インド旅行記@ヴァラナシその5
11/16
朝。起きる。今日は何をしようかな。
私は旅人のはずである。だが、私はこの町を出立する手配をまったくしていない。手配どころか気配もない。これはまずい。そういう状態をバックパッカー用語で「沈没」というらしいが、完全にそのパターンだ。はやく立ち直らなくては。とはいえ、いきなり朝から気合が入るはずもなく、いつもどおりのレストランでいつもどおりの朝食をとる。まったり・・・・・。
朝食後は、川に出る。旅行記を書いていながら、「毎日おんなじやんけ」と突っ込まれる声が聞こえてくるようだ。とは言っても、川に出て歩くか街に出て物売りとジャレるかしか、ないのである。
だから今日は、川に出る。ホテルを出て、赤いガネーシャ像の脇をとおり、暗闇のトンネルを抜けて、ヌリューっ。
うわっ。
うんこ踏んだ!!!
この暗闇のトンネルの牛糞だけは、回避不能である。これはホテルプージャからラリターガートにぬけたことのある人なら全員が頷くはずだ。暗闇に黒いブツは、見えないのだ。またよりによって底の薄いサンダルで踏んだだけに、そのヌリュー感はリアルに伝わってきた。まあ、そのフンは新品ではなかったため、あったかくなかっただけマシである。
ところでこのトンネルの途中に、寺院につづくらしい階段が一つある。暗闇からさらに暗闇に続くので、旅人が入ろうと思うようなものではない。その階段の裾には、薄汚れた花売りのおばあさんがいつも座っている。その悟りきったすがたに、私はいつも会釈をして通っていたのだが、今日は、その売り物の花を、巨大なホルスタインに食われていた。おばあさんは阻止しようと平手打ちを連打するが、ホルスタインは動じない。おばあさんも、ホル(略)がキレて本気を出されても困るので、腰の引けた打撃をしている。ホルは、ここぞとばかり、むしゃむしゃと花をむさぼる。私はおばあさんに同情し、加勢してやりたかったが、何しろウシとのコミュニケーションは不慣れというか生まれて初めてなので、ちょっと遠慮させていただく。うんこ踏んだところで、テンションが下がっているし、なによりこのホルはでかすぎる。
神聖なウシと気の毒なおばあさんをほったらかして、暗闇のトンネルをぬける。パッと視界が広がる。雲ひとつない青空、埃にかすんだ空気、にごったガンガー。いいねー。
いつもどおり、絵葉書売りの子供が寄ってくる。へいへい、ノーセンキュね、と言うと、「ナンデヤネン」と、かなり正確な大阪弁が返ってきた。歩きながら、「You can use good Japanese!」と言っておいてやる。ついでに、日本語のレクチャーをする。
「If you want to say “Why no thank you−!?Ok,see you”,then you would say “ナンデヤネン、モーエエワ”,OK?」
「モー・エエ・ワ?」
「イエス。ナンデヤネン・モーエエワ」
「ナンデヤネン・モーエエワ」
「Right,perfectly!」
というわけで、インドで「モーエエワ」と言われた人は、私の教え子とお会いしたのかも。スラング万歳。
しばらく、川べりをのんびり歩いていると、前方で、日本人女性が、物売りの子供にまとわりつかれているのをみた。とりあえず、私もまとわりつく。こんにちはー。よかった、日本人だ。たまに、韓国の人もいて、日本語で話し掛けてしまうことがあるのだ。今回は日本人で、名前はA子さんということにしておこう。私のほうがヴァラナシはヴェテランだったので、朝日がイイよとか、あそこのカレーはウマイとか、そういう話をした。沐浴もしたよ、と言うと、驚いていた。
A子さんいわく、「沐浴、してみたいけど、思い切りがつかない」
私答えていわく「いや、したければ、すれば?別に思い切らんでも・・・・・」
A子さんいわく「・・・・・じゃあ、やってみようかな」
私答えていわく「えっ」
なんだかわからないうちに、じゃあ私も付き合うか、ということで、今日は二人で沐浴する事になった。まさか本当に沐浴する気になるとは、予想外だ。どこが「思い切りがつかない」んだ?いきなり思い切りやがって。
というわけで、彼女の部屋に生き、タオルやらなんやら用意して、再びガンガーに出る。彼女の泊まっているホテルは、本当にガンガーの目の前なので、ガンガーまで徒歩30秒といったところだ。
じゃあ、前にボクが沐浴したところで、しますか。といってもすぐソコですけど。100メートルほど歩くと、私の行きつけの沐浴場に到着。沐浴場、とは言っても、川に入水する岸辺が階段になっている、というだけのもの。すぐヨコでは、しわくちゃのおばあさんが、腰を曲げたまま洗濯している。黒いウシが一区画に集まって、日向ぼっこしている。本当に真上から降りそそぐ太陽、眉間にしわを寄せたインド人たちの会話、ボロい衣類を渾身で叩きつける洗濯風景、もうマヒしてしまった慢性的な牛糞のにおい。こんなところで私たちは、なにをやっとるんでしょう。
と思っていたら、いきなりA子さんは、ざばざばっと水に入っていった。おおう。なんて奴だ。あっ。しかもアタマまでもぐりやがった。
もうしょうがない、私も入ろう。A子さんは、女性なので、着衣のまま。私は、パンツいっちょ。ざばざば。ああ、あいかわらずガンガーはナマアタタカかった。足元のヘドロもにゅるっとしている。この水のテカり、不自然な浮力。んー、アイム・ベイジング・インザ・ガンガー。またやっちまったね。
えいっ、と、頭までもぐってみる。さすがに目は開けられない。そのまま、テキトーな方向へ泳ぐ。しばらく潜水。で、ざばっと、水面に飛び出す。日光がまぶしい。うむ、これで、全身のみそぎが済んだ。みそぎでけがれが落ちる、というところは、日本の神道と全く同じ。これで極楽浄土に一歩近づいた。南無阿弥陀仏。ちなみに、阿弥陀、という言葉も、もとはこの地方のサンスクリット語が発祥だ。サンスクリット語はヨーロッパ語系だから、アルファベット系。ア・ミダは、もともとUnmeasured、測定不能という意味らしい。仏教用語では、無量。ウチのおじいちゃんの法名は、無量院釈行信法師。まあそんなことはカンケーないか。
ガンガーを浴びてサッパリしたあとは、彼女のホテルにもどって、シャワーを浴びる。ケガレを落とした後はヨゴレを落とす。いや、本当はそんなに汚れた水ではないのだけど、なんとなく気分的にね。ガンガーは、牛糞とか死体とかのイメージがあるから。シャワーの水もガンガーからくみ上げて、濾過層を通したぐらいのモンだから、あまりかわらないと思うけど、一応ね。
さてそういうわけで、本日のメーンイヴェントが終了してしまった。
遅めの昼食をとり、日も暮れだした。どうするかな、というところで、A子さんが、マニカルニカガートを見ていないというので、じゃあそこに行こうということになる。マニカルニカガートは、前にも出てきた、火葬場である。人体が3時間かけて灰になっていく様をじっくり見ることができるバーニングガート。うむ。
歩いて10分もすれば到着である。インドは広いしヴァラナシも広いが、ツーリストプレイスはごく至近。火葬場なのに意外と匂いはなく、煙もさほどない。気候が乾燥しているので、よく燃える。最近は、朝夕が冷え込むので、牛たちが暖を取りにきている。犬は、焼け残りを食べにくる。そして、シーズンには、我々のようにツーリストがのろのろと集まってくるのだ。
A子さんは、さしていやがりもせず、「へえー」という感じで見ている。私も見る。うむ、人が死んでいる。いずれは私もああなる。人間の死亡率は100パーセントだからな。死はかねてから後ろより迫れり。かねてより後ろから、だったか?そんな感慨にふけっていても、ガイド気取りのインド人が寄ってきてブチ壊してくれる。
このガイドをぼーっと聞いてしまうと、いずれお金を請求されるので、いつもは逃げるのだが、この火葬場の詳しい話を聞いてみたかったので、この男にガイドを依頼した。
また新しい死体が、えっさほいさと運ばれてくる。男はそれを指差して、説明しだした。
「家族が竹の神輿に遺体をのせて、運んでくる。運んでくる間、神を称える文句を唱えつづける」。確かに、なにか合唱している。「遺体は布でくるむのだが、その布がクリーム色なら若い人で、オレンジ色なら年寄りだ。ピンク色なら、女性だな」「次の人は、焼かない。焼かずに、石にくくりつけて、ガンガーに沈めるんだ。12歳以下の子供、コブラにかまれて死んだ人、病死した人、ホーリーマン。ホーリーマンや子供は、体がけがれていないから、焼かなくていい。コブラにかまれた人は、死んだのではなく、身体がストップしただけだから、焼かなくていい。ホーリーマンは、死なないから、死後、プラスチックカードに名前と住所を書いて、流すんだ。どこかに転生した後、ここに帰ってこられるように」「あのテラスにある、小さな火が、見えるか」。うん?はいはい、あのおっちゃんの足元で赤く光っている炭火のことね。「あれはエモーショナルフレイムと言って、3900年前に、シヴァ神が点火した炎なんだ。それ以来、一度もあの火を絶やしたことはない。お金を払ってあの火種を買い、死体を焼くんだ」へー。3900年前から消えていない炎。エモーショナルフレイムか。グレートだ。そういってやると、なぜか鼻高々になっている。お前が点火したわけじゃないぞ。「死体を焼くマキにも、3つの等級がある」といって、それぞれの値段を吹聴しだした。まあ、これは後でお金の無心をするための伏線だな、と思ったので聞き流す。とりあえず、そのマキの値段だと日本より高いぞ、と思ったことだけ覚えている。「火葬するのにも作法がある。まず、死体は髪の毛をそり、バターを塗ってある。そして、ほら、あの木のやぐらに乗せられた死体をみろ」ちなみに、死体は「ボディ」と表現するのがインド式。「あの死体の上に、マキが数本置かれているだろう。あれは、家族の人数を表している」「つづいて、ガンガーの水を、5回まわしかける。その度に、大地、水、炎、風、空との関わりが絶たれ、魂はダイレクトに天国に行くことができる」「家族は、それに使用したレンガの器を、死体に背を向けて、肩越しに、後ろに投げる。この器が割れたら、家族の縁も切れる。この後は、後ろを振り向いてはいけない」「そして、焼いている間は、家族は泣いてはいけないんだ。泣くと、魂がおびえてしまって、天国にいけなくなる」「死後10日後、家にホーリーマンがきて、マントラを唱える。それを3日やるが、3日目のマントラが6時間で一番長い。これでようやく成仏できるんだ」。なるほど。仏教の葬式とか四十九日とかと同じだな。「あの建物、あの3つの建物を見ろ」。ん、あの薄暗い3階建てぐらいのビルのことかな。「They are waiting for dying」。えっ。
「あのビルの中には、合計2000人ぐらいの人がいる。みんな、身寄りのない人たちで、息があるうちにここヴァラナシに来て、あのビルの中で、死ぬのをまっているんだ。それぞれ、もうすぐ死ぬ人、あと2,3ヶ月で死ぬ人、今年中に死ぬ人、のビルに別れている」
なんという話だ。死ぬのをまっている、だと。
「見に行くか」
いつの間にか日は完全に暮れていて、暗い夜になっている。
ビルに続く階段をのぼり、薄暗い建物内に入る。もちろん、建物は埃と砂にまみれて、あちこちにガレキが残っている。扉もない。中に入ると、外の喧騒が、遠のく。暗い階段を上ると、明かりのないフロアに出た。イスもテーブルもない。もちろん台所もテレビもない。生活道具の一切ないそのフロアに、ボロ布にくるまれた老人たちが10人ばかり、寝そべっている。床に転がっている彼らは、だれも身じろぎ一つしない。ガラスもはまっていない窓から、生ぬるい風が吹き込んでいる。
この人たちは、本当に、「死ぬのをまっている」。なぜ生きているのか、と問われれば、まだ死なないから、としか答えられないだろう。
私は、正体のわからない恐怖に襲われた。ただ、怖かった。この人たちは、「生きて」いるのか?そして、私自身は、生きているのか?人は最後の瞬間まで、生きる努力をするべき、とは言うが、さりとて彼らがあと7日生き延びたところで、なんだというのか?
そもそも、いま私の目の前にいる彼ら、本当に全員生きているのか?そして、このビルの中すべてが、この生きているか死んでいるか定かでない人たちで満たされているのか?何百年も前から、そしてこれから何百年も、このビルの中では、だれも身じろぎ一つすることなく、命の風化だけが繰り返されるのか?
この辺で、この建物を管理しているらしいおばあさんがよろよろと寄ってきて、彼らにマキ代を寄付してくれ、という話をもってきた。もう私はそんなことどうでもよかったので、さっさとお金を払った。
建物を出て、ホテルに向かった。道は暗い。いつもの喧騒も、今日は、なにか非現実的な音の集まりにしか聞こえなかった。
人は、生まれる。また、I was born.とも言う。生む、という動詞が、受動態になって、「生まれる」。
私は、生まれた。親が、私を、生んだ。でも、本当は、親が、私を生もうと思って、生んだわけではない。生もうとしても、何がどう生まれるかは、親にはわからない。それこそ、男か女かすら、わからない。私には2本の腕があるが、これは親がそう生もうと思った結果ではない。私は、なにかしらに依って、そういうふうに私が私であるように、「生まれた」のだ。なにかしらが、私を生んだのだ。
私は生まれた、というとき、いつの間にか、私の意思で生まれたような気がしていた。それは違う。私の誕生に関して、私は全く関与していない。私は生きている、と思うが、私が生きていることには、実は私は関与していない。私が「死んでいない」ということには、関与しているけれども。
後ろを振り返って、闇に溶け込みそうな、3つのビルを見る。
あのビルの中にいる人たちは、今、死をまっている。身じろぎ一つせず。
彼らは生きているのか。生きているだろう。彼らの関与しないところで、彼らは生まれ、生かされている。
私は生きているか。私は、生きている。生きようとしている。
私は生きようとしているが、生きる、ということに、私は関与できない。私は、生かされている。
私は、何かしようとしているが、何をしようとしているのだろうか。
「生きようとしている」と思っていたこの「何かしようとしている」は、何をしようとしているのだろう?
つまるところ、あのビルの中の老人たちと、私とは、何が違うのだろう?
[インド旅行記@ヴァラナシその5/了]
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