インド旅行記@ヴァラナシその4
11/15
今日も早く起きて、先日会ったMちゃんと、ボートにのって朝日を見に行く。私は二回目だ。前回の経験から、毛布を持っていくことにした。ホテルのロビーで待ち合わせしてあるので、ロビーに行ったら、まだMちゃんはきていなかった。かわりに、別の日本人女性がいた。話してみると、彼女もボートに乗ったことが無いらしいので、じゃあ一緒に行きましょう、ということになる。じきにMちゃんも登場し、3人でガートに出る。まだ薄暗いガートに出ると、また別の日本人女性二人組みがいて、きょろきょろしている。話し掛けてみると、ボートに乗るつもりだというので、またじゃあ一緒しましょう、ということになる。ご一行様は計5人になり、ボートをさがす。うむ、女性に囲まれてかなり喜ばしい感じである。まあ、うまい具合に交渉役を押し付けられている気もするが。探すまでもなくすぐにボートマンが寄ってくるので、交渉。
「ハロージャパニー、ボート?」
「イエス、ハウマッチ?」
「500ルピー」
「グッドジョーキング、ノーサンキュ」
「ウェィト!ハウマッチ?」
「50ルピー」
「ユーアークレイジー」
「オーケー、ノープロブレム、アイテイクアナザーボート」
「ウェイト!!オーケー、300ルピー」
・・・・・・・・・・結局、一時間で、1人あたり20ルピーの計100ルピーで交渉成立。もうこのころには、交渉は一つの楽しみになっていて、お手のものである。しかし、その力強い交渉力を見て女性陣が「ステキッ!」と思っている様子はなかった。むしろ私は丁稚扱いか。
ボロいボートに6人が乗り込む。川の上は寒い。毛布を持ってきたのは大正解である。今日は、昨日に比べて霧がでている感じで、なお神聖なムードだ。ボートはお決まりのコースをたどっていく。ガンガーは相変わらず、ナゾのぬらりとしたツヤをたたえている。腰まで浸かって礼拝するおばさん、洗濯物をブロックにうちつけてア゛ギァ!!と怒鳴るおっさん、また泳いでいるおっさん、きっと何百年も続いてきた風景・・・・・。それをみて、みんなたそがれる。インドだなー、という実感を5人で分け合う。いいね。まあ、その一方でボートマンはどうやって延長工作するかを考えているだろう。
やがて日の出がきた。今日のボートマンはあまりハイテンションではないので、「SUNRISE!!」とかは言わなかった。だが、さすがにオヒサマが輝きだすと、一行はしばらく言葉を奪われる。ちょっと照れながら、朝日の中、みんなお互いに写真をとりっこする。なぜかボートマンと肩を組んで写真をとる。ついでに、ボート漕ぎに挑戦させてもらった。ボートの櫂は、タダの竹の棒で、長さも太さも不均等なため、まっすぐ漕ぐのも難しい。よくコレで思うように進めるよなー、と日本語で笑いあう。ボートマンも笑う。ボートがターンするころには、女の子が二人ほど寒そうにからだをこすりだした。私の毛布に半分入れてやる。うむ、苦しゅうない。1時間半ほどして、もとのガートに戻ってくる。「まあ、150ルピーくらいかな」とみんなで話し合ったが、そこはそれ、私に一任してもらった。まず、100ルピーだけ渡して、ついっと帰るフリをする。するとボートマンは慌てるから、ふりむいて20ルピーをやる。そしておもむろに握手の手を差し伸べる。こうすると向こうも反撃できないのだ。みたかっ。しかし依然として、女性陣は私にときめいている様子は無い。
もちろん、もともとは100ルピーの約束だったのだから、100ルピーでいいじゃないか、というのが正論だ。ただし、日本での正論だ。たしかに、一部の日本人や西洋人は、規約どおりの料金だけ払って、済ましている。しかし、普通の旅行者は、「もうちょっと」と懇願されると、気の毒に思えてしまうようだ。私は、1時間と言っていたところを1時間半にしてくれたので、ちょっとはチップをはずんでやってもいいと思った。だが、相手のいいなりになって小銭をやってしまうのとは、話が別だ。そうしてしまうと、日本人がなめられて、ぼったくりがより盛んになってしまう。どうするのが適当か。結局、「延長したんだからもうちょっとくれよ」と言ってくる哀れなボートマンを無視するような冷たいことをせず、かといって言われるがままに財布を開くのでもなく、あくまでこちらが主導権を持ったまま、エレガントに、ウィットをもって、取引を終えるのがいいと私は思った。
さて、毛布を部屋に持って帰って、また屋上で朝食。昨日はサルとケンカしたから、周りにサルがいないことを確認して、バタートーストを食べる。ここのレストランには日本食がわずかながらおいてあって、オカユスープ、オヤコドンなどがある。オヤコドンは、醤油が無いからきっとヘンな味に違いない。オカユはまた挑戦してみよう。
朝食が終わると、目的なく町に出る。目的がなければさっさと別の町にいけばいいのだが、なんとなくその気になれない。そもそも、前半は連れの女性といっしょにまわったので、生来グータラな私にしては、かなりハイペースでインドを旅していたのだ。その反動から、せっかくの長期旅行なんだから、ちょっとぐずぐずしてよう、と思っていた。今から考えれば、もうこのときに、シヴァ神に片足をつかまれていたのかもしれない。
日が高くなる頃、いつもどおり路地を歩いていると、「ハロージャパニー、ベリーグッド、ガンジャ」を売りにきた。一応、こっそりというか、悪い事してますよー、という感じで売りにきてくれる。大阪のピンク街の呼び込みみたい。ヒマだったので、「How much?」ときいてみる。すると、いきなりナイロン袋を私のポケットに突っ込み、「800ルピー」と言いやがった。高いよ、というかボッてるよそりゃ。ノーサンキュ、とつき返す。しかしこの売り子は異様にしつこく、30分ぐらい交渉するハメになった。なんだかんだで、150ルピーというところに落ち着いた。というか、これは私がサジをなげてしまった。失敗である。女性が見ていないとがんばれない小物の私。
路地とはいえさすがに人前で堂々と麻薬とご対面するわけにもいかないので、いったんホテルに戻る事にした。それに、すぐにでも警官がきて、「お前は麻薬をもっているな。タイホする。見逃して欲しければカネをだせ」と要求してくる場合がある。売人と警官がグル、というタイプのタカリはけっこうあるらしいのだ。とにかくホテルに戻ろう。早足に歩き出す。・・・・・なんとなく麻薬をもっているというのは、突然巨大な罪を犯したような気分になるから面白い。その辺のドブに捨てたらもうおしまいなのに。
ホテルに戻って、そのブツ(笑)をみてみる。うーん。色はその辺の落ち葉がやや緑がかったもの、葉の形は、タバコとか紅茶とかと同じだな。これがいわゆるマリファナでありガンジャでありクサなわけね。さて、どうしようかな。吸うにしても、吸引具がないし。吸引具とは、キセルとか、そういうもの。
よく分からんので、灰皿の上で、とりあえず燃やしてみた。ブスブス、と煙をあげる。これでええんかいな。燃え方はタバコと同じ。けむたくなった室内で、灰皿から立ち上るその煙を強引に吸い込んでみる。スー。ゲエッホゲエッホ。もう一度、スー。・・・・・。クゲッホゲホ。もう一度。スー。
そうこうしていると、目から涙が出てきて、気分がヘンになった。ヘンというか、胸のあたりがきもちわるい。どう考えても、これでは単に煙にむせただけである。ゲホゲホ。まったくばかばかしい。どうすればいいのかわからないので、しばらくはその灰皿の上でお香のように焚いていた。無理やりトリップしているように自己暗示をかけたりしてみたが、それも10分と続かない。燃えカスのガンジャはトイレにズゴーっと流した。残ったやつは袋ごとベランダにポイ。
うーん、これはかなり寒いことをしてしまった。
また外に出る。まったくなにやってるんだか、自分が笑えてくる。
カレーが食べたい、と思った。だから、ムーンスターホテルでチキンカレーを食べる。うまいねー。ムネ肉と、モモ肉と、えー、この細長く湾曲した骨肉片はチキンのどこの部分かな。見たこと無い形状をしているな。ほんとにチキンかな。チキンのしっぽの部分ということにしておくか。それとも背骨かな。あーおいしかった。コーラをついつい注文しちゃう。ぐびぐびっ。ゲフー。あーたまらん。悦楽悦楽。店員が寄ってきて「Good?」ときいてくる。「バホットアッチャー(とてもよい)」といってやると、喜ぶ。しばらく動く気が無くなるぐらい、ここのカレーは本当にうまい。
そうしているうちに、カメラのフィルムを交換することを思いついた。ごそごそとカメラを取り出すと、「Photo? OK! OK!」といって、店員が寄ってくる。写真をとってくれるらしい。いらんっちゅーに。えーい、はしゃぐんじねえ。若いの、お前コンロほったらかしでええんかい。そのカメラマンインド人は、「後ろのメニューがジャマだな、どけろ」、とヒンディー語でいい、下っ端店員が、壁にかけてある1メートル四方の、メニューの書かれた板をどけようとした。しかしその板は壁に打ち付けてあったらしく、ぐいっとひっぱるとバキッとヘンな音がした。で、結局、板は動かせず、留め金が外れて斜めにぶら下がる感じになって、よりアピールが強まってしまった。まったく。で、その店員がメニューを正位置に保持したまま、なぜか写真撮影。きっと意味のわからん写真ができることうけあいだ。
特にする事がないので、また街をうろうろする。することがない。だんだんと歩調もウシに近づいてくる。そう、このウシの歩調というのも、インドの極意の一つなのである。こうやって歩いていると、もうインドに慣れているな、ということで、あまり物売りがよってこないし、よってきてもわりとすぐあきらめる。そりゃもう神聖なウシ様ですから。というか、金もってなさそうに見えるのかな。まあ、とにかくウシ歩きはインド旅行の奥義のひとつ。インドは、テキパキするためのところじゃないんだな。そう、恐ろしい事に、私は42日間、ついにインドで「走っている人」を見ることがなかった。ただの一度もである。子供がはしゃぎあって走ることはあっても、時間に遅れそうな人が走っている、というのは見かけない。そもそも、だれも時計なんかしてないし。大事なのは日の出と日の入りだけなんだろう。
ヒマなので、日本に電話をかけてみよう、と思った。国際電話初体験である。インドの観光地には外国人がたくさんくるので、国際電話をかけるところはいくらでもある。「I.S.D.」と看板が出ているのがそれで、International subscriber dialingの略だ。電話のかけ方は、まず「0081」、それから市外局番の0を外して、電話番号をダイアル。「00」は国際電話の識別、「81」は日本の国番号というわけだ。電話料金は、店によって違うが、1分55ルピー(130円)ぐらい。もちろんぼったくられないように、まず1分いくらかを聞いたのち、自分で通話時間を確認しておかなくてはならない。日本との時差は3時間半なので、もう日本は夕方になっているはず。そんなわけで、日本の友人たちに短い電話をいれる。プルルルル。かちゃ。「はい、○○ですけど」「はっはっはっ。オレだ。久しぶりだな!!」「あ、どうも」「オレは今聖地ヴァラナシにいるぜ」「え、インドからですか!」「そうだ。はっはっはっ」「すごいっスね!!」「はっはっはっ!!」
まあ何の用事も無い上に、短時間に限られてしまうとこういう意味のわからん会話になってしまう。そんなことをしているうちに夕方になったので、ホテルに戻る。今日の一日がなんだったか、と問うか。答えていわく、聖地の大気を満喫したなり。
部屋に戻って、ベッドに寝転んでみる。壁にはヤモリがいた。太いヤツである。追い払おうとすると超高速で動くので、もうかかわらないことにする。部屋の中は電球と蛍光灯であるが、蛍光灯はその日の電圧によっては灯かない。きょうは電圧が足りているようだ。さて、シャワーでも浴びよう。
インドには風呂というものが無い。シャワーだけだ。もちろん、一泊300ドルもするようなホテルに行けば別だが。そして、インド人は基本的にお湯を使わない。最近になって、ホットウォーターOKというのが増えたが、そのホットウォーターも、時間帯によっては出なかったり、ふいをついて熱湯だったりする。このホテルは一応ホットシャワーということになっているが、夜10時ごろには水しかでなくなる。今のうちならお湯がアベイラボーなので、さっぱりしてから夕食にするとしようか。
裸になって、シャワールームへ。もちろんトイレルームでもあります。赤い方の蛇口をひねると、じょぼじょぼじょぼじょぼと、シャワー未満の水流が滴った。まあでもこんなもんさ。だんだんとあったかくなってくる、と思ったら、シャワーが突然ズコ゜コ゜コ゜コ゜と振動し、拡散熱湯を噴射した。あぢぢぢ。ズコ゜コ゜コ゜コ。あぢぢっ。シャワーに祈りをささげなかったからか、シャワーはお怒りである。シャワー・マタ・ジー(母なるシャワーよ)。
だいたい収まったところで、青いほうの蛇口もひねって調整。ふー。今日は、バザールで買ったインド製のシャンプーを使ってみる。透明のボトルのなかに緑色の液体。あけてみる。においは、意外に普通だ。手に出してみる。どろーり・・・・・この粘性はなんだ。片栗粉で固めてあるのか。インド人のやることはわからん。頭につけてみると、粘性が高すぎて、頭の一部しか泡立たない。左前頭部だけがバブリーになる。まあ、とにかく強引に洗いきる。すすぎ。うむ、このカピカピ感は予想どおり。きっと、洗うために生まれ、洗うために死んでいく、硬派なシャンプーなんだろう。目に入らないようにしよう。からだも適当にあらって、終了。からだはだいたい拭いておけば、インドは湿度が低いのですぐ乾いてくれる。乾いた髪の毛のキシキシ感は、キシキシ日本代表になれるぐらいすごかった。
さて、夕食のため、屋上のレストランに向かう。私の部屋は3階で、屋上に向かう途中4階で、きょうボートにご一緒した女性二人組みの人と会った。メシ、いきますか、と聞いてみたが、なにやら、二人組みの一方であるOさんが、体調を崩したらしい。かなり顔色が悪く、熱もあるようだ。しばらく部屋で寝ている、もう一人も様子をみる、ということで、私一人で屋上へ。残念。
今日は、屋上のレストランで、シタールとタブラーの演奏をやっていた。このホテルでは、日によってインド民族音楽の演奏会をやってくれる。といっても、シタール(インド民族ギター)一人とタブラー(手で叩くドラム。ラテンみたいなやつ)一人の、二人だけであるが。たまに、インド民族バイオリンの人もくる。楽器の名前は忘れてしまった。そしておどろいたことに、その演奏には、スコア(楽譜)がないのだ。まずタブラーがトンストトントン、トンストトントン、とビートを打ち出すと、シタールがピンピンピピピン、とおしとやかに入ってくる。あとは、二人の阿吽の呼吸だけである。二人ともアイコンタクトで、ジャカジャカジャン!!とキメたと思えば、またトンストトン、ピンピンと流れていく。純粋にプレイヤーの気分を楽器に乗せるだけなのだ。だから、私はべっぴんな白人女性などがいたら、いつも最前列に座るように勧めている。やはりキレイなオネエサンに見られていると、プレイヤーのノリが違う。圧倒的に違う。さらに、私は拍手できる時は強引に拍手する。するとドンドン、プレイヤーはノッてくる。しまいには、タブラーの「これでいくぞ!」にシタールの「こうかっ!?」が返ってくる「会話」が聞こえてくるし、「どうだっ!」「いやもっといけるでしょ!」とか、「こう?」「ちがう、こう!」「こう?」「こうだってば!」という二人のぶつかりあいまで聞こえてくる。そこまで高まってくると、タブラーは12連譜のアップビートを叩いてくるし、シタールはマルムスティーンのような高速技を見せる。たまに停電がくるが、演奏は揺れ一つおこさない。最後には本当に聴衆も言葉をうしなって聞き入ってしまう。そして最後にビッとキメると、拍手。うーん、すばらしい。さすがに、生まれた時からカーストで、お前はミュージシャンと決まっているだけの事はある。でも、聴衆に聴く気が無いときは、本当にBGMとして、チャカチャン、とキメるだけ。非常にインド人らしい演奏だ。
ふと向かいのテーブルを見ると、年のころ30ぐらいのご夫婦がいる。話し掛けてみると、このご夫婦は、なんと漫画家だった。名前は「堀田あきお」先生で、「アジアのディープな歩き方」という旅行漫画を、「旅行人」「ビッグコミックオリジナル」に不定期連載しているとのこと。実は、これが縁で、日本に戻ってきてから、私はその単行本を送ってもらった。これがまた、超感動的なマンガなんだな。これはぜひ読もう。いや、知り合いだからってひいきしてるんじゃあない。本当にイイんだ。読んだ人の9割が旅に出てしまう危険なまでのエモーショナルストーリーだ。「旅行人」出版から、単行本が出ているから、みんな書店へレッツゴウ。堀田あきお「アジアのディープな歩き方」だぞ。ちなみに私のはサイン入りだ。ふっふっふっ。
そんなわけで、堀田夫妻と夕食会という感じになる。私は、ガンガーに浮いていた「ボディーストーン(死体)」の話をした。ボートが近づくと、水の揺れで死体がこっちをむいてびびった、という話をしたら、せびそれをマンガに描きたいといっていた。そして、現にこのネタは、ビッグコミックオリジナルに載ることになる。もう、載ったのかな。そんなこんなで盛り上がり、途中で女性二人組みの一人も参加。堀田さんはこれも取材のうちだから取材費でおごるよと言ってくれて(こんなこと書いていいのかな)、ビールは飲むわ、タンドゥリーチキンは食うわ、で本気の宴会になった。
ここらで、オカユスープと、ヴェジタブルスープを注文して、寝込んでいるOさんの部屋に持っていくことにする。無理やりにでも食べて、薬を飲まないことには、治らない。なにしろ彼女たち、明日にはもうヴァラナシを出なくてはならないらしいのだ。で、強引に食べてもらう事にして、私はちょっとバザールにでて、解熱剤を買いにいった。で、解熱剤をわたす。飲むかどうかは彼女の勝手。インドの薬だからな。錠剤がクソでかいし。すると次は、オレンジとか果物が食べたいというから、またバザールにでて、果物をさがす。果物屋、もう閉まっているな。くそう。しかも、この忙しい時にでも物売りとか物乞いはくる。じゃまや!!と思わず大阪弁が炸裂。意味は通じないが意図は通じる。が、この時間になるともうどこにも果物屋がいないようだ。ということで、代用のアップルジュースでガマンしてもらう。ジュースを持って帰ると、部屋に戻ると、リンパ腺がはれて節々がいたい、ということなので、もむ。あまり上手でない。あとは、タオルをぬらして、おでこと首の周りを冷やす。よし、手は尽くした。あとは寝るだけ。布団をかけておやすみなさい。ところで、彼女は宝塚系のかなりの美人であるが、それが弱っているのはちょっとかわいい。いつもこれぐらい弱い方がカワイーっすよ、とからかうと、怒るかと思ったのに、弱っているだけに、「・・・・・そうかなー」と返答をする。タイミングをみて、何度か濡れタオルを交換する。こうやって献身的に看病して、彼女「風邪引いて看病されるのも、たまにはいいな」とでも思えばしめたもの。その瞬間、風邪は治る。風邪のデーモンが、「ちっ。つまんねえ」という感じで退散するのである。マラソン大会の前日には風邪をひけないという現象と同等だ。
Oさんが、寝る前に最後に尋ねた。「・・・・・あのこは、どうしてる?」と。私は「ああ、上のレストランで楽しんでいますよ」と答えると、「よかった・・・・・」とこぼし、濡れタオルの下で、ニンマリ笑いやがった。この二人、本当に親友なんだなー、と、感動してしまった。なーんか、ちょっと嫉妬してしまうぐらい。二人とも、うらやましいね。で、ついでに、あんたも、超いい奴だぜ!!ひさびさにグッときたよ!!
動き回っておなかがすいたので、レストランに上がって、宴会の残り物を食った。堀田夫妻あきれる。「ぼく燃費悪いんすよね。地球環境の敵ですわ。インド製の自動車みたいに、ガソリンの大半は無駄にしてますから。昼食のためにレストランに上がるだけで朝飯の摂取カロリーが全部消費されますよ」と、関西人らしくまくしたてた。夜はふけ、演奏もおわり、プレイヤーのおっちゃんは照れくさそうに去っていく。拍手拍手。
音が止むと、ちょっとさみしい風が、屋上を吹き抜けていく。明日には、あさってには、もっと風は冷えて、インドの短い冬がくる。でも、本格的なインドの冬を迎える前に、私は日本に帰ることになるだろう。ふと考えてみる。私が去っても、この街はかわらず、ヴァラナシでありつづけるだろう。これから後、何十年と、私の知らないところで、私の知っている人が、人生を歩んでいく。物乞いのあの子は、どんな18歳になるだろうか。そのころ、物売りのラリ爺は、健康でいるだろうか、あいかわらず偽物の白檀のにおいをかがせてまわっているだろうか。このホテルはどうなるだろうか。あの熱い演奏をしてくれた二人は、演奏しつづけているだろうか。彼らは、ほんの少しでも私のことを覚えていてくれるだろうか。
「明日死ぬとしたら、どうする?」という質問がある。いま、その答えが出かかっているのかもしれない。なぜなら、私は、1週間もすれば、このヴァラナシを去る。ヴァラナシに生きた私は、消えてなくなり、死ぬ。オレは確かにここにいたはずなのにな。
堀田夫妻が、部屋にもどる。私も部屋に戻り、意外に疲れている体を横たえた。
もし、次に目がさめたら神戸にいる、としたら?
現実に、その日は近いうちにやってくる。次の太陽は神戸でみる、という日がくるはずだ。
そんな感じで、次の太陽は見られない、という日も、やがてくるのだろう。
眠気に飲まれるまで、ねばる。
だけど、だからどうしよう、ということは、結局、思いつけなかった。
ただ、ニンゲンがイキテルんだなー、と、じんわり思って、めまいがした。
[インド旅行記@ヴァラナシその4/了]
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