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12.無上の射精2/最低の男性であるべき
このエヴァおよび碇シンジに、作り手側の最大のこだわりが込められている点があるとすると、それは碇シンジが「ぐずりつづける」というところだ。
一切の話を聞かず、ぐずりつづけ、一番みっともなく、汚らしいことを言い、それでいてベストのヒロインたちに囲まれて、構われていたい。
碇シンジは、およそ男性として知りうるかぎり「最低」のほうへ行こうとする。性的な存在としては権威が最も低いほうへ自ら向かう。
なぜそのようなことをするかというと、つまり、
「この最低な僕のペニスをこそ、あなたの舌でペロペロしなさい」
ということを碇シンジは要求しているのだ。
男性として最低な存在である自分、この自分にこそ、ベストのヒロインは膝をついて、完全な愛をもってセックスと奉仕を捧げなくてはならない。
もちろん女性の側としては根本的に耐えがたい不本意で、不快で、屈辱だろう。
だからこそだ。だからこそ、女性側の破滅的なパトスも加わって、そのときの「ドピュッ」は狂おしいほど気持ちいいはずだ、と作り手は追求している。
この点については、碇シンジの態度の表明は徹底しており、明瞭で、
「ぜったいにここから動かないぞ」
「ぜったいに、この最低の僕にこそ、女の奉仕をさせるんだ」
「何がなんでも、君たちは、最低の僕にこそセックスを献じなくてはならない。僕はぐずりつづけるから、ぐずりつづける僕に君たちがセックスを与えるんだよ、それだけしか無上の射精にたどり着く方法はないんだ」
このことについては碇シンジは本当にまったくぶれず、動かないという表示がある。
作り手はよほど、このことこそが無上の射精の「肝」なのだと確信しているのだろうと思われる。
この部分だけは本当に圧巻というほどの確かさだ。
これは通常のハーレム願望の裏をかいている。
通常のハーレム願望は、何かしら強いオス、あるいは何かしら高い権威があって、女たちがそれに奉仕するというヴィジョンの願望だが、碇シンジのそれは、最も弱いオス、最も低い権威において、女たちがそれに平伏・奉仕するというヴィジョンなのだ。
もちろんそんなことは栄光や愛の原理において成り立ちようもないのだが、成り立たないなら成り立たないで、それを女たちが成り立たせてくれるのを、ずっとぐずりながら待ち続けるというのが碇シンジの自己決定だ。
そのことからわずかでもずれたら、もう無上の射精は得られないのだという強い確信がある。
周囲にまともな男たちや、うつくしい男たちがいたとしても、「だからこそ」女たちは最も醜い僕にそのセックスを捧げる必要がある。
他のまともな男を愛するほうが正しかったとしても、その正しいことの先に無上の射精はない。
最も誤ったほうへ、最も成り立たないほうへ向かうことでしか、無上の射精はありえない。
もちろん碇シンジおよびその作り手の無上の射精になんか誰も興味も関心も持ちようがないが、それも「だからこそだ」となる。
もちろん作り手の側は好き放題に設定をとりつけて、すべてのヒロインを碇シンジと寝させることができる。
だが奇妙な話、それではだめなのだ。設定に押されて女たちが最低の男に性的奉仕をするのでは無上の射精へ至れない。
むろん、碇シンジの側がヒロインらにセックスを乞うてもいけない。
乞うたものに応えられて与えられるセックスとその射精など、どれだけつまらないものだろう。
母親が母性のうちにそのペニスを愛撫してもいけない。
マザーファッカーごときが無上の射精に浴せるわけがない。
どうやっても成り立たないこのセックスと射精に向けて、パトスの向こう側から、奇蹟の主みたいなものの手がニュッと伸びてきて、すべてのヒロインを碇シンジに奉仕させるというようなことでしか、無上の射精には至れない。
碇シンジにかこつけた、無上の射精を乞うペニス、そのペニスを愛でたもう超越者が、パトスの向こう側にいるや否や、ということがテーマになる。
ぐずりつづける不快な、感情のバケモノたる碇シンジのペニスを、性的に愛でたもう神などいるだろうか。いるわけがない、と一般的には思える。であれば一般的な神についての、福音書を書き換えるしかない。
ぐずりつづける不快な感情のバケモノたるペニスを愛でたもう神、その最上の神話がもしあるなら、オタク(気味)の人たちは自らを誇ってその神殿に馳せ参じるだろう。
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