インド旅行記@ヴァラナシその3
11/14
さて、いよいよ目がさめてもすることがない、ヴァラナシの4日目。
いつもどおり、朝は屋上のレストランでチャイとトースト。このいつもどおり、という感覚がヤバい。朝のチャイは冷える身体に心地よく、朝日を見ながらブコツなバタートーストを食らう。そうしてせっかく詩人になっているのに、となりのテーブルでは野性のサルが、テーブルにこぼれたチャイをすすっていた。インドではどこにでもサルがいる。でもとくにヴァラナシには多いようだ。
そうこうしていると、そのサルがなんと、砂糖の入れ物を開けて、手を突っ込んだ。それはまずいだろう、と思って私は制止に入ったが、サルは予想以上に激しい反応を示した。こっちが制止に差し出した手をバシッとはたいて「キーッ!!」と歯をむいたのだ。私もムカっときて「きーっ!!」とやりかえす。私の攻撃モーションを見ると、サルはバックステップして間合いを広げた。私も右足を引いて軽くステップし、右手をアゴの前に構えて、ファイティングポーズをとる。相手の身長が低いため、手よりも足による攻撃のほうが有効であろうと思われ、またサルの手の位置から見て、左右からくるまわし蹴りよりもガラ空きの正面に突き蹴りを打ち込むほうが有効と思われた。そのための構えをとる。一番の有利はそのリーチ差であり、注意すべきは野性の俊敏性と噛み付きによる攻撃であろう。そのため、遠距離からの突き蹴り、とくにかかとでなく中足による突き蹴りをメインに攻撃する戦法でいこう。サルも本気だ。とにかく相手が攻撃可能な範囲にステップインさせることだけは避けなくては。すなわち、相手が間合いを詰めてきたところをストッピングカウンターの左中足突き蹴りで制す。私は重心をやや後ろ足に傾け、左足を自由にした。手はノド元を中心にクロスガードとし、開掌のまま構える。
だがシヴァ神の恩寵あってか、激発は起こらなかった。奴はそのまま後ずさり、低いフェンスによじ登るとその上から再び「キーッ!!」と牙をむいた。もう攻撃できる距離ではない。ふん、まあいい。ふとみると、むこうでブレックファストしていた、金髪ドレッド長髪のアメリカ白人兄貴が、こっちをみて大笑いしていた。フェンスぎわの椅子に、皇帝のように座っている。そしてこちらからは、今、そのすくそばのフェンスに別のサルが登ってきたのがみえた。だが兄貴はまだ笑っている。気をつけろ、と言おうと思ったが、とっさに「Look out!!」とは出てこなかった。そのサルは、おもむろにそのドレッドヘアを引っ張った。ゴキン、という音がこちらまで聞こえてきそうなぐらい、思いっきり首はひねられた。アゴがすごい角度まで跳ね上がって、私ははじめてネイティブの「Oh my god!!」をナマで聞くことができた。どうやら、一度ケンカがはじまると、人間対サルの戦争になるようだ。そしてそのサルも「キーッ!!」の一声を残し、去っていった。兄貴は青ざめている。まったく、朝から本当にインドだ。
さて、いつもどおり町にでよう。というより、川にでよう。ホテルからの道は、路地を抜けて町にでる道もあるが、ガートに出る道の方が早いのだ。ガネーシャ像と暗闇のトンネルをぬける。このトンネルはウシにとっては特等席らしく、いつも一匹が同じ位置で寝ている。ウシにはウシの縄張りがあるらしく、ずっといると、あのウシはいつもあの店の前にいるウシだとかが分かるようになるし、たまに違う縄張りに迷いこんで犬に吠え立てられて焦っているウシもいたりする。
川岸にでると、まず、船頭たちから「ハロージャパニー、ボート?」という言葉がかかる。「Why don’t you take a boat?」などとまどろっこしいことは言わない。しまいにはハローもジャパニーもなくなって、「ボート?」という言葉だけがかかる。こちらも負けずに「ノー、ボート」という。意味がわからないが、通じるからいいのだ。5、6人とノーやらボートやらのやり取りを終えると、次は握手してくるおっさんたちのゾーンになる。彼らはまず握手をすると、そのまま右手のマッサージにうつる。そのままぼーっとしていると、マッサージが始まってしまうので要注意だ。そして、ノーセンキュというと、右手をガッシとつかんだまま、「アタマ、クビ、カタ、10ルピー」という。マッサージが10ルピーだというのだ。もちろん10ルピーというのはウソで、たいていは50から100ルピーをとられる。でも、なかなかパワフルで悪くない。だから、結構マッサージをうけている人も見かける。とくにツーリストはバックパックで肩をいためていることが多く、みなふらふらとマッサージされてしまいがちだ。もう私はこいつらがマッサージだと知っているから、「You are massage!」とか言って笑わせたり、逆にこちらから手をもんでやり、「あたま、くび、かた、10るぴー」と言ってやったりする。
さて、とくに何をするわけでもないが、また川辺にたたずんで、ウシのケンカなどをみていた。ウシのケンカは非常にまったりとしたもので、ツノをつきあわせてウリウリと押し合うだけの相撲みたいなケンカである。それでも、ヒマなインド人たちは大勢でそのケンカを見物している。そのケンカはまた決着はよく分からないし、いつ終わるのかもよく分からない。たまに一方が川に押し込まれそうになっているが、ツメが甘いため、ずるずるとヨコにずれていく。
そうしていると、物売りに声をかけられた。白髪の坊主頭、おじいちゃんと言って差し支えの無い風貌。明らかに麻薬のやり過ぎで、目の焦点が合っていない。歯もあちこち抜けてガタガタだ。だが圧倒的にシアワセそうだ。売っているのは、ネックレス。白檀でできたネックレスや、菩提樹の実108個でできた数珠などを、手にたくさんぶら下げて歩いている。もちろん、ふっかけてくる。菩提樹でできた数珠の値段を聞くと、「コレカミサマ、カミサマチョトタカイ」といって、100だの200だの言ってくる。私は実はこのとき数珠が欲しかった。一応、仏跡巡礼という建前でインドにきているので、そういうアイテムで自己満足したかったのだ。そこで、一番安い、タダの木でできた108の数珠を買った。20ルピー。ラリ爺(仮名)は喜んで去っていった。本当にこれ「ヒャクハチ」あるのかな。まあいい、とりあえず首にぶら下げておく。ちなみに、白檀のネックレスは偽物。白檀の匂いがするが、あれは白檀のモノに擦り付けて、匂いを移してあるだけなので、一日でにおいは落ちる。
ところで、今日はついに、しばしば登場する「連れの女性」とお別れする日なのだ。彼女は今日、ネパールのほうに向けて旅立ってしまう。というわけで、2時ごろにホテルに戻って、彼女の出発を見送る。彼女はその小さな身体に巨大なカバンを背負って、その重さに文句を言っていた。そのまま二人でせまい路地をぬけて、リクシャーのいる交差点までいく。またリクシャーとの交渉に時間をとられる。リクシャーも、こっちにあまり時間の余裕が無いようすをみて、かなりガンバッてふっかけてくる。まあ結局はそれなりの値段におちついて、彼女は乗り込む。お別れの握手する。彼女を乗せたリクシャーは走っていった。
さて、これでいよいよ本格的な一人旅、になるのかな。
ほこりの舞うダシャーシュワメードロードを歩きながら、インドにいる、ということを考えてみる。メルカトル図法の地図をイメージして、日本がここで、自分のウチがここ。でも今私は、もっと左の、インドのココにいる。うーん。今私は地球のココにいる。うーん。耳を済ませると、いつものカン高いヒンディー語の会話、熱烈な物売りの呼び込み、ガタガタとなるターンガー(馬車・牛車)の車輪の音。ココにいる。インドにいる。みんなは日本にいる。私は今、音をきいている、みんなは、何をしているかな。今私は色々な事を感じて考えているが、地球上には50億の人間がいて、それぞれが自分を「私」と思って、感じて、考えている。それはあらためて、すごい事だと思えてくる。
さて、いつもどおり野菜市場を抜けると、ガートにでる。そこで、日本人の女の子に会った。話してみると、彼女もホテルプージャにいるらしい。それはそれは。お互いに自己紹介など。彼女はMちゃんとでも呼んでおこう。年齢はなんと10代である。ちなみに、ヴァラナシにはたくさん日本人がいるし、ツーリストプレースは非常に限定されているので、一日に3、4人の日本人に会う。でも、なんとなく話し掛けづらい日本人には話し掛けられない。インドに疲れきっている人もいれば、日本人がきらいな人もいるし、旅行中に日本人に話し掛けられるのがきらいな人もいる。彼女はいい空気を出していたので、なんとなくしゃべった。そして、彼女はまだボートに乗っていないというので、明日の朝に、いっしょにボートに乗ろうという約束をした。部屋番号を聞き、またね、ということになる。
さて、日が暮れだすと、ダシャーシュワメートガートでは、プージャの準備が始まる。ややこしいので改めて言うと、プージャとはお祈り儀式の全般を意味する。ガートの一区画をロープで区切り、様々な神具が用意される。適当な時間になると、オレンジ色の僧衣を着たバラモンが3人やってきて、祈りをささげだす。様々な神具を手にもち、3人とも同じ動きをして、祈りをささげる。ただ、わりと動きはバラバラだ。後半は、火のついたロウソクの連なった飾台などをもって、動く。舞うというほど優雅ではないから、動く、としか表現できない。その儀式の間、それぞれの打楽器が音を出している。ぶら下げた鉄板をカーンカーンと叩いたり、太鼓を木の枝のようなバチでベチベチベチと叩いたり、太鼓のヨコに振り子がついており、太鼓を振ると振り子がボンボンボンと面を叩く、振り太鼓(?)が鳴っていたりする。それぞれが好きなリズムとテンポで叩くので、ただやかましいだけだ。とにかく、シヴァ神というゴツい神に「こっちむいてくれー!!」と呼びかけるような、そんな音である。はっきりいってうるさいのだが、段々とその音を聞いていると、うるさくて何も考えられなくなってくる。そして目の前では火のついた神具をもって怪しい動きをするオレンジ色の3人。また300人ぐらいの人が、そのプージャをみていて、自分もその中の一員だ。お香のにおいもただよってくる。うー、なんか段々トリップしてくるなー。
いよいよ終わる、という段になると、バラモンがカゴに入れた花びらを配ってまわる。みなそれをもらいに殺到する。だから私も殺到する。なにかよくわからないが、ありがたいものをもらった。すると、バラモンを筆頭に、みんなで「サンボー、サンボー」と歌いだした。どうやらマントラ(呪文)らしいな。よくわからないので、音だけ真似て、適当に歌っておく。サンボー。歌い終わると、みんな手にもった花を川に投げた。んー、だから私も投げた。
さて、それが終わると、また流しロウソク(これもプージャと呼んでいい)を売りにきたので、買う。売り子は女の子、子供である。でもちゃっかり5ルピーとか言ってくる。「ノー、2ルピーだ。1ルピーがインディアンプライスで、2ルピーがツーリストプライスだろ」というとあきらめて2ルピーで売る。また火をつけて流すが、そのへんのボートをしばらく暖めて、消える。まあいい。遠くには列になったロウソクがキラキラと流れていくのが見えている。
帰ろうとしていると、物乞いの女の子がきた。年のころは10歳ぐらいだろうか。肌の色が浅黒い。下半身が裸の赤ん坊を抱いている。その女の子は、こっちを責めるような目で、「Give me money.」と言ってくる。私は「ノー」という。あいかわらず睨んでくるので、「I can’t give you money, because you are angry. You should get laughing.」というようなことを言った。そんなに怒ってたらカネなんかやれるか、もっと楽しそうにしろよ、という意味である。すると、予想外にすんなりあきらめた。ちょっと彼女は傷ついたような表情をみせた。それも演技の一つかもしれないが、物乞いの演技を見慣れているはずなのに、あれっ、と思わされた。10歳の物乞いの女の子に24歳の先進国の男がひどいことを言った、そういう気分にさせられてしまった。
なんとなく、微妙な感じで、その辺のチャイ屋にいって、チャイを飲む。ラリ爺が西洋人の二人組みにからんで、偽物の白檀のにおいを嗅がせているのを眺めていた。30分ほどして、そろそろ戻ろうかとすると、またさっきの女の子に会った。彼女はさっきよりも幾分かやわらかく、「Give me money.」と言った。私は10ルピー札をあげた。すると、その女の子は嬉しそうに笑った。本当に嬉しそうに、笑ったのである。感謝している様子はあまりないが、嬉しそうなのだった。これがこの物乞いの子との、ささやかな友情の始まりとなる。
夜もふけたので、ホテルに帰る。帰り道、ラリッた連中と肩を組んで歩いた。トンネルのところまできて「フィル・ミレーンゲー(また会いましょう)」といってやると、またはしゃいでいる。トンネルを抜けたあたりで、停電になった。真っ暗で何も見えない。暗闇の中でガネーシャ像を左に入って、ネズミのように感覚だけでホテルにもどった。停電しても、インド人にとってはいつものこと、誰も気にしていない。ここはインドだ。日本のみんなは何してるかな。「You should get laughing.」、よくよく考えたら、私はそんな偉そうなことは言えない。豊かな国に生まれて、不自由ない立場と身体をもっているのに、笑っていないことが多いじゃないか。また、彼女に会ったら、授業料を払おう。
[インド旅行記@ヴァラナシその3/了]
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