどこかなんて教えてくれない。だから、空港からバスにのって、ホテルのある地域、とくに有名な「コンノートプレイス」や「メイン・バザール」に行かなくてはならない。
バスに乗る。木の座席。窓にガラスはない。私は、飛行機の中で知り合った日本人女性と、道連れで行くことにした。
前にいたインド人の兄ちゃんが、話し掛けてきた。空港のオフィサーだという。このバスは、我々の言う目的地にはつかないらしい。その兄ちゃんも同じ方へいくから、途中で一緒にタクシーを拾おうという。
こんなもん全部ウソじゃ、と、私は思い、英語もよくわからんので、連れの女性にまかせていた(彼女は英語が堪能である)。すると、彼女はあっさり信用してしまい、ひょいひょいついていってしまう。おいおい、と思いつつも、会話の内容をちゃんと聞いていたわけでもないし、少々、面白そうといういけない好奇心もあったので、結局ついていった。
タイミングよく止まっていた不自然なタクシーに乗り、途中でその兄ちゃんは降りる。それからは、タクシードライバーはこちらの言う事を聞かず、へんなツーリストオフィスに連れて行かれる。案の定始まりましたよ、とため息をついたが、とりあえず他のタクシーもないので、話をつけなくてはならない。オフィスに入る。
案の定、300ドルもするボッタクリホテルをごり押ししてくる。いらねえよ、と断る。すると、ホテルの予約を取ってやるから、行きたいホテルを言え、という。ガイドブックにのっているホテルを言うと、電話をかける。そして、重々しく「満室だそうだ」という。ばればれの猿芝居である。さらに、こっちに電話を突きつけて、自分で電話してみろ、という。彼女は言われたとおりにする。すると、案の定、受話器の向こうの悪党は、「満室だ」という。で、頭にきたので、次はオレがかけるといい、適当にダイヤルして出た男に、「おたくのホテルの名前はなんや」と聞いてやる。すると強引に「No room is available.」と言いやがる。再度、ホテルの名前は、と尋ねると、おっさんがむりやり受話器をむしりとった。この電話、どこにつながってるのかな。
で、結局、「とにかくメインバザールにつれていけ」といった。メインバザールといっても広いんだよ、とウソをいいやがるから、じゃあ、ニューデリー駅に連れて行けといった。メイン・バザールと呼ばれる、正しくはパハールカンディーという通りは、ニューデリー駅の真ん前なのだ。すると、へんちくりんな門に連れて行かれて、「ほれ、駅は閉まっている」とかまたウソを言う。さらにここで、タイミングよく、バスの中であった兄ちゃんとバッタリ会う。そして、「どうした、なにかトラブルか」と親身になって相談に乗るフリをする。ドライバーを威嚇するように「おい、連れて行ってやれよ!!」と演じる。そして、その人も相乗りして、深夜のデリーを走りだす。
もうこのときすでに、タクシーを運転する悪党2人組は、この男のほうは攻めても無駄だ、という感じになっていた。もうこっちは、授業中にラジオを聞いている不良中学生みたいな態度だったのだ。しかし連れの女の子は、人が善くて、相手がまだただの悪党なのだと信じきれないでいるようだ。そこに向こうがつけこんで、「オレは親切でしているんだぞ、信じないのか!!」と怒鳴る。信じねえよ、とオレは一人毒づいている。しかし彼女は申し訳なさそうだ。
あまりに執拗に、彼女を責めたてるので、ついにこっちがキレてしまった。後ろから座席をドガンと蹴り、「Get off me!!!」と怒鳴った。つづけて座席をガンガン蹴り続ける。すると向こうは、「Are you crazy?」と、ちょっと引いた。「Yes, I’m crazy!! Get off me!!」とさらに叫ぶ。ついには「おいコラァ!!(最大音量)」とドライバーの肩をつかんでしまった。ここでむしろ彼女がこっちを制止する。くそが、ほんきでブチ殺したるわ、お前ら二人なんか余裕じゃ、たんぱく質が足りてないガリガリの非力君どもが。おい、むしろ殺しあおうぜ、おい聞いてんのかコラ、ぐらいの勢いだった。
ここで悪党どももあきらめムードになる。またへんなオフィスに連れて行かれるが、ここのオフィサーが、すぐそこにあるホテルに我々を案内した。このホテルも、10ドルで、インドではやはりボッタクリの部類だが、3時間半のりまわしたタクシー代を5ルピー(13円)で済ませたのは、向こうにとっては大ダメージだったろう。よって痛み分け。もちろん日付は2日になっていた。インド初日の夜はインドらしくすぎてゆく。深夜もクラクションがうるさく、ストリートでは誰かが歌いつづけている。窓からウシが歩いているのをみた。
11/2
とりあえず、お日様が出れば、デリーもとたんに平和に見える。聞いたところによると、みな初日の夜はトラブルに遭うらしく、それでイヤになって、翌日には帰国してしまう人が結構いるらしい。まあ、わからんでもないね。
オートリクシャーにのり、メインバザールにいく。来てしまえば、見間違いようのない、ガイドブックどおりの風景。スターパレスホテルというホテルにチェックイン。とりあえずリュックを部屋に置けるのが助かる。ただし、貴重品を置いておくと盗られる。これもインドでは当たり前である。
デリーはあまり長居するようなところではないので、とりあえず列車のチケットなどを手配しに行こうと、インドの丸の内、コンノートプレイスに向かう。オートリクシャーで20ルピー。50円である。もちろん、相手はぼったくろうとしてくるので、乗る前に交渉が必要だ。だいたい、インドの物価は、日本の30分の1だと思うといい。50円は1500円の感覚である。だから、ホテル代も、200ルピー500円ぐらいが相場である。
インドのドライバーは、後ろを見ない。バックミラーがないのだ。あるけど使わなかったり、あってもはずしてしまったりする。そのかわり、前に車があると、とりあえずクラクションを鳴らすのだ。車の後ろにも、「Horn please」と書いてあったりする。そう、クラクションの音の位置や大きさで、周囲の状況を把握しているのだ。まるでこうもりである。しかし、その狭い隙間に侵入するテクニックはすごい。まあ、少々ゴンっとやっても、誰も気にしないのだが。コンノートには、インド全域でも少ない信号機があり、止まっていると、物乞いの手が車の中にニュッと伸びてくる。堂々と、かつしつこく、「Give me money.」と言ってくる。笑顔で寄って来るもの、責めるような目で見つめてくるもの、それぞれ流派があるようだ。
さて、トラベルエージェンシーに到着するが、インドにあるトラベルエージェンシーは99パーセントボッタクリで、とくにロングツアーを設定したりすると、何万円盗られるかわからない。連れの彼女は、日程に余裕がなく、ここでスケジュールを組んでしまいたかったようだが、そういう様子を向こうは読むから、当然向こうのボリ熱にも力が入る。結局まとまりようもない。この日は、何軒かの悪徳エージェンシーをまわっておしまい。疲れた・・・・。
11/3
デリー観光と、ショッピングの打診をする。
観光で一番面白かったのは、クトゥブ・ミーナールというところ。奴隷王朝がヒンドゥーに勝利を収めたときに記念して作られた塔などの、遺跡である。この塔は高さが72メートルあり、圧巻。昔は100メートルあったが、飛行機がぶつかったらしい・・・・・。そして、世界的に有名なのが、クトゥブ・ピラーと呼ばれる鉄柱。当時貴重だった純鉄でできており、高さは7メートル。そして、なぜか純鉄でできているのに、何百年も錆びないのが化学的に解明されていないということらしい。ということで、実際見に行ったが、錆びてた。なんやそれ。この錆びてたという事実が面白すぎた。まあ、きっと、中までは錆びてないのね。そのほか、インド門、ラールキラーなど行った。インドの石造建築はなかなかすごい。でも入場料がイタかった・・・・・外国人は別料金で、1000円ぐらいとられるのです。ラールキラーというのは、オールドデリー地区にある観光の目玉なのだが、そこはその建造物よりも、オールドデリーそのものがすごかった。人ごみ、糞尿のにおい、なりつづけるクラクション、怒鳴る運転手たち、猛烈なほこり、下水の中に入って修理作業している男、整理されない瓦礫。100メートル歩くのに、10分ぐらいかかる。そして、物乞いたち。手がない、足がないは普通で、両手がない、下半身がない、あるいはクル病でぐにゃぐにゃに身体が変形している人、象皮病で足を引きずる人、両手両足がない人、はては両目がないまま路上に立っている人。ラールキラーの四方が、そんな物乞いたちに囲まれている。ここは別名デリー城である。この都に住んでいたマハラジャたち、彼らから観た世界は、どういう姿だったろう。
さて、続いてお買い物の打診にいく。今買うと荷物になるから、冷やかし程度に。
インド人は強引である。店先をぼーっと見ていると、腕をガッとつかまれて、「さあウチの店に来い」という感じで引っ張っていってくれる。もちろん、向こうの言う額は相場の10倍だったりする。結局は交渉しだい。そもそも定価とか公正取引委員会とかがないので、売り手と買い手が承諾したら売買成立、というだけのシンプルなルールである。Tシャツなどが50ルピー(125円)で買える。あちこちのバザールを冷やかしてまわるのは面白い。インド人の物売りは、へこたれないことに関しては世界一であるので、何時間うろついても、けっしてこっちを放っておかない。なんとか売りつけようとしてくる。どんどん日は暮れていった。
ついでに、メシの話。よく食べるのは、やはりカレー。ナンまたはチャパティー、ライスと一緒に食べる。そして、焼き飯(プラオーという)、焼きそば(チョオメンという)といった中華料理。そして有名なタンドゥリーチキン。定食に相当するものは、ターリーとよばれる。大皿に各種カレーというか汁気のものが入っており、ライスとチャパティー、両方で食べる。あとはついてくるヨーグルトでシメておわり。使われる肉は、チキンとマトン。ブタやウシは食べない。また、チキンもマトンもガリガリなので、あまりおいしいものではない。過半数がベジタリアンなので、肉食文化は未発達なのである。蛋白源は、豆類とタマゴと牛乳。
街頭では、スナックが売っている。パコーラとかサモサとかアールーチョップなど色々あるが、とくにサモサがおいしかった。スパイス煮にしたジャガイモをころもに包んで油であげたもの。10円くらい。
11/4
もうトラベルエージェンシーに関わってもロクなことにならないので、ニューデリー駅に直接予約を取りに行く。あとで思えば、結局これが一番早い。ニューデリーには外人客専用の窓口があるので、サクサク手続きできる。とはいっても、1時間ぐらいはどうしてもかかる。それでもインドではスムーズな方だ。流れている時間の感覚が違うのね。明日の朝、特急に乗って、南西にあるジャイプルという町に行くのだ。
ところで、飲み物の話。飲み物は、チャイ。レストランでも、バザールの街頭でも、チャイは飲める。紅茶の葉をミルクで煮立てて、スパイス、しょうがを加えるたもの。一杯5円ぐらい。あと、ラッシー。のむヨーグルト、の超オイシイやつ。その他、コーラ、スプライト、リムカ、ファンタ、各種ミネラルウォーターなどがある。街頭では、オレンジやグァヴァをジューサーでしぼるフレッシュジュース屋、椰子の実をかちわってココナツジュースを飲ませる店もある。レストランで出される水差しの水は、普通日本人は飲めない。慣れてくると少しぐらい大丈夫だけど。まあ、ラッシーやフレッシュジュースも、水を足しているので、あまり安全ではない。もちろん、水道の水なんか飲むのは自殺行為。歯を磨く時も、あまりノドに入らないように注意だ。
食べ物飲み物は、たいがいおいしい。特にカレーは、無尽蔵にスパイスが投入されているので、うまい。また、生クリームを使っているマサラカレーとか、ひき肉のコールマーだとか、いろいろカレーも種類がある。ライスはパサパサなのが残念。
予約を済ませて、夜、バザールの悪党たちと遊ぶ。決まり文句は「ヘイジャパニー、オレのショップに来ないか、見るだけオーケー、ノーマネーだ」という。笑っている。「オレ買い物に興味ないから」「でも見るだけならいいだろ?」「オレはお前と友達でいたいから、お前のショップには行かない方がいい。そうだろ?」「Why―?」「そうだろ?」・・・・・とやっていると、向こうもへへへと笑い出し、「マリファナ、ハシシいるか?」という段階に移る。いらない、といっていると、向こうも、こりゃ商売はムリか、という感じになってきて、「お前ジキジキ好きか。へへへ」という段階に移る。ジキジキとはセックスのこと。段々と、お前は一晩に何回やる、とか、ガンジャ(マリファナ)をやりながらジキジキをするといいぞとか、日本の女はどんなんだ、とか、スケベ話をしだして、無意味に笑いあう。後はかばんを盗まれたり睡眠薬を飲まされたりしなければ、無事インド人とのチャットは終了する。悪党だらけで、信用できないやつらで、でも笑っちゃうやつらだ。
そののち、野菜市場で、仕事を終えた子供たちがはしゃいでいるのをながめていたら、いつの間にか私も鬼ごっこに加わっていた。彼らの写真をとっていると、子供たちよりコドモな父親がやってきて、俺も写真を取ってくれ、といいだした。まあ、いい。何枚もフィルムを使ったが、もう何がどうでもいいのである。住所をきいてきたので、この写真を彼らに送ってあげよう。
11/5
朝5時におきる。ジャイプル行きの電車が早いのだ。
朝のメインバザールはステキである。ほこりっぽい空気に無秩序な町並み、路地に日が差し込み、白く穏やかな光の線が、昼間からは想像できないぐらい静まり返った野菜市場を貫く。老婆がウシに祝福の花輪をかけ、エサをやっている。低級カーストの人たちが、店の軒先で毛布に包まっている。やせたイヌが、ごみをあさっている。乾季なので雲はかけらもない。一番に早起きした人は、シヴァ神の像に祈りをささげている。いまからこの町はエンジンをかけ、昼前には世界最高のエネルギーに満ちる。この町はそのパワーに自信があるのか、堂々と朝を迎えているのだ。
バザールに背を向けて、駅に向かう。リュックは、意外に軽く感じた。去り際、「ほんとにサイアクなとこだったよな」と、思った。色々、サイアクなことを思い出して、顔がにやけるのを抑えられなかった。
[インド旅行記@デリー/了]
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